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「特攻服をお揃いで着るのもコスプレ感覚で楽しかった」 15歳で暴走族総長になった女性が、30年後に“ 女子少年院を全国制覇”したワケ

文春オンライン / 2021年3月29日 17時0分

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中村すえこさん

 パパ活、美人局、窃盗、薬物濫用――。女子少年院へ入った少女たちが、犯罪に手を染めざるを得なくなった背景を、リアルに映し出したノンフィクション『 女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった 』(さくら舎)。

 著者の中村すえこさんは、中学を卒業してわずか半年後に暴走族・レディースの総長となり、自身も少年院に入院した経歴を持つ。そして、退院した後に少年院への支援活動を始め、2019年にはドキュメンタリー教育映画『記憶 少年院の少女たちの未来への軌跡』を製作した。『女子少年院の少女たち』はその映画をもとに執筆された書籍だ。

 支援や取材を通じて、少女たちは加害者である前に被害者でもあるのではと感じたという中村さん。映画の制作や著書の出版に至るまでの経緯を伺った。(全2回の1回目。 後編 を読む)

居場所をなくし、孤独と恐怖に苛まれ

――『女子少年院の少女たち』を書くに至るまでに、さまざまな経験をされたかと思います。まずは中村さんが女子少年院に送致されるまでの経緯を教えてください。

中村 子供の頃は家にいたくなくて、同じ気持ちを持った子たちと知り合ってからはどんどん悪いことを覚えていきました。中学2年生のときに暴走族の仲間と出会って、家にも学校にも居場所を感じられなかったけど、そこが居心地のいい場所になって。

“チームを大きくしたい”というやりがいも見つけて、仕立てた特攻服をみんなお揃いで着るのも、今で言うコスプレ感覚で楽しかった。中学校卒業の時期に、まわりが進学するなかで“私は暴走族として生きる”って決意して、卒業から半年後には暴走族の総長になっていました。 

 そうなったら今度はもっと暴走族を極めたくなって。その結果、傷害事件で少年院送致になりました。ただ、そこでは全く反省していなくて、ここを出たらまた暴走族に戻って一花咲かせるぜ、くらいの気持ちでいたのですが……。いざ少年院を出て暴走族に戻ったら、私はかつての仲間から受け入れてもらえず、居場所を失ってしまったんです。

――それはどうしてですか?

中村 “暴走族雑誌に出て調子に乗っていたから”とか、“有名になってムカついていたから”とか、女の子にありがちな妬みのようなものでしたね。そうして暴走族を辞めさせられた挙句、リンチを受けました。

 それまで暴走族や不良の世界でしか生きてこなかったので、これからどうやって生きていこう、って思いました。“普通”に生きるっていうことが、どういうことかわからなかったんです。

 当時の私は流行りの服や音楽も全然わからなくて。ヤンキー社会のなかだったらある種エリートだったのに、いざその居場所がなくなったら外に出るのも怖くて、一人ぼっちでした。信じていた仲間が去って、誰かに相談したくても、また裏切られたらどうしようって思ってしまって、「助けて」「苦しい」という言葉も口に出せない。

覚せい剤使用で2度目の逮捕

――無明の苦しみが続いたんですね。

中村 そのうち、私が悪いんだって自分を追い込むようになって、そのときに暴走族をやる前から仲がよかった不良仲間に勧められたのが、覚せい剤。

 今みたいにクスリに軽い気持ちで手を出すというような時代ではなくて、覚せい剤をやっていたら“もうアイツ、終わりだよね”みたいな扱い。けどそのときは、自分の未来なんてどうでもいいと思っていたし、自分にぴったりなクスリだと思って、迷いなく打ちました。

 少年院を出て3ヶ月後くらいから覚せい剤を始めて、そこから3ヶ月間使用したあたりで捕まり、2度目の逮捕となりました。

 ただ、そのときに私を信じてくれる大人と出会ったり、母親に命の大切さを諭されたりして、変わりたいと思えたんです。ここで変われなかったら、自分はもう一生変われる機会はないんじゃないか、人としての心をなくしてしまうんじゃないかと思って。そうして立ち直ることができたのが18歳のときでした。

更生後『セカンドチャンス!』発足 

――更生してからは、どういった生活を送ってこられましたか。

中村 そこからは結婚したり、離婚もしたり、子供を産んでまた結婚したりしながら普通に暮らしていました。当時は少年院に入っていた過去を隠していたんですが、ママ友とかに最終学歴を聞かれたとき「中卒」って答えるのがコンプレックスだったり、「いいお母さんだね」って言われるたびに、この人は私の過去を知らないんだよな、って後ろめたい気持ちになったりしていました。

 そんな思いを抱えるなか、33歳のときにNPO法人『セカンドチャンス!』の立ち上げに誘われました。『セカンドチャンス!』は少年院出院者同士が経験や将来の希望をわかちあって、仲間として共に成長していくことを目的とした団体です。その設立者である人から「どんな研究者より君たちの経験が役に立つ」と言ってもらえて、気持ちがちょっと楽になったんですよね。そこから活動をやってみたいと考えるようになって、設立メンバーに名乗りをあげました。

『セカンドチャンス!』のメンバーは、自分と同じような経験をしてる人たちがいっぱいいて、自分は一人じゃないんだって思えてすごく気持ちが楽でした。そうして、これからは過去も生かせるような生き方をしていきたいと思うようになったんです。

 2008年には1冊目の著書『 紫の青春~恋と喧嘩と特攻服~ 』を書く機会をいただいて、自分のなかに封印してた過去を振り返りながら、私はあのときこういう気持ちだったんだっていうのを、自分の頭のなかで整理をつけることができました。

「私でも立ち直れたから絶対大丈夫」と少女たちに伝えたかった

――そのなかで、自分のやりたいことが明確に見えてきたんですね。

中村 はい。まず、北海道から沖縄まで全国に9ヶ所ある女子少年院へ講話をしに全て回ろうと思って。暴走族で全国制覇できなかったから、今度は女子少年院を全国制覇しようと(笑)。「私でも立ち直れたから絶対大丈夫だよ」っていうことを少女たちに伝えたかったんです。

 2015年には女子少年院を全て回りました。いろいろな子がいて、いろいろな話を聞いて気づいたのが、私のときみたいに自己表現として暴走族や非行に手を染めているような子はいないということ。この子たちは罪を犯したから加害者だけど、むしろ、それ以前に被害者だったんじゃないのかなと。

 彼女たちは少年院を出たら社会に戻るけど、その間にどれぐらい変われるんだろうか。また、新しい人生をもう一回歩みたいと望んでいても、彼女たちが戻った社会が変わらないなら、また同じことを繰り返すだけなんじゃないかとも思いました。

 あるとき、一人の女の子が「私、幸せになってもいいんですか?」って聞いてきたことがありました。私も2度目の逮捕のときに同じことを思ったことがあって、この子たちは20年前の私なんだ、って。この子たちに差し延べる手も必要だけど、この子たちを理解する社会も必要だと痛感したんです。

 もちろん、大前提として彼女たち自身が変わることは必要だし、それを棚に上げるつもりはありません。ただ、同じくらい社会も変わる必要があるんじゃないかと思うようになったんです。

女子少年院のなかにカメラを入れて“現実を伝えたい”

――では、今度はそれをどうやって伝えていこうと?

中村 1作目の著書『 紫の青春~恋と喧嘩と特攻服~ 』が映画化したこともあって、自分はこうして立ち直ったという事例を、映画という表現方法で世に発信することができるなと思いました。

 けど、私の体験談だと多くの人には伝わりにくいんじゃないかというのも感じていて。だったら女子少年院のなかにカメラを入れて、そこにいる子たちにスポットを当てて、彼女たちが社会に出たときにどんな物語があるのか、今のリアルな社会をそのまま撮っていきたいと考えたんです。

――プロジェクトを進めるうえで何か障害はありましたか。

中村 法務省の許可は意外にすんなり下りたんですが、問題は資金不足。1作目の映画制作でお世話になった吉岡市雄プロデューサーの協力もあって、どうにかクラウドファンディングで180万円ぐらい集めることができました。足りない分は寄付を募りました。

 あとは、少年院にカメラが入ること自体が初めてだったので、とても警戒されましたね。少年院側は少女たちを守りたいという気持ちもあるから、私がカメラを持って入ることは嫌だったんでしょう。

「これを撮る意味は何なんですか」とか、「この子たちを取り上げてどうするんですか」って聞かれました。少女らが過去のことを思い返してまた生活が乱れていくことを懸念されていたので、とにかく見せ物にはしたくないと。ただ、取材を何度も重ねて、懸命に説明していくうちに真意は伝わったようです。

――少年院の協力も得られ、無事に映画を作ることができたんですね。

中村 その映画の内容を書籍化したのは、初めから構想していたわけではありませんでした。高卒認定をとって40歳で入学した大学の卒業間近に、少年院出院から立ち直りまでを書いた1冊目の続きを書きたいと思ったんです。そうしたら、ありがたいことにさくら舎からお話をいただいて。

 ただ結局、自分物語を書くのはもうお腹いっぱいな感じがして、やっぱり“社会を変えたい”という目的のために、今、社会で起きていることを知ってもらうことで、一人ひとりの意識を変えたいと思いました。それで、映画の内容を本にしようと思い立ったわけです。

――著書『女子少年院の少女たち』の執筆にあたって、大切にされた点はありましたか。

中村 本には私の気づきや、思いを綴りました。その内容から、読んだ人が何かを感じ取ってもらえればと思っています。教材や参考書ではなく、研究書でもなく、同じ立場であった経験者の私がリアルに感じたことを書いたつもりです。

 ただ、私自身も4人の女の子たちを追っていくなかで多くの問いが出たし、考える機会をたくさん与えてもらいました。本を読んでもらった人、一人ひとりにそんなきっかけを与えられたら本望です。

◇◇◇

『 女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった 』の制作に至るまでには、中村さんの壮絶な実体験と強い思いが背景にあった。 後編 では、女子少年院の少女たちの実態について語っていただく。

(文=二階堂銀河/A4studio)

INFORMATION

ドキュメンタリー映画 「記憶2」(仮題)オフィシャルサイト

https://nakamurasueko.com/kioku2.html

 

“少年院でご飯を1日3食食べると初めて知った” 「普通」がわからない少女たちのリアル へ続く

(中村 すえこ)

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