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刑事から「加害者は誰だと思うか?」と…京急脱線事故で負傷した女性が明かす、取調室での“聞き取り”〈トリアージのタグ、アザだらけの体〉

文春オンライン / 2024年9月1日 11時10分

刑事から「加害者は誰だと思うか?」と…京急脱線事故で負傷した女性が明かす、取調室での“聞き取り”〈トリアージのタグ、アザだらけの体〉

あだん堂ゆきさん 「薬の影響もあって10キロ近く太った」

〈 〈京浜急行衝突脱線事故〉「悲鳴が聞こえて顔を上げたら…」1両目に乗っていた女性が語る、爆発炎上する中の緊迫した“車両脱出” 〉から続く

 2019年9月5日、11時43分頃。京浜急行の下り快特電車が、神奈川新町の踏切内に侵入したトラックと衝突し、1両目から3両目までが脱線。トラック運転手が死亡し、電車の乗客乗員77名が負傷した。

 この京浜急行衝突脱線事故の事故車両1両目に乗車していた、フリー編集者のあだん堂ゆきさん(32)。

 事件から5年。彼女に、線路に出たものの混乱するなかで助けてくれた人々、規制線内でのパートナーとの再会、救急病院での検査などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/ 続き を読む)

◆◆◆

会社にはパートナーに連絡してもらった

ーー線路から出た後はどこへ?

あだん堂 事故現場に集まってきた女性がお茶をくれて、電話しても家族が出なかったと男性にスマホを返している私を見て「うちの会社、ここから近いから電話していいよ」と申し出てくれたので、その方が事務員をやられている会社に行きました。

 ほんと、10メートル先に会社があって。そちらの社長さんが、事故に遭った人たちに会社を開放していいと連絡してきたそうなんです。そこには事務員の方がもうひとりいて、おふたりにはめちゃくちゃお世話になりました。

 そこで固定電話を借りてパートナーにかけたけど、なかなか出なくて。何度目かでやっと繋がったと思ったら、「ごめん、うどん茹でてたわ。どうした?」ってのんきな感じで。でも、すっごい安心して、また大泣きしちゃって。まだ事故の報道が出ていなかったし、私の発言も支離滅裂だし、ようやく状況を理解したときにはめちゃくちゃ驚いてました。電話が繋がったときって、事故からまだ15分くらいしか経ってなかったんですよね。「じゃあ、迎えに行くから」と言ってくれて、その会社で待たせてもらうことにして。

 それとパートナーには、私が会う予定だったお客さんの名前を教えて、会社に連絡するようにも頼みましたね。

119で救急車を要請

ーーそこで脱線事故の報道は見ましたか。

あだん堂 電話して、しばらくしてから待たせてもらっているオフィスのテレビでニュースを見ました。それから、まだ事故があったという情報と一緒にTwitter(X)からの映像や写真がすこし出てるくらいでした。でも、すぐにマスコミが来て、線路沿いにうじゃうじゃ集まっているのが見えて。すでに規制線も張られてたんだけど、マスコミが集まってきて、規制線とか警察官の制止とか無視して入り込んじゃってるって、事務員さんたちが話してるみたいでしたね。

 事務員の方がニュースを見て「あんな大変な事故だったんだから、救急車に乗んないと」って心配してくれて、規制してる警察官に聞きに行ってくれたんです。「救護所が設置されて、そこに救急車が40台くらい停まってるから、歩けるならそこに行って」とのことだったんですけど、出ていったらマスコミに捕まるんじゃないかって。で、事務員さんが119で救護所の救急隊とは別で隊員さんを呼んでくれて「異常なし」と。

 事務員さんたちは、「なんか食べないと」って食べ物を買ってきてくれたり、いろいろ状況を見てきてくれたり、私が裸足状態だったからサンダルを貸してくれたり。ほんと、お世話になりました。

ーーパートナーの方、規制線が張られているから迎えに行くのは大変だったのではないかと。

あだん堂 電話で話してから、すぐに向かってきてくれてはいたんですよ。でも、事故で京急には乗れなくなっていたので、タクシーで向かったそうなんですけど、「規制線で入れない」って電話が。それで、事務員の方が迎えに行ってくれて、14時くらいに連れてきてくれたんですよ。

 到着したものの「よお」って感じで。「もうちょっと感動的というか、ドラマチックな対応があるでしょ」って。ハグして一緒に泣いて、みたいな。でも、いつも通りの彼だったこともあって安心したのか、涙も引っ込みましたね。

 で、事務員さんたちにお礼を言って外に出て。後日、改めてパートナーとお礼に伺いました。

駅の近くにあった養護学校でバイタルチェック

ーーそのまま帰宅するわけにもいかないですよね。

あだん堂 どっかにいっちゃった荷物があるから、「遺失物届けを出さないと」って話になって。警察官に聞いたら、神奈川新町駅のそばに設置された対策本部に行ってくれと案内してくれて。

ーー神奈川新町駅の踏切で事故が起きたから、改めて現場を見ることに?

あだん堂 見ないようにしてたけど、見えちゃうんですよね。警察官の方もいろいろと察したのか、「ゆっくりでいいんで、気分が悪くなったら教えてください」と言ってくれました。

 現場付近は、駅員、救急隊員、警察官、医療従事のジャケットを着た方、どういう所属かわからないけど作業着を着た方が、救助活動をされてるのも見えました。

 受付に着いたら医師の方に「事故被害者ですか?」と聞かれて、「1両目に乗ってました」と答えたら「1両目!? 歩いてきたの?」って驚かれて。駅の近くにあった養護学校の1階ホールが開放されていて、そこでバイタルを。彼と会ったあたりからものすごくお腹が痛くなってたんですよ。だから、診てもらえると聞いてちょっとホッとしましたね。

マスコミのカメラがすごくてみんなうんざり

ーー状況が状況だけに、トリアージが行われていたりは。

あだん堂 していました。実際、バイタルを取ってもらってる間に、手首にトリアージのタグが付けられましたし。緊急度は一番低くて安心したけど、エコーしながら胸のあたりを押されたら激痛が走って「胸骨が折れてる可能性があるから、緊急搬送だね」となって。

 だけど、救急隊員の方たちが、マスコミのカメラがすごくて救急車まで運べないと、医師と相談しはじめたんですよ。みなさん、カメラにうんざりしてるようで。カメラに撮られて、患者や被害者の個人情報が筒抜けになってしまうってことで、その対策もしなくてはいけないそうなんですね。

 結局、普段は使ってない裏口の駐車場に救急車を移動して、サイレンを鳴らさず大きな病院に運んでもらったんです。

事故の検査代はその日に実費払い

ーー医師に診てもらったり、病院に搬送されることで、さらに大事の渦中にいる事実を突きつけられますよね。

あだん堂 そうなんです。私は身体の痛みで歩くスピードも遅く、看護学校の方に支えてくれながらトイレに案内してもらって。「なにかあったら、トイレのなかでもすぐに呼んでくださいね」と言ってくれたんですけど、ありがたいと思うと同時に「誰かに助けてもらわないとなにもできない人間になってしまったんだな」という気持ちにもなって。なんかこう、世界から取り残された感じ、というか。それまではひとりで何でもできてたような気になってたから、急に自分が弱弱しい存在になったことがショックだったのかもしれません。

 15時くらいに救急病院について調べてもらった結果、打ち身打撲のみ、異常なしでした。

ーー検査代はその場で取られるのですか。

あだん堂 緊急搬送と検査、打ち身の鎮痛剤で6万円くらいだったと思います。カードで払いました。「カード使えて、よかった~」って。

ーー健康保険の対象外?

あだん堂 ビックリしましたけど、交通事故の扱いになるんですね。事故だから、その補償から出るでしょうということで。もし健康保険で払ったりしたら二重払いになって、返金とか色々面倒くさくなるらしく。自費で払っておいて、先方の保証会社から払った分を返してもらう。交通事故って、基本的にそうらしいですね。事故に遭ったのは初めてだったので、知らなかったです。後日、京急さんがその領収書を買い取ってくれました。

鏡でアザだらけの体を見て「ほんとに事故に遭ったんだ」と自覚

ーー11時43分に事故に遭って、家に帰れたのが何時ごろでしょうか。

あだん堂 タクシーで病院を出たのが16時半あたりで、家に帰る前にドコモショップに寄って、携帯を買いに。営業の性(さが)で、電話がないと不安だったんですよね。で、タクシーに乗ってドコモショップに行ったものの、「乗り物に乗ると、また事故るのでは?」という恐怖に襲われて、身体中物凄く痛かったけど、家まで40分歩いて帰りました。この恐怖が、約3年ほど抜けなかったですね。

ーー家について、まずなにを。

あだん堂 すぐにシャワーを浴びました。なんか、言いようのない“嫌なもの”が体にまとわりついてる気がしてしかたがなくて、それを落としたかった。で、シャワーの前に鏡でアザだらけの体を見て「ほんとに事故に遭ったんだ」って自覚して。

 シャワーの水が排水溝にグルグルグルグル流れていくのが、“嫌なもの”が流れていってる感じがして、ずーっとそれを眺めている感じで。で、これは1人でいるのはまずいなと思って、パートナーの働いているお店にご飯を食べに行ったんですよ。結局、その日は食べられなかったんですけど。

ーー次の日から仕事ってわけにもいかなかったと思いますが。

あだん堂 会社から「いくらでも休んでいいから」と言ってもらえて。たとえば、うつ病だと2年まで休職とか病気や怪我によって決まりがあるらしいんですけど、会社としても脱線事故の被害者は前例がないので「いろいろ診てもらって、復帰していいって診断書が取れるまでは休んで」と。そこはありがたかったです。

刑事ドラマまんまの取調室で聞き取りを受ける

ーー警察や京急からの連絡は。

あだん堂 京急さんからは、翌日に連絡が来ました。救急病院で診てくれた医師経由で連絡し合って。お詫びのオンパレードで、被害者全員に同じ対応してるのかと思うと大変だなって。でも、ずっと誠意のある対応をしてくれてますね。

 警察の特別捜査本部からも同じ日に電話がきて、そのまま電話で30分ほど事情聴取を受けて。5日後に警察に行って、本格的な聞き取りをすることになりました。

ーー警察での聞き取りは、長時間におよびましたか?

あだん堂 コンクリ打ちっぱなし、窓なし、パイプ椅子、広さは2畳くらいという、ほんと刑事ドラマまんまの取調室で、中年の刑事さんと若い刑事さんと3時間くらいだったですかね、いろいろ話をして。

ーーどんな感じで聞き取りを。

あだん堂 「ブレーキは何メートルぐらい引きずりました?」とか聞かれるけど、「記憶が曖昧で……とりあえずギーッて音がずっとしてました」なんて答えると、「他の方たちもギーッていう音は聞いてると言ってるので、あなたがおっしゃっているのは間違いないと思いますよ」みたいな。追及したり誘導するのではなく、補完してくれる感じで進めてました。

 聞き取りの最中に「今回の加害者は誰だと思うか、誰に罰を受けてほしいか?」と、何度か聞かれたのが印象的でした。

事故の影響で乗り物すべてが駄目に

ーー警察は事故の元凶を特定しないといけないわけですね。

あだん堂 誰に刑事責任を問い質したいか、ってことなんでしょうね。事故だけど、事件だから、犯人を決めなきゃいけないのが彼らの仕事なんだと思うんですよね。「今回の加害者は誰だと思うか」と聞かれたときに「あっ、そうか、そういうことだよな」と、それを理解して。警察は単純に事件のあらましが知りたいんじゃなくて、犯人が知りたいんだということがそこでよく分かりました。

 その翌日に警察から電話が来て、横浜市役所でカウンセリング10回無料とか事件や事故の被害者に向けた福祉サービスがあると教えてくれて、カウンセリングを受けることにしました。

ーーカウンセリングを受けざるをえない状態だったと。

あだん堂 食事したり、簡単な掃除とかはできましたけど、電車やバスに乗ろうとすると泣き出しちゃって。この頃はまだ車の音もダメでたいして外出もできなかったので、毎日、ただ食べて寝て、起きて食べることしかできない。

 でも、仕事もしないと食べていけないから、乗り物に乗らなくてもいい働き方や生き方を考えて。横浜港から船で都内に出て、バスで出社できるのかとか調べたけど、乗り物すべてが駄目だったので意味なくて。この時はとにかく“普通の生活”に早く戻らなきゃ、と焦ってました。

 音にも過敏になって、大きな物音や声はもちろん、小さな物音にもビクつくようになってしまって。あと、「いまの生活は、ただ弱いだけだったり、単なるサボりじゃないのか?」とか考えるようになったり。で、9月の中旬に無料カウンセリングに通い出すことになりました。

写真=末永裕樹/文藝春秋

〈 「事故後はアルコール中毒寸前の状態で…」京急脱線事故で負傷した女性が語る、PTSDと診断されてからの治療と電車に乗れるようになるまで 〉へ続く

(平田 裕介)

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