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「芸能界を辞めようと思っていました」人気絶頂でレギュラー降板…加藤晴彦が初めて明かす“20年前の真相”

文春オンライン / 2021年10月9日 11時0分

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加藤晴彦さん

39歳で結婚、2児のパパに…加藤晴彦が語る“40代での現在地”「もうセカセカはしないです」 から続く

 デビュー直後からドラマにバラエティにと、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していた加藤晴彦さん(46)。社会現象にもなった『神様、もう少しだけ』や、恋愛バラエティ『あいのり』など、今でも“伝説”と称される番組にも多数出演されていましたが、そんな人気絶頂の最中、あるときを境に表舞台から加藤さんの露出は減っていきました。その裏では、一体何が起きていたのか。加藤さんに“20年前の真相”を聞きました。(全3回の2回目/ #3へ続く )

◆ ◆ ◆

20代の頃は芸能界を辞めようと思っていた

――加藤さんと言えば、やはり『アルペン』のCMを真っ先に思い出す方も多いと思います。1996年から2015年まで出演されていましたが、反響は凄かったですか。

加藤晴彦さん(以下、加藤) 衝撃でしたね。広瀬香美さんの歌と僕の映像が流れると、「冬だね」となっていたのは、自分から見ても間違いないなと思います。僕自身もあのCMのファンでしたし。20年くらいやらせてもらいましたが、インパクトはやっぱり大きかったです。

――それにしても、デビュー直後から次々とドラマやCM、映画に出演されていて、特に20代はかなり多忙だったんじゃないでしょうか。

加藤 今思い出してもハードでした。実はそのこともあって、20代中盤、後半くらいのときには、もう完全に芸能界を辞めようと思っていたんです。当時はレギュラーが7本あって、ほぼ毎クール連ドラも入っていて、その合間に映画を撮ってという生活で……。周りからは「いいね」と言ってもらっていたんですけど、僕の中では確実に何かが削られていく感じがあって。

――異様な忙しさの中で、精神的に追い詰められるところも?

加藤 うーん。辛いと言うと、当時一緒にお仕事をしていた方もいるし、お世話になった方もたくさんいるし、現場が楽しかったのも確かなので、それとは別個としてお話ししますけど……やっぱり辛かったですね。その頃は過労で斑点ができたりして、自分でも「えっ?」ってなったり。

「ちょっとごめん。家に戻してくれ!」

 当時のことで今でも覚えているのは……2003年に『トレジャー・プラネット』というディズニー映画で、僕が主役の声をやらせていただいたんですね。その日は、スタジオに入ってその声の収録と、あとは他に取材が3件くらいあったのかな。それで、マネージャーさんがいつも通り家まで迎えに来てくれて、車に乗ったんですけど、なんか生きた心地がしないというか……気持ちが落ち着かなくて、記憶も朝から飛び飛びだったんですよ。

 それでちょっと車が走り出したら、精神的にいっぱいいっぱいになってきちゃって。気づいたら、「ちょっとごめん。家に戻してくれー!」って言っていたんです。でも、マネージャーさんはこっちの事情は知らないから、「またー、そんなこと言って」と返されてしまって。そこで全てが一気に辛くなってきて、「もう待ってくれ!」って訴えて、家に戻ったんです。それで、そのまま布団を被ったら、涙がブワァーと出てきちゃって……。

――なぜ泣いているのかは、自分でも……。

加藤 わからないです。でも、そこで事務所から電話があって、早く仕事に行くように急かされたりして、なおさら「なんだ、これ」みたいになって。そういうことがあったので、偉そうなことを言える立場じゃないんですが、どうしても仕事をセーブさせてもらいたくて、こちらからお願いして番組を辞めさせてもらうこともありました。

――本当に忙しいときは、ヘリコプターで移動することもあったと伺いました。

加藤 ありましたね。さいたまスーパーアリーナで仕事をして、終わったらダーッと走って裏に停まっているハイヤーみたいなのに乗って、近くの小学校のグラウンドに向かったんです。そしたら、周りで部活とかやってる中、グラウンドにヘリがバタバタバタッて降りてきて。そこから千葉まで飛んで、撮影が終わったら次は世田谷のスタジオまで飛んで……。当時も「えっ、こんなことまでする必要ある?」とは、やっぱり思ってましたよ。

 今思えば、そもそも仕事の組み方がおかしいじゃないですけど、でも、そんなエピソードはたくさんあります。もう、常に追われていて、「はぁ」って落ち着こうとした瞬間に、後ろから「ねぇ?」って肩に手がくる感じで。やってもやっても、次から次に「ねぇ?」って。

会社員になった同世代が羨ましかった

――高校卒業とともに東京に出てきて、落ち着く間もなくそんな生活になってしまった。

加藤 あまりにも何も知らないままスタートして、知らないまま膨らんでしまったんで、たぶん僕じゃなくても、誰でもきつかったと思うんです。それに、僕はもともと何かに偏ることが苦手で。当時は、正直ちょっと忙しすぎて、自分の生活の全てが芸能界だけに偏ってしまった気がするんです。僕の中では、芸能人としての自分は一部でしかないのに、男・加藤晴彦、人間・加藤晴彦としての時間がなかった。日々追われるように仕事をしていて、自分の中でそのバランスがとれなかったというか……。

 引きで見たときに、自分には一体何の魅力があるんだろうとも思ったし、同世代が経験していることを何も出来ないまま時間が過ぎていくような気もしていました。自分ではまともなつもりでも、例えば会社に入った友人は給料のこととか保険の支払いのこととか、僕が全く知らないことを知っているわけです。なんかそれが羨ましいというか……自分自身には欠落した部分があるんじゃないか、というように思えてしまって。

仕事が終わると友達のアパートに行って……

――そうしたことを、どなたかに相談されたことはあったんですか?

加藤 地元(名古屋)の友達も東京に出て来ていたので、よくそいつの家に行って、相談というか、色々話はしていました。ジュノンのコンテストに誘ってくれた、高校の同級生です。仕事が終わってから、そいつのワンルームのアパートにコソッと行って、2人で豆腐丼を食べたりして。そうしているときが、いちばん素の自分だったのかもしれないですね。本当に辛かったときは、夜中に泣きながらそいつに電話を掛けたこともありました。でも、やっぱり自分がなんで泣いているのかはわからなかったんですよね。

 そんな状態でも、現場に行けば職業病でパッとカメラの前で芝居をするし、みんなでご飯を食べに行けば、そこでもやっぱり場を盛り上げようとスイッチが入るんです。でも、そんな切り替えに慣れちゃってる自分もちょっと気持ち悪くて、終わってからまたドーンってなって。

――芸能人としての環境の変化に、気持ちが追い付かない感じだったのでしょうか?

加藤 元々、「芸能界頑張るぞ!」とか「ずっとこの世界にいよう」って入ってきたわけじゃなかったから、なおさらですかね。それが一番大きかったかもしれないです。確かに仕事関係の方にご飯に連れて行ってもらったりもして、当時は友達も学生だったので、「いいなぁ」とか言われましたけど、僕はむしろ、同世代が行くような安い居酒屋のカウンターで喋っていたかった。たぶん、一生懸命普通のことをしたがっていたのかもしれないですね。

 なんというか、例えば芸能界で売れているといっても、突き詰めて考えると、それって何が凄いのって思ってたんですよ。オリンピックで金メダルを獲ったら「すごいな!」と思うけど、じゃあ芸能界でと考えると……。

「辞めさせていただきたいです」「ハルちゃん、なんで?」

――ただ、当時の加藤さんは、どんなときでも常に全力で仕事に取り組まれているイメージがありました。

加藤 やるからには絶対にそうです。やっぱり失礼のないように、目の前のことは仕事でも仕事じゃなくても、全部一生懸命やっていました。たぶん一個一個のエンジンの掛け方を知らないから、いきなり全力なんですよね。よく、「短距離走のスピードでマラソンを走ってるみたい」って言われてました。

――そこで6割、7割の力でやれていれば、と思うこともありますか?

加藤 それが出来れば良かったのかな。……でも、もし仮に7割でやっていたら、残りの3割は自分に嘘をついてるし、その3割によって、他のスタッフさんとか一緒に仕事をしている人にも失礼ですよね。人付き合いでもなんでもそうなんですが、0か100かの人間なんです。いい感じで脱力できないというか、「こなす」ということが嫌なんですね。

――そうするとやはり、仕事の量をセーブしていくしかないですよね。

加藤 色々気持ちが追い付かなくなってしまって、あるレギュラー番組に「辞めさせていただきたいです」とお願いしたときは、出演者の方から「ハルちゃん、なんで?」と言われたのを今でも覚えています。たぶん、当時のスタッフの方には生意気だと思われたかもしれないです。26、7(歳)でそんなことを言っていたので。でも、本当に余裕がなくて。

――精神的にギリギリな状態での選択だった、と……。

わざわざ「引退したの?」と言ってくる人も

加藤 やっぱりその頃は、ちょっと普通じゃなかったな、と思いますね。当時、すごく仲の良い地元の友達の結婚式が京都であって、なんとか仕事の合間を縫って出席したんです。でも、みんなはそのまま泊まりなのに、僕はすぐ東京に戻らなきゃいけない。それでみんなに見送られて新幹線に乗ったんですけど、「そのときの顔が本当に悲しそうだった」って今でも言われます。その後も、新幹線に乗っている間に5回くらい、京都に残った友達に電話を掛けていたみたいで。「みんな、今何やってる?」とか、そんなことを何度も……。

――しかし、自分を守るためとはいえ、テレビでの露出が減っていくと、やはり周りからは色々言われたりしませんでしたか。

加藤 「あれ、なくなったじゃん、番組」とか、「減ったね」とか言ってくる人もいましたね。でもそれって、わかってもらうのは無理なんですよ。なんだろう……格好をつけたような言い方になりますけど、もうここにいられるような状態ではなくなってしまったから、山をちょっと下らせてもらうと。でも、そうすると周りからは「あれ?」「仕事なくなったじゃん」って言われてしまう。

 もちろんそんなことは覚悟の上なんだけど、実際にそういう言葉を掛けられると、そもそもあなたたちには関係ないでしょ、という思いもありました。わざわざ「引退したの?」って言いに来る人もいましたし。

――そうしたことで、さらに心が削られたりもしますよね。

加藤 人前に立つ分、この仕事って普通の人に許されていることが許されなかったりする部分もありますよね。それをよく「芸能人なんだから、有名税じゃん」って言う人がいるけど、一方で何かあると「同じ人間じゃないか」って言われることもあって、「どっち?」って思います。

 でも、それこそネットでの誹謗中傷なんかは、いま問題になっていますよね。ああいうことを書きこむ人は、本当に責任を持ってほしいと心から思います。それがどんなに人を傷つけることか……。見えないところから石を投げてるだけだと思ってるかもしれないけど、投げられた方は確実に当たってるわけだから、どんどん傷が深くなっていくんですよ。芸能界もスポーツ界もそうだし、どこかの企業の社長さんだって、みんな普通に生活しているんだから。なんでそんなに理不尽な悪口言うのって思います。

結婚を機に見つめ直した「足りない部分」

――20代後半で仕事のやり方を見直した後、30代後半での結婚も一つの転機になりましたか?

加藤 結婚前後でも「一回ゆっくりしよう」じゃないですけど、やっぱりさっき言ったような、僕に足りない部分だとか、自分の中で失っている時間みたいなものは意識しました。とくに結婚はひとりの問題じゃない、というのがあって、子供ができてからは、これで父として何もしてやれなかったら、俺は結局なんなんだと……。だから、家族の存在は本当にありがたいですね。

――ただ、それは「仕事を休みます」という話ではなくて、これまでは仕事6、家庭4だった生き方を、今は仕事4、家庭6にしてみよう……といったことですよね。

加藤 そうです、そうです。だから、これでもし3年後にまたガツガツ仕事していたとしたら、「あんなに言ったのにやってんじゃん!」と周りは言うかもしれないけど、そういうことじゃないんですよ。僕の中では別にどっちでも……人生のトータルで考えているということなんです。仕事も家庭も、どっちか一個でも欠落しちゃうとダメなので。もちろん、周りから見たら僕の家庭のことなんか見えないわけなので、仕事の面しかわからないとは思いますが、僕の中では常にその配分の問題で、バランス良くやっているだけなんですよ。

 だから、何が大事かと言われたら、全部大事なんです。その上で心が健康であれば……それがまず、一番ですよね。

( #3へ続く )

撮影=二塚一徹

加藤晴彦(かとう・はるひこ):

1975年5月生まれ・愛知県出身。ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞し、1994年ドラマ『アリよさらば』で本格デビュー。

「今、すごく楽しいです」多忙すぎた生活を経て…加藤晴彦46歳が辿りついた“揺らぐ生き方” へ続く

(松永 怜)

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