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「このままでは自衛隊員が死ぬかもしれない」17年前、イラク派遣を統括した男が危惧する“最悪の事態”

文春オンライン / 2021年7月11日 11時0分

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柳澤協二さん

 1970年に防衛庁へ入庁して以来、広報課長、運用局長、官房長、防衛研究所所長など、日本の安全保障を担う重要な役職を歴任してきた柳澤協二さん(75)。2004年4月には事務次官級のポストである「内閣官房副長官補」として官邸入りし、前年から始まっていた自衛隊イラク派遣の実務責任者も務めました。

 柳澤さんは退官後、第二次安倍内閣による新安保法制を痛烈に批判するなど、その発言でも注目を集めています。“日本の防衛”を内側から支えてきた柳澤さんは、今の安全保障環境、そして自衛隊をどう見ているのか――。近現代史研究家の辻田真佐憲さんが聞きました。(全2回の1回目/ 後編に続く )

官邸で目にした総理の“素顔”

――柳澤さんは2004年から2009年までの5年間、内閣官房副長官補として、4つの内閣(小泉・第一次安倍・福田・麻生)で安全保障と危機管理を担当されました。間近で各首相と接する機会も多かったと思いますが、それぞれの方の印象はいかがでしたか。例えば麻生さんについては、前川喜平さんとの対談本『官僚の本分』の中で、「がらっぱちのように見えますが、決してそうではない。悪ぶっているけど悪ではない」と仰っていますね。

柳澤 そうですね。自分の周りにはちゃんと気遣いされる方だし、口が悪いわりにはわれわれ相手にもしっかり挨拶はしてくれるし。そういう意味では、育ちのいい人だなという印象は持ちました。

――小泉さんについては、「あの人だからしょうがないみたいな、不思議なパワーを持っておられた」と仰っています。

柳澤 小泉さんは、直接われわれから話を聞くような場面はあんまりなかったけれど、何を考えているかというのは秘書官や事務担当の官房副長官を通じてきちんと伝わってきていました。そういう意味では、意思疎通はちゃんとできていたんだと思います。

 私が小泉さんについて一番印象に残っているのは、アメリカのイラク戦争を支持する決断をしたときのことですね。官房副長官補として着任する直前のことなので、私は実際にその場にいたわけではありませんが、後で色々と聞いてみると、どうも周りは「アメリカを支持しましょう」という報告の上げ方はしていなかったようなんだよね。みんな支持しなくちゃいけないんだろうと思いながら、国内の反発とか法律論を考えて、「支持するとこういう問題点がありますよ」みたいな上げ方をしていた。

 だから、あのときは本当に小泉さんがご自分で、一人で決断したんだと思います。自衛隊を撤収するときも、総理の決断だったんでね。そんな小泉さんの姿を見ていて思ったのは、やっぱり総理って最後は自分で決断をしなければならない、そこは非常に孤独なんだな、ということです。でもあの人は、リーダーとしてそういうことに耐えられる人だったし、自分で言い出したことは変えなかった。だから、すごくやりやすい総理で、われわれも信頼して仕事ができました。

安倍総理は安全保障に詳しかった?

――小泉さんとはそんなに会う機会がなかったとのことですが、官房副長官補として、首相と直接会って話をする場面というのは、そこまで多くはなかったのでしょうか。

柳澤 それは相手次第ですね。そういうことが特に好きな人……たとえば安倍さんとは、何回もお会いしました。集団的自衛権の有識者懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)は、安倍総理がぜひやりたいということだったので、直接やり取りをしながら立ち上げました。

 でも当時、私はご趣味のような案件だという受け止め方しかしてなかったんです。自民党や公明党の幹部を含めて、誰もそんなこと(憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の容認)をまともにできるとは思っていなかったのでね。しかし、総理がやりたいと言うなら、それは事務方としてちゃんとサポートしようと。勉強するという範囲であれば、私も関心はありましたし。

――安倍さんの安全保障に対する見識は、実際どれくらいのものだと思われましたか。

柳澤 それはどなたでも一緒です。私は4人の首相にお仕えしましたが、安全保障について詳しい中身をご存じの方は一人もいらっしゃいませんでした。それから、兵器マニアみたいな人もいなかったですね。

「私は石破さん、好きなんです」

――兵器マニアというと石破茂さんのことを思い浮かべますが、自衛隊や防衛省の関係者に聞くと、評価が両極端に分かれる印象があります。柳澤さんはどう見ていらっしゃいますか。

柳澤 私は石破さん、好きなんです。すごく真面目だし。よく議論もしましたね。でも、石破さんのやり方として、頭の固い高級幹部と話をするよりも、若い人を呼んで、そこでいろいろ知識を得たり、議論したりすることを好まれるんです。それはやはり、偉い官僚や幕僚にとってはあまり面白くない話ですよね。

 要は、いい加減なごまかしが効かないという意味で、やりにくい大臣だったと思うんですよ。私は「そこは問題だけど、今、現実の政治的な環境の中でこれしか選択肢はないでしょ」という議論が石破さんとはできた。でも、頭ごなしに「それはダメですよ」みたいな対応をしたら、あの方とはうまくいかないでしょうね。

――そのあたりが、人によって評価が分かれるポイントだということですね。話を安倍さんに戻しますと、柳澤さんは『SIGHT』という雑誌のインタビューで、第二次政権について「過去を全部白紙にして戦前に戻そうという政権」と仰っています。そのような戦前回帰的な傾向は、内側からご覧になっていたときからあったんでしょうか。

あの執念は何だったのか?

柳澤 いや、そこはあんまり感じなかったですね。それよりも、第二次政権で私が思ったのは、この人の動機は何なんだろうということです。第一次政権で立ち上げた集団的自衛権の有識者懇も、結論が出たのは福田総理のときで、福田さんは「そんなもの、俺はいらねえ」とまで仰っていたんです。だから、これは内閣の連続性があるから受け取ってください、と話をしたりしたんだけど、ともかくも、集団的自衛権の話は具体的な政策として実現する、というものではないと思っていました。でも、安倍さんは第二次政権で、またそれをおやりになると。その執念はどこから来るんだろうな、と考えたんですね。

 これは私の分析なんですが、やっぱりおじいさんの岸信介総理を、自分の目標として持っていたのではないかと思うんです。岸さんがやったことというのは、安保改定ですよね。一応、アメリカと対等な同盟関係らしきものをつくったわけですが、「アメリカは日本を守るけど、日本はアメリカを守らない」という関係性が残って、その矛盾は解消されなかった。だから、それを自分がなんとかするんだと。噛み砕いていうと、おじいさんを超えるという、自己実現の意欲のように私には映ったんです。

――その一方で、たんなる「反アベ」には限界があるとも指摘されています。お年寄りが官邸前で「憲法守れ、安倍辞めろ」と叫んでも、健康保持のためにはなっても、若者の支持が得られないと。

柳澤 現実にデータで見ると、若い層ほど支持が高いわけですからね。そうすると、私も年寄りだけど、年寄りがそれはけしからんから安倍辞めろと言ったって、堅い支持を得ている相手がいて、その背景には若い人たちのいろんなものの考え方がある。そこに今の護憲運動の大きな課題があるんだろうと思っています。

解釈改憲は「ちゃぶ台返し」だった

――柳澤さんは護憲リベラル系の集会などに呼ばれやすく、ご自身もそう周りから思われているのではないですか。

柳澤 まあ、そうでしょうね。

――では、護憲リベラルとの間にギャップといいますか、違和感を以前から感じられていたということなのでしょうか。

柳澤 集会での質問を聞くとね、「そこはだいぶ俺と違うな」と感じるところはあるんですけどね。ただ、とにかく集団的自衛権の問題とか、非常にテーマが明確だったので、当時は回数は少ないけど、右の人から呼ばれたこともあります。そこでは、20代、30代の人たちに何を伝えて、残していかなきゃいけないかという気持ちでやっていたので、あんまりギャップは感じませんでした。

――結果的に安倍さんは2014年、それまでの憲法解釈を変更し、集団的自衛権を容認する閣議決定を行いました。このことについてはどう考えていらっしゃいますか。

柳澤 自衛隊は長いこと、武器を使う権限をもった行動はしてきませんでした。でも、正式に内閣総理大臣の承認が必要なミッションとして、初めて海上警備行動(1999年の能登半島沖不審船事件)をやったときに、私は運用局長でした。その後、官邸にいたときには、2度目の海上警備行動(2004年の漢級原子力潜水艦領海侵犯事件)もありましたし、ソマリア沖の海賊対処のときも、内閣官房で法律を作ったりしました。だからなんだかんだいって、私は自衛隊の創設以来、実力を伴う行動にはずっと、そのすべてに関わってきたんですね。

 そういう場での自身の仕事はもちろん、他にも先輩や上司たちが、みんな苦労して憲法解釈をやってこられたのを見てきている。だから、そんなちゃぶ台返しをやるんだったら、これまでの苦労は何だったんだ、という思いはありました。それに、アメリカに向かっていくミサイルを日本が撃ち落とすことは物理的に不可能なんですよ。北極の上を通って飛んでいくわけだから。そういうありもしない例で政策が変わっていくのはどうなのかな、運用の合理性から考えてもおかしいんじゃないかな、と。

ギリギリの憲法解釈に潜む“危うさ”

――なるほど。ただ、集団的自衛権の話については、柳澤さんが官房副長官補時代に関わっていらっしゃった、自衛隊のイラク派遣などと地続きの部分もあるのではないか、という気もします。イラク派遣のとき、「非戦闘地域」「国または国に準ずる主体」といったキーワードが作られました。柳澤さんは『自衛隊の転機』という本の中で、こうした憲法解釈は「ガラス細工」であり、「ある意味、日本人の憲法感覚に合わせながらできるだけのことをやろうとする知恵であり、また、実際にそれ以上のことをしないから矛盾が顕在化しないという『歯止め』の役割を果たしてきたのだと思います」と書かれていますね。

柳澤 そうですね。

――つまり、憲法解釈はギリギリをやっていかなきゃいけないんだと。ただ、このギリギリというのは、解釈改憲と背中合わせの部分があるのではないでしょうか。個別的自衛権だって、かつて吉田茂が否定していましたよね。それが後に“憲法解釈”によって認められた。とすると、イラク派遣の際に行われた「ガラス細工」のようなギリギリの憲法解釈も、危ういものだったとは思われないですか。ようするに、柳澤さんのお仕事と安倍さんの言動、どこに切れ目があるのだろうか……ということなのですが。

イラク戦争で崩れた“後方地域”の線引き

柳澤 そもそも自衛隊の歴史を振り返ると、まず、私が防衛庁に入ったとき(1970年)には、自衛隊は現に存在していて、相当大きな組織になっていたという現状があったわけです。そこから、92年にカンボジアPKOに出るまでは、訓練は別として、自衛隊が海外で仕事をするなんてことはまったく誰も考えてこなかったんですね。そこで、カンボジアのときは、停戦合意ができた後、中立で、まったく戦闘的な要素がないという条件下で自衛隊を出す……つまり、道路を直すだけなんですよという理解で乗り越えたわけです。

 次に、97年の日米防衛協力ガイドライン見直しのときに、後方地域支援という概念が出てくる。要は、自衛隊はものを運んであげたりはするけど、米軍と一緒に戦闘はしないんだ、そこを合憲性のメルクマールにしましょう、というアイデアです。それならばギリギリ憲法9条のいう武力行使には踏み込んでいない、という考え方をしたんです。

 そのときは朝鮮半島有事があった際の米海軍への支援を想定していたわけですが、私もその状況での「後方地域」というのは、きちんとイメージできました。というのは、アメリカ軍がピケットを張っていれば、その後ろ側に北朝鮮の軍隊が出てこられるわけはないので、確かに後方地域かそうでないかははっきり区別できるんだろうな、と。しかしながら、それがイラクに行くと、陸上ですから、「米海軍よりもこっち側に相手は来られないだろう」という状況ではなくなっちゃうわけですね。

――後方地域というものがイメージできなくなってしまったと。

柳澤 イラクではそれを「非戦闘地域」と呼んで、自衛隊の任務は給水活動や道路の補修みたいな、戦闘とは全く縁のないものに限定しますという言い方をしたんだけど、現地では「この線からこっちは武装勢力がこない」などとは、全く言えない状況だったわけです。だから、イラクのような地上において、非戦闘地域のような線引きをするのは、実際はかなり無理があったな、と私は思ってるんです。幸い、自衛隊が戦闘に巻き込まれることはなかったから、そこの矛盾はそれ以上突っ込まれないで終わったんですが、誰か一人でも亡くなっていたら、それこそ大問題になって、その後の南スーダン派遣なんかはできなかったと思いますよ。

憲法解釈は単なる言葉遊びになった

 ただ、それでも、イラクのときは「アメリカの戦闘行為と一体化しない」という区分はできていた。しかし、安倍さんの安保法制の中では、現に戦闘が行われている現場でなければ良い、ということにしたわけです。今、そこで大砲を撃っていなければ、その大砲のために弾を持っていってもいいよ、という話になってきた。それは、そうしないと現実では何もできない、ということが明らかになったからなんですが、しかし、そこまで行っちゃうと憲法解釈はもう単なる言葉遊びで、実際は一緒に戦闘していることになってしまうんじゃないかと私は思います。

――かつては「自衛隊は米軍と一線を画さなければいけない」と考えられていた。安全保障の仕組みを現実に合わせつつも、憲法9条との兼ね合いから、そのギリギリのラインをなんとか守ろうとしていた……というお話だと思います。

 ただ、そもそも、その「ギリギリのライン」自体が一つの憲法解釈にすぎないと考えれば、安倍政権の解釈改憲もまた、これまで同様、現実に対応していく行動のひとつだったとならないでしょうか。どうも、イラク派遣の際との違いがわかりにくいのですが。

守るべき“一線”はどこにあるのか?

柳澤 そうですね。ただ問題はね、本当に一体化しているか、していないかという実態判断の問題はあるにしても、イラクのときは一応、「一体化しない」という建前が残っていたわけです。ところが、集団的自衛権というのは、米軍の戦闘行為と一体化するかどうかの議論は超えてしまっていて、米軍を守るために戦闘するという、自ら戦闘するという意味までも含まれている。だから、それは今までの憲法解釈とは質的にまったく異なるものなんだろうと思うんです。

――ちなみに、安倍さんが有事関連7法を成立させたとき(2004年)、柳澤さんは官房副長官補でしたよね。その前、周辺事態法が成立した1999年には運用局長でした。柳澤さんは自衛隊の役割を劇的に変えていく、まさにその渦中におられたわけですが、ご自身のお仕事は、安倍さんの解釈改憲のように“一線”を踏み出すことはなかった、というご理解ですか?

柳澤 本当にギリギリだったな、という安堵感というのかな……まぁ、一線を踏み出すことはなかったな、とは思っています。ただ同時にね、やっぱりイラク派遣を振り返ると、それは一線を越えていないから安心、なんて話じゃないだろうと。もう、こういうことを続けていれば本当に、もしかしたら自衛隊員が犠牲になるような事態が起きるかもしれない。でもそこで、憲法には合っているんだから犠牲になってもいいんだ、なんていうことは、私は絶対言っちゃいかんと思うんです。

自衛隊に何を、どこまでやらせるか

――自衛隊と憲法の話で言えば、自衛隊の存在や活動を広く認めるために憲法を改正すべきだ、という意見がありますよね。そのような主張についてはどう思われますか。

柳澤 自衛隊の存在や活動は今でも認められているし、現にここまで来ているわけですからね。問題はやっぱり、南スーダンだって、イラクだって、誰も死んでいないのがラッキーだっただけ、ということなので。南スーダンなんて、16年7月のジュバなんかを考えると、本当にとんでもない状況になっていたわけでね。

 そういうものに目をつぶったまま、現場が抱えた矛盾をほったらかしたまま、これまでと同じことをなし崩しにやっていくために憲法改正しますというのは、本末転倒だと私は思っています。要は、自衛隊をそういうところに出せば、誰かが死ぬかもしれないし、相手を殺すかもしれない。そういう状況で本当にいいのかどうか、政治と国民の覚悟をしっかり問わないといけないはずなんです。

 だから、憲法の字面をどういじるかというのは、それはもう将来、いかようにもやればいいと私は思っています。というのは、その憲法の下で私はたぶん生きていないからね。それは、その憲法下で日本を支えていく人たちが判断すればいい。しかし、本当に重要なのは、自衛隊に何を、どこまでやらせるかということです。このままでは、日本の旗のもとに、よその国の人間と自衛隊員が撃ち合いをして、戦死者が出る可能性がある。そういうリアリティを踏まえた上で、私たちがどこまでを覚悟するのか、それをもう一度考えなくてはいけないんです。

( 後編に続く )

撮影=平松市聖/文藝春秋

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(辻田 真佐憲)

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