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「街が静かに、清々しくなった気持ちもあるけど…」 自衛官→理容師→ホスト→風俗店従業員の男性が語ったコロナ禍“ススキノのリアル”

文春オンライン / 2021年9月4日 18時0分

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人妻ヘルスの従業員を務める元自衛官・吉沢さん ©八木澤高明

「感染した男性も家族がいたら証言できない」 あのススキノ“おっぱいクラスター”はなぜ起こったのか?《コロナ禍のススキノはいま》 から続く

 昨年7月、新型コロナウイルスの猛威が日本中に知れ渡った頃のこと。日本の繁華街の中でも早々にクラスターが発生したのが、札幌・ススキノだった。現地では「キャバクラ」と呼称されるセクシーパブでの出来事だった。客ひとりを含む12人が感染し、そのほか多数の濃厚接触者にも感染の疑いがもたれるなど、大きな話題となった。

 先日閉幕した東京五輪では、マラソン競技も行われた札幌。その夜の街では、コロナ禍の1年間で何が起きていたのか。『 娼婦たちから見た日本 』(角川文庫)、『 青線 売春の記憶を刻む旅 』(集英社文庫)の著作で知られるノンフィクション作家・八木澤高明氏が現地を歩いた。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

◆◆◆

「出張の人がいなくなったことが一番影響が大きい」

 閑散とした通りを眺めながら、ススキノの風俗店従業員・吉沢さんは私の問いかけに、訥々と話し続けてくれた。

――風俗業界の状況はどうですか?

「やっぱり、かなり厳しいですよ。うちのビルに入っている店は、半分になっちゃいました。一番響いたのは出張の人がいなくなっちゃったことじゃないですか。ススキノには出張してくる人をカモにしている風俗店も少なくなかったんですよ。近くに風俗店ばっかりが入った風俗ビルがあるんですけど、そこのビルはまさによそから来た人をカモにするぼったくりの店が多くて有名だったんです。そのビルには40店舗ほどそんな店が入っていて、このコロナで、10店舗ぐらいになってしまいました」

――吉沢さんが働いているお店はどのような店なんですか?

「人妻ヘルスなんですけど、働いている女性は40代から50代です。本当に人妻の方もいますし、そうじゃない人もいます」

 コロナの流行でお店にはどのような影響が出ているのだろうか。

「まず女性が10人以上やめました。コロナ前は1日に平均してお客さんが100人ほど来てくださっていたのですが、今ではそんな日は1日もありません」

――そうなると女性の収入は影響が出ていますよね?

「勿論です。コロナ前は女性がお茶を挽いても、昨年の10月までは1日1万円は保証されていたんですけど、それがなくなりました。だいたい1日に25名の女性がお店に出て来ますが、ひとりはお茶を挽いてしまいますね。それで、辞める人が出てしまったんです。それでもコロナ前と売り上げが変わらない女性が2割ぐらいいますね。ちゃんとお客さんを持っている女性は強いです」

コロナ禍でススキノの風俗店従業員が受けた影響は…

――辞めた人のその後は?

「ソープに行ったり、デリヘルに行ったみたいですね。それでもお客さんがついていなかった人なので、風俗では厳しいのかなと思います。女性の家の家計を詳しく見ているわけではないですが、ほとんどの人が売り上げが減って大変なんですけど、うちの店は年齢層が高めなので、ご主人がいて昼のパート感覚で働いている方も少なくないんです。それなので、風俗だけで生きている女性よりは切羽詰まってないかもしれません」

 女性だけでなく、吉沢さんたち従業員たちはどのような影響を受けたのかも気になった。

「出勤が毎日ではなく、自宅待機が増えてしまいました。固定給はコロナ前と変わらず保証されているんですけど、ボーナスが、年2回満額出ていたんですけど、半分以下になってしまって、かなり減らされましたね。それでもまだ従業員は社員なので、女の子よりはましです」

――言いにくいかもしれませんが、給料はいくらですか?

「風俗の仕事が減った分、バイク屋でバイトをしたり、オークションで売ったりしているので、年収は600万ぐらいです。コロナ前とほぼ同じです」

――ご家族は?

「嫁と子供が3人います。嫁はススキノのキャバクラで働いていたんです。今では専業主婦をしています」

「千歳の陸上自衛隊で戦車に乗っていました」

 プライベートについても語ってくれたこともあり、吉沢さんが風俗業界に入るまでの人生についても興味が湧いた。

「高校を卒業してからは、まず自衛隊に入ったんですよ。兄貴も自衛官で、その生活ぶりを見ていて、安定しているなと思ったんです。千歳の陸上自衛隊で戦車に乗っていました」

 思わぬ経歴に驚いたが、どっしりと落ち着いた雰囲気というのは、自衛隊という時と場合によっては命を投げ出さないといけない環境にいたことによって培われたのかなと思った。

「九十式戦車に乗っていたんです。夏は暑くて、冬は寒いですから、内部にいるのは大変なんですけど、仕事ですからきついと思ったことはなかったですね」

――辞めた理由は?

「2年いたんですけど、ご存知かもしれないですけど、身なりにはうるさい場所なんです。自衛隊に入る前からタトゥーが入っていて、もちろんそんなのは禁止なので、ずっと隠していたんです。それを隠し続けていくのが面倒くさくなって辞めることにしたんです」

――その後はどうされたんですか?

「札幌に出て、理容店で働きはじめました。街を自由に歩いたり、飲みに行ったり、自衛隊の時には感じられなかった解放感は最高でした。200万円ぐらい貯めた頃に、友人がホストをやっていたので、自分もやってみることにしたんです。いろんな仕事をやってみたいなという思いが強かったですね」

ホスト時代に学んだのは「ススキノは人を信じられないところ」

 ホストの仕事では、人間の様々な面が見えたという。

「お客さんは昼職の女の子が多かったですね。2年ぐらいやったんですけど、ススキノっていう場所は人を信じられないところなんだと教えてもらいました。飲み代のツケが100万ぐらい溜まった女の子に4回か5回飛ばれてしまいました。すべて自分の借金になるので、そのたびに返していくんですけど。お金を返す辛さより、綺麗事を言っているように思われるかもしれませんが、人を信じられないほうが嫌でした。何度も飛ばれて、さすがに向いてないんだと思って、辞めたんです」

 それからは、バイク屋で働いたり、家の修理から引っ越しなど、何でもやる便利屋、ラーメン屋の経営もしたという。

「ラーメン屋さんは、函館から少し離れた田舎町でやっていたんです。自分で言うのもなんですが、けっこう繁盛していたんですけど、ラーメン食べながら、本読んだり、会計の時にお金を投げてくる人がいたり、そういう行為がどうしても許せなかったんです。我慢しなきゃいけないんですけど、それが理由で店をたたみました」

 ホスト時代、ラーメン店での客とのやり取りなど、吉沢さんの真っ直ぐな人間性が伝わってくる話だった。そのような性格の持ち主が、もっとも人間の生々しさが出る風俗店で働いているというのも何だか不思議な気持ちになってくる。

「お客さんと多くの時間を接するのは私ではなくて、女性ですからね。彼女たちとの関わり方というのが永遠のテーマなんじゃないかなと思っています。失言ひとつでモチベーションを下げてしまうこともありますし、その逆もあります。普段から丁寧にコミュニケーションを取るようにしています」

 様々な仕事を経験した吉沢さんが、この場所にいることが納得できる答えだった。風俗業界での仕事がこれまでで最長の10年であることがわかった気がした。

「でも、やっぱり寂しいですね」

 インタビューを終えると、吉沢さんは車にエンジンをかけた。

「ちょっとススキノを走ってみましょうか。うちの店が入っているビルとかを案内しますよ」

 吉沢さんの働いているお店の前で車が止まる。

 パネル式の看板には、空白が目立つ。ぼったくりの店が多かったというビルは輪をかけて白地だらけだった。

 ススキノの外れにあるラブホテル街に車が入った。通りの両側にはラブホテルが建ち並んでいた。

「この通りは、いつもならずらりと、デリヘルのバンなどが並んでいるんですけど、今は2台ぐらいしかないですね」

 私の取材の足しになればと、ススキノの今の様子を教えてくれていた。押し付けがましくない態度に心の中で頭を垂れた。

 ラブホテル街からススキノの中心部に戻ってきた。

「この交差点には、客引きがずらっと立っていて、喧嘩も絶えなかったんですよね。コロナが流行ってから喧嘩も見ていないです。街が静かになって、清々しくなったなという気持ちもあるんです」

 そう言って、しばし間を置いてから、

「でも、やっぱり寂しいですね」

 と、吉沢さんは呟いた。( #3 に続く)

「“パパ活”で月に600万円送ってくれた人もいました」 ススキノで体を売る“元銀行員”女性が明かした「働く理由」と「後悔」 へ続く

(八木澤 高明)

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