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1994年の落合博満 ガッツポーズをしない男がガッツポーズをした瞬間

文春オンライン / 2021年7月15日 11時0分

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1994/10/2 ホームランを放った落合博満と喜ぶ中畑清

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2021」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】柳 賢(やなぎ・けん) 東京読売巨人軍 44歳。新潟生まれの福留世代。2018年文春野球学校長谷川ゼミ参加を機に野球コラムについて学び始める。令和の時代に昭和を引きずったまま生きていく覚悟を決めた会社員。好きなコーチは加藤健2軍バッテリーコーチ。

◆ ◆ ◆

 人間のキャラは様々だ。

 穏やかな奴、激しい奴、優しい人、恐い人、前向きな思考、後ろ向きな思考、ルールを守る正統派、はみ出す個性派、そのはみ出しを密告する知性派、コクりまくるタイプ、コクられるタイプ、いつになっても女とうまく話ができない俺みたいな奥ゆかしいタイプ。

 そして何かに追い詰められた正念場、人間は時として自分のキャラとは正反対の行動をとる時がある。いつも優しい人が怒るとガチで恐いのと同じように、いつもガッツポーズをしない男がガッツポーズをする瞬間はとてもスリリングだった。

中日から巨人へ移籍 落合博満の崖っぷち

 1994年10月2日(日)。シーズン127試合目、朝の時点で長嶋茂雄率いる読売巨人軍と高木守道率いる中日ドラゴンズは共に67勝59敗の同率首位。まず、デーゲームの中日が先に勝利し、半歩進まれた形の長嶋巨人は野村克也率いるヤクルトスワローズを迎え入れ、本拠地東京ドーム最終戦ナイトゲームを戦っていた。先発の斎藤雅樹が3回表に集中打を浴び、一時は3点のビハインド、その後ジリジリと反撃し、4-4の同点で迎えた8回裏1死1塁、打席に落合博満を迎える。この打席までの成績は打率.276、本塁打13本、打点64、そして年俸4億円。

 1993年オフに発足したフリーエージェントで中日から巨人へ移籍した落合。古巣との激しい優勝争いの真っ只中で、10月に入ると中日球団幹部の発言が当時の新聞に記載されている。

「落合が一年間働けないことは分かっていた」(10月3日付読売新聞)

「うちが優勝できれば、落合が出ていってくれたおかげだ」(10月3日付朝日新聞)

 そして本拠地最終戦のスタンドにはネット裏前列の中曽根康弘元内閣総理大臣を筆頭に徳光和夫、中居正広、ラモス瑠偉、小錦八十吉、森脇健児、樋口可南子、そしてC.C.ガールズ原田徳子。

 辛辣な言葉とエグい視線とカクテル光線を一身に浴び、打席に向かう40歳。9月に入ってからは試合前の打撃練習でマスコットバットで緩い球を呼び込んで打つルーティンを試合用の白木バットで振り切るスタイルに変更していたという。9月10日には中日時代1988年以来6年ぶりに4番を外された。すったもんだがあった後の崖っぷちで落合博満が向かう右バッターボックスは、まるで綱渡りのタイトロープのようだった。

「恐れ入りやしたの、長嶋監督!!」

 日本テレビ放送席、実況アナウンサーはベテラン吉田填一郎、解説者は山本浩二と江川卓。マウンドにはヤクルト山田勉。受けるキャッチャーは古田敦也。1塁ランナーは2年目の松井秀喜である。

 初球、やや外よりのストレートを打ち損じ、3塁側へのファールボール。2球目、ストレートが高めに外れる。

「江川さん、どうですかね、今までにないこのヤローという部分を私は感じますけど、どうですか」

 吉田填一郎が落合のただならぬ雰囲気に気付く。

「雰囲気はありますよ、ただ形がかなり崩れてますからこれでホームランないしヒットがでる確率はかなり薄いですよね」

 江川卓が現実的に答える。

 3球目、フォークボールが高めに外れる。

「ある球団のスコアラーが言ってましたが、春先は落合の攻めかたはインコースを見せ球、アウトコース勝負、後半はハッキリ言って逆になりましたと、こう言ってます」

 吉田填一郎の実況は1994年の落合博満を象徴している。

 4球目、再びフォークボールが高めに外れカウントはワンストライクスリーボール。

「ここは申し訳ないですけど、今の落合選手の感じだとヒットよりもですね、フォアボールでセカンドに押し出す形で松井選手がセカンドに行ったほうが、まあちょっと申し訳ない言い方ですけども結果が良いような気がしますけどね」

 放送席では江川卓が覚悟を決めた。

「打ち気は確かにこの打席は見えますね」

 山本浩二は落合の気迫を言葉に出す。

 そして山田勉が投じた5球目、高めのストレート、落合のフルスイングで高く舞い上がった打球は見事にレフトスタンドへ突き刺さった。

「おぉ……」

 打球がスタンドに突き刺さると同時に山本浩二の声にならない声がかすかに聞こえる。満員のスタンドは総立ち、ドームの天井まで突き抜けるかのような大歓声。

 ダイヤモンドを1周してベンチへ戻ると長嶋茂雄が帽子をとり、お辞儀をして出迎える。

「恐れ入りやしたの、長嶋監督!!」

 興奮した時に出る吉田填一郎の新たな名フレーズが炸裂した。

「あの……寒気しますね、あれだけあの~下からバットが出てホームランって考えられないですよね」

 珍しく感情的なことを話す江川卓がいる。

「いや、だけどこれが4番じゃないですか」

 山本浩二も心の中で脱帽している。

 リプレイが流れた、打球を見上げながら1塁へ向かう落合の背中は「行け」と叫んでいる。そして1塁ベース手前で確かにガッツポーズをした、いや、してしまうしかなかったのかも知れない。そしてベンチを覗くと同じように鬼のような表情で拳を握り締める長嶋茂雄がいた。

世界で一番カッコ良かったガッツポーズ

 とても便利な世の中だ。だから皆がスマートだ。いちどキャラを固めてしまえば、そのキャラを貫いていくほうがやりやすい。

 けれども、そのスマートさはあの時の落合のホームランにはまるで無かった。球場では声援を送られ、テレビの前では視線が注がれ、マスコミには叩かれ、古巣の球団からは批判され、放送席では無理じゃないかと言われ、そしてバッターボックスで追い詰められた時、長嶋茂雄に見つめられている。そんな想像を絶する周囲からの目線に対してフルスイングをした覚悟のホームラン。ひょっとすると落合があの時フルスイングしたのは、落合自身と長嶋監督以外の全ての人達へ向けてだったのかも知れない。

 ガッツポーズは右手を高々と上げるものだと思っていた。けど、世界で一番カッコ良かったガッツポーズはそうではない。まず右手を強く握り締める、その後軽く持ち上げる、そしてすぐにダイヤモンドへ叩きつけるように振り下ろす、けっして右手は高く上げない。

 クールな人間が感情を露にした瞬間、いつもガッツポーズをしない人がついしてしまった、いや、するしかなかった瞬間、ガッツポーズが似合う人の条件はキャラではなく、正念場での想像もできないような大きな覚悟と執念だったと気付かされた瞬間。

 1994年10月2日(日)、第14号ホームランを放った際の落合博満はとてつもなくスリリングだった。そして、あれ以上ガッツポーズが似合う男の背中を僕はまだ見たことがない。

 綱渡りのタイトロープを渡りきった時、スーパースターは最高のガッツポーズを見せてくれる。

 それがたとえどんなキャラの男であっても。

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※「文春野球コラム ペフレッシュオールスター2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/47073 でHITボタンを押してください。

(柳 賢)

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