松田聖子、田原俊彦、岩崎良美…40周年を迎えた「1980年デビュー組」の明暗

文春オンライン / 2020年10月27日 17時0分

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松田聖子 ©文藝春秋

 今からちょうど40年前の1980年は、昭和を代表するアイドルが一斉にデビューした年でもあった。今年は彼らにとって40周年となるが、突然のコロナ禍によって、本来なら大いに盛り上がっていたはずのイベントやコンサートは軒並み中止や延期に追い込まれている。そんな状況の今、彼らの当時の人気ぶりを、近況と合わせてチェックしてみた。(取材・文=常田裕/清談社)

時代を変えた松田聖子

 1980年は日本の芸能界にとって大きな節目の年だった。70年代を代表する歌手だった山口百恵が婚約と引退を、ピンク・レディーが解散を発表し、入れ替わるように芸能界に登場したのが松田聖子だった。

 デビュー曲のスマッシュヒットに続き、2曲目の『青い珊瑚礁』が大ヒットしたことで「ポスト百恵」の筆頭に躍り出た聖子の人気はすさまじかった。一方では「ぶりっ子」「歌が下手」といった声も多かったが、アンチの多さは人気のバロメーターというのは今も昔も同じ。若い世代はこぞって「聖子ちゃんカット」を真似するなど、その人気は社会現象と呼べるほどのものとなった。

 その後の活躍は御存じの通り。財津和夫、松任谷由実、大瀧詠一、細野晴臣、尾崎亜美、佐野元春といったミュージシャンたちが提供する曲を歌いこなし、作詞の松本隆が作る世界観と相まって数々の名曲を生み出した。

「70年代の芸能界は歌手が絶対的な主役で、ミュージシャンは裏方という分業制が主流でした。そんなタイミングで出てきたのがシンガーソングライターたちで、80年代は彼らの才能が歌謡界を盛り上げましたが、そのど真ん中で彼らの曲をヒットさせた松田聖子が果たした役割は大きかったといえるでしょう」(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二氏)

 私生活でも、結婚・引退という生き方を選んだ百恵に対し、聖子はスキャンダルすら糧にして結婚、出産、離婚、再婚と、自立した一人の女性としての生き方を貫いた。その「松田聖子的生き方」は同性から憧れや共感を集め、今なお多くのファンを獲得している。コンサートのチケットは現在も入手困難で、一席5万円超のディナーショーの開催回数も日本一だ。ただ、今年はコロナ禍によって全国7カ所10万人の動員を見込んでいた夏のコンサートツアーやディナーショーも全公演が延期されており、その損失は5億円ともいわれる。

「『夏の扉』『白いパラソル』などの財津和夫による新曲も収録した40周年記念アルバムの発売に合わせてテレビ露出を増やしていました。ファンクラブ限定のオンライントークショーや、デビュー以来初となる有料ライブ配信も行っています。確かに痛手ではあるでしょうが、根強いファンがいますから心配はないでしょう」(渡邉氏)

女性アイドルたちの近況

 80年は柏原芳恵、岩崎良美、河合奈保子といった女性アイドルも豊作だった。日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』から登場した柏原芳恵は、翌年リリースの『ハロー・グッバイ』でブレイクし、中島みゆきの楽曲などでヒットを飛ばした。現天皇陛下(当時は浩宮徳仁親王)がファンを公言し、リサイタルでバラを贈ったことも話題に。その後は女優業などに進出し、現在も落ち着いたペースで芸能活動を続けている。今年は6月に記念シングルを発売。10月に延期された記念コンサートは、会場から配信も行う「ハイブリッドコンサート」として開催されている。

 姉・岩崎宏美の縁から芸能界入りした岩崎良美は、この年のNHK紅白歌合戦で、史上初となる姉妹同時ソロ出場を果たしている。85年のTVアニメ『タッチ』の主題歌のヒットを経て、活動の場を舞台やドラマに移したが、後に歌手業も再開。HPを見ると、現在は「片付けソレイル」というルームコンサルタントも始めているようだ。

「西城秀樹の妹募集オーディション」でデビューした河合奈保子は、明るいキャラクターや確かな歌唱力で人気を集めた。96年にヘアメイクアーティストと結婚し、翌年の出産を機に芸能活動からフェイドアウト。現在はオーストラリアに移住して専業主婦をしているが、06年に自作ピアノ作品集を発表し、13年には次女が歌手「kaho」としてデビューしていることもあって、今なお復活を望むファンの声は多い。

ジャニーズを復活させた衝撃

 この年、まだ権威も大衆の支持もあったレコード大賞で新人賞にノミネートされたのは松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、松村和子、田原俊彦の5人。この中で最優秀新人賞を獲得したのは田原俊彦だった。

 ジャニーズ事務所は79年10月から80年3月にかけて放送された『3年B組金八先生』の出演で注目を集めた田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人を「たのきんトリオ」として売り出した。デビュー前からイベントは大盛況となり、その先陣を切ってレコードデビューを果たしたのが田原だ。70年代後半のジャニーズ事務所は低迷期に入っていたが、これで再び息を吹き返し、現在の“帝国”を作り上げていくことになる。

 デビュー曲『哀愁でいと』も大ヒットし、瞬く間にトップアイドルとなった田原は歌番組でも引っ張りダコに。NHK『レッツゴーヤング』など歌番組における松田聖子との共演では、お互いのファンから抗議が殺到したといえば、その人気ぶりがわかるだろう。

 94年に事務所から独立したことによって、ジャニーズタレントと共演NGとなり、長女誕生会見での「俺はビッグ」発言の余波などもあって低迷期も経験したが、地道に芸能活動を続けたことで、近年は再びメディアに登場する機会も増えている。

 今年は新曲のリリースが8月に延期されたものの、前後して『ZOOM de でいと』なるイベントを開催。11月にはオンラインライブの予定もある。また、他のアーティストがライブを見送る中、本数を減らしながらもツアーを継続中だ。

「9月に越谷で開かれたライブでは客を会場の50%に減らしたうえで消毒、検温、マスク着用、MC中の換気、客の声出しも禁止と、できる限りの対応はしていました。おそらく赤字でしょうが、大きな事務所の後ろ盾がないだけに、それでもやらないよりはマシということでしょう。12月に大阪と東京で予定されているクリスマスディナーショーも、何とか開催する予定のようです」

 苦労している田原とは対照的なのが80年12月に『スニーカーぶる〜す』でデビューした近藤真彦。近年は芸能活動よりレース活動の方が有名で、現在のレギュラーはラジオ番組がある程度。夏の記念ツアーだけでなく、出演予定だった『徹子の部屋』45周年を記念した武道館コンサートも中止になっているが、そのポジションは安泰だ。

「もともと中森明菜との恋愛スキャンダルでイメージが悪化しており、SMAPの解散騒動で後輩グループのファンから風当たりが強まった。それでも、ジャニーズの土台を作った功労者として事務所内での地位は約束されていますから、今後も芸能活動には影響ないでしょう」(渡邉氏)

再評価でレトロブームも

 現在も一線で活動を続けている佐野元春、鈴木雅之(シャネルズ)、山下久美子や、解散してしまったもののハウンドドッグ、横浜銀蝿(現在は再結成中)といったバンドがデビューしたのもこの年だ。彼らも同期のアイドルと同様に記念アルバムなどが発売されているが、やはりライブは延期、もしくは軒並み中止となっている。

 もっともコロナ禍は悪いことばかりではなかったようで、ここにきて新しい可能性も生まれているという。直撃世代がノスタルジーで楽しむだけでなく、当時はまだ生まれていなかった世代からも、新鮮なコンテンツとして注目されているのだ。

「コロナを機に増えたテレビの懐メロ企画や動画サイトなどを通じて、80年代のアイドルやミュージシャンを知った若者たちの間で『レトロブーム』が盛り上がっています。これは日本に限らず、たとえば韓国の10代の間でも当時の松田聖子の映像がYouTubeなどで拡散して人気になっているそうです」(渡邉氏)

 40年の時間を経て、芸能界や音楽業界そのものは大きく変化した。それでも一つの時代を彩ったアイドルたちの魅力は今なお色褪せてはいないようだ。

(清談社)

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