1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「住友さんの娘さんはどなたですか」軍靴を履いた「少女誘拐マニア」はなぜ財閥令嬢を誘拐したのか?

文春オンライン / 2021年9月12日 17時0分

写真

住友令嬢の無事を祈る学友たち(「画報現代史 戦後の世界と日本第2集」より)

 今回の事件は敗戦翌年の1946年に発生。戦後初の誘拐事件とされ、初の公開捜査となった。国土は荒廃、国民の心身も疲弊して食糧事情は最悪。社会は混乱して事実上無政府状態だった時期に、財閥の令嬢が若い男に誘拐されて連れ回された。

 逮捕された樋口芳男は、それ以前にも少女誘拐を繰り返していた常習犯で、少女たちからは「優しいお兄さん」と慕われたという。樋口は外地から引き揚げた復員兵、令嬢はその妹で両親を失った戦災孤児のような姿を装って各地を歩いた。

 同じ戦後の誘拐事件でも、このシリーズで取り上げた9年後の「トニー・谷長男誘拐」とは、かなり様相は異なり、敗戦直後にしかあり得なかった事件といえるが、一面で現代の犯罪にも通じる事件の表情がある。今回も差別語、不快用語が登場するほか、被害者は匿名にしている。

軍靴男が尋ねた「住友さんの娘さんはどなたか」

〈 娘の恐怖時代……誘拐しきり 學(学)校歸(帰)りを誘ふ(う) 住友氏長女謎の行方

【横浜発】横浜市戸塚区東俣野町83、住友吉左エ門氏長女(12)は17日午前11時半ごろ、片瀬町、白百合高等女学校から帰宅の途中、何者かに連れ去られたまま18日午後になっても帰宅せず、警察及び住友全機関を挙げて捜査中である。犯人は明らかに長女を住友氏の令嬢と知って計画的にやった犯行であることは当時の状況からみて明らかであるが、同家には脅迫状など事前の気配は全然なく、いまのところ犯行の目的その他は一切不明である。

 なお長女は白百合高女付属初等科6年生で、通学は藤沢駅まで自転車、藤沢から小田急江ノ島線で通っていた。 〉

 1946年9月19日付朝日は2面(当時の新聞は朝刊のみ、原則2ページ)トップでこう報じた。学校名は正確には湘南白百合高等女学校付属国民学校。記事は、被害者の学友2人の話から「校門附近で待ち伏せ」の見出しで次のように書いている。

〈 17日午前11時半ごろ、学校の授業が済み、級友と校門を出て江ノ島電鉄駅(小田急線片瀬江ノ島駅の誤り)に向かったが、校門から一丁ほどのところで、追いかけてきた30歳ぐらい、カーキ色のシャツに軍服略帽をかぶり、軍靴に赤の革脚半を巻いた男が学友の1人に「住友さんの娘さんはどなたか」と尋ね「前に行く3人連れの1人です」と答えると、男はこれに追いつき「警察の者ですが、お宅に重大な事件ができましたから一緒に来てください」と言い、長女を連れ去った。

 なお長女の服装は白ブラウス、青いスカート、白い帽子をかぶり、ランドセルを背負っている。顔は面長、やせ型で、髪はおかっぱ。右の目の下にほくろがある。〉

 さらに「一週間前からつけ狙ふ」の見出しの別項記事では――。

〈【横浜発】戸塚の住友別荘には春子夫人と長女、次女の親子3人が滞留しており、当主吉左エ門氏は2カ月ほど前から長野県下高井郡穂波村の別荘に行っていて留守。夫人に代わって同家、貞利執事は次のように語っている。

 いまのところ、脅迫状といったようなものは来ていません。学校の級友たちの語っているところを総合すると、犯人は1週間ほど前から、放課後になると学校付近を徘徊していた様子で、15、16両日も、学校から帰る級友に対し「住友さんは以前級長をしていたが、いまもしていますか」などと尋ねており、16日に現れたときはボロボロの兵隊服であったが、17日には革脚半まで着け、きちんとした服装であったという。〉

 同じ日付の読売も「住友本家の令嬢 學校前から誘拐さる」と2面準トップの扱い。朝日、読売とも晴れ着姿の被害者の写真が添えられている。

看護師への暴行・殺害、自警団からのリンチ…荒れていた終戦直後

 読売の同じ紙面では、東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本軍のビルマ作戦中の捕虜の取り扱いが取り上げられ、A級戦犯で巣鴨プリズンに収容中の東条英機・元首相がアメリカ軍MPからタバコに火をつけてもらっている写真が載っている。

 東京・両国の焼け跡で若い看護師が暴行・殺害されたり、静岡県で食糧欲しさに畑に“野荒らし”に入った男が自警団からリンチを受けりした事件の記事もある。大財閥の令嬢誘拐といっても、そんな荒れ果てた世相の一点景だった。毎日は2段の扱いだった。

立てられた捜査方針は…

「神奈川県警察史 下巻」には、鎌倉署に設置された捜査本部が捜査開始日の9月18日に立てた捜査方針が載っている。

〈1、犯行は計画的

2、財閥の令嬢に着眼した点から推して、犯行の目的は金銭の喝取

3、校名を以前の名称である「乃木学校」と言い、住友家令嬢を級長かとただしていることからして、彼女の級長当時(敗戦前)を知る級友に面識がある

4、犯人は「常習的前科者」と思われる。右目の下のほくろなどの特徴から、手口で犯人を割り出す

5、犯人の足どりを追う

6、犯人と被害者が腰越、七里ケ浜、稲村ケ崎を通って鎌倉に向かう姿を見かけた者がいる。これから推して、鎌倉駅から県外へ逃走したものと思われる〉

「犯人は復員軍人ではないかとみられる」

 翌9月20日付朝日には2段で「恨みからか」の記事が。「犯行後3日目の19日に至っても、犯人から何らの意思表示がないところをみると、身代金欲しさの犯行ではなく、住友家の家庭ないし雇用関係などからした怨恨ではないかと思われる点が強くなった」。

 さらに「復員軍人風(ふう)」の小見出しで次のような記事が。「連れ出した男について学童たちの報告を総合すると、次のような新事実が出てきた。男の着ていた軍服は兵用のよれよれになった古服で、石炭酸の香りがしていたこと、口の周りに吹き出物が出ていたなど、犯人は最近の復員軍人ではないかとみられる」。

戦闘帽、白マスク、ねずみ外套の20歳ぐらいの見知らぬ男が…

 同じ日付の毎日は2面トップで「金か怨(うらみ)か“人質事件”が錯綜」が見出しの、興味深い記事を掲載した。

〈 さる3月14日、学校からの帰途、行方不明となったまま消息を絶っていた東京都淀橋区下落合2ノ761、日下部工業株式会社専務取締役・清水厚氏の長女(14)は、このほど無事両親のもとに帰ったが、長女を誘拐した犯人は脅迫して1万5000円を奪い、巧みに姿をくらましていて、まだ警視庁の捜査線上に浮かんできていない。

 

 事件の発生は3月14日午後3時半ごろで、長女は平常通り、級友の2人と連れ立って帰宅の途中、目白警察署横まで来ると、戦闘帽、白マスク、ねずみ外套の20歳ぐらいの見知らぬ男から「ちょっと聞きたいことがあるから、近道をして帰ろう」と誘われ、級友と別れたまま消息を絶ち、半年間何の手掛かりもなかったが、たまたま先月7日朝、下落合の自宅郵便箱に「9月10日正午、現金1万5000円持って京都の東本願寺境内に娘を引き取りに来い。母親に限る。警察に訴えたら娘を殺す」としたためた脅迫状が投函されていた。同家では直ちに目白署に届けるとともに、10日朝、母親は現金1万5000円を持って指定の場所で待つと、長女が現れ「お母さん」と飛びついてきたので、母親が思わず現金の包みを落とすと、犯人はそれを奪って逃走。行方をくらました。母親は長女を同道。11日、夜行で京都を出発。12日朝、着京、帰宅したものである。

 

 長女は非常に興奮しており、誘拐後の行動はつまびらかでないが、犯人は長女を連れて各所を転々と渡り歩き、最近は北海道方面の某工場で稼いでいたが、金に窮し、脅迫状を出したものらしい。〉

 1万5000円は現在の約61万円。被害者は正しくは次女で、当時日本女子大附属豊明国民学校6年生だった。この事件の記事は朝日、読売には見当たらない。毎日の特ダネだったようだ。というか、この事件は発生自体、新聞で報じられなかった。女児の不明事件など、当時はそれほど重大視されなかったのだろう。

尋ね人「可愛き娘」

 発生から1週間後の3月21日、毎日と読売の2面広告欄に次のような尋ね人広告が載った。

〈 尋ね人(13歳) 淀橋下落合2ノ761 清水厚、次女 身長4尺2~3寸(127~130センチ)、やせ型、色白、二重まぶた、長めオカッパ、可愛き娘。紺半身コート、だいだい色セーター、紺セーラー、紺ズボン。右3月14日、帰校の途次、目白署附近にて行方不明。心当たりの方はご通知願いたく。応分の謝礼仕り候。〉

 同じ内容の広告は3月23日には朝日にも掲載された。この時点ではまだ誘拐とは断定できなかったということだろう。「可愛き娘」という表現に肉親の心情が表れている。それから約半年後に身代金要求があり、実際に受け渡しが行われて現金が奪われたわけだが、そのことも公表されず、この毎日の記事で初めて明るみに出たとみられる。

「お兄さんを撃たないで!」

 今井忠彦「旅路の涯 誘拐魔樋口の真相」は、毎日の記者だった著者が、捜査に当たった親しい警視庁の捜査員から聞いた話をまとめ、事件翌年の1947年に出版した冊子。樋口の心情に理解を示した事件読み物で、全てが事実とは思えないが、それによれば、身代金受け渡しに至る経過は次のようだった。

 清水家次女には「あなたは国際誘拐団に狙われている。国際秘密結社が少女を専門に誘拐して外国に連れて行く。僕があなたのご両親と相談してかくまうことにした。僕の妹ということにして、たぶん1年ぐらい、日本国中を旅して身を隠さねばならない」と声をかけた。その夜は千住大橋の下で野宿。それから茨城・水戸の母の疎開先で約1カ月を過ごし、横浜に出た。群馬・草津温泉にも行った。何も知らぬ次女は「兄さん兄さん」と言って信頼してくれ、楽しい日々だった。

 その後、青森から函館、苫小牧へ。樺太(サハリン)から引き揚げてきた兄妹だと名乗って人々の同情を買い、一宿一飯の恵みにあずかっていた。苫小牧では工場に2人で住み込み、次女は夜は勉強をした。

 しかし、警察の臨検があり、そこからも逃亡。食べ物がない日もあり、樋口がどこからか手に入れてきたおにぎりを2人で分け合った。キツネの皮を利用する養狐場の家に住み込んだことも。安住の地はなく、石川県・金沢から京都へ。開拓農場で働いていたとき、警察官に対する傷害事件に遭遇したことで自分も犯罪人だと悟り、次女に「誘拐団もいなくなったから帰ってきていいと連絡があった」と伝えた。

「旅路の涯」は身代金の受け渡し日を9月9日としている。現金を持った母親とともに京都に入った警視庁刑事らは、京都府警察部と協力して、金を渡すのと同時に逮捕する作戦を練った。

 ところが、母親は一人で旅館を抜け出して指定場所の東本願寺へ。刑事が追いかけたが、現れた次女は母親から金を受け取ると、「お兄さんに渡してくる」と言っていったん去った。樋口に金を渡して母のところに引き返し、樋口を追おうとした刑事に「おじさん、お兄さんを撃たないで。堪忍してやってください」と叫んだ。

“共犯意識”と絞り込まれていく捜査網

 樋口の立場に近い見方だが、次女に樋口を恨む気持ちが薄かったのは確かなようだ。誘拐事件の容疑者と被害者といっても、半年間生活を共にしているうちに2人の間に一種の心情的なつながりか“共犯意識”が生まれたのかもしれない。いずれにせよ、この時点で事件の筋は読めたといえる。9月21日付毎日は「誘拐犯人は同一か 住友令嬢事件新發(発)展」と報じた。

〈 【鎌倉発】住友家長女の誘拐事件で鎌倉署捜査本部では、誘拐され6カ月ぶりに家に戻った清水厚氏長女(次女の誤り)が4年生当時、片瀬町南浜に住み、白百合高女付属校に通学。住友家長女と同じ級であったことが新たに判明。当局では捜査方針をここに重点を置き捜査を続けているが……。

 

 目撃者の言によると、住友家長女を誘拐した犯人は30歳ぐらい、カーキ色服、戦闘帽の一見復員軍人らしい男で、清水家長女を誘拐した誘拐した犯人は22歳ぐらい、戦闘帽をかぶった男。年齢こそ違えど、その風貌が相似しているところから同一犯人ではないかと慎重に取り調べている。〉

 同じ日付の朝日も「犯人の目星つく」と3段で報道。2つの事件の容疑者の人相が「全く同一らしく」「学校の帰途を狙った手口、家庭の内情を内偵し、計画的にやった点など、いよいよ同一犯人の仕業を確信、捜査陣はにわかに活況をみせている」とした。

 記事の末尾からは捜査網が既に絞り込まれていることが分かる。「犯人は京橋区月島に住所を持ち、岩間某あるいは樋口某(22)と自称する男で、現在は月島にはいないが、捜査線もとみに狭まってきた模様である」。

【続き】連続少女誘拐犯の手帳に書きつけられた「悲願千人斬り」…“少女の敵”が生まれた理由 

連続少女誘拐犯の手帳に書きつけられた「悲願千人斬」…“少女の敵”が生まれた理由 へ続く

(小池 新)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング