元ZOOのNAOYAが明かす「『Choo Choo TRAIN』がJRのCMソングになったわけ」
文春オンライン / 2020年12月27日 6時0分

元ZOOメンバーのNAOYAさん
良くも悪くも制限が多い昨今。1990年代に放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『進め!電波少年』のように、少々無茶や冒険をするようなテレビ番組は影を潜め、相手を否定しない漫才や、芸人同士の仲の良さが人気にも繋がる時代になった。
音楽やダンスもそうだ。現在は数々のダンスボーカルグループが存在するが、メンバー間の息の合ったタイミングや一糸乱れぬダンス、そして常に安定したクオリティを見る側に提供している。
一方、「言うことなんか聞かないぜ!」「僕たちは自分たちの意志で踊るから!」「枠になんかはまらない!」と、まるで動物園から出てきた動物たちが、縦横無尽にパフォーマンスするかのようなダンスボーカルユニットがいたことを覚えているだろうか。
1989年にデビューした、日本のダンスシーンの先駆者・ZOOだ。彼らはインターネットやダンス教室もない時代にヒップホップを日本に浸透させた立役者。今だから語れる本音を元メンバーのNAOYAさんにうかがった。
ダンススクールの生徒が、JRの若手社員だった
―――ZOOと言えば、JR東日本のキャンペーン「JR ski ski」のCMが今もなお印象的です。「雪男。雪女。」や「冬眠しない動物たちへ。」というキャッチコピーもインパクトがありましたが、どんな経緯で始まったのでしょうか。
NAOYA ZOOは、デビューしてすぐに雑誌『Fine』に掲載されたり、早い段階でCDが出たりと、ジワジワと活動の幅を広げていました。
しかし、『DADA』(テレビ朝日系)に出演して巷では少し有名人くらいにはなったものの、ZOOとしての収入はまだまだ不安定。テレビ収録のギャラで生活できるほど余裕はなかったんです。
そのうちメンバーの一人が、食べていくためにダンススクールでも開こうと提案してくれて、一般の人向けにダンスを教えることに。そのときに、たまたま生徒として来ていたのがJRの若手社員でした。
それまでJRのCMと言えば、小泉今日子さんをはじめメジャーな人たちが主流でしたが、「JR ski ski」のキャンペーンを初めて打ち出すにあたって、「今回は趣向を変えて、これから世に出ていくような、イキのいい連中がいいんじゃないか?」という話が企画会議で上がったらしいんです。そこで若手たちからも意見を聞こうとなって、呼ばれた一人が僕らの教室に通っていてくれた人でした。彼が、「今はヒップホップとかダンスが若者で流行りだしていて、ZOOっていうグループがいます!」と、すごく頑張ってプレゼンしてくれたらしいんですね。そしたらあれよあれよと話が決まって。
「Choo Choo TRAIN」が一気に売れて
―――すごい縁ですね。やはりCMの反響は大きかったですか?
NAOYA あれがすべての始まりでしたね。CMでも流れた「Choo Choo TRAIN」も大ヒットして、一気にZOOの知名度が上がりました。それから4年間、JRのCMを担当しましたが、初めての撮影は生田スタジオか緑山スタジオだったかな。CMでは本物の雪山に見えていたかもしれませんが、実はあれ、全部“塩”なんですよ。1トンの“塩”を使った大掛かりなセットで撮影していましたね。
―――完全に雪かと思っていました! その後、瞬く間にメジャーになったZOOですが、当時の1日のスケジュールはどんな感じでしたか。
NAOYA それが、周りから「あの頃は忙しかったでしょ?」ってよく聞かれますが、意外と暇でしたよ(笑)。土日はツアーや営業、ライブで大抵どこかに行っていましたが、平日はけっこうフリーなんです。毎晩六本木や芝浦ゴールドあたりのクラブを3、4軒はしごして、朝方帰宅。午後に起きて、渋谷で買い物したりレコード見たり、日焼けサロンに行って、夜になればまたクラブ。1週間で20、30回はクラブに行っていたでしょうね。
ダンスの練習も兼ねているので、仕事と言えば仕事でしょうけど、皆さんがイメージするような仕事ではないですね。
8割ぐらいはモテたいという動機
―――クラブでZOOのメンバーがいるだけで華やぎそうですが、プライベートでもやっぱりモテました……?
NAOYA おかげさまで! そのために踊ってるようなもんですから!(笑) 8割ぐらいはモテたいという動機ですよ。たぶんダンスやってる人は、みんなそうじゃないですか。
ZOOで名が知られるようになると、周りはチヤホヤしてくれるし出会いも事欠かない。それはやっぱり楽しいですよ! クラブではVIPは常連が多いので息抜きには行きましたが、一般のフロアの方が新しい女の子がいるしウロウロしていました(笑)。
HIROはあの中ではだいぶ大人
―――ところで、元メンバーのHIROさん(LDH会長、EXILE等の創設)の自伝『Bボーイサラリーマン』には、「ZOO時代はすごくワガママを言っていた」とありました。NAOYAさんから見たZOOはいかがでしたか?
NAOYA HIROは頑張ってた方じゃないですか。あの中ではだいぶ大人だったと思いますよ。それよりみんなの方がひどかった(笑)。言うこと聞かないですもん。衣裳の色が嫌だの、サイズ感がヒップホップじゃない、踊った時のシワの出かたが大事だから、もっと柔らかくだの固くだの……。
他にも、お弁当のおかずが気に入らないとか、トイレが和式だとか。あ、これはHIROが言っていたことでしたね。やっぱりHIROもダメでした(笑)。
それに、悪乗りも大好きだったので、ライブやテレビ撮影でも踊っている最中に話しかけて、「あそこのあいつの恰好ちょっと見てよ」とか、今日はあの曲の最後にどれだけ馬鹿馬鹿しいポーズとれるのか勝負したりして。
ステージングに関してもすごくワガママでしたよ。本来はこのタイミングでここに来て、次はこうしてっていう決まりを“かなり”破っていましたからね。
ステージングのワガママは必要だった
―――怒られないんですか?
NAOYA 怒られなかったですね。スタッフもそんな雰囲気をけっこう楽しんでくれて、照明さんは照明さんで「あいつ次はどこいくのか、もうこっちが追ってやるよ!」とエンジョイしていました。
―――確かにZOOは個性的でかなり自由な印象があります。
NAOYA そもそも僕は決めごとが嫌いで、わざと守らなかったくらい。決められた通りにやるだけだったら、それはアーティストじゃないと思うんです。ダンサーはバックダンサーとか裏方とか色々な捉え方があるけれど、少しおこがましいですが僕は自分のことをアーティストだと思ってやっていました。世間一般のダンスボーカルユニットがアイドルに見えたり、そう扱われるのはやっぱり決めごと通り、言われたままやっているように見えるからじゃないですか。
僕は、ワガママと言われても自分の意志で表現したいし、枠にはまりたくない。周りのスタッフに迷惑を掛けちゃうところもあるけれど、そういう部分がお客さんに見えないと、何も伝わらない気がするんです。そのあたりはこだわりましたし、ZOOにとっても一番大事なことだと思っていました。
高校を3カ月で退学して、バイトもせずフラフラ
―――そもそもダンサーになったきっかけは何だったのでしょうか?
NAOYA もともと高校を3カ月で退学して、地元のヤンチャな人たちと街でたむろしたり、バイトもせずにフラフラして、どうしようもない生活をしていたんです。フリーターですらなくて、いわゆるプー太郎ですよ。
そんなときに出会ったのが、映画『フラッシュダンス』と『ワイルド・スタイル』。たまたまこの2つの映画を見て、ダンスに興味を持ちました。その後、原宿の歩行者天国、通称ホコ天で竹の子族やロカビリーが流行っていたときに、僕らもチームを作って踊るようになったんです。ただ、当時はインターネットやダンス教室もない時代。仲間内で海外のダンスビデオを貸し借りしたり、六本木の米兵さんばかりが集うクラブに出向いて最新のステップや技を参考にしたりと、どうにか見よう見まねで、必死にヒップホップを自分のものにしていきましたね。
最先端のダンスを知らしめたい!
―――まだダンサーという職業すらなかった時代ですね。その後、ZOOとして活躍する中で大変だったことはありますか?
NAOYA 当時はまだ、日本のダンスシーンにヒップホップが浸透していなかったけれど、僕らはニューヨークやLAなどアメリカの最先端のヒップホップを真っ先に踊っていたし、海外で何が流行っているのか知っていました。人前で踊るのも「日本の人たちに最先端のダンスを知らしめたい、日本人でも黒人に負けないくらいヒップホップを上手く踊れる連中がいることを知らしめたい 」という気持ちしかなかったんです。
しかし、ZOOとして曲を出すときに、レコード会社やプロダクション、周りの大人は誰も最先端のヒップホップ音楽を知らないし、少し大衆向けにまろやかにしないといけない。僕らがやりたい音楽が理解してもらえないもどかしさや、ジレンマ、スタッフの人たちとぶつかることもしょっちゅうでした。
ただ、今にして思えば相手も売り方を知っているプロ。スタッフが言っていることは当然ですし、だから売れたという部分はあったと思います。『DADA』では僕たちが好きなヒップホップ音楽で自由に踊らせてもらえた。あと「Choo Choo TRAIN」や他のZOOの曲の振り付けも、周りの大人はヒップホップが分からないので僕たちに任せてくれたし、そこでバランスが取れていたかもしれませんね。 誤解されたくないのですが、「Choo Choo TRAIN」や他のZOO楽曲もポップスとしてとても素敵な曲だと思っています。
写真=深野未季/文藝春秋
「決めごとをきっちりやるか、やらないか」NAOYAが語るHIROとEXILEのすごさとは へ続く
(松永 怜)
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