「フォートナイトに何千円も?」子どもが欲しがる“実態のないデータ”……ゲーム課金の是非

文春オンライン / 2020年8月30日 17時0分

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©️getty

 ある日、あなたの子供が「フォートナイト」で課金したい、と頼んできた。キャラクターを着せ替えるアイテムを購入するのだという。

 ゲームに課金? 何千円も? ゲームの中のアイテムを現実のお金で購入するなんて……。

 少し前までは、子供がビデオゲームに使うおこづかいをせびるときは、「ゲームソフトが欲しい」、「ゲーム機が欲しい」というものだった。財布を握りしめて近所のおもちゃ屋に足を運び、ケースに入ったゲームソフト(という形あるもの)を購入する。それが普通だった。 

 イマドキのゲームはすべてがデジタルだ。ゲームの仮想世界の中に店があり、現実のお金を専用通貨に換金して、アイテムを購入する。手元に形あるものは残らない。何千円、何万円をかけて実体のないデータを購入するのだ。

 ゲームの世界は変化していて、消費者である子供たちはその最前線にいる。デジタル化した経済圏は子供たちの欲求を刺激し、あの手この手を使って消費するように誘導する。

 なぜ実態のないデータを欲しがるのだろうか。何がそこまで魅力的なのだろうか。

 おこづかいを管理するあなたが知らない世界には、巨大な市場が形成されている。

どうしても課金させたいゲーム会社

 “基本無料”というゲームのビジネスモデルが急速に普及している。

 ゲーム自体は無料でダウンロードしてプレイできるが、追加のコンテンツをプレイするためには課金しなければならない、というゲームのことだ。フリー・トゥ・プレイ(F2P)とも呼ばれ、スマートフォンやPCでプレイするゲームで採用されることが多い。

 1本いくらで購入するゲームに比べて、無料のゲームは多くのプレイヤーを獲得する。限られたおこづかいしか持っていない子供にとって、無料で遊べるゲームは魅力的なのだ。

 しかし、全てのプレイヤーがお金を払わずにゲームをプレイしていたら、ゲーム会社は商売にならない。無課金で遊ぶプレイヤーをいかに課金プレイヤーに変えられるかが、“基本無料”ゲームのビジネスの勘所である。

 プレイヤーに課金させる手法として、追加のキャラクターやアイテム、進捗に合わせて遊べる要素が開放されていくパスといったものがある。ゲーム会社はこれらの手法を組み合わせて、無課金プレイヤーに対して「課金すればゲームがもっと楽しくなりますよ」と宣伝していくわけだ。

洗練されたマーケティング手法にさらされる子供たち

 ゲーム会社は無課金プレイヤーを課金プレイヤーに変えるべく、マーケティング手法を洗練させてきた。

 ゲームをプレイすると、まずはゲーム内の店が開き、その日のセール品や期間限定のアイテムが表示される。大幅な割引率、 “今しか買えない”といった限定感を強調することで、財布のひもを緩めにかかる。

 ゲーム内の店が優れている点は取引条件の時間管理である。アイテムのセール期間は何時何分何秒単位で表示され、“今しか買えない”という気持ちを増幅させる。購入に至るまでの店の導線すべてが綿密に設計されている。

 商品設計もマーケティングのたまものだ。スマートフォンゲームの多くに採用されている“ガチャ”の仕組みは、くじ引きのように抽選券を購入させ、ランダムな確率でキャラクターやアイテムといったデータを獲得させるものだ。

 抽選時には気分を高揚させる演出が用意されていて、貴重なアイテムが当たった際にはきらびやかな演出が展開される。

 “ガチャ”がプレイヤーを過度に消費に誘引しているとして、ヨーロッパの一部地域や北米ではギャンブルと同じ法律で規制すべきだという意見もあるほどである。

 ゲーム企業のマーケティングにプレイヤーは常にさらされている。お金の価値について十分な知識を有していない子供がノーガードでこれらの情報を摂取しつづけているというリスクについて、あなたはどの程度理解しているだろうか。

「なぜ欲しいのか」を理解する

 課金の負の側面ばかりを書いてきたが、筆者が結論づけたいのは「だから絶対子供に課金をさせてはならない」というものではない。

 そうではなくて、子供が課金したいという気持ちに至ったという事実を受け止め、金額と経済事情がつりあうかどうかの判断を親が下さなければならない、というのが筆者の意見である。

 これはゲームの課金だけの話ではない。おもちゃや洋服、スポーツ用品を買うためにおこづかいをあげるときも、同様の判断を下しているはずだ。

 スーパー戦隊の番組の途中に挟み込まれるテレビコマーシャルを観て、子供はおもちゃを欲しがる。同じように、ゲーム内の広告を観てキャラクターやアイテムを欲しがっているのだ。

「ゲームの中のアイテムは実体がないから」と頭ごなしに否定したくなるかもしれないが、あらゆる娯楽がダウンロード(例えば電子書籍)やストリーミング(例えばNetflix)によって提供される時代に、実体のあるなしで金額の妥当性を判断することは野暮であろう。

 重要なことは、おこづかいで購入したアイテムで楽しい時間を過ごし、友達と一緒に思い出をつくること。その対価として数千円の課金額は妥当だろうか。何かを頑張った対価として妥当だろうか。

 イマドキのゲームはマーケティングが巧みである。その最前線を知るためにも、子供と一緒にゲームをプレイしてみるのもいいだろう。

(但木 一真)

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