20億円を売り上げた“伝説の転売ヤー”が告白する「僕がマスクよりも大儲けした商材」

文春オンライン / 2021年1月6日 17時0分

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1996年に発売され、一世を風靡したたまごっち(写真はイメージです)©️iStock.com

 マスクやアルコール除菌グッズが店頭から姿を消した2020年春、その悪役として一気に知名度が上がった“転売ヤー”と呼ばれる人々。転売を生業とする彼らのせいで今年はマスクなどの品薄商品がメルカリやヤフオクに溢れるというケースが急増し、これらオークションサイトに出品されたマスクは定価の10倍以上で取引され、ついには国が法規制に乗り出すまでの騒ぎになった。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

今は誰もが転売ヤーになれる時代

 しかし実際に転売を生業にしていたA氏は「今は誰もが転売ヤーになれる時代で、むしろ転売ヤーが飽和している」と話す。

「メルカリやヤフオクなど個人間売買のプラットフォームが整備され、世は空前の“転売ブーム”。2020年はたまたまマスクに注目が集まりましたが、人気アーティストのチケットやハイブランドの限定品、人気スニーカーなど、誰もが気軽に転売できる時代です。普通のサラリーマンが、レアなスニーカーやアパレルの抽選に応募するだけしておいて、当たったらメルカリで高値で出品しているケースは無限にある。広く言えばそれも"転売ヤー"ですよね。

 ただ、正直最近の転売は市場規模が小さい。マスクでそれなりに稼ぎはしましたが、インターネットが普及していなかった1990年代には、いまとは比較にならない額のお金を動かしていた"転売のレジェンド"がいました」

 そう語るA氏自身、90年代に転売で20億円以上を売り上げた"レジェンド"の1人である。細々と転売をしていたA氏に人生の転機が訪れたのは、"ある商品"の国民的流行がきっかけだった。

90年代に転売で20億円以上を売り上げた商品とは

「僕が大儲けした商材は『たまごっち』です。僕たちのころはまだ転売ヤーという言葉はなくて、転売品も"プレミア品"と呼んでましたけど。たまごっちのブームは凄まじくて、まだスマホも普及していない時代なのに、入荷情報があった玩具屋の前には早朝から行列ができていた。人を安く雇って並ばせて大量に購入している知人が、羽振りが良さそうにしていたのが『たまごっち』に手を出すきっかけでした。

 地道に店に並ぶより大きく稼ごうとメーカーに直接仕入れを持ちかけましたが、そんな人気商品をメーカーや問屋が卸してくれるわけが無い。しかし、その"抜け道"になったのが韓国でした」

韓国で組み立てやパッケージ化していたことを利用

 A氏が出入りしていた韓国クラブの男性が、韓国の大富豪の息子だったのだ。この運命的な出会いが大きな商売につながったという。

「当時たまごっちは中国の福建省で基板を作っていて、それを韓国で組み立てやパッケージ化して日本に送っていた。そこで僕は、韓国のたまごっちをパッケージ化する工場に口利きしてもらい、韓国に入ったたまごっちを数万個格安で買い取ることができたのです。韓国で1つ500円で買い取り、日本で5000円で売ったんです」(A氏)

 韓国での買い付けは、いたってシンプル。韓国の高級住宅街にある大富豪の豪邸へ泊まり、夜は繁華街の梨泰院で遊ぶ。すると翌朝、大量のたまごっちが玄関に積まれているので、それを持って帰るだけ。日本では仕入れ値の10倍で売れるため、韓国との往復や諸経費を引いてもまさに"濡れ手に粟"状態だったという。

仕入れ金100万円が日本で1000万円の売り上げに

「1回の取引で韓国へ仕入れ金100万円持って行くと、それが日本で1000万円の売り上げになる。それが毎週です。荷物を大量に乗せるので、飛行機はファーストクラスを使っていました。大量に仕入れたたまごっちの卸し先で多かったのはパチンコ店。当時は、親がパチンコの景品で取ったたまごっちをもらった人も多かったんじゃないですか? 飛行機が成田に着くとパチンコ業者の人が現金を持って待っていて、成田空港の特別ルームで商品チェックや現金の受け渡しをしました。1番大きい取引はブームがピークだった1996年で、5000万円分のたまごっちを現金一括で売りました。それだけで4000万円以上の利益でした」(A氏)

「お客さんはパチンコ業界のほかに、暴力団の人も多かった。さすがに恐怖感があったので、取引の時はガードマンを雇っていました」

 A氏がたまごっちの仕入れ先を持っているという噂は広まり、表からも裏からも顧客は続々と集まってきた。韓国から仕入れて捌いたたまごっちの数は、合計で約50万個、売り上げは20億円を超えたという。

「この時は本当に儲かって、豪勢な生活を送っていましたね。現金一括で2億5000万円のクルーザーを買って、車もベンツS600に乗ってました。当時は銀座で毎晩100万円以上つかっていた気がします。クラブのママへの誕生日プレゼントで、リボンをかけたベンツをプレゼントしたこともありました」(A氏)

定価以上ならたまごっちは手に入る

 当時は締め付けもゆるくA氏のような稼ぎ方をした"レジェンド転売ヤー"が何人もいたという。

 一方でA氏のようなコネクションがなくても、現在に近い方法でたまごっちを転売して成功を収めた転売ヤーもいる。B氏は、誰にでもできる方法たまごっちの沼に足を踏み入れていった

「僕の場合は、営業先の社長に『たまごっちを手に入れて欲しい』と言われたのがきっかけ。当時はまだ珍しかったネットカフェのPCでたまごっちを探していたら、掲示板に『たまごっちあります。〇個〇円』という書き込みを発見し、連絡して直接会い、定価以上の価格で購入しました。ここで、定価以上ならたまごっちは手に入るということに気付きました」(B氏)

 そこからB氏は今でいう"せどり"(安く買って高く売り、中抜きする手法)のような方法でたまごっちの転売を始める。

「たとえば5000円で売る人を見つけたら、7000円で買うという人を探す。つまり、より高く売れる相手を見つけてから買うんです。取引を続けるうちに僕が『たまごっちを持っている人』として有名になっていき、玩具屋や卸業者、パチンコ店のような大口の顧客が増えていきました」(B氏)

業者はなぜ横流しをしていたのか?

 何の伝手もないB氏は、最初はネットで個人からたまごっちを仕入れていたが、徐々に玩具業者や卸業者からも仕入れるようになっていった。彼らは、店頭に出せば一瞬で売れるたまごっちをなぜ自分で売らず、裏で横流ししていたのだろうか。

「当時たまごっちはあまりにも人気だったので、メーカーが抱き合わせでジグゾーパズルなどの仕入れを条件にして、たまごっちを卸すケースが多かった。すると、たまごっちは売れてもジグゾーパズルの在庫を抱えてしまう。

 それでも『たまごっちが入荷した』と話題を作ることでお客さんを呼びたい玩具屋が、100個仕入れたうちの50個を店に並べ、残りの50個を高額で横流しする現象が起きました」(B氏)

 たまごっちブームのピークだった1996年には、最も人気が高かった白のたまごっちは末端価格7、8万円を超えていたという。最も人気が低かった色は2万円を切っていたが、店頭ではどちらも定価の2000円前後で売らざるをえない。玩具屋にしてみれば、高値で売れる白を横流しして、人気のない色を店頭で売るのが合理的だ。結果として定価で販売される数はどんどん減り、裏で値段が高騰していった。

「最初は"5000円で買って7000円で売る"商売だったのが、どんどん高騰して"1万円で買って1万5000円で売る"という価格帯になっていった。業者間で売買されるうちに価格が上がって、欲しい人の手に入るときにはもっと値段が上がっている。中でも白は高額でしたね。女子高生からブームが広がったので、ビジュアルが重要だったのでしょう。業者の中には、取引の時に白の数をチェックする人もいました。

 そして白以上にレアだったのが、金と銀。これはおそらく関係者用に作られたもので、テレビでダウンタウンが持っていると紹介されて値段が高騰し、一時は20万円を超えていました。僕も1つだけ手に入れたことがあります」(B氏)

"狩り"まであった、ナイキの『エアマックス95』

 たまごっちと並び、前出のA氏がたくさん売り捌いた国民的流行商品がもう1つある。1990年代の転売ヤーたちが群がり、"狩り"が社会問題になったあのスニーカーだ。

「ナイキの『エアマックス95』にもずいぶん稼がせてもらいました。渋谷でエアマックスを履いている人が絡まれて暴力でスニーカーを奪われる"エアマックス狩り"も横行していました。定価1万円そこそこのスニーカーが、中古でも3~4万円、新品なら15万円ほどで取引されているのを見て、たまごっちと同じ韓国ルートで転売に乗り出しました」(同前)

 転売するものがスニーカーに変わっても、基本的な構造はたまごっちの時と大きく変わらない。

「エアマックスは工場が韓国にあり、ナイキからの発注を受けて製造するのですが、その工場に口利きをしてもらって仕入れました。ただスニーカーはサイズも大きいので、見つからずにウラで日本に持ち込む手段が見つからなかった。それで米軍基地の伝手を使うことを思いついたんです。

 お金を払って韓国の梨泰院にある米軍基地に入り込んで軍関係者と仲良くなり、日本の横田基地に移動する人に大量の非公式エアマックスを運んでもらい、横田基地で受け取る。当時は横田基地も決まりが緩くて、米軍勤務の人が出迎えてくれれば簡単に横田基地に入れました。そこからトラックで大量のエアマックスを運び出し、日本国内で売る。エアマックスだけではなくて、ジョーダンシリーズやエアフォース1も同じ手口でした。合計2万足以上は密輸したと思いますね」(同前)

『たまごっち』以降は転売を廃業

 A氏とB氏に共通するのは、『たまごっち』以降、ほとんど転売に関わっていないことだ。

「やっぱりたまごっちのブームは異常で、その後セサミストリートのぬいぐるみや腕時計の『G-SHOCK』にも手を出しましたが、儲けはわずか。なので、たまごっちで稼いだお金で起業して、今は別の仕事をしています。本当にたまごっち様々ですよ(笑)」(A氏)

 A氏は50代で、全身をクロムハーツで固め一般人ではない空気を醸し出している。一方のB氏も同じ50代だが、パーカー姿で一見すると休日の普通の男性に見える。( 後編 へ続く)

《2021年は何が売れるのか?》現役転売ヤーが語った「アフター“コロナ特需”の狙い目」 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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