村長の父親の銅像の前で祭りを…日本の“住みよい北朝鮮”は「ある意味正しい」と村民が語る理由

文春オンライン / 2020年10月2日 17時0分

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常井健一氏

 コロナ禍での小中学校の休校や保健所、給付金などで、地元市町村の政治をより身近に感じたひとも多いだろう。そうした自治体の首長、なかでも町長・村長の選挙を取材してまわったノンフィクションライター・常井健一の『 地方選 無風王国の「変人」を追う 』(KADOKAWA)が刊行された。

 地方選の面白さや地方政治のありよう、さらには本書に出てくる「住みよい北朝鮮」や「凄腕のウグイス嬢」などについて常井氏に話を聞いた。 (全2回の1回目/ #2 に続く)

◆◆◆

 

――常井さんはこれまで、誰とも異なる視点で政治家を書いて来られましたが、新作の『 地方選 無風王国の「変人」を追う 』も500人足らずの村の選挙を取材するなどしていて、面白かったです。 

常井健一(以下、常井)ありがとうございます。今回はインタビューなのに、お互いにノンフィクションの本を持ち寄って、これから「ビブリオバトル」を始めるような雰囲気ですね。 

――今日、杉浦明平という作家の名著『ルポルタージュ 台風十三号始末記』(岩波新書、1955年)を持ってきたのですが、『地方選』を読んでいるとき、これを思い出しました。 

常井 私が昨年末に書き上げた著書『 無敗の男 中村喜四郎 全告白 』(文藝春秋)を発売したころには、文春オンラインのレビューで映画「地獄の黙示録」を引き合いに出して、「中村喜四郎=カーツ大佐」説を唱えられて思わず唸りましたが、今回の作品は杉浦明平さんですか! 

――『台風十三号始末記』は、喜劇映画「台風騒動記」の原作となった名作です。常井さんの『地方選』を読み始めたら、「大間の選挙は親戚の数で決まるんだよ」(青森県大間町)など、地元のひとの身も蓋もない名言が続出で、どこかスラップスティックコメディのような面白さがありました。 

常井 政治家を題材にした本は、政界関係者や熱心な支援者、いわゆる「政治好き」など一部の人にしか読まれないものになりがちです。それを突き破ろうと思い、前作の『無敗の男』では劇画の主人公のように描くなど心がけました。頭の中では、昭和のヤクザ映画に出てくる成田三樹夫と中村喜四郎のイメージを重ね合わせたりして。

 今回の『地方選』でも、なんとか読者の裾野をひろげたくて、普段は政治ノンフィクションを手に取らないいろいろなひとに読んでもらおうと、ポップでコミカルになるよう「軽さ」を出せるよう苦心しました。 

元村議が「住みよい北朝鮮」と呼ぶ村

――第3章で「住みよい北朝鮮」と元村議が呼ぶ大分県姫島村が、本書のひとつの象徴に思えます。 

常井 ここは61年ぶりの村長選が行われた人口2000人足らずの島です。現職とその父親の親子2代で、半世紀以上も村長職を独占してきた。その間、ずっと無投票当選を続けた。まさに、政治に風が吹かない「無風王国」の典型です。

 絶海の孤島にありながら、生活インフラは充実していて、村主導で光ケーブルを引っ張り、村役場にケーブルテレビ局を開設、下水道は100%完備。そのいっぽうで議会では一般質問もなく、1日で閉会すると言います。 

 産業のない島にあって、村長は住民たちを役場につとめさせるか、村の関連事業に就かせることで食い扶持をあたえてきました。すると村民はみな、村長にお世話になっていると思うようになる。

 毎年10月になると「銅像まつり」といって、村長の父親の銅像の前でお祭りが催されます。そこでは役場から弁当や飲み物が配られて、村のひとたちを「お父さんにはお世話になった、息子も支えなくては」という気持ちにさせるんです。 

 選挙や議会が機能していなくても村民たちが「現状維持」の世襲政治を抱きしめてきた。徹底的な平等主義を歓迎してきた。だから、村民たちは「住みよい北朝鮮」と自嘲するわけです。 

「官でやることは官でやる」…政府と正反対の方針

――「官でやることは官でやる」と、政府とまるで反対のことを言っているのが面白いですね。 

常井 村長に言わせれば、それは一理、あるんです。この島と本土を約20分で結ぶフェリーも村営で、1日往復12便もある。もっとも最近は赤字で、その4分の3を大分県や国に補填してもらっています。これを民営化したら、便数が削られたり、場合によってはなくなってしまったりする可能性がありますよね。 

 このように辺境の暮らしを維持するためには官が担わないといけないことはあって、その覚悟をもつひとが地元のリーダーとして必要になる。姫島村の場合、長期政権だったがゆえに、国の政策に抗えるチカラがあった。それと国からカネを引っ張ってくる人脈なり土着の知恵があった。だから官でやれることが官でできてきた。 

 そんな姫島村でも、小泉政権の郵政民営化で、島から郵便局がなくなったっていうのは相当な痛手となっていると言います。「国から見放された」という気持ちになり、プライドを奪われた。都会の大衆から喝采を浴びる「改革者」が国策として上から押し付ける改革を無防備に受け入れてしまうと、小さな町や村はいとも簡単に疲弊してしまうんです。 

 地方は遅れているという前提が世の中にはありますが、それでも地方には地方のよさがあり、そこに光があてられずに、マッチしていないものが地方に入っていくと齟齬が起きることがあります。村は平和にまわっているのに、それを変えろと国がいってきて、地域がだめになってしまうこともあります。

 コロナ対策でもそうですが、誤った政策を押し付けてくる国に抗えるリーダーがいるかどうかは、小さな田舎にとって、とても重要なことです。 

何年も無投票が続く「無風王国」はアンビバレントな世界

――そのために政治力に長けた首長が必要になるわけですね。

常井 これが難しくて、そうした首長がいると対立候補が現れず、何十年も無投票が続くような「無風」が起きるわけです。本の副題に「無風王国」といれていますけれども、無風であるがゆえにうまく行っている部分と無風であるがゆえにだめになっている部分がある。

 この『地方選』ではマスコミの報道などで紋切型で伝えられる町や村の政治というものは、じつは、そうした非常にアンビバレントで、カラフルで、多様で、奥深い世界なんだと位置づけました。 

――姫島村でもついに対立候補が現れて選挙が行われたように、『地方選』はそこに現れた「2人目」を追っています。

常井 全国の町村長選の再選率は84.2%です。そんな選挙に対抗馬として出ようというのは「変人」ですよ。だから、なぜこの人は選挙に出たんだろうというところから取材は始まります。

 それを調べていくと、一見、ぽっと出に見えるけども立候補にいたるまでに何らかのチカラがはたらいていて、それをたどっていくとむかしからムラ社会の中にあるもう一つの系譜や派閥にぶち当たったりする。 

 50年前くらいの村長の系譜を引き継いでいるなどの、なんらかの背景がそのひとにあるとわかる。そんなふうに一見、多選首長によるワンマン行政が続いて、一色に見える町や村であっても、地下水脈に潜んでいた、別のカラーをもつ政治の流れみたいなものが見えて来ます。 

――町村選は短期決戦、そのあいだに外から入り込んで取材するのは大変では? 

常井 現場に溶け込むのは、あらゆる取材の基本です。国会を取材するのであれば、まわりに合わせてスーツ姿でないといけませんが、田舎でみんなに合わせると普段着になります。スーツ姿でいるひとなんて銀行員やセールスマンくらいで、学校の先生はジャージ、役場の職員でも作業着だったりしますから。 

 だから今日のように野球帽をわざとかぶるとか、パリッとしたワイシャツよりもくたびれたTシャツを着るとか、メガネは外してコンタクトレンズを使うとか。レンタカーも、あえて軽自動車を選びます。あと、私の場合、茨城の田舎の出身なので、わざと茨城弁をしゃべりますね。

 いかにも「東京からきた記者」の雰囲気を出すと、妙に構えられてしまって、気さくに話してくれない。田舎町のパチンコ屋にいそうな「おっさん」になって、その土地に溶け込む工夫をいつもしています。 

――なるほど。「選挙の民俗学」を書く秘訣は服装にあるんですね。 

常井 あ、でも、今日のような花柄は着て行きませんよ。なぜか、家を出る時にこれを選んでしまった(笑)。いちばんその場に溶け込める全国共通の最強アイテムは、「ジャージ」なんですけれども。 

短期決戦の村長選で出会う「プロ」たち

――それでも追い出されたりしますよね(笑)。本の中でも、取材拒否される場面が出てきました。 

常井 選挙事務所は、いろいろなムラの秘め事を抱えているものです。だから突然の訪問者には、それをさぐられないようにしつつ、やんわりとあしらわないといけない。そこは各陣営でも技術と知恵を要するところです。

 選挙に慣れていないひとだと、変に構えてしまったり、「出ていってください」と言ってしまったりする。すると「ここは選挙のプロが少ない陣営だな」、「お金か、マンパワーか、人間関係か、なんらかの『無理』を抱えた陣営だな」とすぐにわかります。 

 知らないひとにも票をいれてもらうのが選挙です。選挙事務所に関係のないひとが来たとき、そういう対応をしてしまうところは負ける確率が高い。それでも勝ててしまう場合には、なにか問題を抱えている「不正の温床」とうがって見ても、あながち外れではなかったりします。 

――逆に、常井さんが相手の作り笑顔からその道の「プロ」と見抜く場面が第7章で出てきました。 

常井 「ふるさと納税」の豪華返礼品で一躍有名になった佐賀の上峰町の取材のときですね。私が「ノンフィクションライター」と書かれた名刺を受付で渡したら、あるスタッフがニターッとした作り笑顔を絶やさずに私の相手をするんです。

 この陣営の選挙は、保守の地盤でありながら、民主党公認で何度も当選してきた衆院議員の原口一博さんのスタッフが仕切っているので、国政も県政も町の選挙もできる熟練したプロばかりの集団だったんです。 

 選挙のプロは、ひとのあしらい方を知っているものです。 

「このウグイス嬢、只者ではない」

――選挙のプロというと「凄腕のウグイス嬢」が愛媛県松野町の選挙に現れます。

常井 「町議会のドン」と呼ばれる大物政治家が町長選に出て、最終日だけ「凄腕のウグイス嬢」を車で3時間も離れた松山市からわざわざ迎えて、町内の名門旅館に前泊させて、1日だけ雇うんですね。私もびっくりしたのですが、同じ場所で聞いても、声質も、出てくるフレーズも、配慮も、他のウグイス嬢とはぜんぜん違います。 

――配慮といいますと? 

常井 たとえば、選挙カー同士が狭い道ですれ違うときは、だいたい全国どこでも、エール交換をします。このエールをとっさに言えるのが、プロ中のプロのウグイス嬢なんです。こういうときに黙っていたり、意固地になって自分のところの候補者の名前を連呼し始めたりするのは、政治の世界では失礼にあたるわけです。 

 町中にその声が響きわたるので、有権者には「あの陣営は、相手の陣営を丁寧に気づかってやっている」などと、配慮ができるかできないかが、わかるわけです。それによって候補者のイメージも変わっていきます。

――ウグイス嬢というと、選挙になると名前の連呼がうるさいとよく言われます。

常井 ただ名前の連呼には効果があるんです。『無敗の男』で書いた中村喜四郎は、毎週末の土日、一日10時間も自分でマイクをもって街宣車を走らせている。それを40年近く続けてきました。

「中村喜四郎がきた うるせえ」とツイートされたりするのですが、うるさいんだけども名前の印象づけはちゃんとされるわけです。中村喜四郎が来る時間帯は毎週同じなので、たとえば、「あれは、日曜朝10時の時報のようなもんだと思っている」と言う住民もいるくらいです。 

 だからウグイス嬢の連呼は、候補者の名前を覚えさせたり投票所で想起させたりするための効果があるというのは、選挙のプロのあいだでは定説になっていて、連呼はうるさいといわれてもやるというのが選挙の鉄則なんです。 

――作り笑顔やウグイス嬢のほかにも、選挙の熟練の度合いがわかるものはありますか?

常井 事務所の「為書き」(政治家からの応援メッセージのビラ)は、誰からのものをどこにするかなど、順番をものすごく考えて貼られています。ところが、来たものから貼っているような事務所もある。

『地方選』で書いた大間町の町長選での話ですが、神棚に供えてある果物やお菓子が毎日替えられているところと、ずっと置きっぱなしで傷んでいるところとがある。こうしたところに、スタッフの気づかいの差が出てきます。 

 選挙は、気づかいの芸術です。それが行き届いているところは、やはり選挙に強いですよ。 

投票率8割、9割……驚異の投票率の裏にある“危機感”

――町や村の選挙でも「プロ」が活躍するんですね。一方で投票するほうの熱量もすごく、投票率がどこも高い。 

常井 国の選挙には投票にいかないけれども村の選挙になるといくというひとばかり。投票率8割はざらです。それくらい自分の身近な生活を変えてしまう選挙だということで、大事にします。 

 先ほどの、凄腕のウグイス嬢の話で出てきた松野町では、ドンが建設業も観光業も福祉業も牛耳っていたので、ホントか嘘か、「逆らったら老人ホームに入れなくなってしまう」とまでいう町民もいました。それくらい脅威を感じながら政治にむかいあっている住民の状況がある。

 ドンは落選するのですが、地元のおじいちゃんは「松野の常識」が合言葉だったといい、それがこれまでやりたい放題に権力を振りかざしてきた「非常識なドン」を負かしたんだと言います。トランプ大統領と地元のドンを重ね合わせて「税金の使い道は『事業家』に任せたらあかん」と言っていたのが印象に残りました。 

【続き】「 コンビニ店員として顔を売り、村長に…地方の“クレイジー”な選挙はなぜ今の日本にリンクするのか 」へ

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

コンビニ店員として顔を売り、村長に…地方の“クレイジー”な選挙はなぜ今の日本にリンクするのか へ続く

(urbansea)

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