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「出世なんて所詮は運」は本当か? 会社で「屍」評価をされたときに‟してはいけない”決断

文春オンライン / 2021年6月15日 11時0分

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©️iStock.com

 企業で役員になる人はどういった才能を持つ人たちなのだろうか。

 「出世なんて所詮は運だよね」

 出世できなかった自分やできなかった人を慰めるとき、よくこういったセリフが使われる。

 しかし、コンサルタントとして多くの会社役員と接し、また自らも実際の企業に入って組織人として働いてみた経験からいえば、役員になる人にはどうやら「出世に必要な能力」があらかじめ備わった人が多いことに気付く。

 そしてその能力はもちろん彼や彼女の素晴らしい実績や才能が認められてのものである一方で、すでに「あらかじめ決められた」能力が備わっていてそれが評価されているにすぎないとも考えるようになった。

「進むところ屍だらけ」と揶揄されたある会社役員

 私が知る、ある会社の役員はとにかく猛烈に働くことで出世したと言われている。しかし、実際には彼自身が夜中まで猛烈に働いていたわけではなく、優秀な部下を集める人事力があり、その部下たちのモチベーションを高め、時にはパワハラまがいにどなりつけてでも仕事をさせながら大きなプロジェクトを次々に取得していく人だった。

 彼の下で仕える社員はそのあまりの仕事量に疲れ果て、中には心身症を発症する社員まで出たと言う。しかしそうした部下は体よく切り捨て、また元気のある優秀な社員に入れ替えることで、大きな業績を上げ続け社内でも特別な存在として評価されていった。

 彼の進むところ屍だらけ、などと社内でも揶揄された。なぜなら必死についていった彼の部下たちはそのほとんどが「出世」できなかったからだ。

会社組織がもつ「残酷」な一面

 特に彼と年齢が近い優秀な部下はある期間使われると「ポイ捨て」になるとのうわさがあったのだが、実績が申し分ないだけに会社としての彼に対する評価は変わらなかったという。

 私はこの話を聞き、ずいぶんと身勝手な人だなと思った反面、会社としてはこうした人材は実に貴重な人材なのだということも理解できた。

 残酷な言い方だが、社員は全員出世などできない。大きな会社になればなるほど「優秀(だと思っている)」な社員などいくらでもいる。その中で最もパフォーマンスを上げられる優秀な社員が一人でも生まれれば、会社としては極めて満足なのだ。

 だから彼がその中心にいて会社の屋台骨を支えるということが決まってしまえば、むしろ彼に近い存在で優秀な社員などは厄介者になる可能性があるので、会社の中心からは遠ざけようとするのだ。

 会社組織というのはこのように「残酷」な一面をもっている。

所詮は夢とはほとんどが「叶わないもの」

 会社員で40代後半から50代にもなると、すでに会社という組織では「白黒」がほぼ決着している。その結果、若かったときのような生気もすっかり失せていきなり老け込んでしまう人も多くいる。

 しかし、ひとつの会社の中では「屍」という評価だったとしても生身の自分自身が「屍」になったわけではない。せっかく会社から給料をいただけるのならば考え方を変えて、人生を楽しむ方向に意識を切り替えることをすすめる。

 出世できない悔しさだけから会社を飛び出して無理な起業を試みる人もいるが、定年間近であわてて起業する人に成功する人は少ないように思われる。

 屍でもよいではないか、最近は冷静に会社で働く人たちにエールを送ることができるようになった。屍もこれまではおおいに会社の役に立ったのだから堂々としていればよいのだ。

 いつの頃からか世の中では「夢」という言葉が拡大解釈され、何か途方もなく素敵なものとして語られるようになった。それどころか人は誰しもが夢を持たなければならないと、まるで夢の押し売りのような語られ方さえされている。

 しかし、所詮は夢とはそのほとんどが「叶わないもの」だ。その叶わないものを追いかける姿が外からみれば何やらかっこよく、素敵な姿に映るのかもしれない。話は美化されそのことに勘違いをした人たちが、実はその夢はすでにもう叶わぬこととわかっていても夢に固執し、出口を見つけられない。そんないい歳した大人が増えている。世の中が豊かになった証なのかもしれない。

並大抵の努力では夢は叶わない

 東日本大震災後に流行った言葉がある。「勇気をもらう」「元気をもらう」という表現だ。これは少々おかしな表現だ。本来勇気や元気は「やりとり」するものではない。「勇気を奮う」「元気を出す」といった自らが発揮するものであって、受動的に「もらう」ものではないはずだ。他人によりかかった日本語の表現が増えている。これらをつなぐのが「絆」という言葉なのかもしれない。人々が交わす言葉にやたらに「いただく」を付けるのも最近の傾向だ。

 ビジネスの現場でも最近はこの「他人に寄り添った」表現をすることが増えている。みんなが仲良く力をあわせて頑張ろう。一生懸命やりさえすれば夢は必ずかなう。だからみんなで頑張る。

 職場においても他人の気持ちを思いやらなければならない。仕事が少しでも忙しく残業が多くなると「ブラック企業」などと名指しで批判される。「人間らしい生き方」「笑顔で明るい仕事」、言葉はきれいで何やら仕事をすることは素晴らしいこと、世の中には自己実現ができる仕事が溢れている。こんな語り方がされる。

 こんな世界になったらよいなと私も心の底から思う。だが現実はもっと厳しいものだ。他社を、他人を出し抜く。競争に打ち克つためには人よりも数倍も数十倍も努力しなければならない。大きな成功を収める、夢をかなえる、自己実現をするのは並大抵の努力ではないのだ。

 みんなが仲良くチーチーパッパでは到底現実の社会で勝者にはなれない。これは資本主義社会の中では厳然とした「現実」である。

仕事をどこまで「冷静に醒めた目」で見られるか

 コンサルティングをしていても、クライアントの事業計画があまりに「あまちゃん」で驚くことがある。持つ夢ばかりがでっかくても、そこに到達するための努力や意欲は「半人前」であることが多いからだ。

 ところが悪くしたことに希望だけは無節操に膨らんでしまっているので計画はどんどん華やかに、プレゼンはまるでテーマパークのようにきらびやかなものとなり、打ち上げ花火だけが立派に大空に向かって放たれる。

 今までコンサルティングを行い、また実業を行ってきた私から見ると仕事とはそんなに「きれいごと」で済むようなものではない。私自身、実業の世界で何度も相手にだまされたり、つけ入られたりしてプロジェクトをひっくり返された。自身の見通しが甘く、失敗をしたことも数多くある。夢だけをいたずらに追うことはよほど生活に困らないお金持ちでなければ続くはずのものではない。

 仕事は、プロジェクトは、ある意味でどこまで「冷静に醒めた目」で見られるかにかかっている。これは仕事に情熱(パッション)を持つなという意味ではない。情熱がなければひとつのプロジェクトのために徹夜で仕事をしたり、相手を凌駕するプレゼンや交渉を行って果実を得ることはできない。

 大切なことは自身が置かれている立場をよく考えて、事業を冷静に見つめることができる醒めた目、言い換えれば心の余裕を持つことだ。

ロードマップを胸に長い道のりを歩み続けること

 計画通り進むプロジェクトなどというものは所詮たいして難しいプロジェクトではない。難易度が高く、得られる果実の大きいプロジェクトほど何度も失敗し、裏切られ一度として最初の計画通りにすすむことはない。

 ロードマップという言葉がある。一つの道の途中でたとえ行く手を阻まれても、あるいは道に迷っても冷静に自身の立ち位置を把握して違うルートを、障害を乗り越えるルートを開拓していくそんな冷静な心を常に持つことだ。

 夢や希望は簡単には手にすることはできない。ただ地道な努力の繰り返しの結果にかかっている。それを「夢、夢」とあまり大きな声で叫び続けても、そんなことで実現するようなものは夢とは呼ばない。

 今日思っただけで明日実現などしない、仕事とはずいぶんと時間のかかる根気の必要な作業だ。でも毎日を無駄にせず、努力する人や会社に対して成功はその扉を開けてくれる。描いたロードマップを常に胸に長い道のりを歩み続けることだ。

(牧野 知弘)

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