「この“産業”は、血の通った仕事だと自負しています」三浦春馬が最後の舞台公演で語ったこと――2020年の訃報記事

文春オンライン / 2020年12月31日 17時0分

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三浦春馬さん ©getty

2020年に亡くなられた方の追悼記事のうち、文春オンラインで反響の大きかったものを再掲します(初公開日 2020年7月22日)。

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 彼の死ではなく、彼の生について書こうと思う。彼がなぜ死んだのかではなく、彼がどう生きていたのか、僕が最後に見た舞台のことを書きとめておこうと思う。 

 5月にこの舞台、三浦春馬の最後の舞台になってしまった『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』 2020年3月27日の公演の記事 を文春オンラインで書いた時、僕は意図的に彼らのカーテンコールでの言葉を記事に直接全文引用することを避けた。理由は5月上旬当時、SNSに激しく満ちていた演劇バッシングの空気だ。

 今からここに書く文章を読んで貰えばわかるが、あの日の舞台で出演者たちが語った言葉はいずれも真摯で誠実な言葉ばかりだ。だが、緊急事態に突入した5月上旬当時の状況では、演劇関係者のわずかにも不用意な発言はことごとくSNSで激しく糾弾されており、舞台で信頼する観客に向けて語った言葉も、片言隻句を「失言」として捉え糾弾されかねない空気があった。

 予想外の文脈で彼らが標的になることを避けるために、5月の記事では直接的な引用は最小限に留めた。でも今は、改めてあの日の彼らの言葉をここに書き留めておこうと思う。 

 以前も書いたように、3月27日の昼公演は政府と東京都の自粛要請によって本当に突然「千穐楽になってしまった」公演だった。僕は本当にたまたまその最後の日にぶつかった観客にすぎないし、三浦春馬については、僕よりも長く彼を見てきた批評家やファンたちの方がよく知っているだろう。だから僕は、その日の昼公演を偶然見た観客として、彼があの日のカーテンコールで語った言葉を、彼に関する一つのメモとしてできるだけそのまま手渡したいと思う。 

子役たちの紹介に心を砕いた三浦春馬

 あの日、休憩を挟んで4時間近い舞台の後のカーテンコールで、三浦春馬はそれほど多くを語ったわけではない。彼はむしろ自分より他の共演者に発言の場を与えることに心を砕いていた。

 圧倒されるほど素晴らしい本編が幕を下ろした後、この見事な舞台が今日で突然の打ち切り千穐楽を迎えてしまうことについて主演の三浦春馬が何を語るのか、カーテンコールの万雷の拍手は彼が口を開きかけた瞬間に固唾を飲むように静まり返った。しかし彼は観客に来場の礼を述べた後、まず小学生くらいの年代の子役たちの紹介を始めた。 

「本公演をもちまして、赤組の子どもたち(彼はそう呼んでいたと思う)、今日が千穐楽となります。東京千穐楽だね。おめでとうございます」 

 三浦春馬はまずそう言って、子役たちへの拍手を観客に求めた。『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の子役はWキャストで2組の交代で演じられ、赤組と彼が呼んだのは昼公演を務めた子どもたちのことだった。夜はWキャストのもう一方の子どもたちが演じるため、彼らは夜公演には出演せず、昼が最後の出演となる。公演打ち切りの無念や自分の心情を語る前に、何よりもまず先に三浦春馬はまだ幼い彼らへのポジティブな祝福と拍手を観客に求めた。 

「たくさんの笑顔と無邪気さをくれて、いつも勇気づけられた、そんな毎日だったなと思います。ありがとう」

 三浦春馬はそう子役たちに礼を述べ、観客は再び拍手をした。公演打ち切りに対する大人たちの無念さが子どもの心に暗い影を落とさないよう、幼い彼らがこの舞台を祝福された成功として記憶できるように、「おめでとう」「ありがとう」という言葉を散りばめた、教師のように気遣った配慮だったと思う。 

三浦春馬からの突然の指名に驚いたベテラン舞台俳優

 それから三浦春馬は同じくWキャストで昼公演が最終出演となる平間壮一とMARIA-Eを紹介した。平間壮一のことは「壮ちゃん」と呼び、MARIA-Eのことは「Eちゃん」と呼んでいたと思う。MARIA-Eはマスクの上から見える観客の目が輝いて見えたと語り、平間壮一も観客からパワーを受けたことを語り、観客への感謝を述べる2人にも観客から大きな拍手が贈られた。 

 その後に三浦春馬が挨拶を求めたのは、ブーン役を演じた福井晶一だったと思う。劇団四季時代から『美女と野獣』のビースト役、退団後は『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役などの大役をつとめてきた実力派のベテランは、三浦春馬に突然コメントを振られて戸惑った様子だった。

 遠慮する彼に、三浦春馬が「千穐楽を皆様と一緒に迎えてくださったので」と食い下がると観客から大きな拍手と暖かい笑い声が起こり、福井晶一は「びっくりしてるんですけど……」と苦笑いしながら挨拶に応じた。

「不安の中、どうなるんだろうという思いで稽古を重ねてきたわけですけど、やれる限りの対策を講じて初日の幕を開けてくれた東宝さんとアミューズさん、そして慎重に対策をして足を運んでくれた観客の皆さんに感謝します」

 そして三浦春馬と同じように子役たちを紹介し「未来を変えるのも、これからの演劇を支えていくのもここにいる子どもたちで、その未来を絶やしてはいけないと思っています。演劇を愛するものみんなでこの危機を乗り越えていきたいと思います、皆さんもよろしくお願いします」と福井晶一が頭を下げると、観客からは大きな拍手が起きた。 

 それから三浦春馬はスワローを演じた生田絵梨花に挨拶を求めた。ヒロイン役を演じた彼女までが一瞬驚いていたことからすると、本来はこの昼公演で挨拶をするのは三浦春馬とWキャストの昼組のみで、夜も出演する生田絵梨花と福井晶一が挨拶をする予定はなかったのかもしれないと今考えれば思う。

再演への期待を感じさせたコメント

「今日もこれまでも、来ていいのだろうか、という迷いさえある中で来場を選択してくれた観客の皆様に本当に心から感謝しています。いつ初日の幕が上がるのか、今日はやるけど明日はあるのか、そういう中で迎える舞台は初めてでした。

 カンパニーの皆さんが笑顔でポジティブに支えあい、そして子どもたちの純粋なまなざしが作品とカンパニー、世の中にも光を与えて、私たちも頑張れているんだなと感じました。またいつか、皆さんとここで持てた繋がりをどこかで感じたいですし、またその日が来るように、私も演じ続けたい」

 といった内容のことを生田絵梨花は語り、観客は大きな拍手で応えた。はっきりとは口に出さなかったが、生田絵梨花のコメントに「再演への期待」を感じていた観客は多かったと思う。

 ある面において生田絵梨花と三浦春馬は似ていた。役者としてまったく違うキャリアを歩いた末にこの舞台で初共演した2人は、まるで兄と妹のようにその生真面目さと不器用さを共有していた。お互いのキャリアの大きな節目になるであろうこの舞台を、もう一度完全な形で再上演してほしいという願いを劇場の空気から感じた。 

「この産業は、とても血の通った仕事だと自負しています」

 生田絵梨花の挨拶が終わり、最後に全ての観客が主演の三浦春馬の挨拶を待った。 

「本日は本当にありがとうございました。私ごとですがこの状況になってから、ある公演を見させていただきました」

 三浦春馬はそんな風に、思わぬことから話を始めた。 

「そして僕は、1人の男として、俳優として、このエンターテインメントで生きさせてもらっている人間として、その演劇からもらうエネルギー、元気というものにとても胸が熱くなりました」 

 三浦春馬が話した「この状況」とは、演劇が休演か開演かに揺れ始めた3月中旬以降のことをさしていたと思う。舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の開幕が遅れた日、あるいは開幕後の休演日のどこかで見た、他の劇団の公演のことについて彼は話していた。 

「僕はその時に、エンターテインメントというものは、もしかしたらこの状況における一番不必要なものかもしれない、だけどこれから先、みんなに余裕ができて、そしていつの日か、このエンターテインメントが皆さんの気持ちを少しでも軽くするようなお手伝いができたら、そういうことを信じて走っていくべきなんだと思わされました」 

「モチベーションを保つことがどの産業においても難しい時期なのかもしれません。ですけど、やっぱり僕たちが演劇を信じること……僕はこの産業は、とても血の通った仕事だと自負しています。この血の通った仕事がいつか、皆さんの気持ちを高めてくれるんじゃないかなと信じて、もっともっと、皆さんがエンターテインメントに触れる時に、そのエンタメがもっと質の高いエンタメとして皆さんのもとに届けられるように、僕たちは一生懸命にその日まで色んなスキルを身につけて皆さんに感動をお届けできればいいなと強く思います。

 なので、また会える日を願って、皆さんの健康を、これからの健康を願って、お別れの言葉とさせていただきます。本日は本当にありがとうございました」 

 共演者や子供たちに時間を分け与えた最後の時間で、それほど長く話したわけではなかったが、その短いスピーチには彼の信念と思考が凝縮されていた。 

演劇をあえて「産業」と表現した意味

 強く印象に残ったのは、彼が「演劇を信じること」と語る時、それを文化や芸術という言葉ではなく、あえて「産業」と表現していたことだった。挨拶の中で「どの産業においても」という言葉をおいていたように、三浦春馬は自分の信じる演劇を、製造業や建設業といった他の産業と同じ、貴賎のない仕事の一つとして語ろうとしていた。 

 三浦春馬はこの4年間、日本中の「産業」に関わってきた。この舞台の直後に刊行された著書『日本製』の中で、彼は4年をかけて47都道府県を回り、その地場産業を支える人々と交わり、その仕事を紹介している。

 宮城県の水産業、福島県の農家、沖縄県の伝統芸能。三浦春馬ほどのトップ俳優にとって、月刊誌『プラスアクト』の連載一つのために毎回地方ロケに匹敵する移動と宿泊を行い、しかも地元の職人たちに丁寧に取材を重ねるために勉強もしっかりするという仕事は、到底コストに見合うような企画でなかったはずだ。

 だが彼は丸々4年、48ヶ月をかけて、47都道府県の市井の人々と関わる企画を続けてきた。テレビ番組ならロケ何十本分もの時間を費やし、広告代理店を通したCMタイアップ企画であれば大変な契約金額になるであろう地場産業の紹介を、彼はただ雑誌連載の1企画として4年も続けてきたのだ。 

 彼が20代のころ、俳優を辞めて農業をしたいと親しい人に悩みを相談していたことは今改めて報じられているが、三浦春馬は各地の地場産業の人々との関わりの中で、ずっと「演じることの意味」を探していたのではないかと思う。

 香川県の製麺機メーカーを訪れたページの扉には、彼の自筆で「一度味わったら忘れられない、コシのあるエンターテイナーになりたい」という言葉が記されている。宮崎県の神楽面職人を訪ねた回の扉には「省悟さん(職人の名)に負けない面(ひょうじょう)作りしていきます」。広島県で「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」の事務局長を訪ねた回には「俳優は想像力も届ける職業だ」。島根県で日本に唯一現存する「たたら製鉄」の場を訪ねた回には「50年後の為に仕事をしたことはあるだろうか?」 

 たぶん彼にとってその企画は、俳優という自分の職業と、人々の生きる社会を結びつける重要な意味を持っていたのだろう。文化や芸術という言葉に時に付随する、東京メディアの特権意識ではなく、彼らと同じ「地場産業」の一つとして、職人たちが自分の仕事に誇りを持ち信じるように、三浦春馬もまた演劇を「この産業を血の通った仕事と自負している」と語り、「演劇を信じる」とカーテンコールで語ったのだと思う。

 福島の農家や宮城の水産業が震災の苦難を乗り越えるように、広島の教師が戦争を記憶し、沖縄の伝統芸能が歴史を継承するように、演劇産業もまたこの危機を乗り越えると彼は信じていたのではないか。 

 その日の昼公演が終わって外に出ると、夜公演の当日券を求める人たちが列を作っていた。僕は最初その列に並んだが、人が増え、当日券のキャパシティを超えて抽選が行われると聞いて列を離れた。最後の夜公演を見たい気持ちはあったが、公式SNSで当日急遽告知された当日券の発売に「ただ一度でいいから見たい」と仕事終わりに駆けつける人々を見ているうちに、彼らを押しのけて二度目のチケットを取る気が挫けてしまったのだ。今でもあの日の判断は間違っていなかったと思う。

 だから僕は、夜の最終公演で彼らが何を語ったのか今も知らない。それはあの日の夜の公演を見た人たちがどこかで語って、それをシェアしてくれることを待ちたいと思う。SNSやネットは人を燃やして裁くためではなく、本来はそうした共有のためにあるものだから。 

彼の死ではなく、彼の生を記憶しよう

 もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない。

 でもそれは間違いだ。2020年の7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。 

 彼の死ではなく、彼の生を記憶しようと思う。多くの作品で彼が演じた役について、彼が語った未来への希望について。去年2019年、彼がソウルドラマアワードで「アジアスター賞」を受賞した時、「隣国として私たちは時々難関にぶつかることもあります。でもお互いにもっと理解しようと努力すれば、このような難関を一緒に解決できると信じています」と語ったことについて。

『日本製』の巻末のインタビューで、岡田准一の殺陣の素晴らしさや、「演劇は啓蒙、啓発なんだ」と語る岸谷五朗ら先輩俳優への尊敬とともに、「エンターテインメントは楽しかったりきらびやかなものだけではなく、『戦争はむごいことなんだ』『人が人を差別することはいけないんだ』と伝えることができる」と語っていたことについて。

 誕生日に初めて配信したインスタライブで「5年後10年後も舞台で動いていられるように、食事を未来の投資だと思って大切に食べている」と語ったことについて。

 5月の下旬に比嘉愛未とコラボしたインスタライブの中で、タサン志麻さんの名前を間違えたら失礼だから、と手のひらに名前を書いてたことを見抜かれた三浦春馬が照れて笑った時、人のことは言えないほど生真面目な比嘉愛未が、姉が弟を見るように「マジメかい」といとおしげに笑って彼を見つめていたことについて。 

これからも新しいファンが三浦春馬に出会う

 多くのファンが彼との別れを悲しんでいる。でも多分、もっと多くのまだ見ぬファンがこれから初めて三浦春馬に出会うのだ。2020年のネットフリックスで、旧作を上映する映画館で、21世紀生まれの少年少女がオードリー・ヘプバーンやリバー・フェニックスや、松田優作や夏目雅子に初めて出会い恋に落ちるように、今ここで彼の死を悲しみ、別れを惜しむファンの何倍もの新しいファンが、これからの未来の時間で再生される過去の作品の中で、初めて三浦春馬に出会うだろう。

 だから少しでも多くの人が、SNSやメディアや、あるいは日常の場所で、彼の死ではなく彼の生の記憶を語り続けてくれることを望む。未来のファンたちが道に迷わないように、彼が何者であり、何者でありたいと願ったのか、彼が生きた目印をできるだけ多く残してくれることを望む。30歳で死んだ俳優としてではなく、30歳まで生真面目に、そして懸命に生きた俳優として、三浦春馬を僕たちの社会が記憶するために。 

(CDB)

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