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「日本人として五輪に出たい」聖火リレー最終走者・大坂なおみが背負わされた“金メダル以上のウソと重圧”

文春オンライン / 2021年7月31日 11時0分

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最終ランナーとして聖火台に火をともした大坂なおみ ©JMPA

 赤いブレイズヘアに赤白のシュシュ、真っ赤なワンピースウェアに白いラケット、赤いリストバンドに白い時計———。少なくともファッションでこれほど大胆に<日本>をアピールしたアスリートが他にいただろうか。それができるかどうかは競技にもよるが、大坂なおみはテニスという競技のファッション性と自身が持つ個性を最大限に生かし、全身をジャパンカラーでコーディネートして初めての五輪の舞台を戦った。まるで、日本代表として東京に立つ自分自身を祝福するかのように。

将来の目標は「オリンピックに出場すること、そして幸せになること」

 まだ日本で一般的にはその名前すら知られていなかった頃、大坂は将来の目標を尋ねられるとこう答えていた。

「ナンバーワンになること、できるだけ多くのグランドスラム・タイトルを取ること、オリンピックに出場すること、そして幸せになること」

 世界1位を目指し、複数回のグランドスラム優勝を目標として口にする選手なら、バランス的にふさわしい3つ目の目標は「オリンピックで金メダルを取ること」だろう。しかし、大坂にとってオリンピックは出場そのものが夢だったのだ。複雑なバックグラウンドの中で抱いたピュアな心情を、私たち多くの日本人はどこまで理解できていただろうか。

 日本人の母とハイチ系アメリカ人の父の間に大阪で生まれ、3歳のときにはニューヨークに渡るが、14歳から参戦しているプロサーキットでは初めから日本国籍を登録して戦ってきた。以前、その理由を尋ねると、「日本の文化が好きで日本の人たちも好きだし、私はシャイな性格で、日本人というほうが自分の中ではしっくりくる」と答え、「それと、東京オリンピックに日本人として出たいから」と続けた。

 少女時代からの夢だった世界1位もグランドスラム優勝も叶え、人生をダイナミックに変えた大坂が今でも「内面は日本人」という感覚のままでいるかどうかは、確認してみたことがないのでわからない。しかし、日本の法律で22歳の誕生日までと定められている国籍選択にあたって、日本を選んだという事実には「日本人として東京五輪に出たい」という思いが貫かれている。

 出場することこそが目標だった大坂は、あれよあれよという間に有力な金メダル候補となり、最終的にはこの東京五輪が掲げる理念を象徴する存在としてそこに立つことになった。開会式のクライマックス———聖火台へ点火をするリレーの最終走者として。

「間違いなく、アスリートの人生でもっとも大きな成果であり名誉です。今の気持ちをどう表現したらいいのかわかりませんが、感謝の思いでいっぱいです」

 大役を終えたあとSNSにそう綴り、その感動に酔いしれた。

『多様性と調和』のアイコンとして選ばれたが…

 極秘の依頼を大坂自身が知ったのは、今年3月のことだったという。全豪オープンでグランドスラム4つ目のタイトルを獲得して間もない頃ということになる。

 最終点火者をそのオリンピックに出場する現役選手が務めた例はわずかだ。近いところでは、2000年のシドニー五輪でオーストラリアの先住民族であるアボリジニの陸上選手、キャシー・フリーマンがいるが、彼女はすでに2度の五輪経験があり銀メダルも獲得していた。五輪での実績がまったくない大坂の起用は、異例中の異例といっていい。

 しかし、大会の基本コンセプトの一つとして『多様性と調和』を掲げる東京五輪にとって、世界的な知名度や発信力も合わせて大坂ほどふさわしい人物はいなかったかもしれない。女性であることも望ましかった。3月といえばすでに、大会組織委員会の元会長・森喜朗氏の女性蔑視発言が招いた騒動により、ジェンダー・ギャップに対する日本人の遅れた意識が浮き彫りになってもいた。

 シドニーでフリーマンが金メダルを獲得したように、大坂にも壮大なシナリオが描かれていたに違いない。しかし聖火台にもっとも近い場所にいたあの夜から4日後、夢の舞台は3回戦敗退というかたちで幕が下ろされた。

大坂にとっては天候が災いした3回戦

 1回戦、これ以上はない立ち上がりで世界ランク52位の鄭賽賽(中国)を圧倒し、好調なサーブを維持して2回戦も世界ランク50位のビクトリア・ゴルビッチ(スイス)に快勝した。高温多湿のフロリダを長く拠点としてきたこともあり、過酷な東京の夏にも対応。もっとも暑い時間帯の試合でも、辛そうな表情すら見せなかった。

 続く3回戦の相手は、チェコのマルケタ・ボンドロウソバ。現在は世界ランク42位だが、2019年の全仏オープンの準優勝者でその後14位までランキングを上げた時期もある左利きの22歳だ。要警戒の敵を前に、大坂にとっては天候が災いしたかもしれない。雨天のために屋根は閉じられ、空調をきかせた中での戦いは、暑さが苦にならないという大坂のアドバンテージを削いだだけでなく、ボンドロウソバの最大の武器であるドロップショットの精度を高めた。風の影響を受けやすい繊細なショットは、屋内環境でより有効だ。実際、大坂は要所でこのドロップショットに何度も苦しめられた。前日までとは一変してミスが増えたのは、屋根を閉めたことによって気温や湿度が変化した影響も考えられる。ボールの重さやバウンドが微妙に変わるからだ。

 ただ、そうはいっても、日々変わる環境に対応していかなければならないのは今大会に限ったことではない。ハードコートの女王は、1−6、4−6というまさかの敗退にこう語ったという。

「私への期待の大きさは感じていたし、それは明らかにプレッシャーになった。オリンピックに出場したことがなかったからかもしれない。初めての年にしては(期待が)大きすぎた」

大坂に与えられた“嘘を覆い隠す役目”

 大坂が背負っていたものは、金メダルへの期待以上のものだった。開会式で大坂の存在に託されたメッセージは初めから十分重いものだったが、コロナ禍で疑問視される開幕が近づくにつれてその重みは増し、最後の数日にはもう抱えきれないほどだったのではないか。開会式の演出チームのメンバーの辞任や解任が続出し、その原因となった彼らの言動はいずれも「多様性を認め合う社会の実現」という理想とは程遠い日本の現実。開会式でどんな演出を見せたところで、そらぞらしさ、わざとらしさが見え隠れする。総仕上げに登場した作り物でない生身の大坂なおみには、そうした嘘を覆い隠す役目すら与えられたかのようだ。

 しかし、この数ヶ月、大坂に戸惑いや躊躇は一切なかったという。エージェントのスチュアート・ドゥグッド氏は、「ためらいなどあるはずもないし、後悔もしていない。なおみのキャリアにとって非常に大きな名誉であり、後々まで記憶されるすばらしい出来事だった」と断言する。

 重圧の背景には、大坂自身の事情もあっただろう。5月の全仏オープンの直前に記者会見拒否宣言という爆弾級の<一石>をテニス界に投げ込み、大騒動の中で1回戦に勝利しながらも次戦の前に棄権。さらには、長く苦しめられていたうつ症状をSNSで告白し、「しばらくコートを離れるつもり」と告げてウィンブルドンも欠場した。今回が約2ヶ月ぶりの試合だったことに加え、例の記者会見問題のせいでメディアへの対応ぶりにも別の視点が加わった。

 それにしても、2ヶ月後に五輪の火を聖火台へと灯す自分の立場を知った上でのあの行動だったということに、あらためて驚愕する。ブラック・ライブズ・マター運動も然り、まるで自ら重圧の中に飛び込んでいくような大坂の挑戦の行き着く先はどこだろうか。ちなみに、「アスリートの心の健康にも配慮し、時代遅れのシステムを変えるべき」という主張は今も曲げていない。

 五輪のコートで最大の成果を得ることはできなかったが、テニスは休む間もなく夏のアメリカ・シーズンへと突入する。そのクライマックスは2年連続3度目の優勝がかかった全米オープンだ。大坂のコート内外での戦いは続く。

(山口 奈緒美/Webオリジナル(特集班))

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