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『宇野鴻一郎の濡れて打つ』がアニメ『エースをねらえ!』のパロディになったわけ<日活ロマンポルノでついに監督デビュー>

文春オンライン / 2024年6月23日 11時0分

『宇野鴻一郎の濡れて打つ』がアニメ『エースをねらえ!』のパロディになったわけ<日活ロマンポルノでついに監督デビュー>

金子修介監督 ©藍河兼一

〈 ロマンポルノの現場で出会った『家族ゲーム』森田芳光監督 <日活に助監督として入社> 〉から続く

 根岸吉太郎、森田芳光、神代辰巳――様々な監督の現場で助監督を務めた金子修介監督は、ロマンポルノ『宇野鴻一郎の濡れて打つ』でついに監督デビューを飾った。  

 なんとアニメ『エースをねらえ!』のパロディとなった『濡れて打つ』はなぜ生まれたか。そしてこれを観た日活幹部の反応は…? 

 好評インタビューシリーズ第2弾の最終回。(全4回の4回目/ 最初から読む )

◆◆◆

自主映画とプロの現場との違い

――8ミリとプロの現場では何が一番違うなと思いました?

金子 照明に時間がかかることだったですかね。ただ、それをのぞけば本質的には変わらないから、自分はプロの現場だということで吸収しようという気持ちにあんまりならないやつだった。それを反省しているんですけど。

――「ここが勉強になるな」と吸収しようという気持ちはなかったですか。

金子 そう。あまりそういうふうに思えないんですよね。ただ、根岸吉太郎監督が俳優をコントロールするやり方とか、神代辰巳監督とかもそういう瞬間はすごいなと思いましたけどね。

 監督が俳優をうまくコントロールするというのは、目の前で見て感心していたというか、感心というのも上から目線かな。常に自分は上から目線なんですけど(笑)。

――でも、内心そういう気持ちだったんですね(笑)。 

金子 そういう気持ちなんですよ。自分でできるかどうかというのまでは分からないわけですけど。

――自分がやればもっとうまくやれるという思いはずっとお持ちだったんですね。

金子 そう。8ミリからスタートした人は、そういうふうにみんな思っているんじゃないかな。どうなんだろうか。

――僕はそうでもなかったかな。僕はプロの世界とは全然違うところで作ってきたから、プロの映画と自分を比較することはあまりなかったと思うんですけど。

金子 これがロマンポルノじゃなかったらもっと違ったかもしれないけど。ロマンポルノの現場と大学の8ミリの現場との、本質的な差があんまり分からないのに、なんで自分は助監督なんだということなんですけどね。

――ロマンポルノというのは、他の大手の映画に比べると小規模だったし、ある意味手作りな部分が大きかった。そこが自主映画に近かったんですかね。

金子 そうですね。手作りと同時にセックス産業でもあるから、自分の性体験も貧しかったので、そういったことも目の前で見てということもあったかな。

――セックス産業という言い方もあれですけど、そういうシーンさえあれば結構自由度があったんですか? 

金子 自由度というのはあんまり感じなかったんですよね。

『濡れて打つ』で監督デビュー

――監督デビュー作のロマンポルノ『宇能鴻一郎の濡れて打つ』がアニメの『エースをねらえ!』のパロディというのは、かなり自由な感じがしたんですけど。あれは金子さんのアイデアですか? 

金子 その前に、すずきじゅんいちさんの『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』の脚本とチーフ助監督をやったんです。

「溌溂とした岡本かおりには宇能鴻一郎は似合わない」と言うすずきさんと一緒にシナリオ作りをしたんだけど、セックスありのちゃんとした青春モノとしてやろうとしたすずきさんの施行に対して企画部の成田尚哉さんが「これはまったく宇能鴻一郎じゃない」とひっくり返して全否定、僕一人にされてシナリオを書いたんです。

 僕は、セックスバイトに全く疑問を持たないキャラクターに岡本かおりをはめて、“わたしは愛の戦士”と言わせてジュリアナみたいにアカフンディスコで踊る、それでホンは通ったけれど、シナリオとしての出来は悪かった。

 でも映画になったら、これが会社からは大悪評で…でも、叱られたのはすずきさんで…日活がすごくこだわっていたのは、宇能鴻一郎ものは宇能鴻一郎的じゃないと駄目だと。

 ちょっとおバカなキャラクターが「私、何々なんです」といって、性的刺激を受けるとそのまま受け入れてしまうという。

 監督はそのことに疑問に感じながらも、僕のシナリオを半ばヤケクソ気味に真正面から堂々と撮ったので、会社はホンのダメさより、企画の古さを立証されてしまい、神経を逆撫でされて怒ったんじゃないか。

 すずきさんも、ディスコにハーケンクロイツを出してワルキューレを流し、エロより異様さを演出して、僕が名付けた〝ほとんどビョーキカンパニー〟というイメージを増幅して…。

 その半年後に自分が監督として最初に受けた『宇能鴻一郎の濡れて打つ』は、テニス部の女子高生の話だったんですけど、東京スポーツで連載12回目だったんです。それが「私、高校のテニス部員なんです」から始まり、「エレベーターの中でいやらしいことをされてるんです」、っていうのが12回続いて、全然映画になるネタがないんですよ。

――オリジナルでやれと言っているようなものですね。

金子 これどうするの?ということで、脚本の木村智美さんはちょっとしたドラマというか高校生の青春ものを作ったんですけど、これが全く宇能鴻一郎的じゃないと言われて駄目にされて、じゃあ『エースをねらえ!』をパロディにしたら宇能鴻一郎的になるんじゃないかと。

 出崎統さんのアニメ『エースをねらえ!』は大好きだったので、これはお蝶とひろみをレズビアンにしてパロディ的にしたら、それこそ宇能鴻一郎的になるだろう、会社に通るだろうと。そういう意味では、自由だとかじゃなくて、枠を突破するために引用してきたということなんですよね。

――会社が望むものの答えとして差し出したということですね。

金子 そうですね。できた時も、会社の重役は『エースをねらえ!』をよく知らないから、「これはなかなかよくできた青春ものじゃないか」という受け取り方だった。それを宇能鴻一郎的にやっているから、会社的にも評価が高かったんです。

 ただ、それを作って自分で見終わった後に、「なんだ、こんなものをやるために6年も助監督をしてきたのか」とダイアリーに書いているんですけど、こんなのだったら8ミリを作っていた時と同じじゃないかと思ったんです。

 だから、やっぱり自分でカメラを回して撮ることのほうが、現場で叩き上げられることよりも作家に近いんじゃないかな。

監督だけが分かっていない瞬間もある

――映画監督の勉強としては、8ミリで自主映画を撮ったほうが勉強になるなという感じですか。

金子 その時はそう思いましたよ。撮影所ということの因習も含めて、学んでいくことよりも、自分でカメラを回すほうが映画というものに本質的に近づけると思っていたんです。

 でも、高校、大学の時は素人のクラスメイトたちをやる気にさせるような感じで一緒にやっていたのが、ロマンポルノになればみんなプロだから、常にみんな力を出し切っていく。

 そういう中で、良い監督の時はいいけれど、そうでもない監督の時の組の同調圧力みたいなものには常に反発を感じちゃうんです。ただ、そういった組のいい時と悪い時の差みたいなものは体得したかもしれないですけどね。

――撮影所の同調圧力でスタッフが一体化するわけですよね。それでいい方向に行けばいいんだけど、悪い方向に行く時もあると。

金子 それはやっぱり監督のさじ加減にかかっている。意味が分からないで粘る人も中にはいるので、そうするとスタッフが最初は付いていこうとするけど、だんだん付いていけなくなる。

――高校時代の民主的な映画作りの話をされましたけど、それにもつながる気がします。

金子 まあ、そうなんですよね。

――どこまで監督がわがままになるかって、スタッフ側の立場と監督になった時では何か違ったりします?

金子 一時監督はわがままでなきゃいけないという論説があったような気がするけど、今はあんまりそれが許されないと思うんですけどね。

――金子さん自身はどうですか?

金子 やっぱりわがままになる時はありますよね。なんで分かってくれないんだと思ったり、自分だけが分かっているのに伝わらないとか。そう思ったり、スタッフのほうが分かっているんだと思ったり。場面場面で違うので。

 確かに監督だけが分かっている瞬間もあるんです。でも、監督だけが分かってないという瞬間もあるんです。それにアッと気が付いたりする。だから、お互いに補完し合っているということはあるんじゃないかと思うんですけどね。集団作業というのは。

――そうですね。監督がカラスは白だと言えば白だみたいな、正解は監督の中にしかないみたいな考え方もありますけど。

金子 そうですね。そういう意味では、いろんな監督の現場を助監督の時に見てきたことってやっぱりプラスだったのかな。悔しく思い返すみたいな感じはありますけどね。

かねこ しゅうすけ 1955年東京都生まれ。高校時代から8ミリ映画の製作を始める。78年東京学芸大学卒業後、助監督として日活に入社。84年『宇野鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。

 

 主な監督作品に『1999年の夏休み』(88年)、『就職戦線異状なし』(91年)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『DEATH NOTE デスノート』(06年)、『信虎』(21年)、『ゴールド・ボーイ』(24年)など。

こなか かずや 1963年生まれ。高校、大学で8ミリ自主映画を撮り、『星空のむこうの国』(86年)で商業映画デビュー。主な作品に『四月怪談』(88年)、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06年)、『七瀬ふたたび』(10年)など。2023年自身の8ミリ自主映画時代を描いた『Single8』を発表。

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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