「負けました」の言えない韓国 米大統領選の陰で失われた“対日カード”とは

文春オンライン / 2020年11月9日 20時0分

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アメリカ大統領選挙の陰で韓国政府の“対日カード”が失われたという。その意味とは ©AFLO

 世界中の注目を集めるアメリカ大統領選挙とともに、日韓対立にも大きく影響を及ぼしかねないもう一つの選挙が佳境を迎えている。世界貿易機関(WTO)の事務局長選だ。

 最終候補に残ったのは、韓国産業通商資源省の兪明希(ユ・ミョンヒ)候補と、ナイジェリアの元財務相・オコンジョイウェアラ候補。

 WTO事務局長は個別の紛争に関与しないとされるが、元徴用工問題から端を発した日韓対立で、兪氏は昨年7月に日本が発動した韓国への半導体材料の輸出規制強化措置に対し、元徴用工問題に絡んだ「政治的な動機」で行われたと反発して提訴に関わった。日本政府には「紛争が公正に処理されるのか、不安が生じる」(外務省幹部)との懸念が強く、新たな“火種”が生まれかねない状況と報じられている。

 佳境を迎えた事務局長選の行方はどうなるのか。産経新聞外信部の時吉達也氏が緊急寄稿した。

◆◆◆

 早く「負け」を認めたい――。世界情勢の今後を左右する選挙戦の最終盤に、片方の陣営からそんな悲鳴が漏れている。法廷闘争に固執するトランプ米大統領の話では、もちろんない。米中対立に巻き込まれ機能停止に陥った、世界貿易機関(WTO)の事務局長選だ。

 今月9日、後任者を選出する予定だった一般理事会は新型コロナの影響を名目に延期されたが、大勢はすでに判明し、ナイジェリア出身候補の当選が確実視されている。しかし、最終決戦で敗れたはずの韓国は同盟国のアメリカから「お達し」を受け、手にした白旗を上げるに上げられない状況にある。

慣例をシカトした“KY宣言”

 米国から「中国寄り」だと繰り返し批判され続けたブラジル出身の事務局長が職責を放棄し、任期途中での辞任を突然表明してから5カ月。後任候補として、ナイジェリアのオコンジョイウェアラ元財務相と、韓国の兪明希(ユ・ミョンヒ)通商交渉本部長の2氏が最終選考に残った。

「加盟国164カ国中、96~104カ国前後がナイジェリア候補を支持」。10月28日、各国の支持動向を確認するWTO非公式会合を経て明らかになったのは、韓国側に引導を渡すのに相応しい内容だった。事務局長選では合意形成を重視するため、投票ではなく聞き取りを通じて候補を絞り込み、支持が集まらなかった候補は自ら撤退する慣例となっていた。

 それにも関わらず、韓国大統領府は翌日、「今回の結果が結論ではなく、まだ手続きが残っている」と選挙戦を続ける意向を示した。ルール無視の“KYぶり”を見せつけたのか。そうではない。そもそも、韓国側はハナから、勝利を半ば諦めてさえいたのだ。

バランスもエチケットも無視した選挙攻勢

「すでに『目的』は達した」。2氏が最終選考に残ることが決まった10月上旬。文在寅大統領が政府として「総力を傾け支援」するよう指示し、韓国メディアが「当選可能性は十分」と鼻息荒く報じるのを尻目に、韓国外交筋は早くも、自国候補が落選し「終戦」を迎えるとの見方を明かしていた。

 韓国人候補の当選を阻む最大の理由は、国際機関の人事で重視される地域間のバランスだった。事務局長は2000年代以降、オセアニア(ニュージーランド)→アジア(タイ)→欧州(フランス)→南米(ブラジル)と持ち回りの人事が行われてきた。今回は選挙戦前から、過去に事務局長を輩出していないアフリカ出身者を就任させるというコンセンサスが加盟国の間で形成されていたのだ。

 韓国の選挙戦が勝利を最大の目的としていなかったことは、国際機関において「エチケットとしてのぞましくない」(韓国紙毎日経済)はずの露骨な選挙活動からも読み取れる。文大統領は選挙戦を通じ、ロシアやドイツなど各国首脳に直接の支持要請を行い、逐一報道発表した。各国への働きかけは当然重要だとしても、それを大々的に公表することは加盟国の反感を呼び、逆効果となる可能性があった。

 それを承知の上で、韓国側は確信犯的にド派手な選挙戦を展開した。今回とは逆に「アジアから後任を選出する」というコンセンサスがあった2006年の国連総長選で、韓国は当時の外交通商相、潘基文氏を擁立。「本命候補」として戦い、勝ち方を学んでいたにもかかわらず、あえて別の道を選んだのだ。

目論んだ“二枚舌”のスキャンダル隠し

 では、勝利以外のところにあった韓国の「目的」とはなんだったのか。それは、一方では国内向けに文政権の仕事ぶりをアピールすることであり、他方では今後の国際機関選挙に向けた地ならしを行うことにあった。

「環境省ブラックリスト疑惑」。事務局長選での健闘により、文在寅政権のダメージが軽減されたスキャンダルだ。朴槿恵前政権で任命された環境省傘下機関の役員に圧力をかけて追い出しを図ったとして、職権乱用などの罪で前任の環境相が起訴され、公判が続いている。政府に批判的な芸術家のリストを作り、嫌がらせを繰り返した朴槿恵政権を彷彿とさせる内容で、韓国で「他人がやれば不倫、自分がやればロマンス」とも表現される二枚舌っぷりが野党支持者の怒りを買った。

 これに対し、今回の選挙戦を通じて大きく報じられたのは、「『朴槿恵軍団』の一味」だったはずの兪明希候補に対し、文大統領が抜擢人事を行ったというエピソードだ。

 兪氏の夫は保守野党の元議員で、兪氏自身も朴槿恵政権時代に報道官を務めた経歴がある。現政権下では官僚として出世が望めず兪氏は辞表を提出したが、「人物本位」の人事を進める文氏が、逆に現職の通商交渉本部長に登用することを決断。その後、韓国による福島や茨城などの水産物輸入禁止措置を不当として日本側がWTOに提訴した問題で、兪氏の活躍が韓国側の「逆転勝訴」を実現させたというものだ。現政権の人事に対する批判をかわすのに、格好の材料となった。

 一方、韓国では新型コロナウイルス対策が「世界から称賛された」として、対策の司令塔を務める疾病管理庁の女性トップを世界保健機関(WHO)の次期事務局長選に送り込む計画が取りざたされている。

 国内世論への実績誇示に利用しつつ、選挙戦の「予行演習」を実施。ぼた餅が棚から転がり落ちてこない限りはスマートに「名誉ある退却」を発表する。選挙戦では、そんな戦略が練られていた。

アメリカの急転で“沼にハマった”韓国

 韓国のシナリオを崩したのは、米国の異例の動きに伴う事態の急転だった。

 先に述べた10月28日のWTO非公式会合で、米国は唯一、兪明希候補への支持を表明。事前の支持動向調査で態度を明らかにしなかったにもかかわらず、声明では次期WTOトップとして「必要な能力を全て持っている」(米通商代表部)と持ち上げた。同時に、裏側では兪氏が勝手に辞退しないよう、韓国側にクギを刺したという。

「われわれがレースから撤退したくても、撤退させてもらえなくなったということか」。報道番組のアンカーは、そう言って頭を抱えた。韓国政府が選挙戦を継続する意向を明らかにしても、もはや字面通りに受け止められることはなかった。

「逆転が困難な状況で、結果に承服せず選出手続きを遅らせれば、ほかの国々からにらまれる」(朝鮮日報)。国際社会で肩身の狭い思いをすることを懸念する声も上がるが、米国の威を借りて勝利に固執することのデメリットはそれにとどまらない。

 最大の懸念は、米中対立の渦中に身を投じる格好となることだ。米国が「拒否権」を行使してまでオコンジョイウェアラ氏の選出に反対するのは、投資拡大によりアフリカでの中国の影響力が強まっていることが背景にある。

 アフリカ出身者を起用すれば、通商交渉における中国の存在感は否応なく高まる。新型コロナウイルスの感染が中国から急速に広がった今年1月当時、エチオピア出身のWHO事務局長、テドロス氏が「中国寄り」の姿勢を示し、緊急事態宣言の発出に二の足を踏んだことも記憶に新しい。

 これに対し、文在寅政権は「安全保障は米国、経済は中国」の“天秤”を外交の根幹とする。通商交渉の中心地で、米国ののれんを掲げて商売をするのはどうにか避けたいのが実情だ。

空転の末に失われた“対日カード”

 輸出規制をめぐる日本との対立がWTOを舞台として行われていることに目を向ければ、わずかな望みをつなぎ選挙戦の逆転勝利を目指すことは、韓国にとって一見利点があるようにもみえる。しかし、実際にはWTO空転のさらなる長期化に手を貸すことによって、逆に日本に対する外交カードを一枚失うことになるのだ。

 元徴用工問題に端を発し、半導体材料の対韓国輸出を規制した日本政府の対応を不当として、韓国は昨年9月、WTOに提訴。今年7月、二審制の「一審」に相当する小委員会の設置が承認された。しかし、最終審に相当する上級委員会はWTOへの不信感を募らせる米国の反対で欠員の補充ができず、機能不全に陥っている。

 ただでさえ時間のかかる紛争解決手続きは、韓国にとって本筋の解決策ではない。あくまでも日本に規制解除を促す一手段という位置づけにある。そうはいっても、手続きの停止状態が続けば「嫌がらせ」の効能は薄まる。

あらゆる面で「実を捨てる」結果に

 一方、兪明希氏が組織トップに就任したとしても、当事者の一方を露骨にえこひいきできるものでもない。結局、事務局長選を長引かせることで失われるものの方が大きいといえる。

「期待以上の支持を得て最終決選に進んだだけでも、大きな外交的成果だと評価している」。今月5日、朝鮮日報は外交消息筋による戦いの総括を伝えるとともに、兪氏が近く選挙戦から撤退する意向を発表すると報じた。しかし、トランプ陣営からバイデン陣営への円滑な政権移行が絶望的な米国との調整には、相当の時間がかかる可能性も否定できない。

「名を捨てて実を取る」という当初の目論見は外れ、韓国の選挙戦はあらゆる面で「実を捨てる」結果をもたらした。ファイティングポーズを取りつつも内心はさっさとリングを去りたいボクサーの立場から見れば、敗北がほぼ確実になってもひたすらに勝利を諦めないトランプ大統領の姿は、存外まぶしく映っているかもしれない。

(時吉 達也)

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