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『ゴールド・ボーイ』金子修介監督が高校1年で作った第1作は、「好きな女子の体操服を盗む少年」の話だった

文春オンライン / 2024年6月23日 11時0分

『ゴールド・ボーイ』金子修介監督が高校1年で作った第1作は、「好きな女子の体操服を盗む少年」の話だった

金子修介監督 ©藍河兼一

 いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。

 そんな日本映画界の「青春時代」を、自身も自主映画出身監督である小中和哉氏が聞き手として振り返る、映画ファン必読のインタビューシリーズ第2弾は、傑作サスペンス『ゴールド・ボーイ』が話題の金子修介監督(全4回の1回目/ 2回目 に続く)。 

◆◆◆

 日活撮影所で助監督を経て監督デビューした金子修介監督には自主映画出身監督というイメージを持っていなかった。けれど学生時代は8ミリ映画を撮られていたとご自身でnoteに書かれていたのを読み、その考えを改めた。8ミリ自主映画と撮影所の両方の世界を知る金子監督ならではのお話をお届けしよう。

かねこ しゅうすけ 1955年東京都生まれ。高校時代から8ミリ映画の製作を始める。78年東京学芸大学卒業後、助監督として日活に入社。84年『宇野鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。

 

 主な監督作品に『1999年の夏休み』(88年)、『就職戦線異状なし』(91年)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『DEATH NOTE デスノート』(06年)、『信虎』(21年)、『ゴールド・ボーイ』(24年)など。

大学3年で製作した青春群像劇『プリズムタワー』

――持ってきていただいた8ミリ映画を上映しようとしましたが、スプライシングテープ(※注)が劣化していてカットごとにフィルムが流れてしまい、ちゃんと見ることができなかったのが残念です。幸い1本だけなんとか見ることができました。

金子 『プリズムタワー』というタイトルですけど、東京学芸大学3年の時に作りました。大学の時計塔みたいな塔を象徴的に使って、いろんな学生たちの群像劇をやろうとしたんです。

――タワーが時々出てきましたね。

金子 広すぎる学校の中でドラマの象徴として。自分のその時の焦燥感みたいなものを描こうとしてました。

――後半金子さんが演じる登場人物が物語の中心でしたね。

金子 ほんとにね。こんなだったかという感じで。

――金子さん、ちゃんと芝居してました。

金子 あの頃、映画を作る時に「自分をさらけ出すというのが大事だ」みたいになっていたんじゃなかったかな。

 覚えているのは、神代辰巳監督の「てめえのロマンをさらけ出せ」という言葉があって、それだったのかな。脚本を書いているうちに、どんどんそういうことになっていった。

――金子さんの家族の役で本物の金子家も出演している。お父さんが教師をしている設定は、実際そうだったから?

金子 いや、違いますね。学芸大は先生になるための学校だから、自分もそういうキャラクターにして、その父親を教師にして。

 だけど本当は映画監督になりたくて、でもなれるかどうか分からない焦りが常にあり、このままじゃいけないみたいなのをそのまま映画にした感じですね。

高校1年で最初の映画を作る

金子 最初に映画を作ったのが高校1年の文化祭の時。それは作家というよりはクラスをまとめる活動というか、それでクラスの団結を高めるんだという意味で映画を作った側面があった。

――その時から監督だったんですか? 

金子 そうですね。高校1年の時に文化祭で何をやるかというのをクラスで話し合った時に、みんなめんどくさいという感じの中で「映画をやろう」と提案した。

 ただ、映画をやろうと言った理由は、生徒会の先輩から「去年、クラスで映画を作ったらすごい盛り上がってさ」と聞いて、「ああ、映画だ、映画作りたい、映画だ、映画だ、映画を作ろう!」となってしまったからなんです。

――みんなが一体化できたと聞いたからですか?

金子 それと、前から描いていた漫画が壁にぶち当たって。

――漫画は本格的に描かれていたんですか? 

金子 漫画は物心ついた時から描いていた。紙にボールペンで描いていて、『COM』という雑誌に投稿する時に、初めてペンとインクを使ったらうまく描けなくて。

 中学2年か3年の時に投稿した作品が「今月の応募者」というところに載って、それですごくプライドが傷ついたんですよね。

――名前が出たんですね。

金子 「今月の応募者」って最低じゃないですか。佳作でも入選でも何でもないから。それまでは友達に「金子は漫画がうまい」って言われていたのが、一気に挫折した。

 それと、「クラスで映画を作るというのは戦いなんだ」みたいに政治的な活動としても正しいと言う先輩がいて、それで自分の中で一気に盛り上がった。

 だけど、それまで8ミリをやっていたわけじゃないんです。三鷹の駅前のカメラ屋でシングル8のカメラをタダでレンタルさせてくれる。500円持って行くと3日間借りられて、返すと500円も返ってくる。シングル8を普及させたいということがあったんですね。

 だから、クラスで1人500円集めて、そうすると2万円になるから、それが全部フィルム代になった。カメラはその時初めて使ったんです。

クラスの女子に「あまりにひどい」と反対されて

――どんな内容だったんですか? 

金子 クラスに好きな子がいる少年に盗癖があり、女の子の体操服を盗んでしまう。その体操服を戻そうとした時に女の子が目撃して、軽蔑されて、それで学校から去っていく。20分ぐらいの。タイトルは『斜面』と言うんですけど。斜面を転がっていくという感じで。

――シリアスですね。

金子 シリアス。主人公は映画の中では一言もしゃべらない。

――それは実験的ですね。

金子 そうですね。そういうシナリオを自分で書いて、監督したんだけど。主人公が教室で盗んだ体操服を戻す時に体操服に顔を付けるようにしたら、スタッフの女の子からすごく反対されたんです。

――いやらしいから?

金子 それはあまりにもひどいと。僕は、体操服の匂いをかぐというふうにやりたかったんだけど、スタッフの女の子が駄目だと言うから、民主的な考え方ではこれはやめたほうがいいと。

――そこは葛藤したんですね。自分の作家性と。

金子 そうそう。その時は作家性とかあんまり分からなかったから、これはクラスを盛り上げる戦いだみたいな面があるから、それでやめたんです。そして、高校1年の時の文化祭で上映して、大成功だったわけですよ。

――みんなすごく喜んだ。

金子 喜んで。で、全都8ミリコンテストというのがあって、佳作で入選した、その時の批評に「プロっぽい」というふうに書かれて、ふむふむと思い、その辺から映画監督になりたいと思うようになった。

――で、2年でまた撮るんですね。

金子 そうですね。これはコメディで、ライバル同士でどっちが先にガールフレンドをゲットするかみたいな内容。クラスのかわいい女の子をリストアップして写真を貼って、次々にアタックして、バツを付けていくみたいな。

――作風がガラッと変わりますね。

金子 ガラッと変わる。2年の時はそれで、3年になったら受験でクラスではもう作れないから、クラブ活動として撮った。

 恋愛失恋ものなんですけど、シリアス。過去はカラーで現在は白黒という『ジョニーは戦場へ行った』の手法で、カラーで描かれる過去の恋愛失恋が現在の白黒の暗い気持ちにつながっているという。『水色の日射し』という青春ドラマです。これは読売の8ミリフェスティバルで入賞したんですよ。

――「日本を記録する8ミリフェスティバル」ですね。

金子 そう。あれに入賞したんだけど、審査員の大島渚監督が「大体の高校生が作る映画は髪の長い男の子が公園でウロウロしてるだけだ」みたいなことを講評で書いて、自分のことかとチキショーと思った。

 言われるとおり、公園で髪の長い男の子がパンタロンのジーンズを穿いてウロウロしてるみたいな、そういう場面があるから。大島監督はもっとちゃんと主張しろみたいな意味でおっしゃったのかもしれませんね。

 

※注 スプライシングテープ 8ミリフィルムを編集する時に使用する透明なテープ。

〈 映研の部室で出会い…「5年生の押井守」と世界の巨匠をこき下ろしていた東京学芸大学時代 〉へ続く

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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