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荻窪で55年続く“常連に愛される中華料理屋” 二代目店主が作る「アツアツのもやしそば」が感慨深かった!

文春オンライン / 2021年7月15日 11時0分

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©印南敦史

 JR中央線の荻窪駅北口を出たら、目の前の青梅街道を向こう側にわたり、新宿とは反対方向に進むこと10分弱。青梅街道と環状8号線が交差する四面道交差点の手前に、日大二高通りという片側1車線の小さな通りが現れる。

 そこを右折するとすぐ右に見えてくるのは、レンガのタイルが貼られた古い建物。ガラスの入った茶色い木枠の引き戸も、独特の年季を感じさせる。バス停を模した看板に書かれた「中華」という文字を見落としたら、中華料理店だとは気づかず通り過ぎてしまうことになるかもしれない。

地元民から愛される“B中華”

 だが、そんな独特な雰囲気こそが、いかにもB中華なのだ。しかもこの店、マスコミで紹介される機会は少なく、流行りの町中華ブームにも左右されない。なのに、お昼のピークを過ぎてもぽつりぽつりと人が出入りする。つまり「光陽楼(こうようろう)」という名のこの店は、地元に根ざした、地元民から愛される存在なのである。

 入り口はなぜか北国の住宅のような二重扉になっており、店内に足を踏み入れると4人席が右に3卓、左側にも4人席と6人席。突き当たり奥が厨房で、カウンター席はなし。スペースには余裕があるが、中華料理店風ではない。

 天井のつくりなど日本風でもあり、なんとも不思議な雰囲気なのだ(その秘密はのちほど)。

まずはビールに餃子だ!

 ともあれ、まずはビールに餃子だ。と思ったものの、注文すると奥様から「すみません、いまビールはお出しできなくて……。ノンアルコールビールの小瓶ならあるんですけど」との返答が。

 あっ、そうか。考えてみると、お邪魔したこの日は緊急事態宣言のまっただなかなのであった。思うところはいろいろあるが、お店に責任はないし、国が決めちゃったことなのだから仕方ない。

 そこでノンアルコールビールと餃子で、ゆったりと流れていく空気を楽しむことにする。

 時刻は13時半。奥の席では40代くらいのカップルが向かい合ってラーメンを、反対側の席ではサラリーマン風の男性が定食を食べている。突き当たりの天井近くにあるテレビは、ニュース番組を映している。

今年で55年目の“地元の中華屋”

 奇をてらったところはなく、いかにも地元の中華屋という感じだ。しかし、それは当然なのだ。なぜならこの店、先ごろ59歳になったばかりの私が小学生のころから営業しているのだから。週末のお昼、父親に連れられてよく訪れていた店なのである。

 ただし、そのころは別の場所にあった。マスコミにもよく登場する「教会通り」という商店街のどまんなかで、昭和41年から営業を続けていたのだ。

「それ以前はうちの親父たちが北千住で13年やって、それからこっちへ来て。ちょうど私が10歳のときだから、今年で55年。数えるのもきりがいいから覚えてるんです」

 そう語ってくださったのは、店主の佐京重男(さきょうしげお)さん。今年で65歳だそうだが、もっと若々しく見える。驚くべきは、高校2年生だった16歳のときから、学校に通いつつお店でも働いていたという事実。だから古いお客さんのこともよく覚えており、なんと小学生時代の私のことも知っていてくださった。当時の私は子どもだったから、話したこともなかったし、そもそも厨房の向こうにいる人と話す機会はなかった。だから、知られているなんて考えたことすらなかったのに。

とても華やかだった「教会通り時代」

 ただし、教会通りにあったころの店舗がとても華やかだったことは記憶に残っている。奥まで続く店内は広く、左側の厨房には何人もの職人がいて(つまり、そのなかのひとりが重男さんだったことになる)、フロア担当の若い女性も数人おり、常に活気があったのだ。

「広かったですね。カウンターがあって、テーブル席と小上がりと、全部で50人入れたんですよ。うち、きょうだいが姉と妹2人なんですけど。全員が一度は店に入ってくれてますね。その他にパートさんもいたし。調理場のほうも一番忙しいときで、出前さんが3人いました。コックさん2人と、私と親父とかだから、従業員でも7、8人はいて、教会通りの雀荘に出前したりしてましたから。あと、あのころはアパートが多くて、出前に行くとキャバレーのおねえさんがシュミーズ1枚で出てきてね、『部屋まで持ってきて』なんて言われて(笑)」

 あー、わかるわかる。たしかにあのころの教会通りは、いまみたいに洗練されてなかったなー。

 それはともかく、先ほど注文を取りに来てくださった奥様の玉恵さんとも、教会通りの店舗近くにあった喫茶店で知り合ったのだという(関係ない話だが、私は高校生のころ、その喫茶店でアルバイトしたことがある)。当時、高井戸の社会保険庁で働いていた玉恵さんが日曜日にお茶を飲んでいるとき、休憩時間に訪れていた重男さんと顔見知りになったのだ。そして、昭和55年に結婚。なんだか昭和のドラマになりそうな、ちょっといい話。

「あのころはバッタバタしてましたね、世の中がね。いまはもう、教会通りだって古いお店はほとんどないですもんね。町が変わっちゃってね」

 そう、だから気になっていたのだ。なぜ、華やかだった光陽楼が教会通りから姿を消してしまったのかと。

「バブルですね。あるとき親父が借入して店を建て替えたんですけど、その2、3年後にバブルが弾けたんで、店も住まいもボーンと飛んでって。借金が1億円ぐらいあったんだけどね、一昨年か、なんとか終わらせて。20年かかったけど、景気悪かったですからね、きつかったですよね」

 そのため18年ほど前、この地に移転した。変わったつくりになっているのは、もともと寿司屋だった店舗を利用しているからだ。雰囲気はだいぶ変わったが、しかし常連客は離れていない。

「夜はダメですけどね。昼はなんとか」

 話をお聞きしているときにも、学校帰りと思しき高校生の女の子がお母さんと一緒に入ってきた。「大きくなったわね。昔はこんなにちっちゃかったのにね」と、玉恵さんが声をかけている。

「もう、常連さんはね、みなさんお馴染みですね。学生時代から始めてたから、常連さんの昔のこともよく覚えてますね。コロナの影響もあるといえばあるんだけど、お陰様でうちの場合は固定客が多いんでね。サラリーマンの人たちもテレワークにはなっちゃってるけど、会社に出てきたときには必ず寄ってくれるんで。まあ、夜はダメですけどね。昼はなんとか。悪い中では上出来だと思いますね」

 でも、それは納得できる話だ。なぜならこの店の料理はどれもボリュームがあり、ていねいにつくられているからだ。そんな姿勢も、そして味も、昔から変わらない。

「北千住時代も、昔の荻窪もそうだけど、労働者が多かったから。給料が少ないなかで働いてる人たちだから、お腹がいっぱいになるような食事を提供しようと。学生さんも多かったですしね。そのへんはね、やっぱり食堂ですからね」

“商人”としてのがんばりどころ

 ここで「食堂」ということばが出てきたことに、小さな感動を覚えた。ラーメンブームの昨今は専門性を謳う店も多いが、あえて食堂だと言い切ることのほうが、実は難しいのではないか。

「その感覚でやってますから。やっぱりね、今回のコロナも、前回のバブルのときもそうだけど、お客さんに目が向いてない商売じゃ通用しないですからね。(借金の)返済を終えて山を越えられたのも、お客さんが来てくれたおかげだし。60年続いてるといったって、60年間通ってきてくれるお客さんがあってのことだし。いまはみんなが大変だけど、うちは幸いにもこうやって提供するものがある商売をしてるんで、お客さんを助ける番。そう思ってね。商売だから、収入が減ればそれはきついですよ。でも、いまはどっちかといったら一般の人のほうがきついんだから、精神的にね。だから、そういうところでがんばれないんじゃ、やっぱり商人じゃないですからね。そこは強く思いますよね」

 重要なポイントはここだ。必要以上に職人気質をアピールするのではなく、「商人」だという気持ちを抱いていることの潔さだ。

「(商人という気持ちは)強いですね、やっぱりね。だから、仕入れひとつにしたって、地元で長くつきあってきたところを裏切りたくないし。『安いからいいや』って自分の収入のことばっか考えて仕事をするわけにはいかない。それはやっぱり信頼関係ですよね。肉屋さんにしてもなんにしてもね、うちがいちばん大変なときでもいろいろ助けてもらいましたからねえ。『事情はわかってるから大丈夫ですよ』って。だからね、楽になったからって自分ひとりで遊ぶわけにいかないですから(笑)。そんなの恥ずかしくてね」

個人店が踏ん張ってこそ、町の景色がつくられていく

 定休日は基本的に「0」のつく日、つまり10日、20日、30日(例外的に31日も)。珍しいパターンだが、ここにも理由があるようだ。

「曜日で決めちゃうと、お客さんを思い出しちゃうんですよ。『いや、月曜日はあの人が来るなあ、火曜日はあの人が来るなあ』と思うと、切るわけにいかない。じゃあ、もう0で区切りよくしようと」

 でも「仕事は嫌いじゃない」ので、結局は休みの日も調理場にいる。

「(コロナの影響で)時間制限がかかるとか、アルコール出しちゃダメとか、いろいろあるけど。それはルールとして守ればいいだけであって、そのなかで、自分が培ってきたもので返せれば、それがいちばんいいんだし。町っていうのは個人店がそういう気持ちを持ってやらないとダメになるし、それがチェーン店と個人店の強さの違いですよね。やっぱり個人店が踏ん張ってこそ、町の景色というか雰囲気がつくられていくわけだから。人がいるだけで町ができるわけじゃないし、その人を育てるのも商人の仕事ですからね。やっぱり、どこの町でもルールってあるじゃないですか。そんな気持ちでやってますよね」

 お子さんは、男・女・男・男の4人。しかし、思う存分好きなことをやってくれたほうがいいと考えているため、必ずしも家業を継いで苦労させるつもりはない。だが屈強な印象の重男さんを見ている限り、あと20年くらいは余裕で続けられそうだ。

最後に頼んだラーメンは……

 さて最後に、「本日のオススメ」と書かれているもやしそばを注文した。「はい、わかりました。じゃあ、つくってまいります」と重男さんが席を立ってから数分後、ずっしりと重量感のあるどんぶりが運ばれてきた。

 もやし、ねぎ、きくらげ、にんじん、肉のあんかけはアツアツだ。火傷しないように気をつけながら食べてみれば、素材の持ち味が口内にぱっと広がっていく。そして、何度食べても感慨深いのが、見た目以上にすっきりとしたスープと、風味豊かな中華麺。昔と変わらない味なので、小学生時代の記憶が蘇ってくるのである。

 とはいえ、決して過去を知る人のためだけの味ではない。初めて食べる人にとっても、重男さんの思いが詰まった一杯はきっとおいしい。心が込められていることがわかる味だからだ。

撮影=印南敦史

INFORMATION

 光陽楼
 東京都杉並区天沼3-12-7
 営業時間 11:30~15:00(L.O.14:30)、17:30~23:00(L.O.22:00)
 定休日 10、20、30、31日

 ノンアルコールビール 400円
 餃子 500円
 もやしそば 800円

(印南 敦史)

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