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「25歳男性は失踪、37歳女性は獄中死寸前…」武漢ウイルス研究所に迫った記者たちの“凄惨すぎる現状”

文春オンライン / 2021年9月20日 6時0分

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武漢ウイルス研究所。マスクを着用した警備員たちが出入りを見張る ©AFLO

 いまだ収束の気配をみせない新型コロナウイルスパンデミック。このウイルスは一体どこからきたのか。謎多きウイルスが最初にアウトブレークした2020年春節(旧正月)のころの武漢では、多くの市民記者がその真相を探ろうとして当局に拘束された。ウイルスの危険性を告発しようとした医師たちがその口を封じられた。その庶民の苦しみ嘆きをインターネットで訴えた人々は「失踪させられた」。

 そんな武漢市の庶民らの姿を投影した小説『 武漢病毒(ウイルス)襲来 』が刊行された。著者・廖亦武氏は、かつて天安門事件を批判する詩を発表したことで投獄され、のちにドイツへ亡命した反骨の文学者だ。現在ベルリン在住の廖亦武氏に、小説に登場する実在の人物の実在の物語について聞いた。

◆ ◆ ◆

武漢ウイルス研究所「P4実験室」へ向かった市民記者

――『武漢病毒襲来』は、市民記者の キックリス という実在の人物の物語から始まります。武漢ウイルス研究所の取材に行った彼が国家安全部(国安)の車に追いかけられるカーチェースは実際に起きた事件で、今もYouTubeに残っていますね。

 このキックリスについて、あなたの小説の中では、紅二代(共産党幹部の子弟、太子党に属する特権階級)であると書かれています。実のところ、どうなんでしょう。

廖亦武 キックリスこと李澤華は、1995年生まれで、もともとCCTV(中国中央電視台)の人気司会者でした。その後退職してセルフメディア『 不服TV 』を始めました。この『不服TV』はYouTubeにも公式アカウントがあります。

 彼は市民記者として単独で武漢に入り、多くの視聴者の注目を集めていました。当時、武漢では弁護士の陳秋実やビジネスマンの方斌らが市民記者を名のって独自取材をしていましたが、彼らとちがってキックリスは元CCTVという専門的背景もあり、オフロード車を使い、防護服などの装備を整え、撮影・取材・解説も非常に客観的でプロフェッショナルでした。だから現地の公安当局も彼を紅二代だと思いこんでいたと思います。実際、私もキックリスは党の高官の子弟だと思います。

 私はずっとキックリスの追っかけをしていました。ほかの市民記者にも注意を払っていました。みんな最も注目していたのは、武漢での本当の死者数は一体何人なのか、どのように死んでいったのか、ということでした。キックリスも最初は火葬場を取材していたのですが、その後、武漢ウイルス研究所のP4実験室に行きました。それが国家安全部に追われる理由になりました。

ホームページから削除された資料

 私はキックリスが逮捕された瞬間を捉えた 2020年2月26日のライブ配信 を見て、それにインスピレーションを受けて、すぐにこの物語を書き始めました。その時、西側メディアは、解放軍の化学兵器防御専門家の陳薇少将が特別部隊を引き連れてP4実験室を接収したと報じていました。

 当時の最大の焦点は、P4実験室の責任者であるウイルス研究者の石正麗に当たっていました。なぜなら石正麗は、2003年におきたSARSによる感染流行が終わったのち、コウモリが持つコロナウイルスの研究を始めた専門家であり、千数百キロは離れた雲南の廃坑洞窟でコウモリコロナウイルスのサンプルを採集して武漢に持ち帰っていたからです。

 こうした情報の一切は、武漢ウイルス研究所のオフィシャルサイトで公表されていました。私はそれを全部ダウンロードしましたが、その後、こうした鍵となる資料はすべてサイト上から削除されています。

 キックリスは武漢ウイルスの起点がP4実験室だと思って調査、取材しようとして国家安全部に捕まったことは疑いありません。私はこのキックリスの物語を書いて、いくつかの欧米紙に寄稿しようとしたのですが、すべて編集者に断られました。みんな、こういう論を掲載すれば「陰謀論」を載せていると思われると懸念したのです。こうしたメディアの北京駐在記者たちはみな、「武漢ウイルスがP4実験室から流出したということが、目下、非常に噂になってはいるが、証明する方法がない」と本社に説明していました。

 キックリスは一時失踪したのち、ある日突然、再び動画をアップして、その中で、とても短く、当局に拘束されたことを釈明して、再び姿を消してしまいました。今に至るまで、表舞台には出てきていません。 表に出ることを、どこからか禁止されているということです。国内外の記者たちは史上前例のない大惨事となった感染症が世界を襲ったのを現場で目の当たりにしたのに、真相は依然として隠蔽されているのです。

 私は、今もキックリスのことをよく思い出します。やっと25歳になったばかりの若者が、誰よりも先駆けて武漢ウイルス発生地を探ろうとしたのですから。

「発生源はこのあたりかもしれない」

――キックリスのほかにも、多くの市民記者が武漢に取材に行きました。方斌、陳秋実、張展らがそうですが、彼らの中で、あなたが最も印象に残っている人物は?

廖 多くの市民記者たちが自発的にロックダウン中の武漢に取材に行きましたが、みな途中で捕まってしまいました。あの時武漢に入ったセルフメディア記者は、方斌、陳秋実、キックリス、張展しかいませんでした。

 もちろん、ロックダウンのとき、『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』を書いた武漢在住の女性作家・方方のように、多くの市民が自分自身で記者のように記録を取っていました。ですが、国家のメディア拡声器を総動員して広めたウソの「壮大なポジティブパワー・ストーリー」に比べれば、非力です。

『 武漢病毒襲来 』が日本で出版されたばかりのとき、元弁護士の張展が2020年に撮影した動画を見たのですが、これは心に残りました。張展はキックリスのようにオフロード車も防護グッズも持っていませんでしたが、キックリスと同じように、P4実験室を調査しようとしました。どうしても敷地内に入れず、彼女はスマートフォンを掲げて、P4実験室のまわりをぐるりと一周していました。

 彼女は歩きながら、こう解説していました。「武漢ウイルスの発生源はこのあたりかもしれない。この四角い建物と丸い建築物の中なのかも」。その結果、彼女はまもなく逮捕されました。張展は逮捕されたのち、長期にわたってハンガーストライキを行ったために衰弱しており、獄中死する可能性が非常に高いです。

衰弱して髪が抜け落ちたジャーナリスト

――張展は2020年12月28日、公共秩序擾乱の罪で懲役4年の実刑判決を受けました。公判に出てきた彼女の様子をネットで見ましたが、まだ37歳なのに、衰弱して髪も抜け落ち、老婆のようでした。武漢で取材をしたのちに失踪し、5月になって上海で逮捕されたことが明らかになりました。当初は無罪を主張し、食事を拒否したため、喉に管を通して栄養を取らされる強制摂食などの非人道的扱いを受けていたとか。

 アムネスティ・インターナショナルなど国際組織が彼女の釈放を訴え続けています。こうしたジャーナリストたちにあなたが共感するのは、あなたもジャーナリスティックだから?

廖 私は人生の大半をかけて、低層社会の人々の物語を取材して書いてきました。それを中断することはありません。2008年の四川の大地震の時、私はその日のうちに、もっとも被害のひどい北川県の被災地に駆けつけました。そこは県城全体が崩壊し、埋葬地のように埋まってしまい、少なくとも2、3万人以上亡くなっていると思われました。県城を再建することは難しく、数十キロ離れたところに新しい北川県県城を建設するしかありませんでした。

 しかし、当局はこの地域の死者数と汚職の真相を隠蔽するため、この四川大地震を「汶川地震」と名付けました。震源地の汶川県と北川県は数百キロ離れており、汶川県の死者は400人弱だった。今、世界の多くの人たちはこの地震のことを、中国政府が名づけたように「汶川地震」と呼んでいます。でも、私は四川大地震のルポルタージュ『地震瘋人院』の中で、この大地震を「四川地震」と呼んでいます。

 今度の災難においては、私は武漢に駆けつけることができませんでした。もし現場に入っていたら、おそらく『 武漢病毒襲来 』の主人公、艾丁と同じ運命をたどっていたことでしょう。

中国人も「真相」を知りたい

――『武漢病毒襲来』にも登場している女性医師、艾芬の報道が 文春オンライン でも紹介され、大きな反響を呼びました。あなたが、日本の読者にもっと知ってほしい当時の武漢の物語を教えてください。

廖 日本の読者に知ってほしいのは、中国人は共産党に何度も洗脳されてきてはいても、真相に対する興味はやはり強烈で、これが独裁者にとって最大の脅威だということなのです! 艾芬医師の物語については、『武漢病毒襲来』の第4章「李文亮は逝き、真相はすでに死んだ」の中で、猛烈な勢いで拡散した様子が描写されています。

 艾芬医師は共産党員であることよりも人としての正義感が打ち勝って、月刊『人物』の取材を受けたわけですが、この記事は、新型コロナ感染期間全体を通じて最もセンセーショナルな記事になりました。

 当局はすぐにインターネット上で削除するのですが、その削除までのほんの短い間に、ものすごい勢いで拡散していきました。武漢から警鐘を鳴らすも警察からデマを拡散したとして訓戒処分を受け、その後、無防備な状態で患者の診察を続けて新型コロナに感染した眼科医・李文亮の悲劇に呼応したのです。

 もちろん、ネット版記事はアップされると即座に削除され、雑誌も出版封鎖警告を受けたのですが、タッチの差でその記事は、自動的にスクリーンショットをとって拡散する「ネットワーム」と呼ばれるシステムで、多くの微信アカウントで同時に発信され、グレートファイヤーウォールを乗り越えて海外のプラットフォームにも張り付けられて、世界中に拡散されていったのです。

 ネット警察は当時、インターネット管理当局と公安局の国内安全保衛総隊(国保)と連携して、2011年の『ジャスミンネット革命』のときに行なった複数の集会現場での同時ガサ入れ逮捕と同様の猛烈な取り締まりをしたのですが、それでもこの記事は次々と拡散されて、その拡散スピードはウイルスの100倍、あるいはネット警察の10000倍は速かったですね。

 削除されないように、英語やドイツ語、日本語、韓国語など40か国語の自動翻訳版も拡散されましたし、変形漢字の篆文や文語体や西夏文字のフォント版なんかも出回りました。この現象は、この世界の悲劇的災難の中で、唯一大爆笑できる事件だったと思います。

「失踪人民共和国」の恐怖

――『 武漢病毒襲来 』の中では、いくつか詩が登場しますね。こうした詩は実際に武漢の都市封鎖中、中国のインターネット空間に流れたもので、その詩の題材も、ネットのSNSで書き込まれた庶民の嘆きや訴えでした。小説の最後の方に引用された「マリリンモンロー」こと張文芳の書いた詩『武漢挽歌』は胸に刺さりました。

 家族に感染させるのが嫌で自殺した人、仕事を失って自殺した人、息子を入院させるために何日も病院前に並ぶ老人、出稼ぎ家庭で祖父と5歳の孫が取り残され、トイレで死亡した祖父の遺体に布団を掛けて幼い子供が5日間も寄り添っていたという話。そんな庶民が直面した40以上の悲劇が詩の形式で描写されています。

 日本も今年の夏は医療崩壊がおきて、たくさんの悲劇が起きました。ですがその何倍、何十倍もの悲劇が武漢で起きて、そしてそのことを詩にして表現すれば、デマを流したとして警察に逮捕される悲劇もあったわけです。張文芳はその後、どうなりましたか。

廖 張文芳の『武漢挽歌』は、その一行一行が、武漢ウイルスのアウトブレーク時に起きた惨劇を描写しています。ネット上で発表されてすぐ、彼女は秘密裡に逮捕されました。懲役6か月の判決を受けて服役しました。当時、彼女がそんな目にあっていたとは誰もしりませんでした。私は彼女の詩の小説での引用了承を得ようと、武漢の友人を通じて彼女と連絡を取ろうとしましたが果たせず、今年2月に、彼女の判決書の写真がツイッターに流れて、ようやく服役中であることがわかりました。今もって誰も張文芳とコンタクトが取れない状況です。

 これも一つの「失踪人民共和国」です。中国では、短時間の失踪も、長期の失踪も、永遠の失踪もあります。「失踪させられる」のです。恐ろしいのは現在中国十数億人の中で、一部の人たちやとある個人が忽然と姿を消すことに、だんだん慣れてきてしまっていることです。

米国情報機関のリポートをどう評価するか?

――新型コロナの起源について米国の情報機関がリポートを出しています。生物兵器の可能性は否定するも、実験室漏洩については可能性を保留しています。それについてはどう感じましたか?

廖 想定の範囲内です。この小説で引用した資料、各種の詳細な情報はすべて、このリポートでもカバーされています。人造ウイルスではないということも含めて。私はウイルスはソ連のチェルノブイリの放射能漏れ事故と類似のものだと小説中でも言及しています。ただ、チェルノブイリよりは悪質であると思います。

 第一に、中国科学院武漢ウイルス研究所の公式資料によれば、P4実験室の責任者の石正麗チームが、長い時間をかけて、何度も雲南の洞窟から大量のコウモリ由来のウイルスのサンプルをとって、実験室内に保存していたのです。その中には、強力な感染を起こすものもあった。

 第二に、石正麗チームは何度もこうした自然のウイルスに対し、機能獲得実験を行い、最終的に人体の免疫システムを開く「鍵」を見つけた。

 第三に、李文亮ら8人の医師が、「謎のウイルス」についての伝聞を広める前、中国政府もこの謎のウイルスの恐ろしさを知らなかった。だから「デマ」として一蹴し、緊急措置を取らず、武漢から全国に感染を広げてしまった。このとき、中国政府は確かに「故意にウイルスを拡散した」わけではない。

 第四に、だが、武漢など十数の都市封鎖を実施したのち、中国政府はすでに武漢ウイルスの恐ろしさをよくわかっていたはずだが、すべての空港の税関とフライトはすぐに封鎖せず、この恐ろしいウイルスを海外に流出させ、全人類を攻撃させるに至った。

ポストパンデミックは「次々と惨劇が起きる」

――過失であったけれど、起こるべくして起きた過失であり、パンデミックはむしろ故意に近い過失であった、と。ならば、このパンデミックで世界はどう変わると思いますか。あなたの考えるポストパンデミックの世界とは?

廖 混乱が続くでしょう。目まぐるしく次々と惨劇が起きる。しかし、一つの時代の目撃者である亡命作家として、この混乱期の世界を頭をもたげてしっかりと見た後、私は頭を低く下げて、自分の内心を見つめ、歴史の深淵を振り返ろうと思います。天安門の大虐殺から今に至るまで、いや、1949年にこの人間性の絶滅した独裁政権が誕生したはじめから今日までの一切を。

 この“一切”とはマクロの視点でなく、ミクロの視点です。一匹の憐れなアリの一生、一枚の木の葉のような。なので、私のこの小説で、自分の祖国で隔離され、苦労してかけずりまわっても、家にたどり着けない多くの悲劇を背負わせた主人公、艾丁を生んだのです。彼は失踪させられたのか? 亡き者にされたのか? 気が狂ったのか?  それとも命を賭してやり遂げたのか? 誰も知りません。何年かのち、ヒッチコックのサスペンス映画『鳥』のような映画を、誰かが自分の経験に基づいて撮るかもしれません。

 ぜひ『 武漢病毒襲来 』を読んでみてください。武漢ウイルスに関する書籍の中で最高の出来だと保証します。

(福島 香織/翻訳出版部)

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