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男は常に美しい女性を選び、気に入らなくなったらより若い女性を…?女性視点から見たウンディーネの物語

文春オンライン / 2021年3月25日 11時0分

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クリスティアン・ペッツォルト監督

 水の精霊ウンディーネ。女の姿をした精霊は人間の男に恋をするが、その愛はやがて裏切られる。ドイツロマン派の作家フケーが1811年に完成させたその物語は、ジロドゥ「オンディーヌ」やアンデルセン「人魚姫」等、時代や国籍を超え継承されてきた。

 ニーナ・ホス主演の『東ベルリンから来た女』(12)『あの日のように抱きしめて』(14)で知られるドイツの名匠クリスティアン・ペッツォルトの最新作『水を抱く女』は、ウンディーネ伝説を大胆に翻案し、現代の神話として甦らせた。舞台は現代のベルリン。ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネ(パウラ・ベーア)は、一つの愛を失うと同時に、潜水作業員のクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)と出会い、再び愛を発見する。この水の精霊は、男を翻弄する悪女でもなければ、男に裏切られるだけの悲劇の女でもない。怒りや憎しみを抱きながら、それでも愛に生きる、生々しいひとりの女だ。

 現代のベルリンに生きるウンディーネは、いったいどのようにして誕生したのか。

初めて女性の視点で捉えたウンディーネ神話

――『水を抱く女』の物語はフケーの『水の精(ウンディーネ)』が大きな発想源になっていると思うのですが、一方で、映画のウンディーネ像はむしろオーストリアの詩人、インゲボルク・バッハマンが1961年に発表した短編小説『ウンディーネが行く』に近いように感じました。監督は、バッハマンの小説についてはなにか意識されていたのでしょうか。

ペッツォルト 長いことウンディーネという神話的存在に強く惹かれていました。その思いは、過去に私の映画に主演したニーナ・ホスとの仕事のなかでより強くなっていきました。彼女とは6作品を一緒に作りましたが、男性の映画監督が若く美しい女性の俳優と仕事をすることには、常にウンディーネ的な何かがあるからです。そんななかバッハマンの『ウンディーネが行く』を読み、初めて女性の視点でウンディーネ神話を捉えることになりました。そしてこの視点でならウンディーネの映画を作れると感じた。違う視点で作っていたら、きっと前世紀的な映画になってしまったはずです。

――バッハマンの小説では、ウンディーネが人間の男たちに強い愛と憎しみを抱いています。脚本を書くうえでも『ウンディーネが行く』に大きく影響を受けたといえますか?

ペッツォルト 前作『未来を乗り換えた男』(18)で初めてパウラ・ベーアと一緒に仕事をした際、多くのジャーナリストからこう聞かれました。「彼女はあなたにとって新たなニーナ・ホスですね」と。私は非常に腹立たしい思いを抱きました。男性は常に美しい女性を選び、彼女が気に入らなくなったらより若い女性を探し、彼女を選ぶ。これこそまさに現代のウンディーネではないか、そんなことは許されないと感じたんです。憤りを感じるなかでもう一度考えてみました。ウンディーネの映画を作るならこれまでとは全く別のテキストが必要だと。その時、私の前にはバッハマンの小説があったわけです。

――ウンディーネ役の候補にはニーナ・ホスも挙がっていたのでしょうか?

ペッツォルト いえ、最初からパウラ・ベーアで撮影する予定でした。ただこの映画を作るなかでニーナ・ホスを思い出した瞬間もありました。というのも、ニーナ・ホスと初めて一緒に仕事をした作品『Toter Mann』(2001)でも、彼女は水のなかから登場しやはりある男性を殺そうとしている人物を演じていたので。もしかするとその当時から、私の深層意識のどこかにウンディーネがいたのかもしれない。ただしウンディーネは私の頭のなかからどんどん自立していきました。キャラクターが私の手から離れ自立していく、それはとても素晴らしいことです。

私たちが彼女に投げかける視線は必要ありません

――この映画は恋人たちの愛をロマンティックに描いてはいますが、セックスシーンについてはそれほど官能的には描かれていません。それがとても新鮮に思えたのですが、やはり年上の男性監督と、一般的にミューズと呼ばれがちな若い女性俳優との関係性を考慮したのでしょうか。

ペッツォルト そもそも私自身、映画館でセックスシーンを見るのが好きではないんです。まるで両親の夜の営みを目撃してしまったような、非常に気恥ずかしく居心地の悪い思いがします。こうした場面を描いた映画の99パーセントはうまくいっていないと思う。もちろんニコラス・ローグの映画のように非常にうまくいった作品もありますが、そこには必ず必然的な物語がある。『水を抱く女』ではそれは必然ではなかった。大切なのは、何かを強く望み、手に入れたいと願う気持ちでした。水の下で二人がダンスをするように泳ぐシーンの方が、あからさまなセックスシーンよりずっと大事で美しいのです。

――人魚をモチーフにした映画の多くは、裸のような姿で泳ぐ美しく幻想的な女性を描きがちです。しかし監督はウンディーネの裸を映しません。それもセックスシーンを官能的に描かなかったのと同じ理由なのでしょうか。

ペッツォルト これはウンディーネが世界をどう見ているか、その視線を描いた映画です。私たちが彼女に投げかける視線は必要ありません。今の話に関する撮影秘話を少しお話ししましょう。最後、水のなかでウンディーネが再び姿を見せる場面がありますね。そこで彼女は薄いワンピースを一枚着ているのですが、実際に試してみたところ、水で濡れると、ワンピースの布が肌にぴったりとくっついて胸の形が露わになることがわかりました。私たちはそれをどうしても避けたかった。今言ったように、私たちはウンディーネの視線で世界を見たいのであり、私たちが彼女を見る必要はない。しかし彼女の胸が見えてしまえば、それはまさに男の視線になってしまう。そこでパウラ・ベーアともどうしたらよいか相談をしました。すると彼女はとても頭のよい方で、水に濡れても胸が露わにならない下着を見つけてきてくれました。こうして男の視線を介することなく無事に撮ることができたのです。

「いまや、世界中を探しても労働できる手を持っている俳優はなかなかいません」

――フランツ・ロゴフスキが演じるクリストフの造形は、どのようにつくりあげていったのでしょうか。

ペッツォルト 『未来を乗り換えた男』で初めてフランツ・ロゴフスキという俳優と出会ったのですが、あの作品のなかで、フランツが小さな男の子と一緒にラジオを修理する場面があります。その場面を撮影していたときに、彼がとても器用で、いわゆる仕事をする手の持ち主だと気づきました。いまや、世界中を探しても労働できる手を持っている俳優はなかなかいません。ところがフランツはまさにそのような手を持っていて、身体的にそれを表現できる。私はこうした体の動きや手の動きは、映画の大事な一部分だと思っています。映画は単に美しい顔を見せたり珍しい場所を見せたりするのではなく、もっと違うものも見せなければいけない。フランツが演じるクリストフという人物は、水の下で働く人、つまりプロレタリアート(労働者)です。彼はとてもシンプルで明確な考えを持ち、同様に、単純でいて美しい愛情を持っています。

――フランツさんはもともとダンサーとして活躍していた人ですよね。そうした経験が、映画にも影響を及ぼしていると思いますか。

ペッツォルト ええ、そのとおりだと思います。水のなかで彼はダンスをしている。その印象は私も充分に受けました。実はフランツは、今回の撮影まで潜水の経験が一度もなかったんです。彼は生まれつき耳に障害があり、水中の圧力には耐えられないという理由で水に潜るのをずっと禁止されていたそうです。そこで今回の撮影でも、当初は水中のシーンではスタントマンを使おうと考えていました。どうせ水中ではマスクをかぶるので大丈夫だろうと。それでも念のため、医者に確認をしてもらいに行ったんです。そうしたらなんとすでに耳の具合は治っていて、どれくらい潜っても問題ありませんよ、と言われました。ですからこの映画の撮影で、フランツは生まれて初めて水のなかに潜ったのです。それは彼には信じられないほどの喜びだったようです。水中という新しい世界に出会ったわけですから。その喜びが画面にも現れているのではないでしょうか。

――お話をうかがっていると、ウンディーネとクリストフというキャラクターは、パウラ・ベーアとフランツ・ロゴフスキという二人の俳優がいなければ生まれなかったのではないか、という気がしてきました。

ペッツォルト 前作『未来を乗り換えた男』の撮影がもう終わりに近づいた頃、私はひどく感傷的な気分になっていました。これで二人と過ごす時間も終わりなのだな、と寂しくなったんです。同時に、まだ終わってないぞ、という直感がよぎりました。そこで私は二人に、次はウンディーネの映画を作るつもりですでに脚本もできているんだ、という話をしました。実はその時点ではまだ詳細は何も決めていなかったんだけど(笑)。マルセイユのカフェで、私は即興でウンディーネの映画について話をつくっていきました。ある男が愛を求めて水のなかへ入っていき、女は愛を求めて陸にあがってくる。それは『未来を乗り換えた男』のラストシーンとも重なる内容でもありました。『未来を~』では、女は水のなかで溺れてしまうけれど、愛を求めて彷徨い続けている。そして男は、水のなかからやってくる女を陸で永遠に待ち続ける。だからこの2作品はある意味でつながりあうことになるだろうと話をし、一緒にやりたいかと二人に聞きました。彼らはぜひ脚本を読ませてほしいと言ってくれました。そこで私は大急ぎで脚本を書き上げ、無事に映画化にこぎつけたというわけです。

ウンディーネ神話を広げたドイツロマン派は宮崎駿作品に「どこか似ている」

――冒頭、ものすごく凶暴な風が吹きウンディーネの髪の毛をかき乱します。あの素晴らしいシーンはどのように作り上げたのでしょうか。風のなかで撮りたいと予め狙っていたのですか。

ペッツォルト 意図していたわけではありませんが、あのシーンを撮影したときのことはよく覚えています。私は二人から5メートルくらい離れたところにいたのですが、本当にものすごい風が巻き起こっていました。彼女の髪をくしゃくしゃにかき乱し、背景にはまるで西部劇のような土埃が舞っていた。その瞬間、私はとても幸せな気持ちになりました。自然が勝手に映画のなかに入り込みフィクションの一部になる。それは映画製作においてもっとも素晴らしいことのひとつだからです。

――映画では、ウンディーネが語るベルリンの都市の歴史が、愛の物語と同時に重要なモチーフになっていますが、なぜこのような要素を取り入れたのでしょうか。

ペッツォルト 当初は、ベルリンで撮影しようという発想はなかったんです。というのは、ベルリンは比較的新しい都市で、たかだか200年くらいしか歴史がない。土地にまつわる言い伝えや伝説や神話など、そういう物語を持たない街なんです。ところで、私が住んでいる家のすぐ向かいに「ウンディーネ薬局」というお店があります。ベルリンにいくつもあるお店ですが、名前の由来を聞いてみたところ、運河のそばにあるから、という答えが返ってきました。たしかにベルリンには川が多く流れていて、かつては北のヴェネチアと呼ばれたくらい水の多い都市でした。だから産業化の時代、船を使って、外からベルリンへと様々な物資が運ばれてきたのです。そのなかには神話や伝説も含まれていた。都市がつくられていくにはそうした物語も必要だったというわけです。こうして私はベルリンという街に徐々に興味がわいてきました。いろいろと調べていくなかで、都市の設計図や模型を展示している場所を発見しました。これは映画にも登場しますね。そういったものから発想を膨らませ、歴史家であるウンディーネという人物像が出来上がったというわけです。

――この映画は神話をもとにしたファンタジーですが、撮っている場所は現代のベルリンというリアリティのある場所ですよね。『未来を乗り換えた男』も現在のマルセイユで撮影されたどこかSF風の映画でしたが、フィクションを撮るうえで、現実の風景は枷にはならないものでしょうか?

ペッツォルト そもそもウンディーネ神話を広めたドイツロマン派とは、産業化・工業化が進んだ18世紀末から19世紀初頭において、世界を再びかつての幻想や魔法の時代に戻したいという理念に基づく運動でした。私はドイツロマン派の運動は、宮崎駿さんの作品にどこか似ているような気がしています。『千と千尋の神隠し』(01)なんかまさにそんな気配がしませんか? 『水を抱く女』もドイツロマン派と同じ理念を共有していますが、それは決してノスタルジックな試みではありません。私たちがいま生きている現実の世界にもう一度魔法をかけてみたい。目指したのはそういうことなんです。

Christian Petzold/1960年ドイツ生まれ。2012年、ニーナ・ホス主演の『東ベルリンから来た女』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。監督作の多くが国際映画祭に出品・受賞する、ドイツを代表する映画監督。

INFORMATION

映画『水を抱く女』
3月25日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次ロードショー
https://undine.ayapro.ne.jp/

(月永 理絵/週刊文春)

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