1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

「2年以内に抜けるのが目標でした」フリークラス脱出を果たした古賀悠聖四段を直撃取材

文春オンライン / 2021年10月28日 11時0分

写真

新人王戦で対局した伊藤匠四段(写真左)と古賀悠聖四段(右) ©️相崎修司

 将棋界では若手の登竜門とされる「新人戦」。第52期新人王戦決勝三番勝負は伊藤匠四段と古賀悠聖四段の戦いとなり、10月11日、伊藤が2連勝で初の棋戦優勝を飾った。

 両者は四段昇段が同期で年齢も近く、互いに意識する存在だろう。そのような相手に敗れた古賀だが、戦いを終えた姿にはさほど悲愴感が見受けられなかった。

 その一因として、あるいは準決勝の対梶浦宏孝七段戦のほうが、古賀にとってはより大きな勝負だったからかもしれない。梶浦に勝ったことで、古賀は四段昇段からの通算成績を20勝10敗(未放映のテレビ棋戦を含む)として、フリークラス脱出を果たしたからである。

「棋士になってから1年かからずに脱出できたのは、自分の想定より速かったと思います。四段昇段の時には2年以内に抜けるのが目標でした」と、古賀は言う。

 古賀の四段昇段は2020年10月。第67回三段リーグで2度目の次点(3位)を取ったことで、フリークラスへ編入の権利を得て、これを行使したことによるものだ。

名人戦・順位戦に参加しない「フリークラス」

 そもそも、フリークラスとは何か。一言でいえば「名人戦・順位戦に参加しない棋士」である。順位戦では頂点の名人からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組までの厳然とした階級に分かれている。各クラスそれぞれが1年を通したリーグ戦を戦い、成績上位者が上のクラスへ昇級、成績下位者は下のクラスへ降級となる。

 では、最下級のC級2組でも悪い成績を取ってしまったらどうなるか。C級2組では成績下位者の10名ほどに「降級点」がつけられるが、これを3回取るとC級2組からも降級してしまう。降級と言ってもC級2組より下の階級はないので、順位戦を指せなくなるのだ。昭和30年代は、現在でいう三段リーグに落とされて、奨励会員を相手に指していたケースもあった。

 最下級のクラスから落とすのはあんまりだということで、1981年度の第40期順位戦からC級2組の降級点はつかなくなったが、6年後の第46期には降級点制度が復活している。棋士の足切りをしないと、日本将棋連盟の運営に差し障るからだ。降級点制度の復活からすぐさま3期連続で降級点を取り、第49期から順位戦に参加できなくなった棋士もいる。

 そして1994年に「フリークラス制度」が導入された。C級2組からの降級者の他に、「フリークラス宣言」をした棋士が所属するクラスとなる。フリークラス制度は、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度だ。年10局のリーグ戦を普及などの活動と両立させるのが難しいという場合に、棋士がフリークラス宣言をするケースがある。

 さらに1997年から、奨励会三段リーグで次点を2回取るとフリークラスへの編入が認められるようになった。これまで次点2回での四段昇段者は、古賀の他に、伊奈祐介七段、伊藤真吾六段、渡辺正和五段、渡辺大夢五段、佐々木大地五段がいる。

降級後復帰を果たした伊藤博文七段、島本亮五段

 同じフリークラスと言っても、降級組と宣言組では状況がまったく異なる。後者は一度宣言すると二度と順位戦を戦えなくなるのに対し、降級組は救済措置として所定の成績を上げれば順位戦に復帰できるのだ。条件は色々あるが、直近の30対局以上で勝率6割5分以上というものがわかりやすい。この条件を満たして降級後からの復帰を果たした棋士に、伊藤博文七段(2001年に復帰)と島本亮五段(2015年に復帰)がいる。

 降級点制度が復活した当時、河口俊彦八段が「復帰のルールがあるが、これはあってなきがごとしで、その成績は不可能事である。そんなに勝てる力があれば降級点を三回も取るはずがない」と書いていた。これは河口八段のみならず、おそらくは棋界共通の認識だったろう。だからこそ、伊藤博と島本の復帰は称えられるべき偉業である。この両者以外にも、復帰まであと一歩に迫った棋士は数名いるが、惜しくも及ばなかった。

史上初のフリークラス脱出を果たした伊奈七段

 そして次点2回組も同様の成績をあげれば、C級2組に参加することができる。伊藤博が復帰を決めた直前に、史上初のフリークラス脱出を果たしたのが伊奈七段だ。1998年4月、当時22歳の伊奈は次点2回でフリークラス編入となったが、2001年5月に昇級を果たすまでは多くの葛藤があったのではなかろうか。

 順位戦に参加できていないというのは、対局料などの待遇でも他の棋士と比較してだいぶ差がついていただろうし(仕方がないこととはいえ、単純に考えても10局分は少ない)、また当時の将棋年鑑では、後輩の順位戦参加棋士よりも格下のように扱われていた(さすがにこれはどうかと思われたのか、伊藤真六段以降の次点2回組はそのような扱いを受けていない)。

順位戦に参加できないと10年で引退に

 何より、フリークラス棋士は順位戦に参加できないと10年で引退に追い込まれてしまう(宣言棋士はそれより長い)。次点2回組にとっては、三段リーグの26歳に続く2度目の年齢制限とも言える。伊奈が昇級を決めた時の取材で「32歳で引退になるなら、26歳で奨励会退会のほうがよかった」と語ったのは今でも印象に残っている。

 伊奈以降の次点2回組も、みな所定の成績を満たしてC級2組に参加を果たした。そして今回の古賀である。9月8日の対梶浦戦については「初の決勝進出と順位戦昇級という2つが懸かる重い一番になりましたが、強敵相手にいい将棋が指せればと思っていました。対局自体も終盤まで面白い将棋で、納得がいくものでした」と振り返る。終わった瞬間は「目前の一局に勝ててホッとしたのが一番でしたね」とも。

 実は梶浦戦の前、8月31日に行われた黒田尭之五段戦も勝てば昇級の一番だったが、ここでは敗れている。

「残念でしたが、次もあるので落ち込んでいる暇はないというのが正直な気持ちです」

 古賀は10代で四段昇段を果たしたこともあり、有望な若手の一人としてみられているが、デビュー当初はそれほど勝っていたわけではない。「年度が変わってから勝ち星が集まり始め、6~7月頃に、順調ならこのまま抜けられるかも、と思い始めました」という。

直近の目標は「叡王戦の四段予選を抜けたい」

 古賀の勝ち星が増えだした頃は、Abemaトーナメントが注目を集めていた頃でもあった。古賀は兄弟子の佐藤天彦九段からチームメイトとしてドラフトで指名されたが「注目される将棋を指せたのは大きかった」と振り返る。

 佐藤天は、次点2回のフリークラス編入権利を行使せず、のちに三段リーグで2位以内に入って四段昇段を果たしたことでも知られる。四段昇段の形は対称的となった兄弟弟子だが、偉大な兄弟子に早く追いつき、大舞台でぶつかることを師匠の中田功八段が待ち望んでいるだろう。

 新人王戦は惜しくも準優勝だったが、古賀はこれからについて「順位戦は先後が決まっているので、準備して臨みたいです。直近の目標としては叡王戦の四段予選を抜けたいですね」と語った。今年から始まった「SUNTORY 将棋オールスター 東西対抗戦2021」では、激戦を勝ち抜いて関西代表の座をつかみとった。トップ棋士に交じって注目の舞台で指すことになる。

 同世代の棋士については「藤井聡太三冠は格上なので意識していませんが、伊藤匠四段、加古川青流戦で優勝した服部慎一郎四段からはいい刺激をもらっています。ライバル視しているので、負けないように活躍したいです」と闘志をあらわにした。新鋭の更なる飛躍に期待したい。

(相崎 修司)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング