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大歓声が今も耳に残っている…“大井の帝王”的場文男騎手(64)が語る“騎手人生で一番印象深いレース”とは

文春オンライン / 2021年8月27日 17時0分

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ハシルショウグンに騎乗する的場文男騎手 ©文藝春秋

 64歳の現在も現役ジョッキーとして第一線で活躍を続ける“大井の帝王”的場文男騎手。地方競馬最高齢重賞勝利記録、地方競馬通算最多勝記録、JRA最年長騎乗記録など、数々の偉大な記録を打ち立て続ける男が語る「印象に残っているレース・馬」とは……。

 競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共著『 競馬伝説の名勝負 』(星海社)の一部を抜粋し、的場騎手の貴重な言葉を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

世界との差を痛感したジャパンC

「平成に入った頃のジャパンCといえば、外国馬の活躍がすごかったね。もちろん昭和にもカツラギエースやシンボリルドルフが勝っていたけど、カツラギエースが勝った時は正直まぐれだと思っていたしね…。そんな時代に、僕も何度かジャパンCに挑戦したんだよ」

 大井の帝王として親しまれる鉄人・的場文男騎手(64歳)は、当時の外国馬VS日本馬の関係性をそう振り返る。的場騎手のジャパンC挑戦は、1987年ガルダン(13着)、90年ジョージモナーク(15着)、93年ハシルショウグン(16着)の3回。そのうち最初の2回は外国馬によるワンツー、93年こそレガシーワールドが意地を見せたものの、2着はやはり外国馬だった。

「パドックだと日本馬の方がよく見えていたんだよね。むしろ外国馬を見て『こんな馬には負けられない!』って思ったほど。でも競馬が始まると、めちゃくちゃ強い。搭載されているエンジンが違ったんだろうな…。それは血統の差なんだと思った。まだ当時は日本競馬の血統レベルもそれほどではなかったからね。世界との差を痛感したジャパンCだった」

中央の強豪を撃破しての帝王賞制覇

 的場騎手のジャパンC挑戦は、3度とも中央重賞であるオールカマーで2着と好走してからのもの。そうした実力ある馬に騎乗していただけに、その衝撃は大きかったのだろう。確かに、1度目の挑戦の際、勝ち馬ルグロリューの馬体重は410キロ、2度目の挑戦でも2着馬オードは432キロと、小柄な馬も少なくなかった。

 そうしたパートナーでも、ハシルショウグンは93年の帝王賞を勝利しているほどの名馬。91年のJRA賞最優秀ダートホースに選出されたナリタハヤブサをはじめ、カリブソング、ダイカツジョンヌといった中央の強豪を撃破しての帝王賞制覇だった。

「ハシルショウグンは新馬戦の時から、重賞を勝てるなと感じた素質馬だった。強さを確信したのは、2600m戦の東京王冠賞。大逃げしていた馬がいたんだけど、あえて捕まえにいかずに『行かせておけ』と、馬の力を信じて騎乗したんだよ。直線ですぐに捉えると、そのまま完勝。タイムも優秀、楽々だった。しかし僕が怪我してしまったばかりに東京大賞典は乗り替わりでね、それが悔やまれる。でも帝王賞で中央馬を撃破できたのは嬉しかったね」

『勝ったな!』と思ったのに、内からビュッといかれて…

 また、90年ジャパンCでコンビを組んだジョージモナークは、ミルジョージ産駒であり、引退後には種牡馬として中央勝ち馬も複数輩出した素質馬。的場騎手にとって、悔しい思い出として残るのが、オールカマーだ。

「ジョージモナークで2着だったあのレースは、道中上手く逃げられて、正直『勝ったな!』と思った。なのに、内からビュッといかれて…。あの当時はオールカマーくらいしか地方馬が中央に乗り込む機会がなかったし、悔しかった。それだけ、オールカマーは特別なレースだったね。でも、当時の方が中央馬と地方馬のレベル差は少なかったんじゃないかな。南関出身馬からも、ホスピタリテイやトロットサンダーなどが中央に移籍して頑張ってくれたし、ロッキータイガーはジャパンCで2着(85年)だからね」

 そんな的場騎手が目の前で見た「強い馬」として印象に残った1頭が、オグリキャップだ。的場騎手とオグリキャップが対決したのは90年のジャパンC。当時のオグリキャップといえば、引退を間近に控えながらも調子を落とし連敗していた時期だった。宝塚記念で2着、天皇賞・秋で6着と敗れると、そのジャパンCでは11着と大敗。しかし引退レースである有馬記念では復活の大勝利を遂げた。そんなオグリキャップの復活を、的場騎手は予見していたという。

有馬記念では勝つと思って見ていた

「確かにあのレースでオグリキャップは負けたけど、3~4コーナーで交わされた時のスピード感は素晴らしかった。こっちはスッと抜かれたからね…。『この馬強いな! すごいな! 相当なものだぞ』って思った。外国馬も強かった時代だったし、あの着順は気にならなかったな。だから、有馬記念では勝つと思って見ていたよ」

 的場騎手は、南関が生み出したアイドル・ハイセイコーについて「向こうはデビューが72年、僕は73年。向こうの方がひとつ先輩なんだよ」と笑う。

「ハイセイコーは見習いの時に見ていたけど、あの時代にあの馬格だからね。遠目にもわかる、別格の馬だった。格好良くてね、これは絶対走るな…という感じだったよ。あとは強くてインパクトに残っているのは、中央だとマルゼンスキーやテスコガビー。あとはサイレンススズカだね」

1日で15頭以上を調教

 騎手を目指すきっかけとなったひとつは、中学生の頃に見たダービー。皐月賞馬ヒカルイマイの衝撃の末脚を見て、騎手という職業に憧れたのだという。

「僕らが騎手になった時代は忙しい時代でね…今と違って人手が足りていなかった。調教は騎手がやらなくてはならず、1日で15頭以上を調教していたね。朝の3時~8時くらいまで、ずっと乗りっぱなし。騎手が乗らないと厩務員さんのお仕事も終わらないわけで、厩務員さん同士の喧嘩もあるくらい混み合っていたから…。今はちゃんと決められたスケジュールに従って、5頭くらい乗れば終わりだから、随分と楽になったよ」

 的場騎手は大井の帝王という愛称に違わず、大井競馬リーディングをこれまでに21回(83年、85年~2004年)獲得している名手。しかし地方競馬全国リーディングを初めて獲得したのは、02年のこと。これにも、地方競馬界の変革が影響を及ぼしている。

一番印象に残っているレースは、97年の帝王賞

「調教があまりにも大変なのもあって、疲れてしまってね…。調教が終わる頃には『もうレースはいいや…』ってなってしまう。だから、大井以外までわざわざ乗りに行けなかったんだよね。徐々に調教を担当する人が増えて、他場でも乗る余裕ができて、ようやく全国でリーディングがとれるようになった。それまでずっとリーディングは2位だったからね。特に、最初にとった年は印象的だったな。6月まで大幅なリードをとっていたのに、途中で怪我しちゃって。結局は最終日までもつれ込んでしまってね…それでも獲得できた時は嬉しかったなぁ」

 的場騎手が一番印象に残っているレースは、97年の帝王賞。コンサートボーイとのコンビで、アブクマポーロ・石崎隆之騎手、バトルライン・武豊騎手との叩き合いを制した。その時の大歓声が、今も耳に残っている。

「すごい声援でね。あの当時は新聞を投げる人とかも普通にいたからね…。でも、コロナ禍の無観客競馬でわかったけど、やはり観客の皆さまがいないと寂しい。改めてファンの力を痛感したよ。これからも気持ちを新たに、競馬や日本を盛り上げていきたいね!」

 そう語る名手の眼差しは、未来を見据えて輝いていた。

(聞き手・緒方きしん)

【続きを読む】 「距離ロスをしても勝てる自信があった」“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンに南井騎手が抱いた“生々しい感覚”

「距離ロスをしても勝てる自信があった」“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンに南井騎手が抱いた“生々しい感覚” へ続く

(小川 隆行,ウマフリ)

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