あの1球をもう一度…人的補償に翻弄された内海哲也に望む“自分本位の決断”

文春オンライン / 2020年9月30日 11時0分

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743日ぶりの勝利投手となった内海哲也

 諸事情でボツにしたが、削除できなかった原稿がパソコンの中に眠っている。6年前、巨人時代の内海哲也について書いたものだ。

 2010年、私は野球専門誌の西武担当として地元・所沢でプロ野球の取材を始めた。それから4年後の2014年、クライアントの要請を受けて巨人担当に配置変えになった。

 正社員として雇用されたサラリーマンではなく、あくまで1年ごとの契約ライターだったため、断るという選択肢もあった。本心では西武の取材を継続したく、そう交渉すれば良かった。しかし巨人担当になればギャラが上がることと、フリーランスにとって決して簡単ではないプロ野球の取材証を取得し続けるため、同誌の要請を受け入れた。

 担当記者の数が限られる西武には、いい意味で牧歌的な環境がある。プロ野球取材を始めた当時、ヘッド兼打撃コーチだった土井正博さんから何度も聞かせてもらった話は、野球を書き続ける上でかけがえのない財産になっている。

 一方、各社が複数の担当記者を送る巨人の環境は、180度異なる。エース記者たちが火花を散らし、新顔にとって決して容易な取材現場ではない。そんな状況に加え、私は同誌との契約以外で忙しくなってきたフリーランスの仕事を優先し、日々のプロ野球取材を完全に疎かにした。クライアントから求められる最低限の仕事しかせず、プラスアルファを生み出せるような働き方をしなかったのだ。

 求められることをこなすだけでは、フリーランスとして働く意味は薄い。プロ野球の現場に身を置くのは、極端に言えば時間の無駄だ。来年から、どうやって身を振るべきだろうか。

 そう逡巡しながら東京ドームに通った2014年シーズン終盤。情けない私の目を覚ましてくれたのが、内海のピッチングだった。

捕手の意図を、あえてくまなかった1球

 前年まで4年連続で二桁勝利を飾った内海だが、2014年シーズンは序盤から苦しんだ。開幕から勝ち星が9試合つかず、左肩の違和感もあって7月までわずか1勝。巨人が3連覇に向けて突き進むなか、左腕は一人取り残されていた。

 しかし、8月以降は9試合で6勝2敗と盛り返す。そしてチームがマジック8で迎えた9月19日のヤクルト戦。4回裏に捕手・加藤健のレフト前タイムリーと自身のスクイズで2点を先行すると、勝利投手の権利がかかった5回、内海は真骨頂を見せた。140km/hに満たない速球で左右の打者の内角を果敢に突き、外角へのチェンジアップやツーシームで仕留めていく。ストライクゾーンを幅広く使う投球術と制球力、何より打者に向かっていく姿勢で、この回を三者凡退に抑えたのだ。

 とりわけ5回2死、8番・谷内亮太に対して1ボール、2ストライクから内角に速球を投げ込み、見逃し三振に仕留めた1球は見事だった。相手打者にバットさえ振らせず、勝利投手の権利を得て威風堂々とベンチに引き上げていく。その様子を記者席から眺めていると、この1球に込めた意図をどうしても聞きたくなった。

「加藤さんはボールになるゾーンの要求でしたけど、『この球で勝負しよう』と。いい流れでしたからね」

 マウンド上と同じく、冷静沈着に内海は言った。捕手のサインにうなずきながら、あえて要求された意図とは違うボールを投げ込み、これ以上ない結果を残した。これぞ内海、という1球だった。

 一流のプロ野球選手たちは、一つひとつのプレーに深い意図を込めているものだ。試合の勝敗を分ける1球を掘り下げようという私の取材スタイルは、この日、内海の投じた速球に大きな影響を受けている。

FA制度の最大の闇

 2018年オフ、FA宣言して巨人に移籍した炭谷銀仁朗の人的補償で、内海は西武にやってきた。自身もFA権を保有している中での“強制移籍”だった。

 西武を取材する立場からすれば、過去2度の最多勝左腕が新天地で復活できるのか、興味深いテーマに感じた。何より、あの1球の続きを追いかけることができる。

 ただし、内海の胸中は察するに余りある。2000年にオリックスの1位指名を拒否して東京ガスに進み、3年後に自由獲得枠で巨人に入団、自身の手でエースに登り詰めた経緯があるからだ。

 毎年秋に行われるドラフト会議で指名されなければ、アマチュア選手はNPB球団に入団できない。しかも選択権は球団のみにあり、選手は所属先を選ぶことができない。そこには野球界独特の事情があるとはいえ、一般社会の常識で考えるとあまりにも理不尽だ。加えて言えば、毎年の契約を終えても、更新できる権利は球団のみが有している。

 そうした保留制度の是非は本稿ではさておき、選手たちが自由に所属球団を決める権利を求めて1993年に導入されたのが、フリーエージェント制度だ。現在まで大きな改正がないまま続くFA制度は、あまりにも欠陥が多い。例えばFA権を取得した選手の約9割が、「行使せずに残留」という選択をしていることは何よりの証左と言えるだろう。

「Free Agent」=「自由に所属球団を選択できる権利」にもかかわらず、なぜ、選手が「宣言」するという“踏み絵”を踏まされるのだろうか。私は日本独自の仕組みを疑問に思い、FA制度が成立するまでの経緯を『プロ野球 FA宣言の闇』という書籍にまとめた。

 当時の球界関係者に取材してわかったのは、極端に球団に有利な条件で制度設計されたことと、検討不十分なまま導入されたことだった。簡潔に言えば、選手たちがFA権を行使しにくいように設計されたのだ。

 当時、日本プロ野球選手会の事務局長を務めていた大竹憲治さんによると、人的補償の是非について選手会で議論されたことはなかったという。

 一方、パ・リーグはFA移籍の補償としてドラフト指名権の譲渡を提案したが、セ・リーグの反対で見送られた。その裏にあったのが、FA制度とちょうど同じ1993年に導入されたドラフトの逆指名制度だ。

 そうしてつくられたFA制度で、「人的補償」は最も悪しき仕組みと言える。現在までの27年間、FAで新天地を求めるスター選手がいる裏で、多くの選手が“代償”になってきた。大袈裟に言えば人権に反する制度であり、巨人の原辰徳監督も異議を唱えている。

内海が西武に残した爪痕

 人的補償で西武に加入した内海は2019年、左前腕の故障などでプロ入り初の1軍登板なしに終わった。当時37歳、16年目のシーズンを終え、翌年への決意をこう明かしている。

「1試合も投げてなくて、この年齢でどうこう言える立場じゃない。でも、今のままではライオンズ・ファンに申し訳ない。願うことならば、ライオンズで活躍したい」(2019年9月28日、「スポーツ報知」電子版より)

 移籍初年度に活躍できなかった責任を感じ、FA権を行使せずに残留した。そして今季、内海は故障からの復活を果たし、4試合に先発している(9月28日時点)。

 西武でのデビュー戦となった8月22日のオリックス戦、743日ぶりの勝利投手となった9月2日のロッテ戦は見応えのある投球だった。速球、変化球ともに全盛期のようなキレこそないが、打者に威風堂々と立ち向かっていく。攻めるピッチングは、内海の真骨頂だった。しかし続く2試合は結果が出ず、2軍落ちとなった。

 今季は残り30試合強。2位ロッテを追いかける西武の台所事情は苦しく、再び内海に先発の出番が回ってくる可能性は十分にある。

 その結果は予想できない一方、一つだけ、確実に言えることがある。西武にやってきた内海は、確かな爪痕を残したということだ。球界を代表する左腕の投球から、西武の後輩や、球団の枠を越えたファンが多くを感じとったはずだ。

 今季までの17年間で通算134勝を重ねてきた左腕が、西武で挙げたのはわずか1勝。本人からすれば、とても「活躍」したとは言えないだろう。客観的に考えても、西武で結果を残すことなく、古巣に戻るという決断はしにくいと思われる。

 ただし、FAは選手自身の権利だ。西武で活躍できていない責任を背負う姿勢には一流選手の誇りを感じさせるが、そもそも西武にやってきたのは内海自身の意思ではない。人的補償という制度こそ、諸悪の根源だ。

 果たして39歳で迎える来季へ、内海はどんな決断を下すのか。西武に残留するにせよ、巨人に戻るにせよ、願わくはFAを宣言し、自分本位で決めてほしい。

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(中島 大輔)

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