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《コロナ鎖国で窮地の北朝鮮》「人身売買業者に捕まると中国の奥地の結婚できない男に売られる」命懸けの脱北で見た光景

文春オンライン / 2021年10月26日 6時0分

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中国との国境にある鴨緑江 ©️getty

「人肉冷麺を売っていた紳士的な知識人が逮捕された」食糧危機の北朝鮮に横行した“人肉殺人事件”《脱北者が証言》 から続く

 税金はないし、医療、教育は無料。好きなところに行くことができて好きな学問を学べる地上の楽園――。

 1960年頃、そう喧伝されていた北朝鮮には多くの在日コリアンが“帰国”した。しかし現地での生活は厳しく、帰国者の何人かはその後脱北。日本にはそうした元帰国者を含めて脱北者が約200人いると言われているが、在日コリアン2世の川崎栄子さん(79)もそのうちの一人だ。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)

殺人に強盗…食糧危機で北朝鮮は“最悪の時代”に

 川崎さんは17歳の時に北朝鮮へと渡ったが、そこには“楽園”とは程遠い「数百年歴史が遡ったようだった」という現実が広がっていた。出国は許されず、日本に残った両親ら家族とも、年に数回の手紙のやり取りや、仕送りをもらうことで精一杯だった。

 そのなかで、川崎さんは地元男性と結婚し5人の子供を授かった。北朝鮮でなんとか生活基盤を確立していた川崎さんだったが、1994~2000年にかけて深刻な食糧危機に見舞われる。配給がストップした北朝鮮では当時、人口2500万人のうち30万~300万人以上が餓死したと推計される。

 しかし川崎さんは、当時の状況をこう振り返る。

「食糧危機が原因で殺人や強盗も横行していました。嫁を殺害して食べる姑や、人肉をいれた冷麺を売っていた人もいました。そうした被害者を含めると5人に1人は亡くなっていたような感覚です。500万人近い人が亡くなったんじゃないでしょうか」

 壮絶な状況だったが、食糧危機は2000年ごろに国連物資などのおかげで沈静化した。

日本の首相が「お教えを請うための訪朝」

 そしてその直後、2002年9月に日朝関係で大きな出来事が起きる。当時の小泉純一郎首相が、日本の歴代首相として初めて訪朝し、金正日総書記と会談を行ったのだ。

 ここで北朝鮮側は、拉致被害者の存在を初めて公式に認めた上で、日本政府が拉致被害者と認定していた横田めぐみさんら計8人の死亡を主張。蓮池薫さんら計5人の生存を伝え、生存者の日本への帰国が実現した。

「北朝鮮内で情報はコントロールされていましたから、拉致被害者のことはまったく知りませんでした。小泉首相が来るということも国内で知らされてはいましたが、単に『金正日総書記にお教えを請うための訪朝』と伝えられていましたから」

 しかし川崎さんら「帰国者」は、小泉首相の来朝によって日本への郷愁をかきたてられたということもあるのだろう。翌年、川崎さんは「北朝鮮へ渡ったときから考えていた」という約40年越しの脱北を遂に決行する。もちろん北朝鮮では国外に出ることは禁じられている。命がけの脱出となった。

脱北に失敗した友人が「国境警備隊から拷問」

「情報が漏れると失敗して命を落とす危険があったため、家族を置いて、一人で決行しました。まず中国との国境地域にいるブローカーを雇いました。帰国者の姿をしていると、お金を持っていて客になるとブローカーから声をかけてくるんです。だけど我々の間で『脱北』という言葉は使わない。『川の向こうの中国に大きな市場があるので行きたくないか』『商売しているので行ってみたい』などとやり取りする中で信頼できるブローカーを見つけるんです」

 しかしブローカーの誰もが信頼できるわけではない。中には質の悪い人物も紛れ込んでいたという。

「ある友人の日本人女性は、息子と一緒に脱北しようとして悪いブローカーに捕まってしまった。しっかりとしたブローカーは安全に川を渡るために、お金を国境警備隊や中国側のブローカーに渡す。それをしなかったため、川べりで、2人揃って逮捕されてしまったんです。

 逮捕されると、まず国境警備隊で拷問された後に地元の保衛部に連れ帰られる。友人は絶食するようになって、結核になってしまった息子さんと外に出ることはなく死んでしまった。知ったときは涙がずっと止まりませんでした」

ブローカーに潜む人身売買業者「脱北者につけられた値段」

 しかしながら川崎さんはブローカーの手引きによって中国国境の川を渡り、中国国内に入ることに成功した。

「国境の川の上流に、渇水期には石を飛び飛びに渡っていけば、足も濡れないで渡れるポイントがあるんです。良いブローカーを雇えた私は昼間に渡ることができました。中国側には、別のブローカーが車で待っていました」

 しかしながら、脱北に成功して中国に入れたとしても、安心はできないという。

「悪徳ブローカーのなかには、人身売買業者も多いんです。脱北者には値段がつけられ、若かったり、美人だったりすると、日本や韓国の男に売りつけられてしまいます。遊郭みたいなところに売られたり、ひどいと中国の奥地の結婚できない男のところですかね。

 中国国内の公安も脱北者には目を光らせていて、捕まってしまうとその日のうちに北朝鮮に送り返されてしまう。妊娠している人がお腹を蹴飛ばされたりして流産させられたケースもありました。だから、脱北に成功しても、なかなか落ち着くことはできないんです」

 中国には1年半ほど潜伏した。川崎さんが雇ったブローカーに問題はなく、中国から日本へ向かう準備をしていた際には、日本語の講師をしながら、知り合いのつてで別のブローカーの通訳をしていたという。

「ブローカーの多くは女性なんですよ。ご主人が法曹関係者とか、立派な職についている。私がお世話になったのは大物ブローカーで、ご主人の威光があったので、絶対に公安に捕まることはなかったんです。

 しかし通訳をしたのはひどい業者だった。人身売買業者だったんです。脱北者のリストをつくり、全員中国の大学を卒業したことにして、韓国や中国の金持ちなどに売り飛ばしていました」

国境を挟んで息子と最後の対面「覚悟しています」

 川崎さんは日本の領事館に行き、なんとか弟が身元引受人になるなどして日本国内に入ることができたという。しかし日本へ帰国する前、川崎さんは一度だけ、北朝鮮に残る息子と顔を合わせている。

「中国に渡った後、中国と北朝鮮の国境の警備隊にお金を払って、河川敷で息子と会ったことがあるんです。息子は『お母さんは親の役目を果たしたので自分の親兄弟のところへ帰っていいですよ』と言ってくれました。息子には連帯責任が降ってくる可能性がある。『覚悟しています』と言ってくれました」

 北朝鮮に残した家族に後ろ髪をひかれつつも、北朝鮮での長い生活を経て、ついに日本に帰ってきた。

「40年ぶりの日本でしたが、映画を通して日本の発展を知っていたので、そこまで驚きませんでした。見つかると厳罰を受けるのですが、ビデオデッキを持っていた友人にビデオを売りに来る業者がいて、日本やアメリカの映画を観ていましたので。『スターウォーズ』は大好きな映画でした。例外的に『寅さん』は金正日が好きだから、観ても大丈夫なことになっていたので、全巻見ました」

「危篤状態の父が私を見て驚いた表情に」

 こうして帰国した川崎さんは、自宅ではなく病院に直行した。父親が危篤状態で入院していたのだ。

「病気の父はもうしゃべることはできなくなっていました。それでも私を見てとても驚いた表情をしていました。4日後に亡くなってしまいましたが、最後に会えたことには本当に意味があると思っています。帰国者のほとんど全員が親の死に目には会えなかったわけなので。母は私が帰ってきてから2年後に亡くなりました」

 川崎さんの5人の子供のうち1人は同じように脱北して日本にいるというが、残る4人は北朝鮮にいる。年に何度かコレクトコール(受信者が電話料金を負担する電話)でかけてきていたというが、徐々に頻度が減り、一昨年の11月以降、連絡が途絶えた状況が続いているという。

コロナ禍の北朝鮮も食糧危機「あのときと同じ」

「北朝鮮でも国際電話はできます。平壌には国際電話センターがあり、コレクトコールで日本と通話ができます。地方都市のホテルにも国際電話はありますが、いずれも公の電話で、話したいことを話せません。中朝国境地帯では、北朝鮮側で中国の携帯を、金を払って借りることのできる業者もいます。しかし、まったく連絡がない。雀の涙ほどですが現金書留を送ったりもしているのですが、どの子からも連絡はありません。

 金正恩は、今年4月『苦難の行軍』という言葉を使いました。これは殺人事件が横行した飢饉のときにも使われた言葉なんです。今の北朝鮮はあのときと同じような状況になってしまっているのではないか。餓死者が出ているという報告もあり、心配で仕方がありません」

 川崎さんら脱北者の男女5人は、長期に渡り過酷な生活を強いられたとして、計5億円の賠償を求め、北朝鮮政府を提訴している。川崎さんは「賠償を求めてはいますが、多くの人に知ってもらうことで、日朝間の交渉を有利に進めていきたいという思いもあるんです」と語っている。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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