映研の部室で出会い…「5年生の押井守」と世界の巨匠をこき下ろしていた東京学芸大学時代
文春オンライン / 2024年6月23日 11時0分
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金子修介監督 ©藍河兼一
〈 『ゴールド・ボーイ』金子修介監督が高校1年で作った第1作は、「好きな女子の体操服を盗む少年」の話だった 〉から続く
高校で8ミリ映画製作の経験を積んだ金子修介監督。大学に入って出会ったのが、後に数々の傑作アニメーション映画を演出する押井守監督だった。日本映画界の「青春時代」をたどるインタビューシリーズ第2弾。(全4回の2回目/ 最初から読む )
◆◆◆
大学で押井守さんと出会う
金子 大学に入ったら映像芸術研究会というのがあったので部室に行ったんだけど、いつも鍵がかかっているわけですよ。
自治会に聞いたら「あそこは押井さんという人が鍵を持ってる」って。「明日連絡しておくからまた3時に来て」と言われて行ったら、そこで押井(守)さんが鍵を開けて、「こんなところに入りたいの?」みたいな。
――押井さんは何年ですか?
金子 押井さんは5年生。それで、もう一人同じ5年生の人がいて、僕が押井さんとしゃべっているとその人が現れて、「よお、押井。ブニュエル見たぜ」。これが映画青年かと衝撃的でありまして。
しばらくして『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を見て自分も押井さんに「ブニュエル見ましたよ」と言えた。「何ですか、あの映画は。よく分からないです」と言ったら、押井さんは「分からないんじゃなくて、面白い、簡単な映画なんだよ。ただブルジョワをバカにしてるだけの映画なんだ」ということを言われて、「ああ、そうか」と。
そういうようなことを延々と話していると、合気道部が外で練習しているんです。その合気道部は、映研の部室を譲渡されると約束をしていたと主張するんですね。
――部室を明け渡せと?
金子 自治会の仲介で、合気道部と我々、僕と押井さんが交渉した。かつて映画研究会だった時に卒業生が合気道部に部室を譲ると約束をしたというけれど、証明できない。映像芸術研究会を押井さんが立ち上げた時には、映研から部室をもらったという覚書がある。
僕が論理的にガンガン言ったら、相手は泣き出して。逆に僕が冷静になって論破した時に、押井さんから「金子の冷酷さを垣間見た」と言われたんですよ。
――助けてあげたのに(笑)。
金子 それをアイデアにして『キャンパスホーム』という映画を作るんです。部室の取り合いになる物語を映画にした。これは押井さんにウケて。「あんた優秀だよ」とか言われていい気になってた。
映画監督をひどい言葉でこき下ろして…
――その時代、押井さんも撮られていたんですか?
金子 押井さんはゴダールの影響で、白黒の『屋上』という映画を撮った。屋上でただ単にしゃべっているという映画だったんです。
でも、すごい感心したのが、それから2年後の卒業制作で、16ミリで全部スチール構成の15分ぐらいの映画。鳥を飼っている女の人がいて、その鳥を逃がしたら戦闘機になって落ちてきたという。
――スチールだからできる内容ですね。スチール構成のシーンは金子さんの映画にもありましたけど(『宇能鴻一郎の濡れて打つ』と『みんなあげちゃう』)。
金子 そうですね。スチール構成というのは『仁義なき戦い』のテクニックで。
――押井さんはやっぱり『ラ・ジュテ』の影響ですかね。
金子 分からないけど、ロベール・ブレッソンとかの話はいろいろしてた。世界の巨匠、ならびに日本の映画監督たちを、映研の部室でこき下ろしてましたね(笑)。我々はすごい言葉でこき下ろしていて、その中で例外はロバート・アルドリッチとか深作欣二なんですよ。
今から思うと、監督をこき下ろすという心理って何なのかな。自分はそんなへまはしないぞというような感じなんじゃないかなと思うんです。
――当時プロを目指していたんですか?
金子 そうですね。プロを目指そうとしてました。
――そういう意識で、自分はこういうへまはしないぞと。
金子 そう。だんだん話しているうちに、自分は作家なんだという意識ができてきて。
日活だけがちゃんと助監督試験があった
金子 大学を卒業して日活の助監督試験に受かって助監督になった時は、降格したというイメージですね。
――降格。
金子 助監督になった最初からそういうイメージを持っていたんです。「ああ、自分は助監督なんだ」と。
監督になるために助監督になっているけど、なった状態が常に嫌だなという。降格した感じというのがあって。根拠なく、どの監督よりも自分のほうがうまいぞと思ってるんですよね(笑)。
――それはずっとそうだったんですか?
金子 ずっとというか、根底にあるんです。
――日活に就職しようと思ったのはどうしてですか?
金子 東宝とか松竹も試験を受けたんですけど、松竹は1,000人受けたらしくて全然駄目だったんです。東宝は指定校制度だったから、会社訪問した後に、「指定校なのでどなたか推薦者をお願いします」と言われて、丁寧に断られたという感じ。日活だけがちゃんと助監督試験というのがあったんですよ。
――8ミリで作家という意識も芽生えた後ですが、映画監督になる道は映画会社に入るしかないという思いだったんですか?
金子 自分みたいな才能は映画会社が欲しがるだろうと思い込んでいるんですよ。自分が大学で作っている映画は深作欣二には負けるけど、テレビで見ているドラマよりも自分のほうがうまいんじゃないかとか、変わらないだろうとどこかで思っているんですね。
プロの俳優を使えばちゃんとできるだろうと思い込んでいるんです。だから、助監督で入った瞬間からなんでこんなことやらなきゃいけないんだろうってずっと思っているわけです。そういう助監督だったんですよ。
だからいろいろ考えると、映研の部室で押井さんと世界の巨匠をこき下ろしていたこととかなり関係があるんじゃないかと。
日活版『高校大パニック』の助監督に
――日活の中でも同じ気分で。
金子 ちゃんと常識はあるんですけど、心の底で、大体監督をバカにしているんですよね。現場ではうまく動けないから、矛盾があるんです。そんな時に1本目が根岸吉太郎監督で、2本目が田中登監督で、3本目が『高校大パニック』。
――まだ3本目だったんですね。
金子 3本目で石井聰亙(現・岳龍)さんが日活に乗り込んでくるという。だけど、それは澤田組なんですよ。澤田幸弘監督と石井監督の共同監督。
――一応そういう名目だったけど、石井さん自身は監督補だったという言い方をされましたけど。
金子 そうですよね。
――演出部としてはどういう対応だったんですか? 監督と呼ぶ相手は誰だったんですか?
金子 澤田さんを監督と言って。
――石井さんは何と呼んでいたんですか?
金子 「石井君」っていう。
――すべてのスタッフがそうだったんですね。
金子 「石井」と呼び捨てにする人もいて。
――ひどいですね。
金子 所内アナウンスというのがあるんですけど、助監督の仕事として、9時になったら「何々組、撮影が始まりますので、関係者の方は第何ステージにお入りください」というのを言わなきゃいけない。
僕は一回、チーフの菅野隆さんに「澤田・石井組って言うんですか?」と聞いたら、「澤田組に決まってるだろ」と怒られた。僕はわざとそういうことを聞くわけですよ。
――一応聞く。それだけでも一番理解者だったということですね。
金子 それで、澤田さんがいなくて石井君だけいて待ちになっている時に「監督いるから回しませんか?」と菅野さんにわざと言ったんです。そうしたら菅野さんに「冗談だろ」と怒られた。
――ということは、やっぱり金子さんも不本意な現場というか、監督で入っている人がなんでこういう扱いをされるんだという思いがあったんですか?
金子 そういう思いもありつつ、僕より1~2歳若いのに監督として来ている石井君に嫉妬もしつつ、でも、仲間意識もありつつという。よくおしゃべりしてましたけどね。
〈 ロマンポルノの現場で出会った『家族ゲーム』森田芳光監督 <日活に助監督として入社> 〉へ続く
(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
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