《追悼・竹内結子さん》「私の家は複雑なので、戻る場所はない」最愛の母との死別が“女優魂”を支えた

文春オンライン / 2020年9月30日 20時0分

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22歳の頃の竹内結子さん。主演したフジテレビ系ドラマ「ランチの女王」の制作発表で ©時事通信社

 9月27日、40歳で急逝した女優の竹内結子さん。突然の悲報から数日経っても、ファンの心は深い悲しみに包まれている。

 取材班は竹内さんが生まれ育ち、幼少時代を過ごした埼玉県の地元を訪ねた。この地で竹内さんは3姉妹の末っ子として生まれた。当時の自宅周辺は都市開発で様変わりしていたが、竹内さんが一家5人で暮らしていた3LDKの築50年近いマンションは変わらずに残っていた。

 しかし、20年以上の月日が経ち、当時の竹内さんを知る人は少ない。ようやく出会ったマンション新築時から住んでいるという初老の女性が振り返る。

「結子ちゃんね、よく覚えているわよ。長女と次女の2人のお姉ちゃんたちも美人でしっかりしていて、一番下の結子ちゃんは目が大きくて、いつもズボン姿でおてんばだった。白い猫を飼っていて、マンション前の公園でよく遊んでいたり、男の子と一緒に大声を出して笑っていたのを見た覚えがある。挨拶もしっかりできる優しい子でした」

 竹内さんは母親の勧めで、保育園から小学校高学年まで新体操を習っていた。

あだ名は「ケツコ」、夢は「体操の先生」

「ショートカットが印象的で男子からのあだ名は、『結子』という漢字から『ケツコ』でした。バスケ部にも入っていましたが、本人は体操の先生になることが夢だったようです。マンションの子供たちで集まって小学校へ登校するのですが、6年生の時に結子ちゃんは副班長をしていて、毎朝列の後ろから低学年の子供たちをしっかり世話していました」(小学校の同級生)

 しかし、幼い竹内さんを思わぬ不幸が襲った。最愛の母が急死したのだ。その時のことを「とても可哀想だった」と振り返るのは別のマンション住人。

「結子ちゃんはお母さま似で、とてもキレイな方でした」

「結子ちゃんはお母さま似で、お母さまは若くて、とてもキレイな方でした。ご両親と出掛けるときに私が『いってらっしゃい!』と声を掛けたら、『いってきます!』って嬉しそうにしていた笑顔が忘れられません。ある日、お母さまの具合が悪くなり、マンションのエレベーターホールで、歩くことが困難になっているお母さまをご主人がおんぶして歩いているのを見掛けました。そして、結子ちゃんがまだ中学生くらいだった頃に、お母さまが病気で亡くなられたのです。本当に優しい雰囲気の人でした」

 竹内さんは地元の中学に入学すると、家庭科部に入部。親しい友人には新たな「夢」を打ち明けていたという。

「結子さんは中学校の運動会で見かけて、可愛かったからすごく覚えているのよ。頻繁に東京へ足を運んでいた子で、娘から『修学旅行の時に結子ちゃんが芸能人になりたいって言ってた』って聞いていたから、『あの子なら絶対なれるねー』って話していたの。行事ごとに参加するお父さんは見たことがなくて、忙しかったのかもしれませんね。娘とは結子ちゃんのドラマもよく見ていました」(中学校の友人の母)

「この世界で絶対にがんばらなきゃいけない」

 県内への高校入学が決まった春休み、竹内さんの夢が現実になる。中学生だった彼女が友人と遊びに行った原宿で事務所にスカウトされたのだった。だが、すんなりとはいかなかった。

「当初、竹内さんの父親は芸能事務所に入ることに反対だったそうです。おばあちゃんっ子だった竹内さんは、実家の近くに住んでいた祖母に相談したりして悩んでいた。そんな迷う彼女の背中を押したのは『一度やってみればいい』という姉たちの言葉だったそうです。事務所に入ると、彼女は周囲に『私の家は複雑な家庭なので、戻る場所はないんです。この世界で絶対にがんばらなきゃいけないんです』と語り、真剣だった」(スポーツ紙記者)

 志半ばで旅立った竹内さん。深い悲しみの中、9月30日、家族葬が行われたことが事務所より報告された。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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