東スポ「中日・岩瀬が日ハム移籍拒否」報道で考えたこと

文春オンライン / 2018年1月21日 11時0分

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 大野奨太のFA補償が金銭で決着し、いささか意外だったのだ。経緯をたどると同選手のFA契約締結合意公示が昨年12月13日、ルールではそこから40日以内に補償内容を確定させる手筈だった。ファイターズは増井浩俊(オリックスへFA移籍)のケースと異なり、人的補償を求める方向と報じられた。同20日、吉村浩GMが中日から届いたプロテクトリストに関し、「ファイターズとしてインパクトのあるリストでした。検討する価値のあるものと考えています」と示唆したからだ。

 インパクトのあるリスト。

 僕のような長年の日ハムファンにとっては心躍るフレーズだった。うわ、誰かなぁと選手名鑑をひっぱり出して、検討を重ねた。知り合いの中日ファンに見解を尋ねたりもした。それが、松が取れ、仕事始めの週になってもなかなか発表にならない。自主トレのニュースが出始めた。僕は「大野 人的補償」と検索をかけるのが日課になってしまった。ここが確定しないと、日ハムも中日も今年のロースターが見えないのだ。

 それが1月14日、突然、金銭補償に落着する。吉村GMは「本日、中日ドラゴンズに対してFA移籍に伴う人的補償は求めないと回答しました。理由はお答えできない」とコメントを発する。ヤフーのトレンドワードに「キンセン選手」が上がった。結局、日ハムが求めたのは「キンセン選手」だった。僕らはすっかり拍子抜けだ。中日ファンの友人は「結局、中日には欲しい選手がいなかったってことですね」とホッとしつつも、軽く自虐していた。

東スポの「岩瀬移籍拒否」報道

 さて、大前提を言うと大野のFA移籍に関してはこれにて完了である。吉村GMの「理由はお答えできない」が意味深だけど、契約交渉の機微に関わることだ。言えないというならそれ以上のツッコミはできない。これでキャンプ入りのロースターは定まった。頭を切り替えよう。このメンバーで去年の大田泰示、松本剛のように飛び出すのは一体、誰だろう。

 と思っていたら17日、東スポの「岩瀬 ハムから補償指名あった」報道が出て、びっくり仰天した。舞台裏で日ハムは、何と岩瀬仁紀投手兼コーチを指名していたというのだ。岩瀬といえば中日の至宝である。にとどまらず球界のレジェンドといっていい。それが(おそらくは大ベテランであり、かつ兼任コーチであるところから)プロテクト洩れしており、ハム側が指名に踏み切ったのだという。ケースとしては馬原孝浩のオリックス入りを連想させた。

 そして岩瀬は引退覚悟でこれを拒否したのだという。最終的には日ハムが折れて、金銭補償に方針転換したという記事だった。「デスクの目」という解説が添えてあって、「今回起きた『人的補償拒否問題』はFA移籍のシステムそのものを揺るがす重大な『あしき前例』となりかねない」と警鐘を鳴らしている。SNSはハチの巣をつついたような騒ぎになった。皆、判で押したように「ソースが東スポだが……」「東スポ一紙の報道だが……」とリテラシーを重んじ、批評的なテクスト読みをしているところが面白かった。東スポは教育的なメディアだなぁ。

 が、東スポは1面トップで思いきり弾ける代わりに、プロ野球や日本サッカー協会の人事といった奥のほうの記事では驚くほど本当のことが書いてあったりする。フツーのスポーツ紙は出入り禁止を食らうと仕事にならないが、東スポはたぶん怖くないのだ。岩瀬の一件は本当かもしれない。本当ではないかもしれない。僕にはまったく判断がつかない。これはあくまで交渉事だから双方、種明かしなどしないだろう。17日夕、中日・西山和夫球団代表が囲み取材に応じ、「誰がプロテクトに入って、誰をプロテクトしてなかったかは一切言えません。それと同時にこれは洩らしてはいけないこと。どこでそういう風にしてやったのか、書いたのか知らないけど一切言えない。コメントすらありません」としたのも道理なのだ。

 いや、だからこれは思考実験の類いだ。岩瀬仁紀がファイターズのリリーフ陣に加わっていたら、とんでもなくセンセーショナルだった。中日ファンは凹んだかもしれないが、もはや岩瀬は金田正一、米田哲也級の超越的ヒーローだ。「インパクト」どころの話じゃない。もちろん若手投手はどれだけ勉強になったかはかり知れない。

 率直に言って、(報道が真実なら)見たかったなぁと思う。が、そんなことはあってはならないという中日ファンの心情も痛いほどわかる。そして、大ベテラン&大功労者がプロテクト洩れしている場合、非常に厄介なことになるのも理解した。確かにそれで「引退覚悟の拒否」ということになったら、人的補償の制度そのものが形骸化してしまうだろう。

 ただこれはプロとプロとの交渉事なので、ルール違反だ何だと目くじらを立てて騒ぐことでもない。第一、僕らはルール違反が起きたかどうかさえ知り得ないのだ。結論は金銭補償で一件落着。これ以上の何もない。大人の世界はもっと機微があるものだろう。もし、東スポ報道が真実なら日ハムにとっては「貸し」だ。それはすぐ交換の選手の形で返って来なくても、色んなことがあり得ると思うのだ。中日には沖縄のオープン戦に始まってお世話になっている。社会ってそういう持ちつ持たれつじゃないかなぁ。

「人的補償第1号」のベースボール・ドリーム

 さて、以下は余談である。僕は人的補償というとどうしても思い出す選手がいるのだ。川邉忠義。1989年、巨人のドラフト2位だ。秋田工業から川鉄千葉を経て、鳴り物入りでプロ入りした。193センチの長身から投げおろすストレートに魅力があった。が、1軍未出場のまま、95年、河野博文のFA移籍の人的補償としてファイターズにやって来る。93年から施行されたFA制度の人的補償による移籍第1号だった。まぁ、ファイターズは昔からFAというと圧倒的に出ていかれるほうの側だった。

 河野博文は長嶋茂雄監督に「ゲンちゃん」と呼ばれ、人気者になった。一方、川邉も96年シーズン、1軍登板の機会を得て、ひたむきに頑張っていた。僕は川邉に注目して、登板試合を追いかけた。「人的補償」なんて人質交換みたいな語感の移籍だけど、これで芽が出たらベースボール・ドリームじゃないか。よそでくすぶっていた者が働き場を得て、ついに真価を発揮するのだ。川邉は実にマジメそうな選手だった。秋田出身らしく性格もおっとりしている。

 そのシーズンは17試合に登板した。1勝3敗、防御率4.89。川邉が1軍で投げたのはその年だけだから、これは生涯成績でもある。たった1勝しかできなかった。5月19日、千葉マリンのロッテ戦(5回2/3を2失点)。といってその前、1軍初登板の近鉄戦(5月12日、東京ドーム)も好投したんだよ。負けはついたけど、6回2失点でゲームをつくった。川邉はいつもホントに丁寧に投げていたんだ。スパイクについた土をときどきコンコンと落としていた。無表情だけど、いっしょうけんめいなのが伝わってきた。

 翌97年のシーズン激励会が都内のホテルで開かれたとき、僕は川邉にサインを求めた。サインペンと千葉マリン内野自由席の半券を差し出す。川邉忠義は想像した通り、好漢だった。顔をパッと輝かせて「これは……、僕が勝った試合じゃないですか!」と言った。機会を与えられて本当にラッキーだと言った。人的補償で注目されて逆に励みになる、1つ勝てたことで自信になった、今年も頑張ります。

 その年のオフ、川邉は自由契約になり、引退してしまうのだ。NPBの「人的補償第1号」は1勝しかできなかった。僕は本当に残念だった。だけどね、このサインは僕の宝物だ。この1勝はベースボール・ドリームだよ。人的補償をマイナスばかりで捉えないでほしいのだ。プロ野球史上のパイオニア、川邉忠義の誇りのためにも。今回は本当のところこの話が書きたかった。

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(えのきど いちろう)

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