賞金額は1億円! KEIRINグランプリを競う新田祐大、脇本康太は「東京五輪」のメダル候補

文春オンライン / 2020年12月27日 11時0分

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 肉体と肉体がぶつかり合う人類最速のレース、競輪。「KEIRIN」の名で五輪競技ともなった日本発の世界的スポーツでもある。東京五輪では競輪のトップ選手が自転車トラック競技の代表に名を連ね、メダルの有力候補に挙げられている。

 その醍醐味を縦横に語っているのが堤哲氏、藤原勇彦氏、小堀隆司氏、轡田隆史氏である。彼らの著書である『 競輪という世界 』から一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目。 後編 を読む)

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スーパースター&レジェンド列伝

 競輪界は絶えずスター選手を輩出し、ファンもまた、スター選手の活躍に歓声と拍手を送り続けてきた。

 まず現在の競輪界をリードするスーパースターたちを紹介し、続いて、競輪の歴史を築いてきたレジェンドたちの軌跡をたどってみたい。

 今(2020年)トップの座にあるのは、先にも紹介した2019年12月のグランプリに出場したS級S班に属する9人だ。

 ことに注目されるのは、新型コロナウイルスの感染拡大により延期されてしまったが、東京オリンピックでもメダルが期待される新田祐大と脇本雄太である。国内の競輪でも人気・実力ともにトップクラスを維持すると同時に、権威ある国際競技のワールドカップや世界選手権などでも頂点を目指す選手たちである。

 オリンピック競技の「ケイリン」と公営競技の「競輪」の違いは、後で詳しく述べるが、「ケイリン」のルーツである競輪の国でありながら、日本はまだこの競技で金メダルが取れていない。長く五輪の舞台で低迷してきたジャパンに革命をもたらしたのは、リオデジャネイロオリンピック後に日本が新たに招聘したフランス人コーチのブノワ・ベトゥ(彼が行った改革は第4章で詳しく述べる)だ。ブノワの指導により、ナショナルチームに所属する選手たちは着実に力をつけ、国際大会ばかりか、本職の競輪においても格式高いグレードレースでも優勝するなど活躍。かつてはケイリンの練習に打ち込むと競輪で勝つことが難しくなると揶揄された時代もあったが、ナショナルチームのメンバーが人気、実力ともに上位を占めるようになった今では、競輪選手の中にも従来のトレーニングを見直す動きが広がってきている。それが競輪界全体のレベルを底上げし、より白熱したレースが見られるようになったのは好ましいことだ。

世界ランキングでトップ

 その代表的な存在が、新田祐大であり、脇本雄太なのだ。ブノワの元で力をつけてきた新田は、2018―19シーズンのUCI(国際自転車競技連合)のケイリン個人ランキングで1位に上り詰めた。世界もブノワ・ジャパンの勢いに警戒を強めつつある。

 東京オリンピックで競輪選手が頂点に立てば、ケイリン種目としては初の快挙。競輪界の悲願達成と、新たなスター誕生が待たれている。

 新田祐大 世界ランキングでトップに

 1986年1月25日生まれ 2005年デビュー

 G1優勝8回 獲得賞金9億6139万円

 そのニュースに競輪界が沸いた。

 2019年2月、ポーランドの世界選手権で新田祐大がケイリンで銀メダルを獲得。ポイントを一気に稼ぎ、競輪界のエースが、ケイリンの世界個人ランキングでもトップに立ったのである。

「銀メダルが獲れた喜びと、すごく苦しい練習で追い込んできたのに金が獲れなかった悔しさと。気持ちは正直複雑です。でも、それは次に金が獲れた時に報われると思う」

 ペダルをこぎ続けて早20年以上、少年の頃に描いた夢が新田の原点だ。

 競技を始めたのは早かった。小学4年生のとき、マウンテンバイクを買ってもらったのを切っ掛けに、この世界へ。中学校に自転車競技部はなかったが、故郷福島で地道に足を鍛えた。

オリンピックを目指した学生時代

 いつかは自転車で身を立てたい。オリンピックにも出てみたい――。背を焼くような衝動に駆られ、毎日のように登り下りを繰り返したのが、背炙山。実家からもその山容が望める、標高およそ870メートルの里山が少年のライバルでもあり、師匠でもあった。上りでは自転車に必要な脚力が養われ、下りでは動体視力やスピード感覚が磨かれた。自転車を上手く操るにはペダルを押すだけでなく、引く感覚を身につけなければならないと言われるが、急峻な山道でのトレーニングで新田はいつの間にかそれを会得していたのかもしれない。

 白河高校では自転車部に入り、インターハイの1キロタイムトライアルで優勝するなど、才能が開花。高校チャンピオンの肩書きをひっさげ日本競輪学校に入学した。

 競輪デビューは2005年7月。プロ相手でも、自慢の脚力は十分に通用した。これまでにおよそ900走のレースに出て、1着を取ったのは300回を超える。2015年と2017年にはJKAの最優秀選手賞にも輝いた。2019年は第62回「オールスター競輪」を制し、5年連続でG1優勝を果たすなど、まさに競輪界を代表する選手である。

 その「オールスター競輪」で勝利した直後、インタビューで「勝てたのはラインのおかげ」と話し、北日本勢でラインを組んだ先輩と後輩に感謝の言葉を述べた。圧倒的な脚力だけでなく、男気あふれる人柄もファンの支持を集める所以だろう。

 来たる東京オリンピックに向けて、強化が進む男子ケイリンだが、ブノワ体制のもと、競輪でもケイリンでも、しっかりと結果を残してきた。

 新田にとって東京は目標であり、またリベンジの舞台でもある。初めて出場した2012年のロンドンオリンピックではチームスプリントで8位。世界の強豪を相手に何もさせてもらえなかった。

 だからこそ、「次は勝ちたい」と新田は言葉に力を込める。東京五輪での目標は、もちろん金メダル。福島の山で脚力を鍛えた自転車小僧が、世界のテッペンに登りつめようとしている。

人気投票第1位の選手

 脇本雄太 ワールドカップで金、人気投票1位

 1989年3月21日生まれ 2008年デビュー

 G1優勝3回 獲得賞金5億8613万円

 2019年の競輪ファンによる人気投票第1位。この年、ファンからの支持を最も多く集め、ファン投票の上位9人で争われる「ドリームレース」を制したのが脇本雄太である。

 脇本は先行して逃げ切るという、風圧をものともしない潔い勝ちっぷりで名を成してきた。勝負勘といい、その脚力といい、いわゆる自転車エリートを想像するが、意外にも中学までは自転車とは無縁の生活を送ってきた。母子家庭で育ち、少年時代は虫の観察が好きな優しい子。中学時代も科学部だった。もしも自転車競技部のある高校に進学していなければ、今の姿はなかったのかもしれない。

 友人に誘われ、福井県立科学技術高校で自転車競技を始めると、瞬く間にその才能が開花。国体の少年男子1キロタイムトライアルで2年連続の優勝を果たした。その時のタイムは成年の部の優勝者よりも速かった。

 競輪学校には適性試験免除で入学し、在校11位の成績で卒業。2008年のプロデビュー戦で初勝利を飾っている。だが、本人が「もともと競輪よりもケイリンで闘いたかった」と言うように、競輪のトップ選手に登りつめる一方で、オリンピック種目であるケイリンにも強い関心を抱き続けてきた。

「これまでにないほどの屈辱」

 念願叶って、初めて出場したのが前回のリオデジャネイロ五輪。ここで脇本は「これまでにないほどの屈辱」を味わう。ケイリン種目の1回戦で、7人中6着で敗退。強気の鼻っ柱をへし折られたのだ。

 これまでの実績をすべて捨て、一から自分を見つめ直したいと考えていた脇本にとって、新たにナショナルチームのコーチに就任したブノワとの邂逅は、まさに絶妙のタイミングであっただろう。これまでは1日に8時間自転車に乗ってきたが、ブノワはそれを3時間に短縮。限られた時間に強度の高い練習を集中して行うことで、かえって脚力は磨かれ、メンタルも強くなった。

 成果は早くも現れ、2017年12月のトラックワールドカップ第4戦ケイリンで、脇本は日本人として14年振り3人目の金メダルを獲得した。競輪でも、手が届きそうで届かなかったG1レースを18年には一気に2勝するなど、勢いに乗っている。ファン投票1位は、ファンが今、もっとも強い競輪選手として脇本を認めた証である。

 脇本と新田がダブルエースとして挑む可能性の高い東京オリンピックで、2人がともに表彰台に立つのも夢ではない。真のスーパースターになるための挑戦は、まだ始まったばかりだ。

 平原康多 24時間、競輪のことだけを

 1982年6月11日生まれ 2002年デビュー

 G1優勝7回 獲得賞金11億9728万円

 身長185センチ、体重95キロ。めぐまれた体躯は、肉体モンスターがひしめく競輪界でもひときわ目を惹く。平原康多(埼玉)は競輪界で今、もっとも強いと言われる選手の1人だ。

 新田や脇本が競輪とケイリンの二足のわらじを履くのに対して、平原は競輪一筋。ナショナルチームから声が掛かっても、その姿勢を崩したことがない。

競輪一家

 ある記者がオリンピックについて関心はないのかと聞いたところ、平原はごくマジメにこう答えたという。

「あまり興味はない。頭の中にあるのは競輪のことだけ。競輪で強くなることを考えていたら、他のことは考えられない」

 物心ついたときから、自転車が身近にあった。平原の父親は元競輪選手。弟の啓多(埼玉)も競輪選手であるから、まさに競輪一家といえるだろう。

 少年時代は野球にサッカー、陸上、水泳など、他のスポーツに興じていたと語るが、高校進学時に自転車を人生の伴侶に選ぶ。父は、特別目立つ選手ではなかったが、レースのない日も地道に体を鍛える姿勢が、康多のお手本となった。

 自転車競技部のある埼玉県立川越工業高校に進学すると、在学中にジュニア世界選手権自転車競技大会に出場。高校トップクラスの実力をひっさげ、競輪学校に入学した。

 プロデビューは2002年8月、同じ日に初勝利も挙げている。わずか2年後にはS級に昇格している。2008年からはJKAが表彰するベストナインの常連に。後半の爆発的な捲りが平原のストロングポイントだ。

 競輪一筋というと無骨な印象を与えるが、インタビューの受け答えなど、スマートな応対と誠実な態度にファンの支持も厚い。昨今はナショナルメンバーの台頭が著しいが、「競輪のことを24時間考え続けている」という平原。歴代のレジェンドたちが畏敬の念を込めて呼ばれてきた「競輪王」の称号だけは譲れないと考えているに違いない。

 これまでにG1レースを7度制してきたが、まだ年末の「KEIRINグランプリ」には勝てていない。賞金1億円をかけた、ファンの注目度がもっとも高いレースだけに、ここで勝ちたい思いは人一倍強いだろう。過剰なリップサービスはしなくともグランプリに賭ける熱量の高さは、大きな背中からひしひしと伝わってくる。

 37歳という年齢も、体力以上に技術や経験がものを言う競輪界ではネックにならない。競輪の醍醐味が詰まったゴール直前での、平原を中心とした差し合いに、ぜひ注目してもらいたい。

「通算勝利数は1341勝」 不滅の大記録を作り出した松本勝明、圧倒的な強さのカギとは へ続く

(轡田隆史,堤哲,藤原勇彦,小掘隆司/文春新書)

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