満腹でも熊は人を襲う…腰部、臀部、下肢が食害された「戸沢村3人殺人事件」の衝撃

文春オンライン / 2021年1月9日 6時0分

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 2016年5月から6月にかけてタケノコ採りに出かけた一行がクマに襲われた「十和利山クマ襲撃事件」。4人が死亡し、4人が重軽傷を負うなど、本州で発生した事件としては記録上最悪といっても過言ではない大きな被害をもたらした。なぜクマはこのような凶行に及んでしまったのか。さまざまな要因が重なるものの、なかでも大きな原因として考えられているのは“空腹からくる強い食害意欲”によるものだ。

 しかし、熊が満腹状態である場合も、決して安全だと言い切ることはできない。空腹でなかったにもかかわらず、人を襲い、喰らった事件が記録に残されているのだ。その事件こそ「戸沢村3人殺人事件」である。ここでは、日本ツキノワグマ研究所理事長を務める米田一彦氏による著書『 熊が人を襲うとき 』を引用。日本で起きたクマによるおぞましい食害事件を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

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88年山形県戸沢村3人殺人事件

 十和利山クマ襲撃事件が発生するまで、クマによる死亡事故で最も衝撃的だったのは、1988年に山形県戸沢村で3件連続した食害事件だ。

 発生直後と近年の三度、私は現地入りして状況を聴取している。その後、遺体の詳細な資料も入手した。

 88年5月25日、タケノコ採りの男性(61)が深夜に遺体で発見されたがクマが蟠踞(ばんきょ)しており収容は翌日となった。臀部から両下肢にかけて広範の挫裂創があり、失血死だった。

 同年10月6日、クルミ採りの女性(59)が翌朝、遺体で発見された。右大胸筋、両大腿部、右上肢筋群に重大な損傷があった。第1事故地点から500mほど離れていた。

 同年10月9日、家族5人がクリ拾い中、クマと遭遇。女性(61)が襲われた。夫がクマを追い払い被害者を収容したが、既に死亡していた。臀部から両下腿にかけて広範な挫裂創が見られた。

 第1事故。頭頸部の傷の情報はなく、クマは初撃で被害者の背後から抱きつき、腰部を咬み続けたようだ。

 第2事故。頭頸部の傷の情報はなく、クマの初撃で被害者は前方から大腿部に咬みつかれ身動きできなくなり、広範囲の傷から出血死したと思われる。現場周辺には多数の関係者が入り、騒然となった。

 第3事故。被害者は各種報告書、証言から推測すると、ごく短時間で損傷を受けたようだ。第2事故現場からは5㎞離れていた。

 現場が騒然となると、クマは移動して次の場所で人狩りを行うことは、十和利山クマ襲撃事件で熊取平から田代平へクマが移動したことと同じで、私が危惧した点だ。

 戸沢村での第3犠牲者も頭頸部に傷の情報がなく、傷の分布から見て、初撃は背後から臀部に近い左大腿部に咬みつかれたようだ。

 直後、第3事故現場近くで猟友会員の1人が山道を歩いていてクマに遭遇、1mの至近でクマが立ち上がり、銃を向けると、クマが横を向いて逃げようとしたが射殺した。過去に銃撃を受けた経験があるのではないか。

満腹でも人を襲う

 加害グマは調査の結果、年齢は4歳とされた。体長が140㎝で体重は84㎏とされたが、写真で見るクマの死体は秋にしては体に張りがなく、疾病を思わせたがそれについての情報はない。胃体部には採食したクリの実が充実し、空腹ではなかった。噴門部には人間由来の皮膚様組織が詰まり、満腹状態でも食害に及んでいる。

 被害者3人とも頭頸部への傷の情報がないことから、クマが被害者の下半身に咬み付いて離れず失血死したとみられ、腰部、臀部、下肢が食害された。 

 これらのことから、私には4歳グマにしては攻撃の仕方が未熟に見える。親グマによる親離れ訓練が不十分なままの若グマが、動きの鈍い人間を襲ったように思えるのだ。

 この3件の事故はクマが潜行して後ろから突然襲ったと見られ、我々クマ研究家が提案している防御法も効果がなかっただろう。複数人で入山しても襲われており、クリで満腹でも食害しており、あまりにも攻撃性が強かった。

 これらの事件の教訓から「食害事故が発生した地域は、その年は厳重に入山規制の指導を行うのがよい」と私は考えたが、十和利山クマ襲撃事件ではタケノコ採りの人たちの入山意欲が強く、また行政側は戸沢村事件そのものを知らず、教訓が生かされなかった。

 クマが食うために人を襲った、端的に言えば「人狩り」事件は、戸沢村事件以降は発生していない希なものだったが、十和利山クマ襲撃事件で新たな歴史が始まった。

 それに偶発的接触から人を殺害し、食害する事故は福島県会津地方で続いていることも警戒が必要で、15年から私は調査に通っている。

事件が継続する地域がある

 一見して何頭ものクマが出没して事故が多発したように見えるが、クマの家族サイズ、体型などが類似していることなどから、実は同一家族系のクマが事故を起こし続けた、再犯を疑わせる例がある。岩手県釜石市の甲子、野田、定内、唐丹地区で、94年から99年に11件の事故が連続し、重傷事故が多かった。「初夏から夏に、山菜採りの人だけに発生した」ことから、定着性の強い雌グマが襲ったことが考えられる。

 福島県会津若松市と隣接する長沼町(現在は須賀川市)では、97年から01年の間に6件のキノコ採りでの男女の重傷事故が続いた。さらに02年から03年にかけて、北東方向に発生場所が移り、会津若松市、天栄村、下郷町、会津高田町の地域で、死亡事故を含む7件の事故が続いた。02年以降は、以前の家族から分かれた個体による事故が疑われる。

 秋田県の八幡平、鳥海山でも連続事故がある。新潟県妙高高原町(現在・妙高市)、妙高村(現・同上)、隣接する長野県信濃町の地域も危険地帯だ。山林内での事故では加害グマが駆除されることが少なく、生き延びやすい。

多人数事故

『94年8月31日早朝、新潟県笹神村で90分間に農作業中の男女4人が、別々に襲われ女性(72)顔に重傷、クマは大きく移動し女性(72)腕を骨折、男性(62)腕に重傷 、女性(76)腕に重傷を負わせた。』新潟日報(1994・9・1)

 新潟県の笹神村と水原村の村境にある畑では高齢の女性3人、男性1人が農作業を行なっていた。早朝の5時過ぎ、翌日の降雨の予報を避けて農夫たちは畑に立った。まず72歳の女性が襲われ顔に重傷を負った。

 その後、数キロ離れた別の72歳の女性を襲って腕を骨折させ、続いて62歳男性の腕に重傷を負わせ、さらに76歳の女性の腕にも重傷を負わせた。4人目を襲った後もクマは付近にいて射殺された。70㎏ほどの雌だった。

 秋のドングリ類が凶作の年はその前、夏の終わりに、まず疾病グマから出没が始まって騒ぎになることがあり、この例もそれではなかったろうか。

 平野部に出ていながら隠れもせずに徘徊したことは、弱っていたクマが「人狩り」を目指していた可能性がある。

《今後、多人数の重大事故が起こるとすれば、十和利山クマ襲撃事件、戸沢村事件のような移動殺人とは異なり、行楽地で、クマの一撃で数人が死亡する、一撃多殺事故が起こるだろう》――米田

「死んだふり10分後、立ったら顔を殴られ重傷」山中で熊と遭遇したときの最善の対処法とは? へ続く

(米田 一彦)

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