一度は事務所を辞めて海外のべーカリーで「パンを焼いていた」24歳元アイドルが活動再開で最も苦労したこと

文春オンライン / 2021年1月9日 17時0分

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©川しまゆうこ

「同期の三吉彩花と松井愛莉は女優の道に進んだけど…」元アイドル24歳が目指した“松田聖子”への道 から続く

 2010年ごろから言われはじめた「アイドル戦国時代」。その中心はグループアイドルで、ソロアイドルは決して多くなかった。さくら学院を卒業した武藤彩未はあえていばらの道を選び、13年4月からソロで活動を開始する。

 作詞に森雪之丞や作曲に本間昭光といった豪華な作家陣を起用したオリジナル曲は、武藤が愛した80年代アイドル楽曲のテイストが取り入れられていた。武藤は確かな歌唱力と表現力、キラキラした笑顔で、まわりの期待に応えてみせた。

 しかし15年12月にソロ活動を停止して海外留学に出る。武藤が味わったアイドルの恍惚と葛藤とは――。

◆◆◆

――さくら学院卒業後、ソロデビューにあたって1年以上の準備期間を設けていました。

武藤 その間、80年代の曲を題材に練習したり、立ち振る舞いを完璧にしたくて日本舞踊を改めて習いました。ダンスの先生に「手先まで意識して踊ることが大事」と言われて、日本舞踊で磨くことができるんじゃないかと思ったんです。

――最初のソロライブでは80年代アイドルの曲をカバーしていましたが、本人に寄せようという意識はなかったですか?

武藤 逆に、オリジナルに似せないように意識していました。私のオリジナリティが出ないと意味がないので。

――選曲はご自身で?

武藤 はい。母親に「あの頃、好きだった曲を教えて」と聞くこともありました。

――カバーした曲でとくに印象に残っている曲を教えてください。

武藤 堀ちえみさんの『リ・ボ・ン』はちょっと意地悪な歌詞で、あの曲に出てくる女の子を演じたことは勉強になったかなと思います。

――ライブを重ねるごとにオリジナル曲が少しずつ増えていく、というのはとても戦略的だったと思います。

武藤 オリジナルはライブごとに1曲ずつ披露していって、ファンの方と「武藤彩未」を作っていきました。オリジナル曲に関しては作詞家の方に会わせていただいて、「ここはこういう気持ちで……」と説明を細かく聞いたうえで歌唱に臨みました。

――デビューアルバム『永遠と瞬間』には、森雪之丞さんが作詞した曲も収録されています。

武藤 森さんが作詞した作品は、斉藤由貴さんの『悲しみよこんにちは』といったアイドルの曲はもちろん、アニメ『ドラゴンボール』に使われた曲も好きでした。森さんはレコーディングにも来てくださったり、本当によくしていただきました。

「さくら学院の時はメンバーに助けられていたんだな」

――ステージに立って、グループとの違いは感じましたか?

武藤 まったく違って。さくら学院の時はメンバーに助けられていたんだなと実感しました。10人でやっていたのが1人になると、ステージを広く使える分、体力の使い方も変わってくるんです。だから、ソロになってからランニングをはじめました。長い時で1日10キロくらい走って、足を痛めたこともあるんです(笑)。

――1度ハマるとやりすぎてしまうタイプなんですね。

武藤 そうなんですよ(笑)。逆に飽きるのも早いんですけど、ランニングはいまも趣味として続けています。

――当時、ソロで赤坂ブリッツといった1000人規模のライブハウスを埋めていたのはすごいなと思いました。

武藤 またブリッツに立ちたかったけど、なくなってしまいましたよね(20年9月にライブハウスとしての営業を終了)。でも、渋谷公会堂をはじめとして戻りたい場所はいくつもあるので頑張りたいです。

「与えていただいたことに対して、全力で応えることがすべてだった」

――ライブの演出など、武藤さんから「こうしたい」と提案することもあったんですか?

武藤 私から意見することはなかったです。当日、会場に入って「こんなセットなんだ!」となることも多かったので。良くも悪くも作られたアイドルというか、素晴らしい演出やセットを用意していただいて、すごくありがたい環境だったけど、私の中でもやりたいことが生まれてくると、自分から意見が言えないもどかしさに葛藤を抱えるようになって……。そんな環境に窮屈さを感じたことも、16年に海外留学した理由のひとつでした。

――僕から見ると、すべてを完璧にこなすソロアイドルというイメージがあったのですが。

武藤 いやぁ~、そんなイメージありました? そう思ってる方がいるなんて知りませんでした(笑)。当時は言われたことをやるのに必死で……でも、出来てると思われていたらうれしいです。グループからソロになって、最初は自分をどう表現すればいいのかわからなくて。当時は与えていただいたことに対して、全力で応えることがすべてだったんです。経験を重ねていくうちに表現者としての欲求が生まれてきたんですけど、頭の中で「こうしたい」と思っても当時の自分は意見できるほどの説得力がなくて。

「頑張り過ぎて…」

――80年代のような「完璧なアイドル」になるために頑張っていたのかなと思いました。

武藤 それもそうで、「聖子ちゃんみたいにならなきゃ!」と少しでも近づけるようにやってきたんですけど、やっぱり自分の色も大事じゃないですか。表現者として自分の色を出していかなきゃいけないなと気づいたんです。

――生活も律しなきゃいけないというのはありましたか?

武藤 いや、好きなことは全然やっていたし、「これはやっちゃダメ」と言われることもなかったんです。ただ、当時は言われたことをやるのに必死で、頑張り過ぎて爆発したこともありました。

――爆発というと?

武藤 すべてを投げ出してしまいそうになったんです。その時にオンとオフを切り替えて、息抜きすることも大切なんだなと学びました。

――そんな素振りを表では見せなかったのはすごいと思います。

武藤 本当ですか? でも、当時は当時で楽しんでいたし、あの頃があったからいまの私があると思ってます。

――自分のオリジナリティを見つけるために外に出ようと。

武藤 外に出ようというより、一旦リセットして、自分に力をつけたいと思ったんです。環境に甘えちゃいけないなって。それで海外留学を選びました。

「ベーカリーでパンを焼いてました(笑)」

――日本に戻って復帰することは前提にあったんですか?

武藤 自分を見つめ直すための旅だったので、「このままやめてもいい」くらいの気持ちでいました。事務所もやめて、留学の期間も決めず、とにかくリセットしたかったんです。もし留学中に「またイチから歌いたい」と思ったらホンモノだなと思って。

――留学先にニュージーランドを選んだ理由は?

武藤 幼馴染が留学していて、いい話を聞いていたんです。信用できる人の意見が一番参考になるじゃないですか(笑)。ニュージーランドは自然にあふれていて、現地の方たちもみんな優しくて。ホームステイ先のお父さんとお母さんは、いまも「曲を聴いたよ」「MVを観たよ」という連絡をくれるんです。のびのびと生活できました。

――英語の勉強が中心だったんですか?

武藤 英語の学校に通いながら、人生で初めてのアルバイトをして。

――どんなバイトをしたんですか?

武藤 ベーカリーでパンを焼いてました(笑)。学校で1年勉強したうえで、言語は実際に使わないと身につかないと思ってアルバイトを始めたんです。そこで貯めたお金でニュージーランド内やオーストラリアをひとりで旅行しました。

――精神的に自立したかった。

武藤 そうですね。いままで与えられることばかりだったので、留学を通して行動力が身についたかなと思います。

――留学しているなかで音楽にも触れる機会もありましたか?

武藤 何度かボイストレーニングを受けて、国によって練習の仕方が違うことも分かりました。発音も正してもらったんです。

――英語の歌詞に活かせそうですね。

武藤 もうちょっと練習が必要かもしれません(笑)。

また日本で音楽をやりたい…活動再開後の「カベ」

――2年以上の留学期間を経て、また日本で音楽をやりたい気持ちになって。

武藤 そうですね。日本に戻ってからは、身内以外からのサポートを受けずに自分ひとりで活動を始めたんです。ライブハウスに電話して「〇月〇日に借りたいんですけど」と交渉したり、物販は友達に手伝ってもらって。海外留学で身についた行動力の賜物だと思ってます。

――やるならひとりでやろうと。

武藤 日本に戻ってすぐに新しい事務所が決まるわけではないけど、それまで表舞台に出ないんじゃなくて、待っているファンの方たちに会いたいという気持ちが先に立って。じゃあ、しばらく自分ひとりでやってみようとなったんです。あの期間にライブを開催することがどれだけ大変なのか身に染みて分かりました。

――何が一番大変でしたか?

武藤 リアルな話をすると、お金の計算が大変でした(笑)。生バンドにこだわっていたので、知り合い伝手にメンバーを集めたら、自分に入る金額はわずかで。それでもやりたかったんです。

――個人でライブハウスをブッキングするのも大変だったと思います。

武藤 キャパと思い入れを考えてライブハウスを選んで連絡したんです。「事務所を通してください」と断られるところもあったけど、めげずにいろんなところに電話して。duo MUSIC EXCHANGE、Mt.RAINIER HALL、WALL&WALLはひとりでやらせていただいて、ありがたいなと思いました。

――自分でやってみた手応えはどうでした?

武藤 いままで応援してくれた方たちが温かく受け入れてくれたことがすごく大きくて。好きなことをやらせてもらいました。2年以上離れていてもライブに来てくれたファンのみなさんには本当に感謝してます。

2年ぶりの日本のアイドル界「解散したグループが多かったんだな」

――2年ぶりに戻った日本のアイドル界の状況に感じることはありましたか?

武藤 解散したグループが多かったんだなと思って。私としては「みんなソロ歌手になって、一緒に頑張ろう!」という気持ちです(笑)。

――19年12月からは事務所に所属して、ここから新しい自分を見せたいという想いがあったと思います。

武藤 そのひとつとして作詞を始めました。今後はシンガーとしても勝負していけたらいいなと思っているので。

――最近の曲はシティポップの色を出すようになりました。

武藤 事務所の方たちと話しながら方向性を決めていくなかで、世界的に評価が高まっているシティポップの要素も取り入れようと。80年代も感じられるし、新しい武藤彩未も感じてもらえるのかなと思ってます。これからも「80年代」という柱はブレずに、誰かのマネではなく自分の色を出していきたいです。

「17歳くらいの時に歌っていた曲を、いま歌うと違和感があって」

――ただ、2020年はライブができるような環境じゃなかったですよね。

武藤 ファーストミニアルバムをリリースしたタイミングで新型コロナが流行って、リリースイベントのほとんどがキャンセルになりました。アーティストの方はみんなそうだと思うんですけど、ライブを活動のベースにしているのでキツかったですね。気持ちを切り替えて、ライブができない期間を楽曲制作にあてて、2枚目のミニアルバムを出すことができたので、今後のライブに期待してほしいです。

――ライブで過去のオリジナル曲は歌うのでしょうか?

武藤 17歳くらいの時に歌っていた曲を、いま歌うと違和感があって。やっぱり、作詞家さんに書いていただいた17歳の等身大の歌詞なので……。いまは、作詞も自分でしていて、自分の気持ちを素直に書いているので、できればいまの24歳の等身大の歌を歌いたいと思ってます。

――これまで8年以上歌に捧げてきたことに後悔はないですか?

武藤 まったくありません。いつかは日本武道館に立ちたいし、松田聖子さんのようにずっと歌い続けていたい。できれば死ぬまで歌っていたいんです(笑)。

写真=川しまゆうこ

(大貫 真之介)

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