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「亡くなってホッとした」“大口病院点滴殺人”34歳元看護師が法廷で明かした身勝手な“殺害動機”

文春オンライン / 2021年10月12日 11時0分

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旧大口病院©️文藝春秋

「痛い、苦しい、息ができない」真っ赤な便器、冷や汗、呼吸困難…“ヂアミトール投与殺人”の凄絶さとは《大口病院点滴殺人》 から続く

 2016年9月に発覚した横浜市神奈川区旧大口病院での「点滴殺人事件」。同年7月以降、同病院4階の終末期病棟では入院していた48人もの患者が相次いで亡くなる異常事態となった。このうち3件の殺人などの罪に問われているのが同病院の元看護師、久保木愛弓被告(34)である。

 横浜地裁で開かれている裁判では、同僚の看護師の供述調書などから、致死量を大幅に超える消毒液を点滴に混入された被害者が血尿を出し「頭が痛い」「苦しい」「息ができない」などと苦しんで絶命していった様子などが明らかになっている――。

動揺している様子は特に見られなかった

「久保木被告は『20人以上にやった』と自白しましたが、血液が残っていたか、遺体が火葬前だった3人分だけが殺人事件として立件されました。10月1日から始まっている裁判員裁判では、事件当時の詳細な状況が明らかになり、法廷では重い空気が流れています。

 裁判では、久保木被告の父親の証人尋問なども行われました。事件当初から犯人視された久保木被告を信じ続けていた両親の思いなどが語られても、ハンカチを握った被告はじっと耳を傾け続け、動揺している様子は特に見られませんでした」(司法担当記者)

「ゆくゆくは亡くなる方だから、仕事だから、とは思えなかった」

 苦しむ被害者を何人も見てきたはずだが、それでも次々と患者の点滴袋に消毒液「ヂアミトール」を注射器で混入していった久保木被告は、その動機について「自分が担当の日に患者が死んで、遺族に説明をするのが嫌だった」と捜査段階で供述していた。

 10月11日には、被告人質問が行われた。紺のジャケットを着て、長い髪を後ろで結んだ久保木被告は証言台の前に立った。

 この日は事件後、初めて公の場で話すということで注目度は高く、多くの傍聴希望者が横浜地裁に集まった。午前10時に開廷すると、弁護側の被告人質問が始まったのだが、小さな声で話す久保木被告に、裁判長が発言内容を確認することが何度もあった。

 まず弁護人は久保木被告が看護師を目指した高校生の頃から、看護学校に入学するまでの経緯を尋ねた。実際に看護師になると、「患者が亡くなるところに立ち会うことがあり、精神的に辛くなりました」と被告は小さな声で話した。その後、2014年4月に精神科を受診し、3ヶ月間、休職したという。

 2015年5月に久保木被告は大口病院に転職した。大口病院を選んだ理由については「延命措置をとらないから」と話した。しかし、大口病院でも「患者が亡くなることが辛かった。ゆくゆくは亡くなる方だから、仕事だから、とは思えなかった」と当時の心境を説明した。

 続いて、「私の勤務中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならない。ヂアミトールを入れて私のいないときに亡くなれば勤務のときに亡くなるリスクがなくなる」と殺人の動機を改めて語った久保木被告。ヂアミトールを使用した殺害をいつ思いついたか尋ねられると「覚えていません」と、この日何度も繰り返すことになる言葉を発した。

 殺意については「ニュースで患者さんが消毒薬を注射されて亡くなったことを知っていた」と話した。自らの行為の危険性を十分に認識していたことを窺わせた。

 弁護人の質問は徐々に3人の被害者の点滴袋にヂアミトールを混入させたという事件の核心部分に迫っていった。

亡くなってホッとした気持ちが強かった

 興津朝江さん(当時78)は2016年9月上旬に転倒して、右膝と右肘をけがをし、整形外科に通っていた患者で、容体が急変しやすいほかの終末期医療の患者と異なっていた。興津さんが病院から無断で出ようとした際に、迎えにいった久保木被告は「再び脱院すると思った」「行方不明になったり、けがをすると自分が責められると思った」という。さらに「自分の勤務が迫っており、それまでに退院してほしくてやった」と身勝手な動機からヂアミトールを混入させたと話した。

「(同年9月15日に)ナースステーションにあった点滴袋のゴム栓に注射器の針を刺し、吸い上げていたヂアミトールを入れました」

 翌日の9月16日に、この点滴を打たれた興津さんの容態は急変し、血尿を出して、苦しみながら絶命する。久保木被告は3日後に再び勤務先にやってきた時に興津さんが亡くなったことを知ったという。

弁護人 「亡くなったことを聞いてどう思ったか」

久保木被告 「本当に申し訳ないのですが、そのときはほっとしたという気持ちの方が大きかった」

 興津さんの死後も、久保木被告の殺人行為は止まらなかった。興津さんの死を知った9月18日には、西川惣蔵さん(当時88)の容態が悪くなり、「夜勤中に亡くなってしまうのではないか」と不安になったという。

 久保木被告は西川さんの個室に行き「血圧測りますね」と声をかけ、血圧を測った上で、西川さんに「気持ちよく過ごしてほしい」との思いから、シーツをきれいに整えたという。しかし、一方で、躊躇せずに、ヂアミトールを点滴に混入させた。早く効かせるために、ワンショットで接続部から注入したと説明した。

発覚が遅れればさらなる犠牲者が出た可能性も…

 弁護側が、「西川さんを気遣う気持ちがありながら殺害した理由」について尋ねると久保木容疑者は「説明できません」と話した。

 久保木被告はさらに八巻信雄さん(当時88)の点滴へヂアミトールを混入した事件について語った。それは“無差別殺人”とも呼べる行為だった。

 起訴状などによると、西川さんの点滴袋にヂアミトールを混入した9月18日、久保木被告は八巻さんの分を含む5つの点滴袋と生理食塩水にヂアミトールを混入した。

「記憶では10個(の点滴袋)に入れた。生理食塩水に入れたことは記憶にない」などと法廷で話した久保木被告は「八巻さんになぜ投与したのか」と尋ねられると「分かりません」と言った。

 続いて「八巻さんの点滴という認識はなかったのか」という質問に「はい」と答えた。「遺族に説明したくないので自分が勤務していないときや別の担当がいるときに死ぬように消毒液を混入した」という従来の主張とは異なる「無差別殺人行為」に至った経緯については、弁護人にその動機を尋ねられても「わかりません」という一言を述べるのみだった。

 八巻さんの点滴袋が泡立っていたためその後、事件が発覚したが、発覚が遅れればさらなる無差別殺人の犠牲者が出ていた可能性がある。

「すみません、ご遺族の顔を見て謝らせていただいてもよろしいでしょうか」

 この日の公判の最終盤、久保木被告は唐突にこう述べる場面があった。

 法廷内はざわついた。遺族らと相談した上で検察側は「お任せします」と述べた。その後、裁判長は「言葉としておっしゃりたいことはマイクに向かっていったほうが伝わると思います。それから遺族の方を向いて話してください」と話した。

「裁判ではお詫びの気持ちをお伝えしたいと思っていた」

 久保木被告は「私の身勝手な理由で大切なご家族の命を奪ってしまい、大変申し訳ありませんでした」と話し、「許していただけないとは思いますが、裁判ではお詫びの気持ちをお伝えしたいと思っていました。本当に申し訳ありませんでした」と少し大きな声で遺族の方を向いて話した上で深く頭を下げた。

 遺族の一人の女性は、被告のこの謝罪の後、何度も涙を拭う様子を見せた。

 小学校低学年の頃には仲の良い友達と「セーラームーンごっこ」に興じていたという久保木被告。徐々に友達はいなくなり、大口病院では相談ができる同僚などはいなかったようだ。11日は弁護側による被告人質問だったため、「ゆるい質問ばかり」(司法担当記者)だったが、12日は、検察側が「大量殺人犯」を厳しく追及するとみられる。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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