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“4年5000万円の口止め契約”という証言も…元三重県知事・北川正恭が触れられたくない“秘書との決裂”

文春オンライン / 2021年5月24日 17時0分

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北川正恭氏 ©文藝春秋

「俺はそれまで小沢一郎の指示でやってきただけ」かつての金庫番が明かす“政治とカネ”問題の知られざる真相 から続く

 一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『 泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴 』(文春文庫)より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◇◇◇

北川正恭と秘書の仲たがい

「俺を野良犬にするつもりですか。それとも、これからも鎖で留めておきますか。どっちにしますか。返答次第では、考えがあります」

 北川正恭に対し、秘書の森岡一智が詰め寄った。1995(平成7)年4月の三重県知事選の半年ほど前のことだという。代議士から知事への転身を決めた北川に対し、森岡は知事選出馬に反対してきた。やがて2人は仲たがいし、決裂する。森岡が北川に言った。

「もともと自民党を割って出るのも反対でしたんや。うまく行きっこないから。いままで泥をかぶって来たんは俺やないか。それで三重県知事になるからクビ、では通りませんで」

 三重県桑名市出身の国会議員、山本幸雄の秘書だった森岡は、90年の山本の引退にともない、北川の秘書となる。山本の地盤を引き継いだのは、のちに自民党から新生党・新進党を経て民主党に移った岡田克也だが、森岡はそりが合わず、北川を選んだ。

 森岡が新たに仕えた北川正恭は1944(昭和19)年11月11日、三重県鈴鹿市に生まれた。83年の総選挙で、自民党公認を得て県議から初当選する。自民党時代は三塚博が率いていた派閥、清和会に所属した。それが縁で、同じ派閥の鹿野道彦を党首に担いで94年に自民党を離党し、新党みらいを結党する。だが、党運営がうまくいかず、すぐに新進党に合流した。

 そして95年、三重県知事選に立候補する。北川の知事転出は、岡田克也の勧めでもあった。森岡にとって岡田は、かつて事務所入りを蹴った相手という因縁もある。

「もともと俺は、国会議員の第一秘書としてうちに来てくれ、と(北川から)頼まれたんや。そして、東京でカネ集めをしてきたはずです。そのせいで借金もずい分残っている。知事になってそれが返せるんですか」

 森岡は北川に迫った。しかし、本人の決意は変わらない。森岡はたたみかけた。

「それなら、俺が生活できるようにしてからにしてもらえんやろか。そうでないと何をしゃべるかわかりませんで」

 そうして飛び出したのが「俺を野良犬にするつもりか」という過激な発言だという。水谷建設の取引先をはじめ、複数の関係者の証言をもとに再現した掛けあいだ。仮にも秘書が雇い主の代議士に対し、ここまで言うのは聞いたことがない。まさに脅しているかのようなやり取りなのである。2人のあいだで何があったのか。

北川正恭が触れられたくない過去

「このとき北川さんに頼まれ、森岡の面倒をみることになったのが、水谷会長でした。いわば秘書を辞めるに当たって、口止め料を水谷会長が肩代わりしたようなものだと思います」

 森岡のことをよく知る水谷建設の関係者の1人がそう打ち明ける。森岡自身、かつて常に水谷功のカジノツアーに同行し、裏金の運び屋まで務めてきた。水谷ファミリーのなかでも、最側近に近い存在だったといえる。それだけに、彼を知る水谷建設の関係者も少なくない。

 知事時代の北川正恭は、岩手県の増田寛也や宮城県の浅野史郎、高知県の橋本大二郎、東京都の石原慎太郎らとともに地方分権の旗手として、持て囃されてきた。中部電力による芦浜原子力発電所の建設計画を白紙に戻す一方、シャープの亀山液晶工場を誘致し、話題をさらう。選挙時における政権公約「マニフェスト」の必要性を訴え、日本の政党に採用させた。目下、テレビコメンテーターとして活躍している。そんなクリーンイメージを売り物にする北川にとって、水谷との関係は触れられたくない過去に違いない。

口止め料の深層

「森岡氏は汚れ役だけに、秘書としては有能やでな。とくにカネ集めは得意やからね。自民党時代の北川さんのために、家賃の高い永田町の十全ビルに事務所を借りた。北川さんはそこで、月に二度ほど、自民党清和会の若手代議士を24、5人集めて勉強会をしていました。だから新党みらいを旗揚げするときに本人は、最低でも15人ほど集まるのではないか、と踏んどったと思うよ。でもふたを開けてみたら、実際に自民を離党したんは5人だけやでな。完全にあてが外れてもうた。それで、今度は三重県知事選挙の話やさかい、森岡氏が反対するんも、無理ないんやないか」

 森岡を知る別の水谷功の側近は、こう語る。北川が自民党を離れたのは94年4月。知事選は1年後の95年4月におこなわれた。

「森岡氏は北川さんが知事になるんを見越しとったんと違うやろか。北川さんは、話も上手やし、気さくな感じもする。風を吹かせる名人やから、選挙には強かった。ある意味では恐いよ、って森岡さんは言うてた。それで、森岡さんは北川さんの金銭問題をネタにして脅したんやろ。そうして、黙っていてくれれば、水谷会長が生活できるように面倒見る、という話になったらしい。『北川は、こんなときだけ電話かけてくるでな、森岡を頼むと。参るわ』と水谷会長が愚痴をこぼしていました。森岡さんは、面倒を見てもらう代わりの条件として、4年間、三重をところ払いになったんです」(同前)

“ところ払い”とは、ずい分時代がかった表現だが、要は県庁に出入りしない、という約束だそうだ。北川が知事になったあと、その元秘書が三重県庁関係の仕事にタッチすれば問題になるからかもしれない。再び前出の側近が説明する。

「北川のことは一切しゃべらん」

「水谷会長と森岡氏とは、『この先、北川のことは一切しゃべらん』という4年契約を結んだ。その条件が5000万円。2億円払ったという噂も流れたけど、そんなに払ってへん。まあ、4年で5000万円やから、そんなに高くはないやろ」

 2億円の噂は、1年あたり5千万円かける4年という計算から出た話だったのかもしれない。実際には、年に1250万円の口止め契約という勘定だという。カジノで1日に1億円近く勝負する希代のギャンブラーにとっては、目をむくほどの高額ではないかもしれないが、といっても、森岡は水谷建設の企業グループ社員として働くわけでもなかった。やはり口止めの条件として悪くはないだろう。

 当の北川正恭に率直に尋ねてみた。

全否定を繰り返す北川

「たしかに水谷さんとの面識はあります。しかし、その5000万円なんてまったく(聞いたことは)ありませんし、4年間のところ払いなんていうのも初耳です。ははは、100パーセントありえない話です」

 そう全否定する。

「(森岡が三重県を離れていたかどうか)そのあたりはわかりません。知事になる2年くらい前でしょうかね、話し合いはしました。それだけですから」

 ではみずからの借金問題についてはどうか。

「そんなのあるわけないじゃないですか。本当にありませんよ」

 政治家なら選挙で借金しても不思議はないが、必要以上に金銭問題を否定するようにも感じる。北川はそう言いながら、こう切り返してきた。

「決してありません。こんなあり得ない話を書かれるんですか? (森岡)本人に確認できるのかどうか知らんけど、確認してほしいですね」

 水谷建設の関係者との話とは、まったく異なる回答だ。借金問題や口止め料など森岡との関係については、ひところ評判になったが、北川は初耳だと繰り返す。むろん口止め料を受け取ったとされる森岡自身にも尋ねてみた。だが、「俺はいっさい取材には応じない」と口を閉ざすばかりだ。

政商と呼ばれるゆえん

 政界人脈を駆使して利権にありつく。簡単にいえば、水谷功が政商と呼ばれるのは、その長年の渡らい種(わたらいぐさ)ゆえに違いない。政界における交友は、同じ桑名出身の元自治大臣、山本幸雄の秘書たちとの付き合いが原点である。

 水谷建設が山本事務所に出入りするようになったのは、功の兄、勤の社長時代にさかのぼる。水谷功はそこで山本の秘書だった森岡と知り合っている。元内務官僚の山本は、中曽根康弘に近かった。中曽根内閣時代には、自治大臣に就任した。自民党内で人望があり、秘書たちも辣腕ぞろいだったという。森岡一智も、その山本事務所の一員だった。

 森岡はそこから水谷の裏仕事を担うようになる。亀井静香や古賀誠の秘書たちが駆け付けた絶頂期の還暦祝いにも参加している。06年に摘発された脱税事件当時、水谷の側近の1人として、東京地検の取調べを受けた。そのとき三重県知事だった北川との関係もとうぜん俎上にのぼっている。

〈水谷建設所得隠し 裏金化、政界流出か 元三重県知事秘書と接点〉

 06年7月11日付の産経新聞大阪朝刊には、そう題された大きな記事が一面を飾った。次のように書いている。

〈「水谷建設」(三重県桑名市)の脱税事件で、東京地検特捜部は10日、関連先として新たに北川正恭・元三重県知事の元秘書が親密な関係を持つ土木工事会社(同県四日市市)を家宅捜索した。水谷建設は政界とのつながりが深いとされており、新たな「接点」が浮上した〉

 ここに出てくる元秘書が森岡である。四日市の土木工事会社も、水谷功の傘下にあるグループの1社だ。森岡は水谷建設グループが請け負った中部国際空港の工事に奔走し、その関係が浮上したのである。

 報道にはないが、北川の元秘書との関係が浮上する端緒は、東京地検が家宅捜索で押収した2通の借用書だった。森岡が水谷から3000万円を二度借りた、とする借用書だ。だがその実、借金はしていない。実際は、森岡が6000万円を借金したものと偽装して、裏金を捻出した。そのための経理上のアリバイ工作だった。

 北川事務所を去った森岡は、いつしか水谷功と行動をともにするようになる。水谷にとって政官業のもたれ合い構造を熟知している森岡は、重宝な存在だったに違いない。前述した偽の借用書を使った裏金工作などは氷山の一角でしかない。が、そこを特捜部に突っ込まれ、水谷功本人のみならず、その周囲が窮地に立たされていく。

【前編を読む】 「俺はそれまで小沢一郎の指示でやってきただけ」かつての金庫番が明かす“政治とカネ”問題の知られざる真相

(森 功/文春文庫)

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