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「自分の道って何なんだろう?」鈴木亜美39歳が“歌手休止前”に考えたこと《アイドル→DJ→激辛YouTuberで再燃》

文春オンライン / 2021年10月6日 11時0分

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鈴木亜美さん

 YouTubeなどで「激辛女王」として人気再燃中の鈴木亜美さん。今年は5年ぶりにオリジナル曲を発表するなど、多方面で活動しています。デビューから間もなく25年。歌手休止期間を経て、世界を見据えたDJ活動を展開するなど、この間に辿った激動のキャリアとプライベートについて、じっくり伺いました。(全2回の1回目/ 後編 に続く)

◆ ◆ ◆

歌手活動から遠のいていた理由

――9月に5年ぶりとなるオリジナル曲『Drip』を発表しました。それまで歌手活動はしばらくお休みされていたとか。

鈴木亜美さん(以下、鈴木) 今回、台湾映画の主題歌としてオファーをいただいたのですが、近年、歌手としてリリースはしていなかったので驚きました(笑)。もちろん嬉しかったしありがたかったのですが。

――鈴木さんといえば、今は激辛好きなキャラクターのイメージが強いかもしれませんね。歌手活動から遠のいていた理由は?

鈴木 16歳でデビューして20年以上芸能界にいますが、デビューした98年はCD市場の売れ行きが最も好調だった時で、新しいアーティストが毎年たくさん生まれては売れていってという、めまぐるしい時代でした。本当に厳しい世界だということを肌で感じていたので、自分の居場所は早晩なくなるだろうと思っていました。それこそ、結婚して辞めるんだろうな、みたいな。

「自分の道って何なんだろう?」

 デビュー10周年を迎える少し前の、2006、7年頃だったと思います。「自分の道って何なんだろう?」と真剣に考え出しました。

 加えて、3カ月おきにシングルを出してアルバムを出してツアーをして、みたいな流れにもどこか違和感を覚えはじめていたんですが、大きかったのは、歌う曲と自分の好きな音楽のジャンルが離れていった部分です。

――鈴木さんの曲はポップスでメジャーな印象がありますが、ご自身が好きで聴いていた音楽は全然違うジャンルだったと。

鈴木 もちろんポップスは好きですが、私自身がよく聴いていたのはハウスやテクノだったんですね。それで歌手活動をお休みする前に、中田ヤスタカさんに楽曲を作ってもらったりして、自分の好きなクラブミュージック寄りにテイストを変えていった時期がありました。

 それを最後に、自分自身が歌う、という意味での音楽活動は一度ストップしようということになりました。2009年頃のことです。

20代後半は一気にDJ活動へ

――それまで第一線で活躍してきた「歌手」としての活動を止めるのは怖くなかったですか。

鈴木 テレビみたいな大勢の目に触れる場所からは遠ざかっていくだろうな、という直感はありましたが、それと同時に「何か新しいことに挑戦したいな」とも思っていました。

 その少し前に、中田ヤスタカさんがDJをやっているところに私がシークレットゲストで出て、中田さんの作ってくれた楽曲を披露する機会があったんです。そこで中田さんのDJ姿を見て、「あ、かっこいい。これやりたい!」とビビッときて。自分の曲をDJプレイでかけて披露するという、ライブとは違う形がひらめきました。

 DJなら自分の曲もかけられるし、好きなクラブミュージックもかけられると思って、それで20代後半は一気にDJ活動に走った感じですね。やってみたら、自分の好きな音楽をずっと触っていられるということが思った以上に楽しくて、DJでしばらく頑張ってみようと思ったんです。

「なんでここに来たの? あんた世界が違うでしょ」

――メジャーからアンダーグラウンドへの転身で難しかったことはありますか。

鈴木 DJ界はDJ界で奥が深いので、最初はいきなり私みたいな新参者の、しかも芸能人が入ってきたことに対しては冷たかったですね。誰も踊ってくれないし、歓声もなし、みたいな。

――お客さんはDJが鈴木亜美だとわかっていて冷たい態度をとるんですか?

鈴木 もちろん分かっていて、「なんでここに来たの? あんた世界が違うでしょ」みたいな。怖かったですよ。でも、「絶対にこの人たちを踊らせてやる!」と思って2年、3年、4年と頑張って、ハウスネイション(※エイベックス主催の一大ハウスイベント)にも携わっていけるようになって。今度は私主催で女性のDJを集めたイベントをアジアで展開するまでになりました。その時に、こういう裏方的な音楽との関わり方が自分には案外合ってるな、と思いましたね。

――歌手「鈴木亜美」ではなく、制作サイドとして、裏方で働いていこうと思ったのでしょうか。

鈴木 実際にガールズDJで世界を盛り上げていこう、というのが形になってきていたので、このまま延長で制作を極めていこうかな、とも思っていました。

――しかし今また再び、鈴木さんがテレビやYouTubeで引っ張りだこになっていますよね。

鈴木 これは本当に自分でも予想外で、まったく想像していませんでした。特にテレビでがんばろうという気もなかったし、とにかく当時はDJイベントを成功させたい一心だったんです。

 でもそんな時にたまたま今の夫に出会って結婚となり、それをメディアに発表したら予想以上に反響がありました。結婚・妊娠・出産をきっかけにまたテレビ出演が増えていって、料理や激辛などで取り上げてもらえるようになったんです。

“鈴木亜美”を知らなかった夫

――2016年に結婚されたパートナーの方はどんな方ですか。馴れ初めも教えて下さい。

鈴木 旅先のシンガポールのバーでナンパされたのがきっかけです(笑)。4日間遊んで、最後の日に交際を申し込まれました。彼はまったく芸能界に興味がない人で、私のことも知らなかったんです。

 芸能の仕事に関しても「頑張って」という感じで、特に何も言わないですね。子どもがテレビに出た時はしっかり録画して見るけど、私のソロに関してはまったく興味がないので、出演した番組も一切、見ない(笑)。だから私がどんな番組に出て何を喋っているかとか、本当に何も知らなくて。

 この前『人志松本のツマミになる話』(フジテレビ系)で、洗濯物の生乾き臭が気になる夫が自分のTシャツを煮沸消毒していた、という話をしたのがちょっと話題になったみたいなんですね。でも本人は周りから言われてはじめて、自分の話をテレビでされていたことを知る、みたいな。まあ、私としてはそれくらいの関心の低さでいてくれる方が気楽でありがたいです(笑)。

3歳の長男は「あ、“鈴木の”亜美ちゃんだ」

――今お子さんは4歳と1歳だそうですが、鈴木さんのお仕事は知っていますか?

鈴木 長男はわかってますね。3歳くらいからテレビに出ている私を見て、「あ、“鈴木の”亜美ちゃんだ」って言ってました。

――“鈴木の”亜美ちゃんなんですね。

鈴木 本名は名字が違うので、「“鈴木の”亜美ちゃん」がテレビに出ている方、お母さんとはちょっと違う、みたいな認識です。だからテレビ見ながら母子で「“鈴木の”亜美ちゃんだね~」と話している感じです(笑)。

――仕事と子育ての日常はどんな感じですか。

鈴木 マネージャーさんには毎日16時くらいまでには仕事を終えられるようにお願いしていて、基本的に私が保育園の送り迎えをしています。難しければ夫やおばあちゃんに送迎を頼んで、夜は22時には寝ています。DJ時代から、生活時間帯が正反対になりました。

 産後は脱毛もひどかったし、一気に白髪も出ましたよ。そのあたりは世の中の働くお母さんと同じだと思います(笑)。ただ産後3カ月で復帰が控えていたので、ダイエットはがんばりました。

「激辛女王」キャラが生まれたきっかけ

――そんなハードな日々の中で、激辛好きが仕事になっていった経緯は?

鈴木 辛いのは昔から好きで、10歳の時、ラーメンに豆板醤をいれたのがその起源です(笑)。それでもずっと、自分の辛いもの好きが異常なレベルだという意識はまったくなかったんですね。そんな時、テレビ番組で用意されたとんでもなく辛い料理を平気で食べていたことをきっかけに、スタッフの方が「激辛好きを押してみたらどうか?」と気づいてくれたような感じでした。

逆に今は「歌手」って書かれたら恥ずかしいですね(笑)

――DJにしろ激辛にしろ、やっぱり好きなことが仕事になっていっているんですね。

鈴木 頑固なんだと思います。基本的に好きなことじゃないと続かないんですよ。だから、自然と興味が向くままやっていると、周りのスタッフさんが「じゃあここを伸ばそうか」とアドバイスしてくれて、自分の趣味が仕事につながっている感じです。

――では今現在は、「歌手」というかつての肩書きについてどんな風に受け止められていますか?

鈴木 そうですね。逆に今は「歌手」って書かれたら恥ずかしいですね(笑)。たしかに自分の立ち位置はちょっと不思議だなと思いつつ、「激辛女王」は、胸を張って名乗ってもいいのかなと思ってます(笑)。

写真=末永裕樹/文藝春秋

「履歴書の全身写真、ナメてるな~」 鈴木亜美が40歳を前に明かす『ASAYAN』と『BE TOGETHER』で“得たもの” へ続く

(小泉 なつみ/文藝春秋)

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