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「初対面は全裸だった」「赤井の両親から毎日出て行けと手紙が…」赤井英和夫妻が語った結婚に至るまでの壮絶すぎる道のり

文春オンライン / 2021年8月29日 11時0分

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©深野未季/文藝春秋

 プロボクサー赤井英和が「浪速のロッキー」の異名で大活躍を見せたのは、はや40年近くも前のことである。その少し強面なイメージと相反し、近年ではちょっととぼけたおじさんキャラとして、若い世代からの支持が急拡大している。

 その火付け役となったのが、佳子夫人のツイッターだ。開始から1年にしてフォロワー数は20万人に迫ろうとしている。赤井家の実態を探るべく、夫妻同伴でのインタビューを試みた。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

泥酔中の赤井英和とご対面

――Twitterの反響が止まりませんね。これまでとは違うかたちで夫妻にスポットがあたっている印象ですが、あらためてお2人の馴れ初めをお聞きしてもいいですか。

赤井 彼女と出会ったのは、私が『東京エレベーターガール』(1992年、TBS系)という、宮沢りえさん主演のドラマに出演していた時ですね。当時は大阪在住だったので、撮影中は都内でホテル暮らしをしていました。しかし、急な雨で撮影が中止になったりすると、暇でしゃあないんです。そこで、田中さんという友達に電話をして、「今日、暇やねん。酒でも飲もうや」と言ったんです。その田中さんが連れてきたのが、彼女ですよ。

佳子 私はその田中さんの友人で、「赤井英和が東京に来てるから一緒に飲もう」と誘われました。正直、あまりテレビを見ないので、赤井英和というのが誰なのかわかっていなかったのですが、田中さんの友人という安心感もあって、付いていったんです。

赤井 ところが、なかなか来えへんのですよ。待っている間に、冷蔵庫のお酒も全部飲んでしもて、しまいには待ちくたびれて寝てしまいました。

佳子 田中さんは赤井のことをよく知っているので、「あいつ、酒飲んでまた寝とんな」と察したようでしたが、私からすると人を呼んでおいて寝てしまうなんて考えられず、「そんなわけないでしょ」と。でも、まったく出てくる様子がないので、ホテルの方に「今日会う約束をしてたんだけど、部屋から出てこない。倒れているかもしれないから開けてほしい」と言って、どうにか会えたのが初対面ですよ。

――つまり、第一印象はあまり良くなかったんですね(笑)。

佳子 真っ暗な部屋の奥から、ぐっしゃぐしゃの頭で、ほとんど全裸に近い状態で起き出してきて、「誰?」って(笑)。誰も何も、呼んだのはそっちでしょと思いました。

――え、全裸というのは……?

赤井 寝ているあいだに、浴衣がほとんど脱げて紐だけになってしもてて……。パンツも履いてなかったので、丸出しでした。てっきり田中さんが1人で来るもんやと思っていたので、何事かと思いましたね。しかも、飲みすぎたせいなのか、体中あちこちに赤い斑点みたいなのが浮き出ていて、「うわっ」と思ったのを覚えています。

うわごとのように「東スポ、東スポ……」

――そんな出会いから、よく恋愛に発展しましたね。

佳子 本当ですよね。よほど眠かったのか、ずっと帰ってほしそうにしていましたから、自分から人を呼んでおいてなんて奴だと思いました。

 おまけにずっと、「田中さん、東スポ買ってきてくれた?」、「東スポはどこ?」、「東スポ……」と、終始うわごとのように東スポ東スポ言ってました。田中さんが、「ごめん、忘れた」と言うと、あからさまにガッカリした雰囲気になったので、眠そうだし帰ろうかと、わりとすぐに退散したんですよ。

――その日の東スポに、何か重要なニュースが載っていたんですか?

赤井 いや、ただ単にエッチな記事が読みたかっただけ(笑)。

――……ええと、お2人はどうして付き合うことになったんですか?

佳子 私の一目惚れなんですよ。

――え!

佳子 びっくりしますよね。そんな状態で出会ったのに、「うわ、この人どうしたんだろう」という気持ちから、「何者なんだろう」、「でも、なんかかっこいいな」と。妙に惹かれてしまったんです。

 その日、赤井の部屋を出てロビーまで降りていったら、フロント脇のベル・キャプテンの方が、「○号室の赤井様から『東スポはないか』とかかってきたけど、館内にはないからどうにかしよう」と話しているのが聞こえてきました。これは彼にとってよほど重要な記事が載っているんだろうと、あちこち探し回ったんです。

赤井 それで夜中のうちに部屋に届けておいてくれて。

佳子 まさかエッチな記事が目的だなんて思ってもいなかったので。そして自分の家の電話番号をメモに添えて、扉のところに置いて帰ったんですよ。すると翌日、「あんた誰?」って電話がかかってきました。

――赤井さんは佳子さんのことをまったく覚えていなかったと(笑)。

佳子 そう。だから「昨日、田中さんと一緒にお邪魔した者ですけど」と言ったら、「ああ、ありがとう」と。その時はそれでおしまいですよ。

交際後に知った赤井英和の素性

――聞けば聞くほど不思議なご縁ですが、再会のきっかけは何だったのでしょうか。

佳子 赤井は撮影の合間に暇な時間ができると、東京にいる知り合いに片っ端から電話をするんです。そのリストに、私の番号も入ったんですよ。私はその時点でもう彼のことを好きになってしまっているので、いつ電話がかかってきてもいいように備えていましたけどね。

――ちなみに当時の佳子さんのご職業は?

佳子 ピアノの講師をやっていました。だから、いつ赤井から誘いがあってもいいように、念のため何日分かの着替えを持ち歩くようにしていたんですよ。そうこうしているうちに、なし崩し的に一緒にいるようになりました。

――赤井英和という人物について知ったのは?

佳子 出会って2カ月くらい経ってからだったと思います。部屋に台本が転がっていたのをたまたま見て、「お芝居をやっている人なのかな」と、なんとなく想像した程度でしたけど。

――すると当然、ボクサーだったことも……。

佳子 まったく知らなかったです。ボクシングを見たこともなかったですし。彼の本を読んだり、主演デビュー作の映画『どついたるねん』を見たりしたのも、すべて結婚してからのことです。

――結婚に至るまでに、どのくらいの交際期間があったのしょうか。

佳子 1年経たないくらいですね。とくに「結婚しよう」と言われたわけではないんですよ。私がある日、彼が当時暮らしていた大阪の実家に乗り込んだんです。

――いわゆる押しかけ女房ですね。

佳子 お父さんお母さんから、毎日のように「出ていってくれ」と言われていましたけどね(笑)。いま思えば、当然ですよ。彼は仕事でほとんど大阪にいないのに、突然やって来た見ず知らずの私だけがなぜか家にいるんですから。

ピアノ持参で大阪・飛田新地の赤井家へ!

――結婚に至ったきっかけは、佳子さんが大阪・飛田の赤井家に押しかけたことだったそうですが、プロポーズの言葉は?

佳子 ないです。そもそも結婚したいと思って押しかけたわけじゃなくて、単に彼のそばにいたいから行っただけなので。

赤井 ピアノを持って佳子ちゃんがうちに越してきたんですよ。

「出ていってください」と手紙が…

――佳子さんはそれ以前から赤井さんのご実家に出入りされていたんですか?

佳子 一度だけ、夏休みに連れて行ってもらった際に、彼がご両親に「今日、彼女を家に泊めるけどええか?」と聞いたら、お父さんから「あんたの親は大阪に来てることは知ってるんか?」と言われて。「いえ、言ってないです」と答えたら、「そんなお嬢さんを勝手に泊めるわけにいけへんから、だったら2人でどこかよそに泊まってくれ」と言われてしまいました。その1回だけですね。

――お父さんはわりときっちりされている方なんですね。

佳子 そうですね。でも、その次にはもう「どうぞよろしくお願いします」と、いきなり荷物を持って押しかけていますから、すごく困った顔をしていらっしゃいました。私としてはてっきり喜んでくれると思ったのですが……。

――まあ、普通は驚きますよね(笑)。

佳子 なんでそんな行動に出たかというと、彼が以前、仲間内で結婚していたときの話を何気なくしていたのを耳にしたことがあり、そこで「この人は離婚歴があるんだ」と初めて知ったんですね。その際、「でも親とは一緒に住まれへんかったんや」と寂しそうに語っているのを聞いて、きっと実家のご両親は同居を望んでいるんだろうなと思ったんです。

 でも、それはあくまで、結婚した息子夫婦と2世帯で暮らせたらいいなという話であって、結婚前に私だけ飛び込んでも意味はないわけです。なにしろ、いざ押しかけたはいいものの、肝心の赤井がほとんど大阪にいませんでしたからね。

――それでも赤井家のご両親と暮らしていた、と。

佳子 彼は大阪での仕事なんてほとんどなくて、ドラマやバラエティの収録でほとんど東京にいましたから。おかげで父、母、赤の他人の私で生活を共にするという、よくわからない感じになってしまって(笑)。

赤井 週に2日ぐらいは大阪に帰っとったんですけどね。でも実家にたどりつく前に、地元の仲間たちとわーっと酒を飲んで遊び歩いているうちに時間が経ってもうて、実家に寄れないまま東京へ逆戻りですわ。

――だったら佳子さんも東京にいたほうがよかったのでは(笑)。

佳子 本当ですよ。でもピアノとか持って来ちゃっているので、また東京に戻るのも一苦労ですからね。赤井もそのうち戻ってくるだろうと、わりとのんびり構えていました。もっとも、ご両親はピアノの扱いに困っていましたし、何より毎朝、目を覚ますと「出ていってください」と書いた手紙が枕元に置いてありましたから、本当に手を焼いていたのだと思います。

――それはかなり居心地悪い状況に思えるんですが……。

佳子 いまにして思えばそうなんですが、当時の私は「またまた~」と受け流してたんです。ただ、決して楽しい雰囲気ではなかったはずなんですけど、そうして居座っている以上は「ご飯は食べなあかんやろう」と、私のお箸や湯呑みを買ってくれたりもして、なんだかんだ時間が経っていった感じでした。

――やはり無下にはできなかったんですね。

佳子 だから私もせめて、それまでまったく料理なんてしたことがなかったのに、自分なりに頑張って何か作って待っていたりしていました。毎回お父さんに、「これ何?」と聞かれるようなものしか作れませんでしたけど、何でもソースをばーっとかけて食べてくれてましたね。

すれ違い生活が結婚に至ったワケ

――そういう奇妙な同居生活はどのくらい続いたんですか。

佳子 1カ月くらい経ったところで、「あんた、本当にこれからどうするの?」、「そろそろちゃんとしないと」と、それまで以上に真剣に言われましたが、それでも私は出て行かなくて。そうこうしているうちに、お腹が大きくなってきたんです。

――なんと! ご懐妊ですか?

佳子 そう、子どもができていたんです。そこでお父さんが慌てて東京にいる赤井に電話して、「お前、結婚するんか?」と言うと、彼が「しようかな」と答えたので、結婚に向けて話が進み始めました。

 もっとも、地元にいる赤井のお仲間さんたちからは、「こいつはええ奴やけど、結婚だけはやめておいたほうがええで」と口々に言われましたけどね。これについてはお母さんも、「英和はええ子やけど、結婚相手には向いとらんよ」とずっと言ってました。

――それでも、結婚の意思は揺るがなかった。

佳子 そうですね。赤井が初婚のときの仲人さんにまで、「赤井君は勧めへんよ~」って言われましたけど。

――佳子さんのご両親も、あまりの急展開に驚かれたのでは?

佳子 それが……。私が急に大阪へ引っ越すなんて言い出したものだから、その時点で親は怒ってしまって、「そんな勝手なことばかりするんだったら、もううちの娘でも何でもない!」と、ほとんど絶縁状態だったんですよね。でも、孫も生まれるし、結婚となればさすがに黙っているわけにもいかず、事情をはなして許してもらいました。

赤井 でも、ちょうどそのタイミングで旅番組の仕事が入り、私が2ヶ月間アフリカへ行かねばならなくなったんですよ。

赤井さん不在のまま結婚式の準備が…

――すると、結婚式の準備も赤井さん不在のままだったんですね。

佳子 そうなんですよ。ただ、赤井の地元の仲間たちが結婚準備委員会というのを作ってくれて、みんなでワイワイやってましたけど。

 でも、その準備委員会に赤井は一度も参加していなくて、私の両親と彼が初めて対面したのは、もう結婚式の当日でした(笑)。その後、6人で食事会をやったんですが、ずっとギクシャクした雰囲気だったのを覚えています。両家どちらも、親の側からするととくに望んだわけではない結婚でしたから、仕方がないですけどね。

――日頃のツイッターを見ていても、赤井さんは本当に佳子さんのことが大好きなんだなというのがよく伝わってきますが、その気持ちは当時からですか?

赤井 そうです。

佳子 いや、そうじゃないと思いますよ。私に押し切られただけでしょう。そもそも、一度も「結婚しよう」って言われてないですから(笑)。ただ、これは私としては長所だと思っているのですが、赤井はもともとイエスかノーで物事を判断しないというか、あまり深く考えずに感覚だけで生きているんですよ。

――結婚といえば、人生の一大事であるはずですが、それでも赤井さんはマイペースだったと。

佳子 簡単に言えば、彼は自分のことを大事にしてくれる人のことが、すごく好きなんですよ。その意味では当時、まわりにいる誰よりも私が赤井のことを一番好きだったはずなので、理には適っているんですけど。

――ちなみに、青森のご両親とは結婚式を機に和解されたんですか?

佳子 結婚式の時点では、まだ許してもらったとは言い難い状態でした。それでも、3人目が生まれたあたりからは、やっぱり孫は可愛いようで、頻繁に会うようになりました。時間はかかってしまいましたけど、一緒にいられる機会が増えたのは本当に良かったですよ。

「ステージ上に突然水着姿の娘が」「目に涙を溜めながら『ボクシングがやりたい』と…」赤井英和が子供の活躍の裏でやらかした“とんでもない事件” へ続く

(友清 哲)

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