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「田中みな実さんは全然違うジャンルですよ」さとう珠緒48歳は今の“あざといブーム”をどう見てる?――2021上半期BEST5

文春オンライン / 2021年9月5日 11時0分

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さとう珠緒さん

2021年上半期(1月~6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第4位は、こちら!(初公開日 2021年6月26日)。

*  *  *

 ゼロ年代、テレビを点ければ、そこにはいつもさとう珠緒の姿があった。ぶりっ子キャラでバラエティ番組を席巻した彼女は、今の“あざとい”ブームの先駆者と言えるかもしれない。だが、その代わりにさとうは――世間から嫌われた。

 20代前半、売れなければ芸能界を辞めるという背水の陣で臨んだオーディションで大役をもぎ取ったさとうは、『超力戦隊オーレンジャー』の現場でものづくりの熱さと面白さを知った。だが、そこから進出したバラエティ番組の世界では、全く別の壁にぶつかることになる。今年で48歳になったさとう珠緒に、“あの頃”の舞台裏を聞いた。(全2回の2回目/ 前編から続く )

(文中敬称略)

グラビアも競馬番組も「運が良かった」

『超力戦隊オーレンジャー』は、着実に次の仕事へ繋がっていった。番組を子どもと見ていた他局のプロデューサーから声がかかり、競馬番組のアシスタントにもキャスティングされた。船橋で厩務員をしていた祖父のもとで、幼い頃は馬と遊んでいたさとうにとって、願ってもないオファーだった。

「それはたまたまなんですけど、すごくうれしかったです。前のアシスタントが吉野公佳さんで、私も『オーレンジャー』のあとにグラビアをちょっとやっていたので、 “グラビア流れ”みたいなもので呼ばれました」

 競馬好きの中高年男性が見る番組ということで、競馬評論家のアシスタントにはグラビアアイドル、というのがテレビ文法として自然だった時代である。「当時はグラビアアイドルの低迷期だったようで、人数が少なかったから、私でも出られたみたいです。その後、またグラビアアイドルが大流行して競争が激しくなったんですけど、私はすごく運が良かったんですよね。グラビアも、競馬番組も」

 さとうは、その頃の自らの立ち位置を「スキマ産業みたいだった」と分析する。「ちょっと時代がずれていたら、全然はまらなかったと思います。戦隊ものだって、今ではとても注目されていますが、当時はそれほどでもなかったと思います。今は『仮面ライダー』の俳優さんもすごい人たちが出てきて、売れる役者の登龍門みたいになっていますけど。競馬もローカル枠の番組でしたし、私としてはそんなに“売れた”という実感はなかったです。ちょっと反響を感じ始めたのは、『ミニスカポリス』からですね」

「基本、パンチラみたいな……」

『オーレンジャー』の放送が終了した数カ月後、さとうは、ミニスカートをはいた婦人警官姿のグラビアアイドルやセクシー女優たちが出演する、お色気バラエティ番組の初代キャストに選ばれた。

「『ミニスカポリス』の頃は電車通勤だったんですけど、ある日疲れて電車で座っていたら、横でおじさんたちが『今夜はミニスカポリスだから、帰って見ないとな』って話していたんですよ。それがメチャメチャうれしくて。ああ、誰かにちょっとでもそういうふうに思ってもらえたんだって、自分のやっていることが報われたと感じた瞬間だったんですよね。疲れたサラリーマンの人たちが、少しでもしんどい仕事を忘れられる時間になったら、と」

 番組の演出はテリー伊藤。90年代半ば、まだまだテレビが“なんでもあり”の空気を残している時代だった。

「番組自体は本当に、やっていてくだらないなと思ったんですけど(笑)。基本、パンチラみたいな。ローアングルでパンチラ狙うし、3人乗りの自転車にミニスカで乗せられたりとムチャクチャでした。現場のスタッフも、そのころですから、コンプライアンスも何もないような制作チームで。ほんとになんでこんな馬鹿なことをやらされているんだって思ってました(笑)」

 当時のことを呆れたように振り返るさとうの表情は、どこか楽しそうでもある。「でも、それが編集されて30分になると、くだらなさが突き抜けて気持ちいいぐらい面白くなってる。ある意味すごいんですよ(笑)」

 そんな現場でも一生懸命に頑張れたのは、この番組が誰かに届いているという実感があったからだろう。「テレビの向こう側で楽しみにしている人がいるんだと思って。寒いとか暑いとか、朝6時開始で翌朝3時とか4時までずっと働かされても、現場では文句だけは言わないようにしてました。現場の空気感は崩さないで頑張ろうと」

海外でのグラビア撮影

 20代後半になって、さとうは少しずつ、テレビの中で自分に求められるものが見えてきた。だが、それでも“売れた”という実感を得ることはまだまだできなかった。

「並行してグラビアをやっていたんですけど、当時はグラビアもお金があったのか、海外で撮ってもらったりしていたんです。でも、飛行機はずっとエコノミークラスで。エコノミーって窓から翼が見えるんですよね。ずっとその翼を見ながら、いつか私もビジネスクラスに乗りたいな、どうしたらそっちに行けるんだろうなって考えてました」

 その頃がスケジュール的にも一番ハードだったかもしれない、とさとうは語る。「移動が大変で、睡眠時間もないし……。でも、ようやくビジネスに乗せてもらったときに、ちょっと出世したのかなって思って(笑)。ただ、これで安泰だという気持ちには、なかなかなれなかったです」

 時は90年代末。迫りくる30歳の節目を前に何を思っていたのかと尋ねると、「27、8とかから、やっぱり普通だったら女の人は結婚とか、生き方の幅を考えるときなのかもしれないんですけど、私は何も考えてなかったんですよ、ほんとに(笑)」。

「何のためにギャラを払っていると思っているんだ」

 自らの人生について落ち着いて考える余裕もないほどに、当時のさとうは忙しかった。「バラエティのレギュラーが増えていた頃で、雛壇での感想トークとか、ほんと面白いことが何も言えないみたいな感じでした。それである日、APの女性にメチャメチャ説教されたんです。何のためにギャラをあんたに払っていると思っているんだ、笑い屋じゃないんだからって、ガンガン怒られて」

 その出来事は「ちょっとトラウマになっちゃってます」とさとうは語る。「自分でもわかっているんです。ほんとに私センスないなとか、うまい返しもできないなとか。それは今もなんですけど。そこから変に頑張りすぎて空回りして、反省してお酒を飲むみたいな毎日で。バラエティはほんと難しいなって、ずっと……」

 現場では、プロの勢いと力に圧倒された。「やっぱり芸人さんはすごいから、ウワーッと喋るその陰で、私は毎週ひと言もしゃべれなくて。すごく覚えているんですよね。今日も発しなかった、今日も発しなかったって」

 実力不足を痛感する日々のなかで、数少ないチャンスが巡ってくることもあった。「ロケ担当のときだけ、今日はこんなプレゼンやりますとかってしゃべれるんです。でも、アシスタントみたいな形でしか同行させてもらえなかったので、自分の思うようにまとめることができなくて…… いまだに、あんなことあったなとか、ふと思い出します(笑)」

 女性タレントに求められるポジションも、番組アシスタント程度が多い時代だった。「女芸人さんも今みたいにたくさんいなかったですし、現場も今みたいに女性がいっぱいいるわけではなかったですね。男性ばっかりで、カメアシさんをカメラマンさんが蹴ってるとか、そういうのもあったなって。今じゃ考えられないですけどね。3日ぐらい寝てないADさんとか、いた気がします」

ぶりっ子キャラで大ブレイク!

 そんな世界で、さとうはただ真面目に、求められることに応えようとしていた。テレビ的に面白くなければ、バラエティに呼ばれた意味がない。日々悩み、試行錯誤していく中で、遂にひとつの武器を見つけることになる。それが、ぶりっ子キャラだった。やがて、“プンプン”と頭の上に両拳をのせて怒ってみせる仕草がトレードマークとなった。さとうは、そんな自身のブレイクをどのように感じていたのか。

「ボヤーッとしていて、あんまり考えてなかったですよ。考えていたら、今こんな風になっていない気がするんです。でも、番組を観ている人に喜んでもらいたいなと、私なりにいつも頑張っていたと思います」

 だが、現場では“テレビのお約束”に戸惑うこともあったという。「打ち合わせでディレクターに『今日もぶりっ子全開でお願いします』とか、いろいろ注文されて、カンペでも“ここでプンプン”っていっぱい出されたり。でも、そんなに今プンプンするところじゃないよな、とか……。いいツッコミがないとその場がシーンってなるし」

 それでは、あの“ぶりっ子”はテレビ用のキャラだったのか。「どうなんですかね……。なんか自分のことってほんとに全然わからなくて。もともとぶりっ子なのかもしれないし、ちょっとよくわからないですね。プンプンというのも自然にやっていたと思ってたら、初舞台のときにお世話になった福島三郎さんという演出家さんから『俺が舞台のときに考えてあげたやつだよ』って言われて、そうだった、と思い出しました」

「女が嫌いな女」ランキングで2連覇

 最も忙しい時期には、さとうは生放送を週に4日連続、その間に数多くの収録をこなすという、多忙な生活を送っていた。だが、それと同時に、彼女の“ぶりっ子”キャラに対して、女性視聴者を中心に「媚びている」とのバッシングが起こり、女性誌などが「アンチ珠緒」特集を組み始めた。

「女の敵は女である」として「週刊文春」で2004年に始まった「女が嫌いな女」ランキングでは、さとう珠緒は初年と翌2005年にダントツ1位を獲得し、“2連覇”を達成した。世代別集計でも全ての世代で1位に輝いたことは、今も語り草になっている。当時の誌面を見ると、「男の前で媚びるような態度が不愉快」「あまりにもかわいこぶっている」などと、辛辣なコメントが並んでいる。

 ただ、その話題を出しても、さとうは特に表情を変えることもなく、少し不思議そうな声色で答えてくれた。「皆さん、ほんとに怒っていたんですかね? でも、それだけテレビ露出が多かった裏返しかもしれないから、まあいいかなって。出させてもらった反面、そうですよね。いまとなっては人に興味をもっていただけるのは本当にありがたかったなと思います」

「5年ぐらいはランクインし続けたかったです」

 2年連続で1位になったことも、さとうらしい受け止め方をしている。「2004年という、17年も前の話を、こうして今でも訊かれるのが面白いですよね。こんなにずっと訊かれるんだったら、5年ぐらいはランクインし続けたかったです。それに、私のレギュラーは関東ローカルの番組が多かったんですが、『女が嫌いな女』で全国的に知られた部分もあって。どこか地方に行っても、『さとう珠緒だ!』って言われるようになったのはそのおかげだったりするんです」

 それでも、テレビに出ることで人に嫌われるのは、ストレスではなかったのだろうか。「いや、全然そんなことは。なんやかんや楽しかったですし。でも、そのときにけっこう広告出演がなくなって、事務所は苦労していましたね。まあ、タレントは使われる身、受注産業ですから」

 その頃、さとうの活躍が大いに評価されていた番組の一つに、タレントがお題通りの料理を作って出来を競うというものがあった。さとうはその中で、“料理下手”として毎回独特の絵を作っていたように思う。

「あれは、わざとまずくさせようみたいなトリックがいっぱいあるんですよ。塩の隣に重曹を置いて、それを何だかわからないようにしてあったりとか。でも、まずい料理を作ったときに、女性アナウンサーさんが眉間にすごいシワを寄せるのが楽しくて(笑)。だからあれ、バラエティとしてはまずく作ってもいいし、うまく作ってもいいんです。

 困るのは、そんなにまずくもなく、微妙においしくできちゃったときで。後ろのほうで『えっ? オイオイオイ、どっちかにしろよ』みたいな、スタッフからの空気を感じるんです。そこで、そっか、試食の人がリアクションを取りづらいのはダメなんだなと思いました」

 とはいえ、ここでもさとうは、必ずしもテレビ的演出に乗っかって演技をしていたわけではないと語る。「だけど、私も実はそんなにまずく作ろうとはしていなくて。まずいときは、自分でも『おおー! こんなまずく作れたんだ』みたいな(笑)。あの番組、すごくいい番組で、面白かったです」

今の“あざとい”ブームをどう見てる?

 そんなさとうが築いた「ぶりっ子枠」は、今や激戦区になっている。彼女がバラエティで活躍していた頃、嫌われキャラとほぼ同義だった「ぶりっ子」という言葉は、現在は「あざとい」という表現に変わり、必ずしもネガティブな意味合いだけではなくなってきている。むしろ、「あざとかわいい」などと言われ、同性から支持される女性タレントも増えてきた。そんな令和の“あざとい”ブームを、さとうはどんな目で見つめているのか。

「田中みな実さんとか、もう私とは全然違うジャンルですよ。絶え間ない努力が見えて、すごく頑張っていて偉いなあと。知的にも感じるし、私とは真逆で、田中博士(はかせ)って呼びたいくらいです(笑)。私のときはもっと、アイドルっぽい感じの“ぶりっ子”がいっぱいいたんですよね。でも、今はそういうのではなくて、ビューティー系の大人かわいい女子みたいな」

 

「私も私に問いたいですよ。おかしいな」

 かつての“ぶりっ子”ブームと現在の“あざとい”ブームの違いをさらに挙げるなら、タレントが自己発信できるツールがあったかどうか、というところも大きなポイントかもしれない。

「YouTubeとかSNSがあるから、今のほうがすごくいい時代ですよね。いろいろな発信方法があるから、自己プロデュースもしやすいかな。やっぱり芸能界の一線で活躍している人って、自己プロデュース能力の高い方が多い気がします。……事務所も大手から独立して、フリーになって活躍する人も増えてきているし、ここから少しずつ芸能界って、昔よりいい時代が来るんじゃないかなと、なんとなく感じてます」

 そう分析するさとうだが、自分自身のこととなると、なぜか客観的に見られなくなるという。再来年には50歳になるさとうに、これまで「50歳の自分」をどうイメージしていたのか尋ねてみると「私も私に問いたいですよ。こんなはずではなかったような気がするんですけど……。おかしいな。ほんとボンヤリ生きてるとこうなるぞ、と女子たちに注意してあげたいです。気をつけないと、こうなっちゃうから(笑)」。

50歳を前に、次なる目標は……

「またぶりっ子ブームがくるといいな」と笑いながらも、「でも、50代でプンプンなんて、キツいですよね」と自らツッコミを入れる。

「この年になっても、自分が思っているほど成長もしていなければ、止まったままで。それなのに、もう半世紀が過ぎてるなんて。江戸時代だったら死んでいるぐらいなのに、何やってんのかなって思ったりします。でも、同郷の伊能忠敬さんは私ぐらいの年齢から地図を作ったから、今からでも遅くないと思いたいです(笑)。何か自分でも腑に落ちるような、人のためになるようなお仕事ができたらと漠然と思っていまして。早くそれが見つかると嬉しいです」

 ある意味でさとうは、“普通”すぎるのかもしれない。誰かに求められたらそれに応えたい、仕事を通して自分の居場所を見つけたい。周りの空気を察して動くことはできるけど、自分のことだけはわかるようでわからない――。そんなさとうが、バラエティ番組から強烈に求められ、そして世間から嫌われた時期があった。

「あの頃、テレビに出たら出たで、求められたものをやらなきゃいけない、ということもなかったのかもしれないです。言われたことを私が勝手に解釈して、『よし、頑張ろう』と空回りしたのかな。私、ほんとに頭が悪いんですよね……」

 違う。もし本当に頭が悪かったら、あれほどの数のバラエティ番組をテレビが期待した通りにこなし、時代に求められたわけがない。なのに「頭が悪いんです」と繰り返す不思議な謙虚さも、本当に彼女らしい。50歳という節目を前に、今も自分のできる“何か”を模索し続けるさとうは、「なんとか頑張って、もう1回嫌われますかね」と笑って、あの頃と同じように潤んだ瞳で私たちを見つめた。

撮影=橋本篤/文藝春秋

(河崎 環)

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