モーリー・ロバートソンさんの「テレビ業界への意見表明」で考えたこと

文春オンライン / 2020年9月5日 11時0分

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(写真はイメージ) ©️iStock.com

 フジテレビ系朝の情報番組『とくダネ!』に足かけ5年、コメンテーターとして出演させていただいていた私が、実父の体調不良で私ら家族の介護が必要になりまして、どうしても朝の時間をびっちり取られる番組の出演がむつかしいということで、MCの小倉智昭さんや関係者の皆さんに「すみません、介護もあって番組はもう出られなくなりそうなので、降ろさせてください」と相談に行きました。

 ちょうど小倉さんもご体調が芳しくないという時期でもあり、相談にいった私が恐縮するほど丁寧に「長い間、ありがとうございました。また出られそうになったら是非呼びますので、遠慮なく連絡ください」とご対応くださって、非常にありがたかったです。

番組ごとに、作り手の考え方が大きく影響している

『とくダネ!』というのは不思議な番組で、ブラウン管や液晶越しには「小倉一家」のように見える統制の取れた雰囲気とは別に、朝の番組打ち合わせで「これを喋ってください」とか「台本通りにやってほしい」と言われることは一回もありませんでした。一回も、です。

 おそらくはテレビ局・番組の方針や、ご担当のプロデューサーやディレクター以下制作陣のお考え、あるいは小倉さんなど出演している方々の情報提供に対する姿勢なども大きく寄与するところはあるのではないかと思うんですよね。

 一方で、テレビ朝日系列で放送していた『橋下×羽鳥の番組』という番組に呼ばれていったところ、事前の打ち合わせではそこまでテーマとして告げられていなかった「ネットでの橋下批判の代表者・山本一郎」みたいな取り上げられ方で突然収録が始まり、まあ普段言えないことを言ってよいのなら頑張って喋るかと対応していたものの、実際の放送では私が喋った内容はほとんどカットされ、まるで橋下徹さんが一方的に私を論破しているかのような内容になっていてビックリしたわけですよ。

 さすがにそれはないだろうと、テレビ朝日にいた局の友人にも相談話をしているうちに、肝心の『橋下×羽鳥の番組』が視聴率の低迷とともに少し早く打ち切りになってしまい、有耶無耶になってしまったのは残念です。一方で、テレビ朝日の制作陣の方々からは社会問題についてのお問い合わせやリサーチでのお電話を戴くことも多く、テレビ局単位というよりは、本当にその番組ごとの作り手の考え方が、起用する有識者やジャーナリスト、政治家、タレントなどの起用法に大きく影響するものなのだと思うんですよね。

モーリー・ロバートソン氏がツイートで興味深い意見表明

 で、9月1日にミュージシャンとしても著名なモーリー・ロバートソンさんがSNS上でテレビ局での使われ方に対して宣言をしておられて興味深かったわけです。

 長いですが、モーリーさんの論考を是非読んでみていただければと思います。いわば、長らく公共の電波を使って独占的に番組を無料で提供し、圧倒的なメディアパワーを誇ってきたテレビ局が、ネット時代の興隆とともに輝きを失っていく過程で番組の品質でも魅力でも他の媒体に負け始め、程度の良くない中高年の安価な娯楽レベルになってしまったことを明確に示唆しています。

不動産屋がテレビ局を兼ねている経営

 その結果として、スポンサー離れも進んでいき、テレビ局の収益は大きく低迷。そればかりか、テレビを観て育った若い世代の減少とともに、就活で人気の企業ランキングでは上位50社からテレビ局の名前が消えたとまで報じられるようになりました。もちろん、現下の収益性の問題や、人気企業ランキングのような水物だけでテレビ局を論じるべきではないとも思います。そもそも、テレビ局は番組を作りスポンサーをつけて放送するという事業よりは、高度成長とともに長年押さえてきた不動産の収益のほうが安定しており、テレビ局が放送事業で云々というよりも不動産屋がテレビ局を兼ねているというような朝日新聞社メソッドのほうが経営を見る場合正確なんじゃないかとすら思います。

 モーリー・ロバートソンさんの話に敷衍する形で論ずるならば、私は主に3つの論点でテレビ産業考を喫緊にやらなければならんと思っております。

論点1. ワイドショーのような情報制作で世の中を無理に動かそうとするな

 一連のコロナウイルス対策でもテレビ報道はさまざまな形で国民に情報提供をしてきて、もちろんそれが役に立った面はあるのですが、一方で、明らかにコロナウイルスのような感染症の専門家ではない、また、公衆衛生の知見もない人が単に「医師」や「研究者」という肩書一丁で出演して、非常に偏ったコメントをしている例が散見されます。

 代表的なのは白鷗大学教授で公衆衛生の専門家として多くの番組に出演してきた岡田晴恵さんで、中でも「コロナウイルス、高温多湿と紫外線が大嫌いですから、下火にはなって来ると思うんですね」と与太を飛ばし、医療界隈で大変な騒ぎになったのは記憶に新しいところです。放送にはファクトチェックが大事とか言っている場合ですらない。そもそもガセネタですから。

 さらに、テレビで稼げると思ったのかは分かりませんが、今度は大手芸能事務所のワタナベエンターテインメントが岡田晴恵さんのマネジメントまで進出しています。タレントとしての面白味があると思ってのことかも知れませんが、無理に煽らず正しい情報が必要とされるコロナ関連の話題において、テレビ局が正確性よりも話題性を重視して起用し続けるのであるとすればそれはヤバいわけです。

知識のないタレント・芸人の不確かな感想で番組作り

 そして、ワイドショーなど情報制作の番組でありがちなのは、時事問題を取り扱っているにも関わらずバラエティ的に放送することで視聴者に情報を届けることが「あたりまえ」になってしまっている傾向です。一般人の気持ちを代弁するとの建前の元、知識のないタレントや芸人が不確かな感想ばかりを流して話題を消化しているだけであるという。

 コロナウイルス関連の報道がようやくお茶の間で飽きられたと知るや、自民党総裁選が行われることが決まってからはこのニュース一色になっていきます。 岸田文雄さん、菅義偉さん、石破茂さんら、立候補する3人のプロフィールやエピソードなどを順繰りに流し、それについて出演者が感想を述べるだけで番組が成立してしまうという程度の低さで、さすがに「この品質の情報しか流れていなくても良しとする視聴者しかテレビを観なくなるだろう」というモーリーさんの危惧は当たってしまいかねません。

 一事が万事そのような番組の作り方で各局横並びで、どこより数字を取った、取られた、と競っているため、テレビ以外の娯楽に視聴者が流れ、視聴習慣を失ったらもう終わりです。その危機感はテレビ局にもあるのでしょうが、ネット放送も含めて別のゲームチェンジャーが若い視聴者をテレビの前から根こそぎ奪ってしまった後でどうにかしようと言ってもなかなか無理です。

論点2. 「番組で取り上げられました」を誘発するステルスマーケティングをやめろ

 さらには、露骨に商品やサービスを番組で取り上げることで、安易に尺を埋めるロケをやる機会が増えているように思います。というのも、最近は戦略PR会社がかなり積極的に「この番組で御社の商品を紹介しませんか」ともちかけ、資金が動いているにもかかわらず番組内では広告と銘打たないという明確なステルスマーケティングが横行しています。

 実際、リサーチの仕事をやっているときに戦略PR会社や広告代理店など複数の会社から「番組で御社の商品を取り上げてもらうための広告予算を出しませんか」という提案は頻繁にやってきます。これ、明らかに広告営業ですよね。しかも、広告とは銘打たないタイプの。

 番組制作費が厳しくなり、出演している人たちのギャラが削られるという話題がよく出る一方で、こういうところで番組がおカネを作り、制作費を捻出しているのだとすれば涙ぐましい努力だとも言えます。が、しかし、これらは単純に景品表示法違反、放送法違反であって、割り当てられた営業枠を超えて通販をやってはならないという縛りすらも逃れるアプローチになっていて問題ではないかと思うんですよね。「あの番組のコーナーは800万円のスポンサー料で枠が買える」という話がいまだに出るのは都市伝説ばかりとは感じられず、さすがに襟を正すべき状況にあるのではないでしょうか。

偏った政治報道も同様

 翻って、放送の中立性という観点からもテレビ局が積極的に特定の政党を応援したり、政治的に誘導するのは許されることではありません。しかしながら、私も石破茂さんとは政策勉強会をしたり対談などもやらせていただいていて親しいと思われているのか、番組で石破茂さんをどんどん取り上げたいので石破茂さんのエピソードを教えてくださいと取材されます。

 そして、実際に放送された番組を観ていると石破茂さんが自民党の改革者であり野党政治家や左翼系活動家とも渡り合える人物だという形で報じられており、客観的に見ても「党員投票などが行われない公平ではない自民党総裁選で落選させられる石破茂は可哀想だし、菅義偉さんが仮に総裁選に勝っても正統性はない」とでも言いたそうな内容に仕上がっています。あまりにもダイレクトすぎてびっくりするわけですが、ステルスマーケティングであれ偏った政治報道であれ問題は同根で、作り手の意志が不公平な形で反映され過ぎていたり、不適切な収益に直結するような番組作りはよろしくなかろうと思うわけです。

 別にすべての情報バラエティをNHKスペシャルや海外ニュースメディアのように仕上げろと言いたいわけではないのですが、作り手のモラルと番組の品質の問題はもっとしっかり考えなければなりません。

論点3. 業界の構造が変わっているのに同じ仕組みで作り続けるのをやめろ

 ある予測では、2020年を通じてNetflixはコンテンツ制作のための予算だけで173億ドル(約1兆8,400億円)を投資すると見込まれていて、恐らく着地のコンセンサスでは150億ドル(約1兆5,800億円)ぐらいだろうとされています。

 けたが大きすぎてイマイチすぐにはピンときませんが、我が国のテレビ局という意味では私たちの大正義・NHK様の放送経費全体が3,460億円(2018年)ほど、うち、真水のコンテンツ制作費は年間2,770億円(同)ほどです。民放はと言えば、日本テレビ放送網が977億円、テレビ朝日が874億円であって、それでも定常放送枠の制作経費が削減されるってことで出演しているタレントギャラを減らそうとか言っているわけですから、まあ太刀打ちできないよねという話でもあります。相手は1兆円ですよ、1兆。

 つまりは、地上波という公共の電波で日本国内津々浦々にテレビ番組を無料で届けて収益を得るというビジネスモデルは凄く優れていたのでずっと伸びてきたけれど、ついに人口減少が始まった、インターネットで気軽に動画も観られるようになったという構造の変化で視聴者をどんどん失っていきました。多くの視聴者に見てもらえる前提で割高な値段で広告を打ってくれていた広告主も、さすがにカネのない中高年男女の娯楽にすぎなくなったテレビ番組にダラダラと商品やブランドの広告を出し続けるほどのお人よしではなくなった、というのが実際ではないかと思います。

海外に進出しなければ

 ただし、それ以上に問題となるのはこういう「日本の制度下で、電波村によって規制された業界が、日本人に向けてスポンサードベースのコンテンツ提供体制を続けていく」ことの是非は、ダイレクトに「世界にいる非日本語話者に対するマーケットをまったく取りにいけていない、後進的で閉鎖的なテレビ局の駄目すぎる経営」を浮き彫りにしたとも言えます。いままで儲かっていたから無理に海外に目を向ける必要がなかったのが、ネット時代全盛の到来とともに自身の収益性が激しく細り始めてから慌てて「海外にも売れるコンテンツを」と言っても、制作資金の調達から品質担保、世界的なコンテンツブランド確立の手段にいたるまで何も手付かずで気づかぬ間に負け組になっていたのだと思うのです。

 かろうじて、日本テレビが早い段階から気づいてディズニーとの取り組みでHuluをサービス開始したものの、結局はすったもんだありなかなか大変なことになっています。フジテレビも独自でFODをやり、各社頑張っているものの結局は自前でやっているテレビ番組の見逃し視聴をネットで再配信できるレベルのビジネスにとどまり、ジャパンブランドのコンテンツを海外配信できるようにしようとか、海外のプラットフォームとの連動を高めて世界的に楽しめるコンテンツブランドを立ち上げようという話にはまったくと言っていいほどなりません。日本語を話す日本人による日本市場で十分な収益を得てきたことが、仇になるというのはこういうことなんだろうと思います。

 結果として、海外市場でのコンテンツ配信においては、むしろいままでさんざん馬鹿にしていた韓国のエンタメ業界に負けて後塵を拝することになってしまいました。当たり前のことですが、韓国の人口はざっくり日本の半分。海外に出ていかなければやっていけない規模の経済であり、かたや日本のテレビ局はいままでずっと日本市場だけでも十分に稼げる優良企業であると同時に不動産収入も各社大きいので危機感を抱かぬうちに海外にボロ負けしてきた経緯があります。

 モーリー・ロバートソンさんがテレビ局の体たらくを説明している内容で、読んでいる私が「ああ……」と膝打ちしたのはこういう議論を出演者に過ぎないモーリーさんが書いて、しかもそれがSNSではそこそこ評判になって多くの人に読まれていてもなおテレビ局は変わらないのだろうなあと感じるわけでして、なかなかシビれます。

軌道修正できない日本の護送船団方式

 本稿については蛇足ながら、そもそも我が国のメディアの構造においては、かねて指摘される新聞社系列としてテレビ局・ラジオ局が経営をされていて、戦後経済体制の病理でもある護送船団方式がいまなお色濃く生き残っています。

 テレビの番組制作に造詣のない新聞社のお偉いさんがテレビ局の経営中枢に天下ってきて専横したり、番組の中身に直接介入するなどの問題を引き起こして各メディアの独立性や独自性が毀損しています。クロスオーナーシップが認められていて、メディア産業がコングロマリット化しているのは日本のメディア界隈の特徴とも言えますが、うっかり経営が安定してしまっているので変革が求められているところでちっとも軌道修正が効かないのですよ。

 もしも、テレビ局が資本でも人事でも独立した存在であったならば、消費税引き上げの際に新聞購読に「知る権利を担保する」などとして軽減税率を適用しようという政策議論が出たら秒殺でみんなで批判しておったと思います。でも、「新聞に軽減税率なんておかしい」って論陣を張ったテレビ局はゼロでしょゼロ。そんなもんです。

 そりゃ衰退しますって。

産業の問題と才能の問題は分けて考える必要がある

 なもんで、テレビもまた年寄りとともに衰退するメディアなのでしょうが、しかしテレビ局が経営的に行き詰まることと、テレビ的なるものの寿命が来ることとは違います。

 テレビ局とは単なる装置産業であり、電波というインフラによって支えられた事業者に過ぎないので栄枯盛衰はあるでしょうが、テレビ的なるものというのは日本社会を支える動画づくりの在り方であって人が作るものです。テレビ業界はなくなっても、番組を作る人はYouTubeだろうがNetflixだろうがAmazon Prime Videoだろうがどこででも才能を発揮し、収益を上げることが可能になります。産業の問題と才能の問題は分けて考える必要があると思うんですよね。テレビ局にも、映像づくりの上手い人がたくさん残っているはずです。

 新聞業界が新聞を各家庭に配るという仕組みを失って迷走しているけど、きちんと取材のできる新聞記者は記事を書いて生き残る。文春だって通勤客が駅売りの雑誌を買わなくなる中で発行部数は苦戦することもあるけど、優れた記事はネットでも激しく読まれて支持を受けて存続する。同様に、テレビもやっすい制作費で有識者でもないタレントに時事問題を語らせる質の低い番組を垂れ流すよりは、もっと広く視聴者を国内海外に求めて打って出られるコンテンツ作りと資金調達ができるようになるといいなと強く思います。

 そして、これらの議論はテレビ局に勤め、自分たちの仕事の未来を考えている諸氏からすれば、みんな当たり前のように考え、どうにかしなければならないと思って日々業務をし、番組を制作しておられるだろうと思うと、そういう業界の改革に一歩を踏み出すことのむつかしさを強く感じます。本来なら、一番活気のある産業の一つであるべきなのですが。

(山本 一郎)

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