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《田中邦衛さん追悼》知られざる元SMAP香取慎吾との絆「うるせぇ、黙ってろ、中居」

文春オンライン / 2021年4月22日 11時0分

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山形市「テルサホール」で開催されたトークショー。左は荒井さん(荒井幸博さん提供)

《純、蛍、俺にはお前らに遺してやるものが何もない。

 でも、お前らには、うまく言えんが、遺すべきものはもう遺した気がする。

 金や品物は何も遺せんが、遺すべきものは伝えた気がする》

 2008年10月に山形市内で開かれたトークショー。『北の国から 2002 遺言』(フジテレビ系)で「黒板五郎」が語った“遺言”のセリフを、田中邦衛さんがあの独特の間と口調で朗読し始めると、会場には嗚咽が広がり、最後は号泣する人まで現れたという。

田中さん自ら手書きした“遺言状”

 このトークショーで聞き役を務めたのが、山形県内でラジオパーソナリティとして活動している荒井幸博さんだ。エフエム山形やYBCラジオに出演し、山形市内での映画祭やトークショーのコーディネイトをするなど、山形に根差した活動をしている。講演やトークショーにはほとんど出演しない田中さんが、「荒井さんが聞き手なら出る」と言うほど信頼を寄せた人物だ。

「本番前に、遺言の部分を書き写したものをお渡しして、これを読んでもらえますかとお願いしたら、邦衛さんは照れながらも了承してくださった。でも読む前に自分の手でもう一度、全部、書き直したんです。邦衛さんは味のある字を書かれるんですが、1文字、1文字、本当に遺言を書くように、丹念に書いていく。倉本聰さんが書いた脚本のセリフなんですが、このときに本物の五郎さんの遺言になったと思った。

 本番で『純、蛍、俺には~』と朗読が始まると、さざ波のように嗚咽が広がっていった。邦衛さんの言霊によって五郎さんが蘇る瞬間に立ち会えたような気がしました」

 放送から6年もの月日が経っていても、記憶が蘇る。『北の国から』の五郎は、それほどファンに愛された存在だった。

『若大将』シリーズや『網走番外地』など数多くの作品で、名脇役として存在感を示してきた田中邦衛さん。2013年ごろから体調を崩して療養生活を送っていたが、2021年3月24日、老衰により88歳で亡くなった。葬式は家族葬で執り行われ、メディアを通じてその死が公表されたのは4月2日だった。

「山形市で桜の開花宣言が出た日でした。桜の名所の霞城公園で邦衛さんとキャッチボールして、自転車を乗り回したことを思い出しました。今でも亡くなったという事実が信じられなくて、邦衛さんのことを思い出すと、つい笑っちゃうんですね。楽しかったことしか思い出せないのです」(荒井さん)

 そんな公私共に親密な関係を築いていた荒井さんの口から、田中さんの在りし日の思い出を語ってもらった。

出会いのきっかけ「字が小さくて読めねえよぉ」

 荒井さんと田中さんの出会いは、1968年に公開された田中邦衛主演の『若者たち』という古い映画がきっかけだったという。

「以前、私は映画を上映する仕事をしていて、1996年11月に、山田洋次監督の『虹をつかむ男』の撮影現場を見学したことがありました。そこで煙草をくゆらせて休憩していた邦衛さんを見つけて、たまたま持ってきていた『若者たち』のパンフレットをお見せしたんです。『若者たち』は、若者を巡る社会問題が凝縮された素晴らしい作品なんですね。邦衛さんは『うわあ、懐かしいなあ。ちょっと見してくれよぉ』『字が小さくて読めねえよぉ』なんておっしゃって、すごく喜んでくれた。それが初めての出会いでした」

 翌年、荒井さんは田中さんが所属する俳優座(現・株式会社仕事)に交渉して『若者たち』のフィルムを借り、山形で公開30周年の記念上映会を企画した。上映会は大成功を収め、それをきっかけに東京の六本木でも開催され、全国へと広がっていったという。

 そんな折り、荒井さんは山形県天童市在住の山口さんという男性から、子供の育成会を立ち上げる記念で、田中邦衛さんに講演をしてもらえるよう仲介してほしいという依頼を受ける。

「邦さん、行くってよ! 会社中大騒ぎだよ!」

「山口さんは『自分の息子は純と同い年で、五郎さんの姿を見ながら自分の子育てをしてきた。だから、育成会の立ち上げでは五郎さんに講演をしてほしい』と言うんですが、私も1回お会いしただけで、そもそも邦衛さんはトークショーをやらないと聞いていた。他の方はどうですかと提案しても、山口さんは『五郎さんじゃなきゃダメだ』と一歩も引かない。

 ダメ元で俳優座の方に聞いてみると、東京の人独特の言い方で『邦さん、俺らが頼んでも東京でもやらねえもん。なんで山形なんて行くの?』と。でも、私には山口さんの熱意が乗り移っていたんでしょうね。上映会の成功で強気になっていたのもあって、とにかく『話だけ通してみてください』と頼んだ。すると2日後に連絡があって、『邦さん、行くってよ! 会社中大騒ぎだよ!』と。ただし、私がトークショーの聞き手になることが条件で、私としては大歓迎でした。その半年後の1998年11月8日に、邦衛さんが初めてのトークショーにご夫婦でいらしてくれた」

 たった1回会っただけの、『若者たち』のパンフレットを持って現れた荒井さんのことを田中さんは覚えていたのだ。

 天童市の小学校体育館で開かれた初めてのトークショーは大盛況で、『北の国から』のテーマ曲とともにピンスポットを浴びて花道に登場した田中さんに館内は大興奮。勢い余った観客らが握手攻めにしたのだという。

「邦衛さんは握手を求める人たち全員としっかり握手しながら花道を進んでくるから、ステージに辿り着くのに5分以上かかったほど。それを見て、なんて素敵な人なんだろうと感動しました」

「邦衛さんは一般の人と一緒に風呂に入って食事をするんです」

 田中さんは山形をいたく気に入ったようで、それ以降、トークショーはのべ30回以上に及び、聞き手はすべて荒井さんだった。荒井さんがパーソナリティを務める山形のラジオ番組には合計で12〜13回出演。田中さんがメディアに姿を現さなくなった後も、荒井さんの番組だけは特別で、2013年に2回、2014年に2回出演している。

 旅番組『いい旅・夢気分』(テレビ東京系・2010年6月放送)にも2人で出演し、「田中邦衛が旅番組に出る」ということが話題になったことで、番組史上最高視聴率を取った。

「山形を本当に気に入ってくれたんだと思います。邦衛さんは温泉が大好きで、山形には全部の市町村に温泉があるのに、そのほとんどを制覇しました。邦衛さんは周りからどう見られているかまったく無関心で、一般の人と一緒に風呂に入って食事をするんです。

 邦衛さんは賭け事もゴルフもやらず、お酒もほとんど飲めなかった。でも、食べることが大好きで、本当によく食べました。山形に来たときは、普通に売っているきゅうりとかトマトとかでも、『ぅおいしいねぇ、ぅおいしいねぇ。こんなの東京じゃ食えねぇよぉ』って言いながら食べてくれる。それが嬉しくて、私は故郷に誇りを持てるようになったんです」

「おばあちゃんに近づいて『高倉健です』って(笑)」

 田中さんがそこまで山形に入れ込んだのは、山形の魅力だけでなく、荒井さんの人柄にも惹かれたということだろう。

「田中さんとは年が25歳離れていましたが、誕生日が同じ11月23日で、巡り合わせのようなものも感じましたね。横浜のご自宅にお邪魔することもあったのですが、横浜で一緒に歩いていると、親子に間違われることもありました。

 邦衛さんは町ゆく人とも気軽にやりとりを交わすんですよ。邦衛さんと奥さんと私の3人で山形の町を歩いていたことがありました。中年のご婦人らがひそひそと『あの人、田中邦衛じゃない?』って話をしていると、自分から大股で近づいていって『あのぉ、ちょっとお願いがあるんですけどぉ。握手していただけますか? いやか?』って右手を差し出すんですよ。もちろん、ご婦人らは大喜びです。田んぼで農作業をしているおばあちゃんにも近づいていって握手して、『高倉健です』って(笑)」

観客を爆笑させた“インテリの歩き方”実演

 2007年には、荒井さんをはじめ、田中さんを慕う仲間が集まって「田中邦衛映画祭」を開催した。そこでも、田中さんのお茶目な人柄に観客は大盛り上がりだった。

「『ウホッホ探険隊』を上映したのですが、邦衛さんにしては珍しくインテリ研究者の役だったんです。それで、トークショーではこちらから頼んだわけでもないのに、インテリの歩き方を実演してくれた。普段の自分はがさつに大股で歩くけど、インテリは上半身を垂直に立てて、頭を上下させずに歩くと。その姿が面白くて大ウケしました。ラジオ番組に出ていただいたときも、お願いすると、照れながら過去の作品のセリフを再現してくれた。人を楽しませようという気持ちに溢れた人でしたね」

 俳優としての経歴から言えば、まさに大御所中の大御所。しかし飾ったところがなく、渡辺謙や役所広司など多くの俳優仲間からも慕われていた。そんななかで、田中さんが特に可愛がっていたのが元SMAPの香取慎吾で、NHK大河ドラマ『新選組!』(2004年)に出演したのは、香取に依頼されたからだったという。

田中さんが明かした「SMAP×SMAP」出演の理由

「『慎吾に頼まれちゅあ、断れねぇよぉ』って言ってましたね。邦衛さんは基本的にバラエティ番組には出ないんですが、香取さんに頼まれて『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)のビストロSMAPには2回出ている。出された料理を完食していたので、おいしいものを食べたいというのも出演理由の一つだったのかもしれませんが(笑)。食べているときにMCの中居さんがいろいろ話しかけるのですが、ガチ食いしたいんで、『うるせぇ、黙ってろ、中居』と制して笑いを誘っていました(笑)。

 香取さんとは役所広司さん主演の『合い言葉は勇気』(フジテレビ系・2000年7月)で初めて共演したそうですが、このドラマも役所さんに直接頼まれて出たそうで、『役所に頼まれちゅあ断れねぇよぉ』って言っていたことがあります」

「本当に大きくて暖かい人。なぜか周りを元気にしてしまう」

 決して親分肌ではないが、頼まれると嫌と言えない。面倒見が良くて、義理堅い人だったという。

「本当に大きくて暖かい人。決して声を荒げたりしないし、人を攻撃したりもしない。邦衛さんを見ていると、人を恨んだりねたんだりする自分が汚い人間だと思わされる。田中邦衛という人間に不思議なパワーがあって、元気出せとか、頑張れとか言わないのに、なぜか周りを元気にしてしまう。私のように、邦衛さんから元気をもらった人はたくさんいると思う」

 純や蛍だけの父ではなく、“国民のお父さん”だった田中邦衛さんは、この世界に「遺すべきものを遺し」て旅立った。

 ご冥福をお祈りする。

(清水 典之/Webオリジナル(特集班))

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