《事件317件、25人死亡》暴力団史上最悪の「山一抗争」で生まれた「トップは殺らない」という教訓

文春オンライン / 2020年8月29日 17時0分

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6代目山口組の高山清司若頭 ©️共同通信社

【山口組分裂抗争の銃撃史】「“大きな音”がしますよ」…そのとき拳銃は急騰し始めた から続く

 いまから5年前の2015年8月27日、山口組は分裂した。なぜこのタイミングで分裂したのか。長年にわたり暴力団業界をウオッチし続けてきた、ある警察当局の組織対策部幹部は、次のように指摘する。

「高山の社会不在が最も大きかったのではないか。権力者不在の隙を突いた行動だった」

 高山とは、山口組ナンバー2、若頭の高山清司のことだ。6代目組長に司忍が就任して以降、高山が山口組内を実質的に取り仕切っていたことが知られていたが、分裂当時は恐喝事件で刑務所に服役しており社会不在の状態だったのだ。(全3回の最終回/ #1 、 #2 へ)

高山不在が大きな動機なのか

 前出の組織対策部幹部が高山の人物像について語る。

「高山は司とともに弘道会で活動し、暴力団業界の群雄が割拠していた名古屋を中心とした中京地区に山口組を根付かせた。いわゆる『武闘派』として知られていた。それだけでなく、中部国際空港の建設工事に介入し、砂利やセメントなどの利権を確保してシノギ(資金源)を獲得した『経済ヤクザ』としても知られていた」

 中部国際空港建設をめぐっては、「集めたシノギは1000億円以上と聞いたことがある」(指定暴力団幹部)とも言われ、山口組の外部では対立抗争事件で敵対する暴力団を攻め立てるだけでなく、山口組内では資金が不足した直参と呼ばれる直系組長らにカネを融通することで、弘道会側に引き寄せる与党形成にも余念がなく、「知力と武力を兼ね備えた男」(警察庁幹部)として広く知られた存在だ。

 5代目体制当時は、若頭補佐の一人に過ぎなかった司が6代目の座に就くのにも、高山は貢献したという。

「司を6代目組長に押し上げるにあたって様々な知恵を絞って、それを実践していたのは高山だったと見ている。その高山は、自分が不在の間に親分の顔に泥を塗って出て行った神戸山口組に対しての憤懣は収まりがつかないだろう」(前出・警察庁幹部)

「あの男まで離脱するとは…」

 司が山口組の6代目組長に就任したのは2005年8月だった。しかし、司は同年11月、銃刀法違反事件で服役することになる。司が社会不在の間、高山が実質的に山口組の運営を行うこととなったのだ。

 その間に高山は5代目時代からの古参の直参を事実上追放したほか、会費と呼ばれる上納金ほかのカネの徴収など強権的な運営をして、内部での不満が鬱積していた。山口組系幹部が明かす。

「出て行った神戸山口組の者のうち、山口組内のブランドと呼ばれた山健組(組長)の井上(邦雄・神戸山口組組長)はリーダー格として、旗を持っている象徴的な存在。だが、実際に絵を描いたのは、一緒に離脱した入江と正木だと思う。入江は知恵者だし、正木は法律など様々なことに詳しく弁もたつ」

 入江とは2代目宅見組組長の入江禎(ただし)を指す。6代目山口組体制発足と同時に「総本部長」のポジションを任され、最高幹部として事実上のナンバー3の地位を占めていた。正木組組長の正木年男は6代目体制では若頭補佐や総本家室長などを歴任し、やはり最高幹部の一角を占める存在だった。

 前出の警察当局の組織対策部幹部は「入江が離脱したことを聞いた時は驚いた」と当時の感想を漏らす。

 5代目体制時の1997年8月、組内の対立から山口組若頭だった宅見勝が射殺されたため、入江は宅見組を継承し2代目宅見組組長を名乗ることとなった経緯がある。組織対策部幹部が当時の内部事情を解説する。

「宅見勝射殺事件の後に山口組は長い間にわたり混乱していた。そうした状況のなかで、宅見組内での2代目組長候補のうち入江が後を継ぐことが出来たのは、司と高山がバックアップしたことも大きかったと言われている。だから、その入江が離脱するとは思わなかった。神戸山口組内では、組織としては山健組が最も規模が大きく武闘派的な役割だが、それに対して入江は参謀というような立場。双方の思惑が一致したというか、そういった合意のようなものがあったのではないか」

「山菱の代紋」が持っている意味

 2015年8月の分裂から5年経っても、6代目山口組と神戸山口組の双方ともに「山口組」を名乗り、「山菱の代紋」を掲げている。これは自らこそ正統な山口組を継承している組織だということを主張しているためだ。

 長年、暴力団対策に携わってきた警察当局の幹部たちは、「『山菱の代紋』を捨てた方が敗れた山一抗争の教訓だろう」と指摘する。

「山一抗争」は、1985年1月から1987年2月までの2年余りにかけて317件の事件が発生し、日本の暴力団史上最悪の対立抗争とされる。山口組4代目組長に竹中正久が就任したことを不服としたグループが離脱して一和会を結成。85年1月、組長の竹中が一和会系組員に射殺されるなど25人が死亡、70人以上が重軽傷を負った。

 当時を知る山口組系幹部が山一抗争の際の「代紋」の重要性を踏まえて解説する。

「山一抗争の際には、離脱した一和会は『山菱の代紋』を捨てた。それまでは山口組のネームバリュー、山菱の代紋というブランドがあったから、内部の統制というか規律もしっかりしていた。しかし、一和会は山口組の名も山菱の代紋も捨てたことで体制を保てなかった。

 神戸山口組には、この山一抗争の教訓が絶対にある。だから、山口組の名称と山菱の代紋を使い続け、真の山口組は自分たちだからと堂々と山口組を名乗る。6代目側からは許しがたいことだが」

 こうした点について、暴力団捜査の長いベテラン刑事も同様の見解を示す。

「やはり、『山菱の代紋』を掲げる意味は大きいのではないか。国内最大組織の威光は全国に及んでいる。6代目側も神戸(山口組)側にしても、『自分たちこそ山口組だ』と思っているのだから、ここは譲れないのだろう」

 さらに山一抗争と今回の分裂についての相違点について指摘する。

「山一抗争の際には、離脱した一和会は『4代目を認めない』として出て行った。4代目組長の竹中の(親子)盃を受けていないから、山口組から独立するということも自由だという主張も成り立つ。しかし、神戸山口組に参加した組長たちは、6代目(組長の司忍)の盃を受けた。分裂は盃を突き返したという点で大きく違う」(同前)

 この点について6代目山口組側は、「逆縁」「謀反」などと神戸山口組側を強く非難し続けている。

「山一抗争」もう一つの教訓

 2015年8月に山口組の分裂が発覚した当時、警察庁幹部は「個人的な見解だが」と前置きしたうえで、「今回の分裂でも対立抗争事件は起きるだろう。しかし、神戸山口組は6代目(山口組)のトップを狙うようなことはないだろう」と指摘していた。その理由について、やはりここでも「山一抗争の教訓」を強調した。

 山一抗争では、一和会はトップの竹中を暗殺して決着をつけようとした。しかし、実際に暗殺が実行されると、山口組側はその衝撃から強烈な求心力を得て、激しい巻き返しに走り、一和会はその勢いに抗し切れずに劣勢のままで崩壊した。一和会トップの山本広が山口組側に謝罪することで終結した経緯があった。

「一和会はいきなり山口組4代目組長を殺害してしまった。これは、山口組全体を敵に回すことになり、一和会は白旗をあげた。だから今回は、神戸山口組は6代目のトップを狙うことはないのではないか。それよりも、弘道会の最高幹部が狙われる可能性の方が高いだろう。そして、神戸山口組VS弘道会という構図に持ち込めば、山口組内のほかの直参はこの対立抗争とは無関係、手出しは無用とのメッセージになる。実質的には山健組VS弘道会だろう。これが山一抗争の教訓として学んだであろう点だ」(同前)

「山健組VS弘道会」の構図は崩れるか

 5年前の分裂時、警察庁幹部が予測した「山健組VS弘道会」という構図。しかし、いまやその均衡が崩れつつある。

 2017年4月には、神戸山口組から一部グループが離脱し任侠団体山口組(現・絆会)を結成。さらに、神戸山口組に追い打ちを掛けるように、2019年末から今年にかけて傘下組織が離脱する動きを加速させ、今年夏には中核組織の山健組で内部分裂の兆候が発覚。有力組織の池田組のように実際に離脱を表明した団体も出てきている。

 抗争はこのまま決着するのか。5年にわたって抗争を監視し続ける警察当局は、今後も事態の推移について情報収集を進める。(敬称略)

(尾島 正洋/Webオリジナル(特集班))

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