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天皇陛下は「複雑な表情をなさっていた」 菅首相「コロナに打ち勝った証のオリンピック開催」への“違和感”

文春オンライン / 2021年8月31日 6時0分

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天皇陛下は東京オリンピック・パラリンピックの開会式に出席し、名誉総裁として開会宣言された ©JMPA

 天皇陛下は、お小さい頃から夏季と冬季のオリンピックを観戦なさることがお好きだった。

 前回、東京オリンピックが開催されたのは、高度経済成長の真っただ中にあった1964(昭和39)年。陛下は満4歳になられた年だった。上皇上皇后両陛下とご一緒にマラソンや馬術競技を会場で観戦されたことを今も大切な思い出のひとつとされている。

 還暦を迎えられた昨年2月の会見でも、こう述べられた。

「これまでの60年を振り返ってみますと、幼少時の記憶として、昭和39年の東京オリンピックや昭和45年の大阪万国博覧会があります。私にとって、東京オリンピックは初めての世界との出会いであり、大阪万博は世界との初めての触れ合いの場であったと感じております」

「天皇」と五輪の「名誉総裁」

 閉会式の際には、父上皇陛下から、各国の選手団が国ごとではなく混ざり合って仲良く行進することを教えられたことを印象深く記憶されているという。そのとき目にされた光景は、世界の平和を切に願う現在の気持ちの元となっているそうだ。

 その後、札幌の冬季大会(1972年)やバルセロナ五輪(1992年)の時は現地に赴かれた。雅子皇后と結婚されてからは、皇太子ご夫妻として長野の冬季大会でスケートやジャンプ競技をご覧になり、日本選手のメダル獲得の場面にも立ち会われている。愛子内親王も幼い頃からテレビ観戦されてきたという。

 しかし、今回の東京五輪は、新型コロナウイルスとの闘いになってしまった。7月23日、緊急事態宣言下で開会式に臨まれたが、そのとき陛下が強く願われていたのは、これまでのように競技を楽しむことではなく、競技場や選手村などで感染拡大が起らないことだった。隔離免除の特例入国や選手村の感染対策などに関しても、開催前から並々ならぬ関心をもたれていたという。

「天皇」と五輪の「名誉総裁」という2つのお立場は、国民には想像すらできない重責なのだろう。

「開会式当日に、選手たちに義務付けられていた毎日のPCR検査が、キット不足から行われていないことが発覚しましたが、このことは、開会式に臨む直前の陛下にも伝えられたといいます。陛下は、選手村に感染者が増えていないかとご心配され、キットが不足した理由を関係者にご確認されていました。主役の選手たちがこれまで積み上げてきた力を出し切れるよう最善の環境作りをすることは、私たち開催国の務めなのだということを改めて気づかされた気がします」(政府関係者)

入念に準備された長官発言

 天皇陛下と東京五輪に関しては、6月24日の西村泰彦宮内庁長官の「拝察発言」が物議を醸した。

「天皇陛下は、現下の新型コロナウイルスの感染状況を大変心配されておられます。国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察しています。私としましては、陛下が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックで感染が拡大するような事態にならないよう、組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい、そのように考えています」

 この発言のあった時点で開催は確実視されていたが、観客問題はまだ片付いていなかった。そのため拝察発言は「陛下のご懸念」として瞬く間に永田町やマスコミに伝わり、大きな波紋へと広がった。

 天皇陛下は本当に懸念されているのか? 長官の個人的な発言ではないのか? 天皇が了解の上での長官発言なのか? 「開催」まで踏み込んだのは政治的発言ではないか?

 西村長官の発言は定例会見でのことだった。そのため宮内記者からは「陛下のお考えなのか」と確認する質問が飛んだが、長官は「陛下から直接そういうお言葉を聞いたことはありません」と繰り返し、「拝察したものに過ぎない」「私が肌感覚でそう感じているようなもの」と説明した。

 菅義偉首相も加藤勝信官房長官も、「宮内庁長官自身の考えを述べられたと承知している」と語った。

 だが、この発言はもちろん長官の個人的な思いを語ったものではなかった。宮内庁内で入念に準備されたものだという。

「あの頃、宮内庁が発表すべきことは3つありました。陛下の開会式ご臨席の件、皇后陛下の開会式ご出欠の件、そして今回の長官発言につながった陛下の東京五輪開催に対するお考えの3つです。これをどのような順番でいつ発表していくか、6月に入ってから陛下と長官の間で議論が重ねられました。五輪開催に反対する国民の声も大きい中で、陛下としては、ご自身のお気持ちを何らかの形で国民に伝えたいと思っておられたのです」(政府関係者)

ご懸念の始まりは3月から

 陛下も軽々に判断されたわけではなかったという。この発言にいたるまでには、6月よりもっと前からの長い前段があったようだ。

 世間では、菅政権への「後手後手」批判が昨秋来続いているが、天皇陛下が日本のコロナ対策に危機感を抱いていることが周囲に伝わったのは、今年3月下旬のことだったという。

 3月21日、首都圏の1都3県では、およそ2カ月半にわたった2回目の緊急事態宣言が解除された。3月20日の東京都の新規感染者数は342人。解除前から夜間の滞留人口は増え続けていたことから、リバウンドが大きくなることは想定内だといわれた。

 その頃、両陛下はニュースの中で、街の様子を真剣にご覧になっていたという。政府が飲食店の営業時間短縮要請を緩和したこともあり、夜まで外出する若い人たちは多かった。映像には、春休みに入った学生らで溢れ返る街の様子が映し出されていたという。

 陛下は、オリンピックが本当に有観客で行えるのかをご心配されていたようだ。

「この時点(3月)で、オリンピック開催までに、3回目の緊急事態宣言を出さざるを得なくなるのではないかとか、宣言下でのオリンピック開催の可能性もあるかもしれないとおっしゃっていたそうです。宮内庁長官や関係者らに政府の対応や動きを頻繁に確認なさっていました」(政府関係者)

 ちょうど観客の扱いについての議論が始まったころだった。3月20日には、日本政府、東京都、組織委員会、IOC、IPCによる5者協議が開かれ、海外観客の受け入れ断念が決定。だが、国内観客の方向性については先送りされていた。

4月の内奏での違和感

 4月20日午前10時30分、陛下は皇居・宮殿「鳳凰の間」で、菅首相から約20分の「内奏」を受けられた。国内外の情勢を報告する内奏の内容は、「天皇の政治利用につながる」ことから公表されない。

 2人は、鳳凰の間に2脚だけ置かれた椅子に腰かけ、小さな丸いテーブルを挟みながら言葉を交わされた。

「菅総理は、この日午後の衆院本会議に出席し、東京五輪・パラリンピック開催について『人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として実現する決意に何ら変わりはない』と述べています」(政治部記者)

 そんな強気の発言とはうらはらに、実際の感染状況は日増しに厳しくなるばかりだった。4月に入って第4波が本格化し、新規感染者数が一気に増加。中旬には大阪で1200人を超えて、病院で治療を受けられない患者が続出する医療崩壊が起きていた。

 通常の内奏では、首相からの話を聞くに留めることが多いという。この日、陛下がコロナ対策のご質問をなさったかどうかはわからないが、宮内庁関係者によれば、「菅首相の説明が腑に落ちないようで、複雑な表情をなさっていた」という。

両陛下のご信頼が厚いのは……

 陛下を知る元宮内庁職員はこう話す。

「陛下は論理的なお考えをする方なので、菅総理の『コロナに打ち勝った証のオリンピック開催』という根拠のない自信は、一体どこから来るのかと思われたかもしれません。

 両陛下のご信頼が厚いのは、政府のコロナ対策分科会の尾身茂会長です。昨年4月と11月にお招きになり、ご進講前には、両陛下おそろいで国内外のデータや情報、他のウイルスとのちがいなどをお調べになったうえで臨んでおられた。ご進講の後は、変異株についてご関心を示されていました。

 陛下はまず知識を得られてから、次に現場で働いている医療、保育、介護分野の方たちにオンライン行幸をなさり、専門家を御所に招いて話を聞いてこられました。現場で命を張ってコロナと向き合っている関係者の中に入って行かれ、苦労や悲しみの声に耳を傾け、労われて来たのです。それだけに対策が十分に行われているのかどうか、ご心配なのです」

 雅子皇后は日本赤十字社名誉総裁であり、昨年11月には、陛下と共に日赤医療センターをオンラインで視察。その後、日赤関連の3病院をつないで看護師から聞かれた現場の話はお2人に鮮烈な印象を残したようだ。

 ジャーナリスト・友納尚子氏による「 天皇陛下の期待に背いた菅首相の『内奏』 」の全文は「文藝春秋」2021年9月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

(友納 尚子/文藝春秋 2021年9月号)

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