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郷ひろみとの“謎めいた破局”の背景にあった“意外な事情”…松田聖子(62)がスキャンダルを踏み台にして“無敵化”するまで

文春オンライン / 2024年5月15日 6時0分

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松田聖子 ©文藝春秋

〈 「総裁が轢死体で発見された」70年以上未解決状態が続く日本の“怪死事件”…捜査担当刑事が指摘するも軽視されていた2つの“意外な事実”に迫る 〉から続く

 アイドルという枠を超え、1980年代の歌謡界を代表する歌姫として活躍した松田聖子。現在も多くのファンから愛される彼女は、離婚と結婚を繰り返す恋多き女性としても知られている。

 なかでも世間を驚かせたのは、郷ひろみとの衝撃的な破局、そして、それから1ヶ月後の神田正輝との電撃婚だろう。あのとき、一体何が起こっていたのか。ここでは、『 証言 タブーの昭和史 』(宝島SUGOI文庫)の一部を抜粋し、関係者の声を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

なぜ松田聖子は郷ひろみから神田正輝に乗り換えたのか

 1980(昭和55)年のデビュー以降、長きにわたって芸能界の第一線で活躍する松田聖子。2021年に愛娘の神田沙也加が転落死して以降、メディアへの露出は激減したものの、そのオーラはいまも失われることがない。

 時代の顔であり続ける聖子の80年代におけるハイライトシーンは、やはり郷ひろみとの破局、そして神田正輝との結婚であろう。

「もし、今度生まれ変わったときには絶対いっしょになろうねって……」

 郷ひろみとの破局記者会見で、この歴史に残るサヨナラの名文句を残したわずか1カ月後に神田正輝との婚約を発表するのだから「並の心臓」ではない。

 聖子はなぜ、郷と破局し神田正輝に乗り換えたのか。それにはいまでも謎めいた部分が残されている。

 当時を知る大手レコード会社幹部は語る。

信憑性のあるものからトンデモ説まで…破局の真相に様々な噂が

「公式説明としては、家庭に入ることを望んだ郷に対し、歌をあきらめ切れなかった聖子ということになっていますが、ウソではないにせよ、それが第一の理由ではなかったでしょうね。本質的な理由は、聖子が自分でも想像できなかったほど巨大な存在に急成長してしまった。それがさまざまな状況の変化を誘発したのではないでしょうか」

 二人の謎めいた破局の真相には、いまでも信憑性のあるものからトンデモ説まで、まことしやかな噂が流れている。

「聖子は石原裕次郎の愛人で、別れるために神田正輝があてがわれた」

 などという「説」が代表例だが、先の幹部は一笑に付す。

「ありえませんよ。当時の裕次郎は、本人には知らされていませんでしたが重い肝臓がんを患っており、そもそもそれ以前から解離性大動脈瘤の手術をしていて、とても愛人を追いかけるような体力はなかった。聖子と正輝の結婚があまりに意外だったので、そうした説が出てきたのではないですか」

 松田聖子と郷ひろみの「熱愛」の伏線は、まだ聖子が芸能界にデビューする前にさかのぼる。

トップアイドルである聖子が感じた「誤算」

 聖子はそもそも、1970年代からスターだった郷ひろみのファンだった。

 芸能人どうしの結婚においては、一方がデビューする前、相手のファンだったということはよくある話である。

 仰いで見る存在だった郷ひろみと松田聖子は、レコード会社が同じCBS・ソニーだったこともあり接点を持つ。

 聖子のデビュー翌年の1981年には早くも「熱愛」報道が出現し、二人も交際を公言するようになった。

 1983年には二人の電話を盗聴したと思われるテープが飛び出し、「私がどれだけひろみさんのこと愛してるかわかってますか」「いやーん、もう抱っこして!」と電話でも“ブリッ子”だった「聖子」の声に日本中が仰天したのである。本物のように思えた迫真のテープだったが、二人はこれを黙殺した。

 どこから見ても結婚は秒読みかと思われたが、聖子にとっての「誤算」は自分自身の内側にあった。

 当時「2億4千万の瞳」をヒットさせていた郷ではあったが、30歳を目前にしてアイドルとしての人気は明らかに下り坂だった。

 それに対し、「秘密の花園」「SWEET MEMORIES」「瞳はダイアモンド」など大ヒット曲を連打する聖子は、もはや商業的な意味では郷よりはるかに格上の存在となっていた。

 トップアイドルである自分が、上がり目のない郷と結婚していいのだろうか——。ほんの2、3年前であれば思いもしなかった考えが聖子の中になかったとは言い切れない。

別れたその足でハワイで待つ神田正輝のもとへ

 郷はあくまで聖子と結婚するつもりでいたが、すでに聖子の心は映画『カリブ・愛のシンフォニー』(1985年公開)で共演した神田正輝に移っていた。

 この映画がメキシコロケだったことも、郷にとっては不運だった。急速に距離感を詰めた神田は、郷と違ってスターぶることもなく、聖子が体調を崩した際には献身的に看病したという。

 郷ひろみと松田聖子が別れたのは1984年末のことだったといわれる。

「聖子は別れたその足で、ハワイで待つ神田正輝に会いに行った。日付変更線をまたいで、一日に二人の男と会っていたんだ」

 こう話していたのは生前の梨元勝(芸能評論家)であった。

 聖子はその後、1997(平成9)年に神田と別れた後、6歳年下の医師と結婚・離婚を経て2012年に歯科医と3度目の結婚。その間、2000年には郷ひろみとのデュエット曲を発表している。

 数々のスキャンダルを踏み台にして、無敵化した聖子は、かくしてファンにもアンチにもその生き方を語り継がれる存在となった。

(別冊宝島編集部/Webオリジナル(外部転載))

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