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キムタクと喧嘩する女優はノッている…見過ごされてきた、木村拓哉の意外すぎる“本質”

文春オンライン / 2021年10月1日 17時0分

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木村拓哉

 木村拓哉ほど、女優と喧嘩をするのが上手い役者はいない。映画『マスカレード•ナイト』を満席の劇場で見ながらそんなことを考えていた。

 前作『マスカレード・ホテル』の興行収入40億円突破という大成功を受けて製作された続編は、7日間で100万人動員を突破するという、前作に遜色ないスタートを見せている。この映画が封切られたのがデルタ株感染が爆発する緊急事態の真っ只中で、客席の半分が空けられていることを思えば大成功と言えるだろう。

相手女優の喧嘩口上に、「受け身」を取るのが上手い

 女優との喧嘩が上手いというのは、相手をうまくやりこめて叩き潰すという意味ではなく、むしろその逆だ。木村拓哉を相手にすると、ヒロイン役の女優はいつものびのびと啖呵を切り、憎まれ口を叩くことができる。まるで優れたトレーナーを相手にミット打ちをするボクサーのパンチが伸び、体重が乗ってくるように、木村拓哉は相手役の女優に気持ちよく自分を打たせ、そして相手は傷つけずケガをさせない「きれいな喧嘩」ができる。

「殺陣は斬られ役で出来が決まる」というが、木村拓哉は相手女優の喧嘩口上に「受け身」を取るのが実に上手いのだ。

『マスカレード』シリーズの監督を務めるのは、『ロングバケーション』『HERO』など、過去の木村拓哉の代表作で演出に関わってきた鈴木雅之監督である。『マスカレード』シリーズは大ヒットした東野圭吾の原作とはいえ、常識的に考えれば劇場映画化に向いた作品ではないはずなのだ。

 名門ホテルを舞台にした犯行予告。派手なアクションもなく、壮大なスケールのロケがあるわけでもない。巧みなトリックで映画館に数百万人が呼べるわけでもない。ゲスト出演者たちは豪華だが、出番としては多いものではなく、究極的にはこの映画は木村拓哉と長澤まさみの2人にすべてがかかっている。

 だが鈴木雅之監督は、その2人の共演が映画にもたらす輝きを1作目から予期していたのではないかと思う。今回の『マスカレード・ナイト』は木村拓哉演じる新田刑事がプライベートで中村アン演じる女性講師にアルゼンチンタンゴを習うダンス教室のシーンから始まるのだが、それはこの映画の本質が木村拓哉と長澤まさみのダンスであることの暗示だ。

『ロングバケーション』や『HERO』がそうであったように、木村拓哉とヒロインのダンスが映画にグルーヴを生み、スウィングで躍動させることを鈴木雅之監督は確信していたように思える。

演じ続けてきたのは、喧嘩のできるリアルな男の子

 今、日本のラブストーリーに登場する男性像には2つの潮流がある。ひとつは少女漫画原作的な“ドS王子”とでもいうべき、圧倒的な男性性とリーダーシップで内向的なヒロインをリードする「支配する」男性像。もう一つは『逃げ恥』の津崎平匡や『おかえりモネ』の菅波先生のように、ヒロインに対して常に敬語で話し、女性性を思いやり傷つけない、アップデートされたリベラルな、「寄り添う」男性像である。

 だが、20世紀から木村拓哉が演じ続けてきたのは、そのどちらでもないのだ。山口智子や松たか子らが演じる歴代のヒロインが求めたのは、支配する男性でも寄り添う男性でもなく、自分と50−50のフェアな勝負をしてくれる、対等にバチバチと喧嘩のできるリアルな男の子だった。

『ビューティフルライフ』で常磐貴子が演じる車椅子のヒロインは、自分を崇拝するように保護しようとする男性に居心地の悪さを感じ、対等な目線で喧嘩のできる美容師の青年に惹かれていく。木村拓哉はそうしたヒロインたちに応えるように、彼女たちのスパーリングパートナーをつとめてきた。

 ヒロインたちは人生のどこかで木村拓哉と出会い、木村拓哉と戦い、そして木村拓哉から旅立っていく。木村拓哉という俳優はどこかで、自分が演じる物語の中心にいるのが本当は自分ではなく、成長し、自立していく相手役のヒロインであることを直感的に感じ取っていたのではないかと思う。

 木村拓哉の21世紀の代表作のひとつに数えられるだろう『マスカレード』シリーズにおいてもそれは同じだ。それは国家権力というマッチョな男性社会の中で生きてきた刑事と、ホテル従業員という、顧客を思いやり配慮する正反対の論理の中で生きてきた女性のバディ(相棒)フィルムである。

 長澤まさみ演じる山岸は、木村拓哉演じる新田刑事が振りかざそうとする「力の論理」を何度もたしなめる。このホテルの中で拳銃や手錠は物事を解決できないのだ、人を疑い、床にねじ伏せて問い詰めるのではなく、深く頭を下げて相手の声に耳を傾けなければわからないこの世の真実があるのだ、という「知の力」をヒロインが説くストーリーは、『美女と野獣』『王様と私』などの、男女の寓話を描いた過去の名作古典を思い出させる。

 そして今回の続編では、ヒロインもまた刑事から何かを学び、物語のある場面で、顧客の求めるサービスに対し深く静かな拒絶の言葉を口にする。

 長澤まさみは去年、『MOTHER』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。主演作である『コンフィデンスマンJP』は映画版も大ヒットを記録し、中国映画の『唐人街探偵 東京MISSION』では言わば日本代表の切り札としてヒロイン役を務めるトップ女優だ。

 その折り紙つきの実力で見事に木村拓哉のダンスパートナーを務めるヒロインを見ながら、でもやはり、木村拓哉の相手役を演じてきた過去の名女優たちと同じように、長澤まさみが映画の中である種のリズムに乗り、彼女の演技がジャズの演奏のように自由にスウィングしているのを感じる。

 それは木村拓哉の演技の本質が、自分がマイクを握りしめるボーカルではなく、ヒロインを歌わせるためにリズムを作り出す伴奏だからだ。

 ほとんどの作品で主演俳優にクレジットされ、もう30年もその名がスーパースターの代名詞になっている木村拓哉を「名バイプレイヤー」と呼ぶのは、あるいは間違っているのかもしれない。だが、作品の視聴率や成績を常に「主演・木村拓哉」という看板で背負い、世間からはワンマンのスタープレイヤーのように見られながら、彼の演技の本質は相手役を生かすコミュニケーションのリズム、他人への繊細な感性にあると思う。

 記録上はエースピッチャーとして試合の勝敗を背負いながら、実際の試合の中で彼がつとめるポジションはむしろキャッチャーであり、最終的には常にヒロインのセリフがウイニングショットとなって試合を決めているのだ。

 長澤まさみ演じるヒロインが決定的な一歩を踏み出す『マスカレード・ナイト』の美しいクライマックスを見ながら、『ロンバケ』も『HERO』も『ビューティフルライフ』も本当はラブストーリーではなく、それぞれの時代を生きた男の子と女の子のバディフィルム、相棒物語だったのかもしれないと考えていた。

YOUの代わりなんていくらでもいるんだよ!

 TOKYO FMで長く続く木村拓哉のラジオ番組『Flow』の公式サイトには、過去の放送の書き起こしがアーカイブとして残っている。2018年9月、二宮和也をゲストに迎えた放送のアーカイブの中で、木村拓哉が故・ジャニー喜多川氏に触れた言葉が今も読める。

二宮:あ! そうかぁ……。でも、一昔前に「お前の代わりなんていくらでもいる!」って言われてましたけどね。

木村:それ「YOU」でしょ? お前じゃなくて(笑)。

二宮:そうそう(笑)。

木村:俺も言われたことある。やっぱり、言いたくなっちゃうんじゃない。レッドゾーンに入るとやっぱり言っちゃうんだよ。

「YOUの代わりなんていくらでもいるんだよ! もうめちゃくちゃだよ!」って。

(中略)

木村:もう、しょっちゅうドッカンしてたよ。うちらって後ろで踊ることがあったじゃん。後ろで踊るっていうことの責任の無さが、たぶん彼を激昂させたと思うんだけど。

 アーカイブの保持期限からすると、このHPの書き起こしはあと1ヶ月ほどで消えてしまうのかもしれない。明白に名指しこそしていないが、それがジャニー喜多川氏の口癖を指していることは誰にでもわかる。

 ファンも所属タレントも「ジャニーさん」と敬称をつけて呼び、多くの芸能メディアがその名を書くことも憚ったその人物を「彼」と呼ぶ木村拓哉の言葉は、2018年9月の時点でジャニー喜多川氏はまだ存命だったにもかかわらず、まるでついに打ち解けなかった厳格な父親の思い出を語るような不思議な距離感とともに心に残った。

「帝国」の支配が崩れてきた今、木村拓哉を再評価する意味

 SMAPというグループの国民的な成功は、ジャニーズ事務所と「彼」を芸能界全体に影響力を持つ帝国の王に押し上げた。そして、自分たちが押し上げた帝王の抑圧の下でグループが分解するという皮肉な運命の下に木村拓哉は生きてきた。

 2021年現在、そのジャニー喜多川も、彼の姉であるメリー喜多川もすでに世を去った。2019年、ジャニー喜多川の死後に公正取引委員会は元SMAP(現・新しい地図)の3人をテレビに出演させないことについての「注意」を行い、草彅剛、香取慎吾、稲垣吾郎の三人は俳優として一気に活躍の場を広げ、高い評価を得た。

 中居正広をはじめ、ジャニーズ事務所を退所するメンバーはその後も続いている。かつて「帝国」と呼ばれ芸能界を支配したその圧倒的な力関係は変わりつつある。

 だがそうした「帝王の死」の後で、これまで嵐のような賞賛と反感の風に吹かれてきた木村拓哉という俳優をようやくありのままに、正当に評価しうる時が来たのではないかと思う。

 この原稿を書くにあたり『マスカレード・ナイト』関連の彼のインタビューを読み漁っていて圧倒されたのは、映画一本にいったい何十の取材を受けているのかというその膨大な量もさることながら、そのひとつとして「流した」インタビューがないことである。

どんなインタビューでも、「手土産」がある

「アルゼンチンタンゴの練習はどうでしたか?」という質問は雑誌側にとっては外せない質問だが、答える側にとっては10や20では聞かない繰り返しの答えだ。だが、読むだけで気が滅入るほどくり返される質問に、木村拓哉は身を乗り出すように熱をこめて答え、大手名門でない雑誌のインタビュアーに対しても、他の取材で話していないことを何かひとつ、手土産のようにインタビュアーに明かす。

 彼が話すことの多くは自分のことではなく、自分の周囲の社会と人間のことだ。続編の撮影で再会した小日向文世が「だから俺、これは続編あるって言ったじゃん」と前作のヒットをベテランらしからぬ無邪気さで喜んでくれたこと、今作の映画撮影班に1人の新人女性フォーカスマンがデビューし、その新人とベテランの叱咤に俳優たちもインスパイアされたこと、「爪痕を残す」というエゴイスティックな表現が俳優として好きではなく、そういうエゴではなく作品のために自分の演技を献げることのできる長澤まさみがいかに素晴らしい女優であるかということ、コロナ禍にあえぐ社会の中で、今芸能界について考えていること。

 それらは木村拓哉という人間の感覚が「自分以外の世界」に開かれ、その距離を繊細に測っていることの証だ。

「木村さんは、ひとりひとりのことを、ものすごく敏感に、細やかにみてくださっているんです」ドラマ『教場』で共演した川口春奈が、WEB記事のインタビューでそう語ったことがある。

「『大変な時期があっていいんだよ』って。私は、人に弱音を吐いたり、相談とかをしないタイプなんですけど、あるとき木村さんが、『もがいていることを、抱え込んで隠す必要はないんだ。それがかっこいいんだから。大変でいいんだよ』って。何気ないひと言ですが、ありがたいな、気にかけてくださってうれしいなと思いました」

 相談に来たわけでもない川口春奈が「もがいている」ことに気がついたのは、木村拓哉自身もジャニーズ事務所のアイドルとして見られることにもがいてきたからなのだろう。

永遠に若く輝き続けるのではなく、相手を輝かせる俳優

『教場』もまた、主演クレジットは木村拓哉だが、そこで彼が演じたのは若い俳優たちが大舞台で演技を輝かせるための「立ちはだかる壁」の役割だった。川口春奈は木村拓哉の言葉を噛み締めるように、その直後に舞い込んだ大河ドラマ『麒麟がくる』での帰蝶役、沢尻エリカの代役という大きな勝負に駆け上がっていく。

 木村拓哉は来年、50歳を迎える。でもたぶん10年後も、俳優としての木村拓哉はミットを構えて相手女優のストレートを受け止め、人生を歩き始めた若い俳優が自分の歌を歌い始めるための伴奏を演技の中で奏でているのではないかと思う。それは木村拓哉が永遠に若く輝き続けるからではなく、相手を輝かせる俳優だからだ。山口智子より8歳年下だった25年前も、長澤まさみより14歳年上の今も。

(CDB)

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