いつも膝上丈のスカート姿……金正恩の実妹・金与正とは何者か? “事実上のナンバー2”の人柄と実力

文春オンライン / 2021年2月12日 6時0分

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金正恩氏の実妹・与正氏 ©時事通信社

 北朝鮮の2020年は、最高指導者、金正恩(キム・ジヨンウン)朝鮮労働党委員長の実妹、金与正(キム・ヨジヨン)党第1副部長に注目が集まった年だった。

 北朝鮮は6月16日、北朝鮮・開城(ケソン)にある南北連絡事務所を爆破した。その予告をしたのが与正氏だった。与正氏は18年2月、平昌(ピヨンチヤン)冬季五輪の開会式に出席するために訪韓。控えめな笑顔と年長者を敬う態度に好感が集まった。

 ところが、20年の与正氏は北朝鮮から逃れた脱北者を「家のなかの汚物」と呼ぶなど、180度異なる悪女キャラクターを演じた。爆破を命じるにあたって「金委員長と党と国家から付与された私の権限を行使して」と説明したが、韓国の情報機関、国家情報院も国会説明で、与正氏こそ、正恩氏から最も多くの委任を受けている人物だと説明した。

コンピューターに精通し、海外情報に明るい

 韓国統一省の「2020年版北韓主要人物情報」によれば、与正氏は1988年、金正日(キム・ジヨンイル)総書記と在日朝鮮人だった高英姫(コ・ヨンヒ)氏との間に生まれた。

 与正氏は正恩氏と父母を同じくする兄妹で、金正男(キム・ジヨンナム)氏ら異母兄弟と異なり、強い愛情で結ばれているという。2014年に公式な活動を始めるまでは、金日成(キム・イルソン)総合大学を卒業した程度の情報しかない。

 複数の北朝鮮関係筋によれば、与正氏は聡明な人物とされる。

 コンピューターに精通し、海外の情報に明るい与正氏は携帯電話事業の普及に慎重だった父親を説得し、北朝鮮が08年末から第3世代携帯(3G)サービスを始めるうえで、大きな役割を果たしたという。

 金総書記が09年1月、後継者に正恩氏を指名した際、与正氏は「私も政治に関わりたい」と名乗りを上げたとされる。

 そして、与正氏はこれまで、兄である正恩氏の耳となり手足となってきた。18年の訪韓時に利用した韓国高速鉄道(KTX)を高く評価し、正恩氏に報告した。

 韓国政府関係者は「敵である南の鉄道を褒めることなど、与正氏でなければできない芸当だ」と語った。正恩氏は、党や軍に人脈が少なく、猜疑心も強い。与正氏は事実上のナンバー2として党務を仕切るとともに、正恩氏に様々な情報を伝えているとされる。

 また、与正氏は常に正恩氏のそばに寄り添った。これには2つの意味があると言われた。1つは、与正氏自身の「日の当たる場所に出たい」という願い。もう1つは「兄の健康を守る」という目的だ。

 北朝鮮では朝鮮王朝から日本統治を経て、北朝鮮の独裁体制に移行した。民主主義の経験はなく、朝鮮王朝の封建的な風土をそのまま残している。

「男尊女卑」の風潮も色濃く、何より与正氏の父である金正日総書記は「女性はスカート着用」「女性は平壌中心部で自転車に乗ってはいけない」などアナクロな政策を強要した。与正氏が公式の席でいつも膝上のスカート姿なのは、北朝鮮の封建的な風土に反発する気持ちの表れなのだろう。

 20年は正恩氏の健康に注目が集まった年でもあった。正恩氏は11年末の権力継承時から体重が30キロ以上も増え、痛風や糖尿病、高血圧などの症状に悩まされているという情報がある。

 20年4月15日、祖父、金日成主席の生誕記念日に、祖父と父が眠る錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を参拝しなかったことから、にわかに健康異常説が取りざたされた。与正氏が正恩氏と行動を共にするのは、万が一の場合に備え、最高機密である最高指導者の健康状態を知る者が寄り添うことが必要だという事情もあるとみられている。

 同時に、これまでの与正氏の役割は外交行事の際、正恩氏に署名用のペンを差し出したり、正恩氏に贈られた花束を脇から受け取ったりする仕事がほとんどだった。

 これが、「与正氏は事実上のナンバー2だが、正恩氏の後継者ではない証拠」(北朝鮮の元高官)とされてきた。後継者になれば、将来のトップの座に備えてカリスマを作る必要があるからだ。

“空回り”する与正氏の政策

 また、聡明だとされてきた与正氏だったが、彼女が中心となって打ち出した政策は空回りしている面も目立つ。

 携帯電話事業は、今や600万台以上が流通するまでに成長した。同時に、携帯電話を使って韓国など国外の情報も広く行き渡るようになった。北朝鮮が南北連絡事務所を爆破したのは、市民の間で韓国にあこがれたり、支援を望んだりする「敗北主義」の風潮が広がったことが背景にあるとされる。

 与正氏は「愛民政治」と呼ばれる、正恩氏と市民との距離を縮める政策も推進した。20年夏の水害時、正恩氏は自らハンドルを握って被災地に駆けつけたが、乗っていたのは、北朝鮮が使用を禁じている日本車、トヨタ自動車の高級ブランド「レクサス」だった。

 正恩氏と与正氏の兄妹を支えているのは、過去に一緒に欧州に留学した抗日パルチザンの第3世代たちだ。

 兄妹も含め、一般市民の生活を知らない「赤い貴族」だから、北朝鮮の人々が望んでいる「不正腐敗の根絶」「インフラの整備」などには目が行かず、高層建築物や遊興施設の建設に力を入れる。今の北朝鮮の惨状は、与正氏たちの力の限界も示している。

 表舞台から姿を消した与正氏はいま…

 与正氏は20年7月末から10月初めまで公の席から姿を消した。

 10月10日に行われた党創建75周年軍事パレードでは他の幹部たちと観覧したものの、正恩氏に贈られた花束を横で受け取る儀典の仕事は玄松月(ヒヨン・ソンウオル)党副部長に譲った。

 21年1月の労働党大会で、新たな職責を担い、ナンバー2としての地位を固め、あるいは後継者に名乗りを上げるために、カリスマを備えるための準備作業に入ったのかもしれない。あるいは国際社会が「与正氏が事実上の後継者」と騒いだため、権力の分裂を恐れる北朝鮮当局が与正氏にスポットライトが当たらないようにしている可能性もある。

 北朝鮮は20年、新型コロナの感染拡大を恐れた国境封鎖に始まり、8月上旬には大雨被害、8月から9月にかけては3つの台風に襲われた。

 国際社会の経済制裁も加わり、経済は相当な痛手を被ったとみられている。同年11月の米大統領選を経て、新たな対米外交や軍事挑発に乗り出すどころか、国内で政情不安に陥る危険もはらんでいる。

 与正氏にとって、21年が多難な年になることは間違いない。

(牧野 愛博/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2021年の論点100)

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