追悼 “天才”ホーキング博士の複雑すぎた結婚とは?

文春オンライン / 2018年3月18日 7時0分

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2009年、オバマ大統領から大統領自由勲章を授賞されるホーキング博士 ©getty

 3月14日に76歳で亡くなったイギリスの物理学者スティーブン・ホーキングは、1942年1月8日に生まれた。ホーキングはしばしば、この日は近代科学の創始者のひとりガリレオ・ガリレイのちょうど300年後の命日だったと、いかにも運命的な巡り合わせのように語りつつ、《もっとも、私の推定ではその日にはだいたい二〇万人の赤ん坊が生まれているはずですが》とジョークを飛ばしたという(『ホーキング、ブラックホールを語る BBCリース講義』佐藤勝彦監修・塩原通緒訳、早川書房)。

「私の当初の狙いは、空港の本屋で売られるような本を書くことだった」

 ホーキングは、ブラックホールの研究などで数々の業績を残した。その活動の範囲はアカデミズムの枠を越え、テレビに出演したり、宇宙の誕生について一般向けに書いた『ホーキング、宇宙を語る』(1988年/邦訳は1989年)が世界的なベストセラーになったりもした。この本について、専門家からは《語られる内容が研究の産物か、想像の産物なのか。確証に基づいたものは何もない》といった冷ややかな声もあったが(『SPA!』1989年9月20日)、本人は《私の当初の狙いは、空港の本屋で売られるような本を書くことだった》と説明している(2018年3月13日付 ロイター)。

 しかし著書の内容以上に私たちにインパクトを与えたのは、車椅子に乗り、音声合成装置を使ってコミュニケーションをとる姿だろう。これはケンブリッジ大学院に在籍中、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、しだいに筋肉が麻痺していったうえ、40代に入ると肺炎の気管切開手術により声も失ってしまったためだ。そんなハンディキャップを抱えながらも宇宙の謎に挑み続けるホーキングの存在は、多くの人の心をとらえた。

博士の「奇妙な」結婚

 私生活では、病気を宣告されたころに知り合った女性と、1965年に最初の結婚をしている。その相手であるジェーン夫人は、ホーキングに生きる目的を与えてくれたという(『PLAYBOY日本版』1990年6月号)。彼女とは3人の子供にも恵まれた。ちなみに夫人は、別の男性と子育てや夫の介護で手助けしてもらううちに関係を深めたが、ホーキングはそれを認める。この奇妙な三角関係は後年、『博士と彼女のセオリー』という邦題で映画化もされた(2014年)。のちにはホーキングもまた、世話をしてもらっていた夫ある看護師と恋仲となり、やがて妻と別れて2度目の結婚をする。とはいえ、2013年に著した自伝のなかで彼は「2度の結婚は失敗に終わった」と振り返っている。

 ホーキングは、ブラックホールのいわゆる無毛定理を説明するのに、ちょっとエッチでユーモラスなイラストを使うなど(『ホーキング、ブラックホールを語る』)、ジョークを好んだ。しかし一方では、人類の未来に警鐘を鳴らすシリアスな役割も担った。

博士から人類への警告

 昨年(2017年)のインタビューでは、人類はこのままだと、天体衝突、新種のウィルス、気候変動や核戦争、人工知能の暴走などにより絶滅の恐れがあるとして、危機に打ちのめされる前に、ほかの惑星への移住を目指すべきだと提言している(NHK・BSプレミアム『コズミック フロント☆NEXT』「ホーキング博士の提言 100年以内に宇宙へ 1」)。状況に対しては悲観的ではあるが、それでもホーキングは、人類の好奇心と知性を駆使すればきっとこの危機を乗り越えられると信じていた。その確信は、彼自身が難病を抱えながらも、常に新たな謎に挑み続けてきたことから来るものであったのかもしれない。

(近藤 正高)

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