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「事故後はアルコール中毒寸前の状態で…」京急脱線事故で負傷した女性が語る、PTSDと診断されてからの治療と電車に乗れるようになるまで

文春オンライン / 2024年9月1日 11時10分

「事故後はアルコール中毒寸前の状態で…」京急脱線事故で負傷した女性が語る、PTSDと診断されてからの治療と電車に乗れるようになるまで

あだん堂ゆきさん

〈 刑事から「加害者は誰だと思うか?」と…京急脱線事故で負傷した女性が明かす、取調室での“聞き取り”〈トリアージのタグ、アザだらけの体〉 〉から続く

 2019年9月5日、11時43分頃。京浜急行の下り快特電車が、神奈川新町の踏切内に侵入したトラックと衝突し、1両目から3両目までが脱線。トラック運転手が死亡し、電車の乗客乗員77名が負傷した。

 この京浜急行衝突脱線事故の事故車両1両目に乗車していた、フリー編集者のあだん堂ゆきさん(32)。

 事件から5年。彼女に、事故のショックによる心身の変調、PTSDと診断されてからの治療などについて、話を聞いた。(全3回の3回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

事故の後はお酒に溺れてしまう

ーー市のカウンセリングでは、どんなことを。

あだん堂 カウンセリングを受けたことで、頭のなかを整理する訓練にはなりましたね。不眠や音に対する過敏な反応、食欲の増減に関しては、薬の処方を勧められて。「これはPTSDです。心療内科に行ってください」と。カウンセリングではPTSDはカバーできないってことで、心療内科のクリニックにも通うよう言われました。

ーーカウンセリングや心療内科の治療を受けて、生活はいくらか落ち着いてきましたか。

あだん堂 いや、凶暴になっていったように思います。「シャーッ!」って、警戒してる獣みたいな感じでしたね。パートナーにも当たってたと思います。また何か事件に巻き込まれるかも、って緊張状態がずーっと続くから、ものすごく疲れるんですよね。

 お酒にも溺れました。元々お酒を楽しく飲む人間だったんですけど、事故の後は飲めなくなってしまって。けど、数週間経つと少しずつ飲めるようになって、気づけば溺れてました。部屋でパートナーの帰りをひとりで待つのに耐えられなくて、近くに住んでる友達と飲みに出掛けて、とことん飲む。

 処方された睡眠薬が効かなかったこともあるんですけど、酒を吐くほど飲むと寝れるんですよ。それもあって、飲んじゃう。昼夜問わず酔っぱらって感覚が麻痺していないと過ごせなくなっていた時期もありました。

電車だけでなく、乗り物やエレベーターが怖くなる

ーーパートナーは、なにも言わず?

あだん堂 ずっと寄り添ってくれました。酔い潰れて、ゲーゲー吐いても、一緒にいてくれて。初めて三日酔いってのを経験して、これはアル中寸前だなと。けど、クリニックにちゃんと通ううちに睡眠薬も効くようになって、だんだんと飲む量が減って。

ーークリニックでは、PTSDと診断されたのでしょうか。

あだん堂 「典型的なPTSDです」と言われました。私は、侵入、過覚醒、回避というPTSDの症状が当てはまると。

 侵入は、何度もそのシーンを思い出したり、それを悪夢としても見ること。過覚醒は、感覚が過敏になってちょっとした音にものすごく敏感になったりすること。常に緊張している状態だったのはそれで。回避は、そのシーンにかかわるすべてのものを避けようとすること。

 事故を思い出すし、夢にも見るし、電車だけでなく、乗り物やエレベーターが怖くなってしまって。

ーーエレベーターも乗れなかった。

あだん堂 閉じ込められた状態になるのが怖かったんでしょうかね。空気が入れ替わってない感じが、当時の記憶として残っていたんだと思います。だから、エレベーターとか閉鎖される場所がダメになったのかなって。ましてや動くし。

視神経を使った治療で事故の記憶をファイル移動

ーーPTSDの治療って、どんなことをされるのでしょうか。

あだん堂 EMDRっていうアメリカの軍人さんとかがやる、PTSDの治療プログラムをやることになって、それをずっとやってました。たまにアメリカの刑事ドラマにも出てくるんですよ。FBIが事件の被害者の生き残りの人に、そのEMDRをして記憶を呼び起こすことがあるんです。

ーーとにかく話すとか?

あだん堂 いろんな方法があるらしいんですけど、私は視神経を使った方法でした。いま体験していることを、脳のある領域から、過去の記憶をストックする領域に記憶を移動させる作業を、視神経を使って行うんです。過去の出来事のはずが、 “いま体験していること”と脳が勘違いしてるってのが、事故の瞬間を思い出し続けている“侵入”という症状らしくてですね。

 カウンセリングルームのカウンセラーの方から「指を動かすので、それを目で追いかけてください」と言われて、視神経を動かしている間に事故の記憶を話したりしながら、ゆっくりと過去のを司る記憶野に移動させていくんです。やったことのない作業だから、なんとも不思議でしたね。施設によっては、指じゃなくて光の点を使ったりするらしいです。

ーー要するに脳内でのファイル移動ということでしょうか。

あだん堂 専門家じゃないから詳しく分かりませんが、私はそんな感じで理解しています。ファイル移動の手段が、視野っていうのが面白いなって。事故のシーンを思い出して、事故が起きてないのに、そのまっただなかにいると感じてしまっているのは視覚にすぎない、みたいな話もあって、なるほど、と。

ーーつまり、事故の瞬間の記憶を視覚として取り出して、それを過去のフォルダに持っていくと。

あだん堂 超ざっくり言うと、そんな感じです。あくまで、私がそう理解しているって話なんですが。

 指を追いながら「いま、目の前に浮かんでくる映像は何ですか?」って聞かれて。PTSDの典型的症状“侵入”というのが、今まさに事故の渦中にいる感覚に陥っている状態のことで。フラッシュバックみたいに、視界に常に事故真っ最中の風景がこびりついている。これを「今起きていることじゃなく、過去の出来事ですよ」とラベルをつけて移動する……みたいな。

電車に乗れるように、まずは電車を見るところから

ーーEMDRは、ある程度の間隔を空けて受けるのですか。

あだん堂 結構な負荷が掛かるんです。2時間泣きっぱなしとかになっちゃうから、心身ともにものすごく疲れるんですよね。だから、毎週は受けてなかった気がします。2週に1回とかとか、少ないときは1ヶ月に1回とか。

ーー電車に乗るトレーニングもされたそうですね。

あだん堂 「練習しましょう」と言われて、まずは改札まで行くところから始めて。そこから駅に入ってNewDaysかなんかで買い物できるか、ホームに上がれるか、電車を見る事ができるか……そういうことを重ねていって。気分が悪くなったりまったくできない日もあったけど、ひとつずつクリアしていきましたね。2021年の1月末あたりで、電車のそばまで近づけたので記念写真を撮りました。

ーー現在、PTSDは。

あだん堂 2022年の春に、完治しました。侵入、過覚醒、回避症状というこの3つなんですけど、これが完全になくなって完治とのことでした。事故に遭った記憶はあれど、ほとんど事故の前と同じように生活できるかが、一番の診断基準になってるみたいですね。

事故を通して人間関係にも変化が

ーー京急は医療費以外にも補償を。

あだん堂 生活費の補償もしてくれましたね。年収の何割みたいな感じで。ほんと京急さんは良くしてくれて、「どれだけ治療に時間が掛かろうとも、その間は弊社が責任を持ちますので」というスタンスなので、ものすごく気が楽で。

「京急なんて大きい保険会社に任せてるんだから、対応がいいのは当たり前じゃん」とか「お金もらえるから、治りませんって言い張って引き伸ばしてたらいいんじゃない?」とか言う人がいましたけど、「私は普通の生活に戻りたくて、一生懸命治療をしているんだけどな」って。

ーー他に言われて嫌な言葉ってありましたか。

あだん堂 「神様が与えた試練だったんだよ」とか。「じゃあ、あなたも同じような試練に遭ってください」みたいな。

「あなたは選ばれて事故に遭ったんだよ」とか「それぐらいで済んで良かったじゃん」とか「酒が飲めるなら大丈夫でしょ」とか。そういう言葉を通して、人間関係もだいぶ変わったところがあります。

ーー現在、京急からの補償はどういった段階にありますか。

あだん堂 最終調整に入っていて、お願いしている弁護士さんと先方がやり取りしています。完全な完治という診断を基に、向こうの保険会社さんがいくら払うかみたいな話になってるみたいで。

今年から同人誌の編集として本格的に始動

ーー会社のほうは。

あだん堂 完治したタイミングで辞めました。2022年の10月に復職して半年ほど働いたけど、コロナを経てシステムや営業成績の付け方が変わっちゃっていて、いろいろしんどくなって。当然、ブランクもあって契約も取れなくて、翌月か翌々月にクビになるなと察して「これ以上は迷惑かけられないから辞めます」と。

ーー現在の同人誌の編集は、保険会社を辞めてから始めたのですか?

あだん堂 私はもともと編集者で、その頃に万年筆文芸部って社会人サークルを立ち上げたんです。万年筆が好きで、万年筆で著述することが好きな人たちを集めたサークルで。そのサークルの人たちから「編集やってくれない?」って言われて、必要経費だけもらって編集をやってたんです。

 で、事故から3ヶ月くらい経った頃に、医師から社会から隔絶するのはよくないと言われて。それでなんかやろうと考えて「やるなら同人誌の編集だな」となって、医師にも相談しながらポツポツ本作りのお手伝いはしていたんですが、完治した今年から本格的に動き出した感じですね。

仲良くしてた友達が突然亡くなってしまい…

ーーあだん堂さんのサイトに、災害、事件、事故の被害に遭われた方に向けた不撓不屈応援割という割引プランがありますが、これは自身の経験から生まれたプランですか?

あだん堂 そうだと思います。事故後急に弱者になった私を多くの人が支えてくれた、とにかくその恩返し的にも社会貢献がしたくて。きっかけになった方がふたりいて、ひとりはTwitter(現X)を通じて知り合った着物オタクのネット上の知人で。今日着てきたのは、その方からいただいた着物なんです。サイズが合ってなくてツンツルテンなんですけど、どうしても着たくて。仲良くしてたけど、病気で亡くなってしまって。

 もうひとりは、編集を担当しているエロ系の作家さんで、難病で障害者になってしまったんです。「いつ死ぬかわからないけど、創作活動は続けたい」と話していて、国から多少の補助が出ていて仕事と治療をしながらなんとか生活はできるけど、創作するのが大変で筆を折りそうだと。体力的にも大変なんですけど、障害者になったことで、エロが書けなくなりそうだと相談されました。

電車で起きた事件や事故のニュースは見ないようになった

ーーどうしてですか。

あだん堂 周りからの批判が殺到するんですって。「国から補助を受けてる身なのに、エロ本なんぞ書きやがって」みたいな。好きなものを書けなくなるって切ないじゃないですか。

 さっきも少し話しましたけど、私も外で飲んでたら「仕事休んで、京急から金もらって、酒飲んでんじゃねぇよ」みたいに言われたので。そこで、その作家さんの気持ちが少しだけわかった気がしたんです。弱者や、事件や事故の被害者は、ずっと不幸であらねばならないといった圧にさらされるんだな、っていう。

 そんなことで創作ができなくなったり、筆を折らなきゃいけないのがどうしようもなく寂しくて、なにかしたくて。でも、私は編集しか能がないし、自分の編集費を割り引くぐらいしか思いつかなくて。それで不撓不屈応援割始めました。

ーー現在は、PTSDは完治したけれど、事故の記憶はあるという状況ですよね。そういうなかで、「まだ事故をひきずっているな」と感じることってなにかありますか。

あだん堂 電車で起きた事件や事故のニュースは見ないようになりましたね。京王線で刺傷事件があったじゃないですか、あれはものすごく怖かったです。

ーーちなみに、こちら(文藝春秋)には電車で?

あだん堂 はい、京急で。PTSDが完治したことで電車に乗れるようになったので、もちろん帰りも京急に乗ります。同人誌編集という仕事は全国で仕事があるんですが、そういう出張も、事故前みたいに電車旅として楽しみながら生きていくつもりです。

写真=末永裕樹/文藝春秋

(平田 裕介)

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