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眞子さま30歳に 小室圭さんとのご結婚で国民の“象徴天皇観”は分断《“意思を持つ皇族”をどう受け止めるか》

文春オンライン / 2021年10月23日 6時0分

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2021年、眞子さまのお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供

 眞子内親王が10月23日、30歳の誕生日を迎えた。26日に小室圭さんと結婚し、皇室から離れることになったため、これが皇族として迎える最後の誕生日となった。

 眞子内親王は1991年に生まれた。まだ平成に入って3年目であり、平成の天皇の即位から両親である秋篠宮夫妻の結婚へと続いた雰囲気が残っているなかでの誕生であった。平成の皇室像は、マスメディア、特にワイドショーのあり方に親和的で、盛んに取りあげられた。眞子内親王はそのなかでも、平成の天皇と皇后の初めての孫として、幼少のころから常にマスメディアの注目を浴びる存在であった。歩いたこと、しゃべったこと、学校へ入学したこと、進学したことなど、すべてが天皇・皇后の初孫ゆえに大きく報道されたのである。

天皇の孫世代の新しいモデルだった

 佳子内親王・愛子内親王・悠仁親王と同じ天皇・皇后の孫であったが、先に生まれたがゆえに常に天皇の孫世代の新しいモデルとして、眞子内親王は見られていたとも言える。「皇室アルバム」のような昭和の格調高いテレビ番組で取りあげられるだけではなく、各局の朝や昼のワイドショーに取りあげられることで、より親しみを感じさせる存在だったのである。

 また、眞子内親王の成長期は、インターネットという新しいツールの発展とも軌を一にしている。2005年前後には、「眞子さま」ブーム、「マコリンペン」ブームがインターネット上で起こった(茂木謙之介『表象天皇制論講義』白澤社、2019年)。眞子内親王を模したいわゆる「萌え系」のイラストがネット上にあふれた。セーラー服で学習院女子中・高等科の入学式や卒業式に出ていた姿がテレビで報道され、そうした姿がネットのなかで受け、消費されたのである。そのようなサブカルチャーとの親和性も眞子内親王にはあった。そうした姿も皇室の新しい像として、マスメディアで取りあげられている。

国民を信じられないという気持ち

 ところが今回、結婚決定の正式発表をした際、加地隆治皇嗣職大夫は「眞子さまは中学生の頃から、身近な方々やご自身に対する誹謗中傷と感じられる情報を日常的に目になさり、精神的な負担を感じておられた」と話し、複雑性PTSDにつながるようないわゆる「トラウマ」が、前述のようにネット上で盛り上がっている時期からあったことを示唆した。

 加地大夫はその「誹謗中傷と感じられる情報」を具体的には説明していないゆえ、何が問題だったのかははっきりとしない。しかし、テレビなどのマスメディアで何度も取りあげられ、ネット上で盛りあがりサブカルチャーのなかでも支持されていた眞子内親王も、ある種の「孤独」を感じていたのかもしれない。国民からの注目や期待に応える一方で、しかし批判や誹謗中傷と感じる情報を目にする。それは、皇室を離れたい、皇族の立場を離れたいという思いを強くさせたのではないだろうか。また、どこか国民を信じられないという気持ちを抱くことにもなったと考えられる。

マスメディアに対するやや不信感とも言える「お気持ち」

 2017年5月、国際基督教大学の同級生で法律事務所にパラリーガルとして勤務する、小室圭さんとの婚約準備を進めていることがNHKにスクープされ、その後に婚約内定が発表された。この時のマスメディアの報道は、小室圭さんの職業も、海の王子という経歴も、二人が留学に関する意見交換会で出会ったことも、好意的に報じていた。そこでは、新しい皇族のあり方にふさわしい存在として、天皇・皇后の初めての孫が皇族を巣立っていくかのように見られていた。もちろん、二人の婚約内定の記者会見も好意的に見られた。

 しかし同年、小室さんの母親のいわゆる金銭トラブルが「週刊女性」をはじめ週刊誌で報じられたことで事態は一変する。そして2018年2月6日には宮内庁は納采の儀などを含めた結婚に関係する儀式の延期を発表した。

 その際、眞子内親王と小室さんの「お気持ち」が発表されたが、そのなかには「昨年5月、予期せぬ時期に婚約報道がなされました。このことに私たちは困惑いたしましたが、結婚の意思を固めていたことから、曖昧な状態を長引かせない方がよいとの判断をし、当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました」という文章に見えるように、NHKのスクープによって急ぎ婚約内定の公表をしなくてはならなくなったことなど、マスメディアに対するやや不信感とも言える「お気持ち」が込められていた。それは、中学生以来感じていた感情が噴出したとも見える。

結婚に反対する意見や疑義は大きく展開

 その年の8月に小室さんがニューヨークへ留学し、事態は膠着状態が続いた。しかも秋篠宮が誕生日の記者会見で、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、婚約にあたる納采の儀を行うことはできません」と述べたことで、よりハードルがあがったとも言える。象徴天皇の地位が国民の総意に基づくものである以上、秋篠宮は国民から理解される結婚でなければならないと考えたのだろう。

 この間、週刊誌などのメディア、インターネット上では結婚に反対する意見や疑義などが数多く提起された。小室さんに関する様々な噂も展開された。宮内庁はこれに対して「 眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について 」を発表、週刊誌メディアによる報道を「雑音」と表現しながら、かなり強い調子でその報道に反論するものの、それは基本的には当時の天皇や皇后に関する記述へのものであったことから、小室さんへの批判は止まらず、それは眞子内親王へも波及していく。また、インターネット上で展開されていたコメントに対応することはなかった。

 この時にも、おそらく二人が決めたことなのだからという形で結婚に賛成する人々もいたと思われる。しかしその声は大きく取りあげられなかった。むしろ、結婚に反対する意見や疑義は大きく展開された。それは、賛成する人々が強くそうした思いを持っていたわけではなかったためにその声は小さく、反対する人々は逆に強い思いを持っていたがゆえにその声は大きく見えたのではないだろうか。

眞子さまの結婚から国民の象徴天皇観は分断

 また、眞子内親王と小室圭さんが二人の思いを貫こうとしたことも大きな問題となったと思われる。その姿は「私」を重視するように見えた。一方、平成の後半では天皇・皇后を中心に皇族が積極的に被災地訪問を繰り返す姿は、「私」よりも「公」を重要視する姿勢と受け止められ、それが人々の尊敬・好感の感情へと繋がった。そうしたいわゆる「平成流」の姿と眞子内親王の姿は対比的に見えた。つまり、保守派からの批判だけではなく、「平成流」を高く評価する層からも眞子内親王の姿勢への疑義が見られるようになったのである。

 しかし、複雑性PTSDについて宮内庁が発表した後、やや世論の風向きは変化してきたようにも思われる。賛成の声もマスメディアでは取りあげられるようになり、「読売新聞」の世論調査では結婚をよかったと「思う」は53%と半数を超え、「思わない」は33%であり、眞子内親王の同年代が含まれる18~39歳では「思う」が59%という状況となった。多くの人々が尊敬・共感していた「代替わり」時とは異なり、眞子内親王の結婚から国民の象徴天皇観は分断している。これをどう元のように戻すのか。今後の皇室にとって大きな課題とも言える。

 その一つの答えが、結婚は認めつつ、納采の儀などは行わないという方向性だろう。反対する人々に対して、皇室として一つのけじめを見せたと言えるだろうか。しかしこれは、後に続く結婚などに与える影響も大きい。皇族の意思と国民の感情をどう調和させていくのか。皇室が今後考えなければならない問題である。一方で私たちも、意思を持つ皇族という存在を受け止める必要がある。そしてそれは、象徴天皇制をこれからどういう形にしていくのかという、日本社会にとって大きな問題を考えることでもある。今回の眞子内親王の結婚の問題を契機にして、象徴天皇制に向き合うことが私たちに求められている。

(河西 秀哉/文藝春秋)

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