ディーン元気を覚えていますか? 甦ったやり投げ界の“消えた天才”はいま

文春オンライン / 2020年10月30日 11時0分

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早大時代の2012年の日本選手権で優勝しロンドン五輪代表に当確 ©文藝春秋

 ディーン元気。

 陸上ファンはともかく、彼の名前を記憶している人は、どれくらいいるだろうか?

 2012年のロンドン・オリンピックで、やり投げの代表として決勝に進出。

 決勝では79m95cmで10位に入っている。当時はまだ早稲田大学の3年生の20歳。その端正なルックスに加えて、投てき種目の選手としては若手も若手ということもあって将来が嘱望されていた。

 ところが――。

 そこからディーン元気の名前を聞かなくなった。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの代表も逃してしまう。

 そうなると、どうしても流通する情報は少なくなる。

8年ぶりのセカンドベストと日本選手権での優勝争い

 しかし、28歳になったディーンが今年ようやく復活を遂げた。

 8月23日に新国立競技場で行われたセイコーゴールデングランプリでは、84m05cmという早大3年時に出した84m28cmに次ぐセカンドベストで優勝。この記録が出た時には、ユニフォームを引きちぎって喜びを表した。

 そして10月1日に行われた日本選手権で80m07cmを投げ、2位に入り、久しぶりに表彰台に上がった。

 復活を遂げてディーンはオンライン取材でこう話した。

「自己ベストは2012年の記録なので、ここまで来るのに実質8年かかりました。もどかしい時期が長くて、8月に84m台を投げた時の喜びは大きかったですね。ケガをしていた期間が長かったですが、それでも自分の身体の変化、そして進化もあり、今回の投てきで“脳”が感覚を覚えたなという手ごたえがあります。今後は安定して83mから85mを投げられるようになれば、(オリンピックでのメダルラインである)88mも実現すると思っています」

 イギリス人の父と、日本人の母の間に生まれたディーンは、ジュニア時代からそのポテンシャルが注目され、ロンドン・オリンピックまでは順調に成長していたはずだった。なぜ、彼は回り道を余儀なくされたのだろうか。

相次ぐ故障と強化に必要だったもの

 原因は晴れ舞台であるオリンピックの決勝で脇腹を痛めたこと。それが負の連鎖の始まりだった。

「オリンピックで右脇腹を痛め、かばいながら競技を続けていましたが、完治するまで2年ほどかかりました。次は、2014年の5月に右肩を痛めて、この時は電車でつり革も持てない状態でした。練習を再開してからは、左の腰ですね。ケガをしてしまうと、要は“努力”ができない状態になってしまうわけです。それが苦しくて」

 いちばんつらかったのは、2016年だったという。

「体の状態はかなり良くなっていたのに、結果が出せなくて。リオデジャネイロ・オリンピックの代表になれませんでした。これだけ良くても、なぜダメなのか。結果が出なかったのは苦しかったですね」

 2017年は所属するミズノの理解を得て、休養を取る。

 身体のメンテナンスを優先させたのだ。競技から離れたことも影響したのか2018年、2019年と雌伏の時が続いたが、その間にケガから得た学びを成長へとつなげていた。

「やり投げでは、重い者が速く動ければいちばん強いんです。パワーとスピードの掛け合わせですね。僕の場合、ケガをしているうちに助走のスピードが出なくなっていました。思い切り走るには、身体の不安な部分を減らすしかないわけですが、ようやく身体の状態が良くなって、スピードが回復してきたんです。いまは体重が100kgで、大学時代から比べると11kgも重くなりました。体重が増えればケガのリスクも増えますが、動きながらも治す方法はいろいろ身につけました」

 身体が回復するにつれ、ディーンはしっかりとしたトレーニングが行えれば、次の東京オリンピックで再び世界で勝負できるという実感が湧いてきていた。

 しかし、足りないものがあった。

 お金である。

 ディーンは、2012年のロンドン大会を前に、日本陸連のジュニア枠の強化費を使って投てきの本場、フィンランドで1カ月半の合宿を行い、自己ベストを大幅に更新し、オリンピック出場へとつなげていた。

 しかし、このところ実績のなかったディーンには強化費がつかない。

強化費捻出のためのクラウドファンディング

 そこで考えたのが、クラウドファンディングだった。

「東京オリンピックに向けた準備のため、2019年の11月からフィンランド、その後、2月からはフィンランドのナショナルチームと共に南アフリカでの合宿に参加するプランを計画しました。しかし、予算的に厳しいため、みなさんの協力を得ようと考えました」

 募集を行うホームページには、その内訳の説明がある。

ご支援いただいた資金の使用内訳

 

◯渡航費

関空→フィンランド(ヘルシンキ)

フィンランド(ヘルシンキ)→南アフリカ(ヨハネスブルク)

南アフリカ(ヨハネスブルク)→関空

計 20万円

 

◯滞在費

フィンランド 宿泊、食費

 1日5000円×67日 → 33万5000円

南アフリカ 宿泊、食費

 1日7000円×43日 → 30万1000円

計63万6000円

 

総計 83万6000円

 

クラウドファンディング手数料の17%を差し引いて、今回100万円の金額に設定させていただきました。

 そして太い文字で、こう記してあった。

東京2020への架け橋となる合宿、活動の支援をどうか宜しくお願い致します!

 陸上の現役選手としては、異例の資金調達方法である。資金の援助を受けることは、結果を残す自信がなければなかなか出来ることではない。ディーン本人は、資金を集めることへの思いをこう話した。

「自分を信じていたという面はありましたね。投てき種目の選手寿命を考えると、20代後半はちょうど脂の乗った、選手として成熟した時期なんです。2019年は、記録こそ78m00cm止まりでしたが、久しぶりにたくさんの大会に出場できて、土台が作れた感触がありました」

 本場での合宿が、なんとしても必要だったのだ。

 クラウドファンディングは、結果的に支援者は93人、124万7000円が集まった。

「自分でもあれだけのお金が集まるとは思っていませんでした。記録が落ちているにもかかわらず、僕という人間の可能性を感じ、これだけ期待してくれている人がいるんだ、と思うと、感謝しかなかったです」

 ディーンは11月26日に日本を出発、南アフリカでコロナ禍に遭遇しながらも、今年3月26日に帰国するまでトレーニングを積むことができた。

今後のアスリートのモデルケースにも?

 ディーンのこうした動きは、今後のアスリートの活動にも影響を与えると思われる。陸上の場合、大学を卒業してから企業で競技を続けられるのは、ほとんどが長距離の選手たちだ。駅伝、そしてマラソンがあるからだ。

 しかし、短距離、中距離、跳躍、投てきとなると、大学時代に日本でトップクラスの実績を残さなければ企業の支援は受けられない。

アスリートに求められる「パーソナリティ=営業力」

 まして、東京オリンピックが終わってからのことを考えると、コロナ禍による経済への打撃は見通すことが出来ず、企業の支援は減少していく可能性が高い。

 そうなった場合、選手として武器になるのは「実績」であり、「パーソナリティ」である(パーソナリティは「営業力」と言い換えてもいいかもしれない)。

 ディーンは出資者の期待に応え、記録はかつてのレベルに戻ってきた。あとは、来年の東京オリンピックに向けて、いかに強化を進めていくかがポイントになる。

 実は、ディーンは早稲田大学競走部時代は、すでにオリンピックのマラソン代表に内定している大迫傑と同級生だった。箱根駅伝では、大迫に給水を行ったこともある。

「大迫選手、カッコいいですよね(笑)。でも、彼は彼なりの苦労があると思いますし、葛藤もあるでしょう。大学を卒業してからは、会う機会も数回しかなかったので、東京オリンピックに参加して、彼とゆっくり話したいです。それにしても、マラソンの日本記録を更新して、1億円を2回も取ったのは羨ましいですけど(笑)。でも、それも彼の力ですから」

 大迫は海外に拠点を移して大きな成功を収めたが、ディーンも陸上界における新しい取り組みによって、復活を遂げつつある。

 日本陸上界に新たな息吹が感じられるが、ディーンにとっての完全復活は、自己記録の更新、東京オリンピックへの出場、そしてメダル獲得である。

「父の母国であるロンドン大会に出場し、母の故郷である日本でのオリンピックに出場できたなら、運が良すぎますよね(笑)。これまでやりを投げていない時期も長く、その分、情報も出てなかったと思いますが、これからみなさんと楽しくお話ししていければと思います(笑)」

 にじみ出るユーモア。

 苦労したためだろうか、柔和な物腰が感じられる。

 それでも、クラウドファンディングの実施に踏み切る覚悟には、並々ならぬ意志の強さがある。

 ディーン元気のピークは、これから来るのではないか――という予感がする。

(生島 淳)

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