「今は経営者なのですが…」社会復帰した薬物経験者が語る、“逮捕”よりもツラかったこと

文春オンライン / 2020年10月5日 6時0分

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尾形悟さん

 俳優の伊勢谷友介が大麻取締法違反で逮捕されるなど、芸能人の薬物事件が後を絶たない。

 罪が確定し、釈放されると集まったマスコミに対して謝罪する姿が恒例となっているが、その後の話題は「謹慎」、そして「復帰時期」についてである。

 そこでよく聞かれるのが「薬物事件を起こしても、すぐに復帰できる芸能界は甘い」という意見だ。確かに、過去に薬物事件を起こした芸能人の多くは、紆余曲折を経て復帰を果たし、芸能活動を続けている。

 とはいえ、芸能界は一般社会とくらべて薬物で逮捕された者に対して「甘い」のか。

 一般社会でも薬物で逮捕され、罪を償い、社会復帰を果たしている人はたくさんいる。実際に話を伺い「社会復帰」の現実について語ってもらった。(取材・文=素鞠清志郎/清談社)

◆ ◆ ◆

年商数千万円の経営者は、どうやって大麻をやめたか

 尾形悟さん(35歳、仮名)は、現在は内装関係の会社を経営しており、年商数千万を稼いでいる。

「会社はいま4年目になります。コロナでも建築関係は止まらなかったので、忙しくさせてもらってます」

 職人でありながら実業家の雰囲気をまとった尾形さんは、誰が見ても感じの良い、社長さんだ。しかし高校を卒業したころ、大麻取締法違反で逮捕されている。

「レゲエが好きだったので、そういうアーティストが集まるコミュニティにいると簡単に手に入ったんです。捕まる人もいましたけど、自分は大丈夫だろうって思ってました」

 この時は未成年ということもあり、逮捕歴はつかずに釈放された。そして20代前半で金融業の営業の仕事に就いていたときに、今度は大麻所持で検挙された。

「職質されて、所持が見つかってという感じですね。その金融の仕事の社長は昔はヤンチャしてた人だったみたいで『仕事に穴あけんじゃねーよ』くらいでクビにはなりませんでした。この時は執行猶予がついたので、特に生活に影響はありませんでした」

 その油断から特に反省することもなく、大麻を使い続けていたという。そして、さらに大きな犯罪に足を踏み入れてしまう。

「20代後半くらいの時に、仲のいい友達が大麻の栽培の知識があるって言い出して。その頃ちょっと貯金があったので、資金を出すからやってみなよ、ってことになったんです。友達の名義でマンションを借りて、その部屋で大麻栽培に成功しました。自分たちでバカバカ吸うから売るほどの量にはならなかったですけど、とにかく安く大量に大麻が手に入る環境になったんです」

 仕事を続けながら、自家製の大麻を使用しつづけていたが、そんな状況が長くは続かないという予感が常にあったという。

懲役までいくと、周囲の人たちの反応がガラッと変わる

「特に問題はなかったんですけど、なんとなくイヤな予感がしたので、友達に『もうやめよう』と、僕から言ったんです。それで片付ける準備を進めてたんですけど、その友達から『ちょっと部屋を見てきてほしい』って言われて、部屋に行って確認してたらいきなり警察に踏み込まれてその場で逮捕されました」

 当然だが、大麻は所持だけでなく、栽培しているとより罪が重くなる。

「裁判では営利目的がつくかどうかで争ってたんですけど、懲役は覚悟しました。結局、営利はつかなくて、求刑が4年半で判決は懲役2年ほどの実刑。未決で裁判してる期間が1年半くらいあったので、刑務所には入ったんですけど、半年くらいで出てこれました。ただ社長がいくらおおらかでも今度は解雇されましたね」

 この懲役期間で、さすがに自らの人生と行動を反省したという。

「やっぱり懲役までいくと、周囲の人たちの反応がガラッと変わるんです。近所にも知れ渡るし、同級生とか昔の友達も離れていった。なによりも親や親戚に迷惑をかけてしまった。これは生き方を変えなきゃと思って、大麻コミュニティの仲間たちとは距離を置きました。それで行く所もないので実家で暮らしはじめたんですけど、最初の数カ月はいろいろ考えて眠れなかったですね」

 いつまでも実家で面倒をみてもらうわけにはいかない。仕事を探そうと思っても、職歴もなく、何のツテもなかった。

前科があるので、会社の法人口座が作れない

「その頃、地元の床屋さんに行ったんですよ。そこで髪の毛を切ってもらってたら、横に兄の知り合いがいたので、挨拶したんです。その人が内装業をしている社長さんで、『よかったらウチで働かないか』と声をかけてもらって。自分のいままでの経歴とかも話したんですけど、それでもいいと言っていただけて、修業させてもらえることになったんです」

 その内装会社で社員として働いて腕を磨き、5年後には独立を果たすこととなった。

「この独立するときが一番大変でした。僕に前科があるので、会社の法人口座が作れないんです。登記して、書類を整えて口座を作る段階になっても、審査が滞ってしまう。最後は地元の信用金庫にお願いしたんですけど、そこはウチの親が家を建てるときにもお世話になったりとか、いろいろ関わりがあったので、なんとか認めていただいて。

 あと、事務所や家を借りるのも難しいです。僕の名義だと年収1000万以上あっても、家賃8万円の1ルームですら借りられない。嫁の名義で借りましたけど、僕一人で、なんの繋がりもなかったら独立は難しかったかもしれないですね」

 社会復帰のハードルはそれなりに高かったようだが、尾形さんは、思ったよりは受け入れてもらえたと感じている。

「一般人でも、仕事を選ばなければ、勤めに出て、社会復帰するまでは誰でもできると思います。でも、そこで手を差し伸べてくれる人がどれだけいるかは大きいですね。それは芸能界も同じなんじゃないでしょうか。ただ、元の仕事や生活に戻りたいのか、それともぜんぜん違う道を歩むのかで難しさは変わってくると思います」

覚せい剤はやめてから正気になるには5年かかる

 目鼻立ちのクッキリした清楚な女性、といった趣の石山理恵さん(29歳、仮名)は、20歳のときに覚せい剤取締法違反で逮捕された。

「18歳のときに警備会社の事務員として働きはじめたんですけど、その頃のつきあっていた人の影響で覚せい剤を使用するようになりました。最初は普通に過ごしてたんですけど、仕事中に急にブワーって汗をかいたりとか、そわそわするようになって支障をきたすようになって……。それで周囲の目も気になって、自分から退職せざるを得なかったという感じですね」

「体調不良」ということで、仕事を辞めた理恵さんだったが、家族に薬物使用がばれてしまい、交際男性とも別れることになった。

「それで2年くらいはクスリを断つことができて、食品工場で働いてたんですけど、その頃に出会った男性が薬物をする人で、また自分も使うようになって……。このときは職場の上司から『なにかやってるだろ』とバレてしまって、仕事に行きづらくなり、家で過ごしているときに警察の方が来て逮捕されました。おそらく上司に通報されたんだと思います」

 罪状は覚醒剤取締法違反・使用。懲役2年8カ月、執行猶予4年という刑が下った。

「この時は社会復帰なんて考えられなくて、まずは薬を抜かないといけないと思いました。カウンセリングを受けたり、依存症を脱するサークルなどにも通って……身内のサポートも大きかったと思います。よく『3年シラフ、5年正気』っていうんですけど、覚せい剤はやめてから3年でようやくシラフ、正気になるには5年かかるということなんです。なので、私が社会に戻れるのはそれくらいかかるかなって思ってました」

社会から離してどこかに閉じ込めて孤独にするほうが危ない

 薬物依存からの脱却を目指して活動していたときに一般の男性と知り合い、結婚。すぐに子供も生まれた。しかし、薬物とは関係ない部分で夫婦関係が破綻してしまい、石山さんはシングルマザーとして子供を育てていかなければならなくなった。

「一人では育てられないので、子供を連れて地元に戻ることになったんですけど、このときがいちばん辛かったですね。昔の友達はほとんど離れてしまったし、近所の目も厳しかった。それでも子供を育てなくちゃいけないし、そのために働かなくちゃいけない。孤独でしたけど、子供のためと思って前に進むことができました」

 通える範囲で自分を知ってる人がいない職場を探し、ようやく清掃の仕事をみつけた。

「アルバイトということもあって、経歴を調べられることもなく働くことができました。でも自分の中では『前科者』という後ろめたさが常にあります。なので、職場の人とはプライベートなことはなるべく話さないようにしてますし、友達も作らない。

 自分もそうですけど、なによりも子供を守るために、他人に話していいことを考えますね。SNSに子供の成長の記録とかをあげたくなりますけど、それもやらないほうがいいかな、と思ってます」

 石山さんは、昨今の芸能人の薬物事件に対しても、敏感に反応してしまうという。

「そういう報道をみることで自分の過去を思い出してしまうことはありますね。ただ、薬物で1回捕まっただけで業界から追放してしまうのはどうなのかなとは思います。

 山口達也さんも、大変な事件を起こしてしまったのは事実だけど、少しかわいそうだと感じました。事件を機に周りの人が離れていって、ずっとひとりで過ごしているからお酒に逃げてしまったのかなって。

 アルコールでもクスリでも、寂しさを埋めるためにハマっちゃうことはあると思うので、社会から離してどこかに閉じ込めて孤独にするほうが危ないと思います。隔離するだけが更生じゃないですし、仲間にいれて『見守る』というのも大事ですよね」

2度の懲役中もまだ「運が悪かった」としか思っていなかったが

 現在、葬儀会社で働く山下忠生さん(50歳、仮名)は、覚せい剤で3回も逮捕されたのち、社会復帰を果たしている。

「高校を卒業して、専門学校に行きながら葬儀社でアルバイトをしていたんですけど、その頃からクスリはやってました。

 地元の先輩からもらって、自分でも買って使うようになったんですけど、ある時クルマに乗ってたら事故を起こしてしまって。意識不明のまま病院に運ばれたんですけど、所持品の中から覚せい剤が出てきてしまったんです。

 3日間昏睡して、意識が回復したら警察が来て『逮捕状出てるから』といわれ、退院してから出頭しました。出頭する前に会社には怪我で仕事を続けられないと連絡したので、クスリのことはバレてないと思います」

 この逮捕では初犯ということもあって執行猶予が付き、ほどなく社会復帰を果たした。

「次は葬儀関連の花屋のアルバイトをみつけて、そこで働いていました。ただ覚せい剤はやめられず、たまに使っていた。今度はクルマで信号待ちしてたらそのまま眠ってしまって……。通報されて所持も発覚。執行猶予中の再逮捕ということもあり、両方あわせて3年の実刑になりました。

 でも、この懲役中もまだ『運が悪かった』くらいにしか思ってなかったです。なので、出てからもまたすぐやりはじめて、1年経たないうちに職質くらってまた逮捕ですね。このときは2年半懲役になりました。そのまま捕まったので詳しいことはわからないのですが、仕事は解雇、親に連絡きて、親が荷物の整理に行ったみたいです」

 あわせて5年ほど刑務所のなかで過ごすこととなり、出所したときには30歳を超えていた。

「この3度目の逮捕はさすがに応えました。懲役がつらかったというよりも、3度も逮捕されると、家族も友人も全員離れてしまい、天涯孤独になってしまった。信用関係がすべてゼロになったので、これは1から作り直さないと人生が終わると思ったんです」

謝罪し、罪をつぐなった人を社会復帰させることは「甘い」のか

 社会復帰への道を歩み始めた山下さんは、運送の仕事につくことができた。

「当時は人手不足だったこともあり、特に経歴を問われることもありませんでした。でも、運送の仕事をやりながら、若い頃にやっていた葬儀屋の仕事が自分に向いてたなって思うようになったんです。それでいろいろ探して、なんとか働ける葬儀関連の仕事に転職しました。

 葬儀業界は、どの方もいろいろな事情があってこの仕事をやっているからなのか、それぞれの個人的な事情に踏み込まない傾向があるので、自分としては助かりました」

 葬儀の仕事を続けるなかで人生や死生観についてさらに考えを深めるようになり、クスリに頼ることはなくなったという。

「覚せい剤で人生は行き詰まってしまいますが、仕事があればなんとか軌道修正することができると思います。私はたまたま偏見が少なくて、自分みたいな人間でも働ける業界に縁があったから社会復帰できました。甘いといわれるかもしれませんが、社会の一員と認めてもらえなかったら、私はあのまま死んでいたでしょうね……」

 薬物で逮捕されることで、仕事を失い、周囲の人間に多大な迷惑をかけてしまうことは、芸能人も一般人も変わらない。そこで手を差し伸べたり、仕事を与えてくれる人がいないと、社会復帰がままならないことも同様だ。

 謝罪し、罪をつぐなった人を社会復帰させることを「甘い」と簡単に糾弾することが正しいのか、改めて考えてみたい。

(清談社)

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