「お前らに人権はない」なぜヤクザは一般的な生活を送るのも困難になったのか

文春オンライン / 2020年8月23日 6時0分

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 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『 潜入ルポ ヤクザの修羅場 』(文春新書)から一部を抜粋する。

◇◇◇

「完全に同化してますねぇ」

 暴力団との距離のとり方はことほどさように難しい。

〈ヤクザっぽくならないように……〉

 私はいつもそう意識している。外見も内面も、彼らと同化してはまずい。マル暴の刑事が本物以上にヤクザっぽい雰囲気を纏っているように、ヤクザ記者がヤクザのような風貌になってはシャレにならない。

 同業者にはヤクザっぽい人が多いように感じる。外見はそうでなくても、話し方が尊大になったりする。暴力という力を持ったヤクザと付き合っているうち、自分が強くなったような錯覚に陥るのだろう。最初は真面目そうだった編集者が、アウトロー雑誌を作っているうち、段々とそれっぽくなってきた実例はたくさんある。

 常に意識していても、人から「それっぽい」と言われてしまうときもある。

 北九州市の女子大学の教授を取材したときのことだ。この人は広島出身のプロボクサーが、肉親が所属していた暴力団抗争に巻き込まれていく様を丹念に調べて出版していた。その人物を暴力団側から再検証しようと考え、取材先の紹介と写真提供をお願いしていたのだ。大学という場所を考え、きちんとした格好で行こうと考えた。池袋の西武デパートでヨウジヤマモトの黒いスーツをローンで買った。暴力団相手に黒は避けているが、一般人になら問題ないと思った。

 教授は冷淡だった。

「ヤクザばっかり取材している人はそれっぽいねぇ。黒いスーツなんてヤクザそのものだよ」

 教授の見解程度なら、笑ってすますこともできる。黒いスーツ=暴力団だなんて、乱暴すぎだ。しかし、当の暴力団から指摘されると完全に意気消沈する。先日、ある親分の運転手から、「完全に同化してますねぇ。いつかヤクザと間違えられて撃たれますよ」と言われた。彼らにとっては仲間意識と友好関係を示した親愛の情かもしれないが落ち込む。自分では気づかぬうちに調子に乗っているのかもしれない。そんな部分があるならもっと強く意識しなくてはならない。

暴力団と付き合うことで死生観が狂っていく

 感覚が麻痺してしまった部分はあるだろう。たくさんの暴力団が集まっている義理場で、写真を撮るため、ためらいなく前に出られるのも、頭のどこかが麻痺したせいだ。

「ここだけの話……」

 と、日常的に犯罪行為の話を聞いているので、たとえば殺人事件に対する感覚も、一般的ではないはずである。私の携帯電話には17人、抗争で殺された暴力団員の電話番号がメモリーされている。自殺した人間を含めると、その数は3倍近くに跳ね上がる。たとえわずかな回数しか話していなくても、あくまで取材の相手でも、たたずまいを記憶している人間が殺されるという事態は、否応なく私の死生観を狂わせる。

拘置所での面会

 留置所や拘置所、果ては刑務所まで面会に行くので、こうした空間を異次元の場所と捉えることもなくなった。刑務所での面会は身分帳に名前を記入した人間以外できないが、たぶん、20人近くの身分帳に私の名前が載っているだろう。もっとも悲しいのは拘置所での面会だ。ションベン刑と言われる短期にせよ、長期服役にせよ、刑務所に入ってしまえば娑婆に出られる日は分かっているから、その点、当事者も吹っ切れている。

 拘置所に面会に来る人間たちをみても、複雑な心境になる。

 先日、大阪拘置所に面会に行った。ここは別名“リバーサイド”と呼ばれる。川のすぐ脇にあるからで、側には高層マンションが建ち並ぶ不思議なエリアだ。

 入口にある無料のロッカーに携帯電話やカメラ、ICレコーダーをしまい、金属探知を通って待合室に向かう。待合室には真っ青なセルロイドでできた羽根の、東芝製の古い扇風機が設置されていて、夏場はそれが首を振りながらうなり声をたてている。

 待合室には、一目で暴力団関係者と分かる人間も多いが、その恋人や家族もたくさんいる。先日、リバーサイドの待合室でみかけた老夫婦のおじいさんは、杖をつきながら宅下げ(金品を持ち帰ること)・差し入れの窓口を探してウロウロしていた。朝早い面会だったからか、スーツ姿のサラリーマンや、作業服を来た男性たちもいた

子連れで刑務所へ面会に来る家族

 目立つのは子連れの女たちだ。この日はスカジャンに金髪のポニーテールの若いママが、5、6歳くらいの男の子を連れていた。赤ちゃんを連れた女性も少なくない。だから面会室の入口のすぐ横にはベビーベッドがおいてある。

 待合室の中央には2本の太い柱が建っていて、面会室側のそこにはマガジンラックが設置されている。そこにあるのは子供向けの絵本ばかりで、ボロボロになった『シンデレラ』や『不思議の国のアリス』が置いてあった。たしかにここは不思議の国だろう。しかし、子供たちにその自覚はない。パパに会える場所、遊園地と変わらない気分のはずだ。

 自分が好き勝手なことをするのはいい。刑務所に入るのも自己責任だ。しかし、家族がいるなら、なにより子供までいるのなら、もうちょっと他の生き方は出来ないのだろうか。

 死刑囚が収容されているのも拘置所である。彼らは刑の執行――自分が殺されるために収容されているので労役もなく、服装も自由に選べる。大抵の死刑囚は、面会のときもスーツ姿で現れる。話す内容は毎回、ほぼ一緒だ。希望を失わず、死刑が執行されるその日まで、しっかり生きてくれ、というしかない。面会を重ねるうち、どんどん情が移ってくる。無残にも殺された被害者のことを思い出しなんとか我に返る。

暴力団は斜陽産業

 最近では暴力団の意識も変化してきた。大阪の末端組員たちのように、我々が自分たちをネタにして金を稼いでいると分かり、様々な要求をしてくるのだ。インタビューなら事前に原稿をチェックされても仕方ない。が、他団体の原稿まで検閲したいと言ってくる。

 当然断るが、そのとき暴力団は「今後出入り禁止にする」と圧力をかけてくる。組織名を一切使うな、と要求してくる組織もある。福岡県警がコンビニエンスストアに、要請という形で暴力団雑誌の撤去を行ったのと同様に、恐喝のプロだけあって、一切、恫喝めいた言葉はない。ホテルなどに呼ばれるときも、部屋を閉め切らず、強要にならないよう細心の注意を払っている。

 こうした要望は暴力団の取材許可で成り立っている雑誌にとって、強制に近い意味を持つ。いつだったか、溝口敦が「取材拒否になっても他の分野がある」と書いていたが、暴力団のみに依存していては、この要求を呑むしかない。専門分野に特化した分、取材対象との関係を良好に保っていなくてはならないという負い目がある。今のところ、私個人は「実話誌にはそういった圧力をかけられても、一般誌には同じことを言わないはずだ。そこからの依頼なら書きます」と突っぱねてはいるが、現実には暴力団専門誌がなくなった時点で私の生活は破綻する。

「知っていること」と「書けること」の相克

 また同じ組織に10年も出入りしていれば、否が応でも深刻な内部対立が分かってしまう。実際は友好的な儀式であっても、当事者たちは私がそれを書かないと信じているから、ぶっちゃけた内容を話す。深層を知った上で、上っ面だけの記事を書くのは精神的に大きなストレスとなる。関東の某団体は、親分と決定的に反目しているが、取材の際は「一枚岩の団結」と書かねばならない。

 今後の身の振り方を考えていたところ、最近、考えさせられる事件が立て続けに起きた。一つは外国人記者が、暴力団のスキャンダルを暴いたときだ。

 彼はパイプ役となったネタ元や、当事者団体から、私が何度も言われたように「殺す」という恫喝を受けていた。その対策として彼は警察に相談して、身辺警備をしてもらったり、高額な日当を払ってボディガードを雇った。外国人は暴力団に過剰な幻想を持っている。これまでの自身の経験からすれば、それは単なる脅しで、真に受ける必要はまったくない。

 ただ、私は彼がやったように、暴力団にとって圧倒的に不利な事件を暴き立てたことはない。溝口の例をみても分かる通り、記者が暴力団から攻撃されない、という保証はどこにもない。

「ヒットマンって誰ですか?」

「○○って言ってました」

 私は名前の挙がった当人と交流があった。直接話を聞き、「そんな意味のないことなんてしない」と言われたが、それを本気にしていいものか自信はない。

 記者の恐怖心を増幅させていたのは、刑事たちだった。

「そりゃあ他の暴力団なら心配ないでしょう。でもあの組織は危ない」

 感覚がずれているのは私かもしれないのだ。

「ヤクザに戻ってもどうしようもない」とこぼす元幹部

 その後、山口組を破門になった幹部が、今度は家族ぐるみで上京してきた。最初、他団体の知り合いから電話があって、「追われているから助けてやってくれ」と、一切を突然丸投げされたのだ。過去の経験から自分の家に住んでもらうことはしなかった。ただ私が保証人になってアパートを借りる必要があった。知り合いの会社になんとか潜り込んでもらい、彼はいま、月給25万円で会社社長の運転手や雑用をしている。彼はしばらく「いずれヤクザに戻りたい」と熱意を持っていたが、最近はずいぶん考えが変わったようだ。

「もう暴力団じゃ食えない。カタギでやっていきたい。知り合いのマル暴からも、『いまヤクザに戻ってもどうしようもない』と言われる。昔の仲間たちも同じことを言ってる」

 元幹部がこぼすように、暴力団という職業は斜陽産業である。

 コンピューターの普及で、大打撃を被った業種のように、社会が整備されて来るにつれ、暴力団の存在価値は薄らいでいる。暴力団も調子に乗りすぎた。豪邸に住み、高級車を乗り回し、ホテルのロビーを我が物顔でのし歩くアウトローを、社会が許容するわけがない。

現代の暴力団は一種の社会的弱者

 いまや暴力団は一般的な生活を送るのも困難となった。銀行口座は作れない。新車も売ってもらえない。カメラ店でのプリントさえ拒否される。葬儀会場を貸してくれるところもない。理解しがたいかもしれないが、暴力団は一種の社会的弱者なのだ。

 実際、暴力団取り締まりの現場はなんでもありと言っていい。警察に拍手を送りたくなる事件がある反面、明らかに強引に事件化したと思われるものも目立つのである。

 大阪日本橋の電気街で、200万円ほどの買い物をした山口組二次団体幹部は、「ちょっとくらいまけてぇな」との言葉を「恐喝」と判断され、警察から厳重注意(中止命令の一歩手前)をうけた。山口組の某直参組長は、200万円の大金をかけて入れたインプラントの噛み合わせが悪く、「ちょっと具合が悪いんやが……」と言ったため、歯科医から警察に通報され、新聞沙汰になった。なんだかマンガのような話だが、警察も暴力団にははっきり「お前らに人権はない。カタギがやるのはいいが、お前らは駄目や」と通告するという。

若い衆を撃ち殺し、自分の頭を撃ち抜いて死んだヤクザが残した最後の一言 へ続く

(鈴木 智彦)

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