総理大臣も感染していた…磯田道史が語る「“大正のパンデミック”と日本中枢の混乱」

文春オンライン / 2020年10月8日 6時0分

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磯田道史氏

 10月2日、米国トランプ大統領の新型コロナウイルス感染が明らかになった。大統領選の投票日まで約1カ月だけに、世界で大きく報じられた。

 ウイルスは社会的弱者に容赦はないが、「時の権力者」にも遠慮なく感染する。いや、人にたくさん会わねばならない権力者は、いつの時代も、ウイルスに感染しやすかった、といってよい。100年前のスペイン風邪の時も、そうであった。

“インフルエンザ患者”としての原敬

〈総理大臣も感染しました。当時の総理は原敬です。彼は『原敬日記』を残しています。この日記は極めて詳細で、大正の政治史はこの日記なしでは書けない一級史料ですが、これを「インフルエンザ患者としての原敬」という視点で読むと、また新たな姿がみえてきます〉

 こう語るのは、歴史家の磯田道史氏だ。

〈原は、スペイン風邪の本格的流行が始まった秋に、第19代の内閣総理大臣になりました。大正7(1918)年9月29日、立憲政友会の総裁として「日本初の政党内閣」を組織しました。日本史に残る大事業に乗り出したまさにその時、パンデミックが起きていました。そして原自身が「流行性感冒」にかかってしまうのです〉

支援目当てに「3密」会合をハシゴ

 トランプ大統領の感染時期や場所をめぐっては、いまメディアで盛んに報じられているが(出席者に陽性者が多い「9月26日の連邦最高裁判事を指名した記者会見」が疑われている)、興味深いのは、原敬の感染前後の行動も『原敬日記』から詳細に辿れることだ。

〈大正7年10月23日の項に、《閣議を官邸に開く》とあります。(略)見逃せないのは、この後の原の行動です。

《交詢社の晩餐会に招かれ閣僚と共に出席せり》

 交詢社は、明治13年に結成された社交クラブです。福沢諭吉が提唱し、慶應義塾の関係者や実業家が多い、親睦団体でした。「政党内閣」の応援者も多く、原としては、軽視できない会合です。

 問題は、この時、スペイン風邪の「第2波」が押し寄せていたことです。会員限定の社交クラブですから、当然、密閉空間です。多くの会員が一堂に会して食事をとります。名刺交換もさかんになされたかもしれません。原は、連日のように午餐会、晩餐会に出席し、まさに密閉、密集、密接の「3密」のなかを駆けまわっていました。支援目当てに、政治家が財界人の宴会をハシゴして回る今も変わらぬ姿です〉

北里研究所主催のパーティーに出席し……

 原の「3密」会合への出席は、これだけに留まらない。

〈交詢社の会合の前々日(21日)は工業倶楽部の晩餐会に出席し、翌日(24日)は《国産奨励会》に出席しています。ちなみに《国産奨励会》とは、国産のハムやワインなどを賞味し、広げようという会合です。原は《大概の品は西洋料理に差し支えなきも、洋酒は到底問題にならぬほどの品質なり》と、国産の洋酒を酷評していますが、問題は、「3密状態」で飲食をしていることです〉

〈さらに閣議を終えた25日夜は、社団法人となった北里研究所の祝宴に出席しています。感染症の世界的権威、北里柴三郎が設立した日本一の感染症研究所でした。原は、皮肉にも、その北里研究所主催のパーティーに出席した翌日、病に倒れるのです〉

〈二十六日 (略)昨夜北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれ、その席にて風邪にかかり、夜に入り熱度三十八度五分に上がる〉

〈二十九日 午前腰越より帰京、風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗に西班牙風【スペインかぜ】という)なりしが、二日間ばかりにて下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば、今朝帰京せしなり〉

「政党政治家」としての原の宿命

 磯田氏は、当時の首相である原が置かれていた状況を踏まえ、こう解説する。

〈感染場所として、原自身は、北里研究所の晩餐会を疑っているふしがありますが、潜伏期間を考慮すれば、21日の工業倶楽部、23日の交詢社、24日の国産奨励会と、全て可能性があり、どこで感染しても、おかしくない状況でした〉

〈しかし、これは、「政党政治家」としての原の宿命でもありました。財界や産業界、医学界などの有力者たちと交流を絶やさないことは、「選挙対策」として、立憲政友会総裁の最重要の仕事だったからです〉

 こうしてスペイン風邪に感染した原は、「天皇臨席の重要会議に出席できない」という事態に陥り、首相としての業務に支障をきたすことになる……。

 こうした原首相の感染と天皇との関係や皇族のスペイン風邪罹患の詳細まで論じた「 感染症の日本史(6) 皇室とパンデミック 」の全文は、「文藝春秋」2020年10月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

 また、本連載を元に大幅に加筆を施した『 感染症の日本史 』が文春新書から刊行されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年10月号)

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